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短編小説『半透明な熱帯魚たち』Ⅰ.燈月(Hizuki)

☆この作品は、一年少し前に書いてずっと眠らせていました。
 いじめに触れる内容を含みます。心に元気がある時にお読みいただけましたら幸いです。

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Ⅰ. 燈月(Hizuki)
 
 午後4時。
 学校から帰宅した燈月は、ヘッドホンを装着するとすぐにカーテンを閉めて、照明を消した暗い部屋で熱帯魚が泳ぐ水槽を眺めていた。
 青白く照らされた水槽の中では三種類の熱帯魚が十五匹ほど泳いでおり、時折、うろこが青色や黄色や銀色にちらちらと美しくひらめいている。
 
 ようやく、燈月はマスクを外し、ゆっくりと深呼吸した。
 パンクミュージックを大音量で聴き、水槽を眺める時間だけは何も考えずに息をすることができる。
 マスクを手放すことができなくなってから、二年近くが経った。
 学校に行く時も自宅にいる時も、マスクで口元を隠していなければそこから消えてしまいたい衝動に襲われ、うまく呼吸ができなくなる。酷い時には、パニックに陥って過呼吸を起こしてしまうようになった。
 
 ことの発端は、高校に入学したばかりの頃。
 SNSで、誰かが燈月の過去を暴いたことがきっかけだった。
 
『有名進学校・葉総高校の山上燈月は、小学生時代にいじめをしていた』
 
 インターネット上のこの「書き込み」を、クラスメイトの杏奈から知らされた。
 
「燈月、これって本当?」
 突き付けられたスマートフォンの画面に並ぶ文字の羅列を、すぐに理解することができなかった。
 やがて、遠くの鐘の音が到達したように、頭の中に大きな音の波がぐわんぐわんと鳴り響く。
 
 燈月が小学三年生の時、同じクラスに気の強い女の子にきつく当たられている子がいた。
 最初は、気の強い子とその取り巻き二、三人が彼女を侮辱する言葉を一方的に浴びせていたが、彼女をうとむ空気はあっという間に伝染し、クラスの中で一人対多数という構図を作り出した。
 担任教師が気付いていないわけはないと思っていたが、教師も大半のクラスメイトも「そこには触れない方が、自身の面倒にならない」という思惑から、問題に目を向けずに目をらし続けた。燈月もいじめられていた子と特別仲が良かったわけではなく、クラスの雰囲気にならって彼女を無視した。
 クラスの中で居場所を失くし、背中が小さくなっていく彼女が目に入ると、心が痛まなかったわけではなかったが、ただ何もせず見て見ぬふりをしていた。
 
「杏奈、こんなのどこで見つけたの? ただの嫌がらせだよ!」
 燈月はいつも通りの笑顔を作ると、杏奈からスマートフォンを奪って画面を伏せる。
 
「だよね! よかった! こんなデタラメ書き込むなんて、ほんっと迷惑だよねー」
 杏奈も、いつもと同じ口調で笑った。
 
 しかし、杏奈が話しかけてきた時の視線に冷たいものが交じっていたことを見逃さなかった。
 疑い、軽蔑、非難──。
 これらが一瞬の間に何千本もの細い針となって、身体の肉の至るところを突き刺しているような心地がした。
 
 
 燈月は、この日から得体の知れない不安と恐怖に駆られている。
 正体の分からない誰かの書き込みが怖いのか、それとも、それを見た友人にどう思われるのかが怖いのか。
 最初はそのどちらか、もしくは両方だと考えていたが、暫くしてある別の結論に至った。
「私は、いじめをしていたことを否定できない」のだと──。
 
 杏奈と話している時、表情とは裏腹に心臓はドクドクと音を立てて鼓動を打ち、掌にはじっとりと汗をかいていた。
 あの頃、小学三年生の頃、自分のしていたことがいじめに加担することだとは、理解できていなかった。関わらない方が身のためだということを教師から学び、皆がそうしていたから自分もそうしたまでだった。あのクラスの中では、それが「正解」だった。
 
 しかし、外の世界ではそれは「正解」ではなく、「邪道」と見なされることを後に知った。
 もし、この「書き込み」が事実だと知られたら、自分の高校生活もあの時の彼女と同じ運命を辿ることになるのではないか。
 燈月は、瞬きの間に記憶に蘇った彼女の姿に自分の姿を重ねていた。
 
 
 ことある毎に激しい口喧嘩を繰り広げている両親の言葉も、燈月を部屋に追いやった。
「自分が中学受験に失敗したせいで、両親は仲違いをし、平穏を失った」「両親にあんな汚い言葉を吐かせているのは自分だ」と自分を責めた。
 
 燈月は、言葉をマスクで封印した。
 自分の言葉は、声は、嘘ばかりだ。汚れているのだ。そう思い込んだ。
 
 心を落ち着けられるのは、自分の部屋で音楽を聴き、水槽の熱帯魚を眺めている時だけだ。
 三回深呼吸をして呼吸ができることを確認すると、燈月はパンクミュージックを止め、スマートフォンのラジオアプリ「SMILE」をタップした。

 (Ⅱ.へつづく)


Ⅱ.星那(Seina)は、こちらから↓


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みなとせ はる
いつも応援ありがとうございます🌸 いただいたサポートは、今後の活動に役立てていきます。 現在の目標は、「小説を冊子にしてネット上で小説を読む機会の少ない方々に知ってもらう機会を作る!」ということです。 ☆アイコンイラストは、秋月林檎さんの作品です。