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【連載小説】はつこひ 第九話
「お嬢様‼」
約束の時間にバス停に現れた私たちを見つけると、寺尾が駆け寄ってくる。彼の腕に抱えられた私を奪い取ると、すぐさま車の後部座席に乗せて私の身体に毛布を巻きつけた。
私の額に手を当てると、踵を返し、彼の元へと走り出す。
「この大馬鹿野郎‼」
寺尾が力強い拳を繰り出すと、それを顔の真正面から受け止めた彼は、直立したまま水気を帯びた雪の上に音を立て倒れ込んだ。
「やめて。なぜ彼を傷つけるの。彼は悪くない。ちゃんと時間通りにバス停まで送り届けてくれたじゃない」
そう伝えたかったが、意識が朦朧として、言葉が思うように声になってくれない。
「???」
彼は主記憶装置を作動させて人間に殴られた理由を探し始めていた。
「こんな雪の日に、お嬢様を一体どこへ連れて行きやがった! お嬢様が熱を出して、呼吸が苦しそうだとなんで気がつかねえ! やっぱりお前は、人真似さえろくにできねえ、ただの金属の塊だ!」
「……蝶子ちゃんは、温かい」
「うるせえ! 二度とお嬢様に近づくな‼」
一瞬、主記憶装置の動作を停止させ、身体を起こし始めた彼を寺尾はすぐに足蹴にした。
寺尾は蔑みの目を彼に向けると、息を荒らげたまま運転席に乗り込み、すぐに車のエンジンをかける。車が発進すると、リアガラスから見える彼の姿がだんだん遠ざかっていった。
「飯村さん。ごめんなさい、飯村さん」
心の中で呼び続けた名前は、彼に届くだろうか。
立ち尽くしたまま車を見つめる彼の右半身は、髪も制服も泥混じりの雪で茶色く汚れてしまっていた。
早くあなたの冷えた手を温めてあげたい。その手を握りしめて、「愛してる」を伝えたい。
遠ざかる小さな唇が、いつまでも私の名前を呼んでいた──。
*
再び目を覚ますと、ベッドの中にいた。
「お嬢様! 目を覚まされたのですね、良かったー!」
私の手を握りしめていたのは、メイドの佐戸田さんだ。
「佐戸田さん……。私……」
「ここ数日、ずっと眠っていらっしゃったのですよ。一時は持病の喘息や高熱が出て大変でしたけれど、お医者様に診ていいただいて、お薬も効いて。もう大丈夫ですからね」
佐戸田さんは瞳の奥で「ピッ」と音を鳴らすと、十秒ほどで体温や脈を計り、左耳の上から伸ばしたアンテナからモールス信号のようなものをどこかに送信していた。
「今は、いつなの……?」
頭がぼんやりして、いつから眠っていたのか、よく思い出せない。
「本日は十二月二十七日です」
「そう……。お父様とお母様は?」
「旦那様は、急なお仕事で年末まで出張でございます。奥様は、来年の年始に予定されている旦那様との新婚旅行のため、先に現地へ向かわれました」
「新婚旅行……。そうだったわね」
父が再婚をしたのは、今年の春のこと。後妻となった人は、私よりも十五歳年上の若い女だった。
身体が弱く臥せりがちで、中々パーティーにも同席できない母の代りにと、親戚に紹介されてやって来た彼女は、三年の間秘書として父を支えた。名家の出で賢く美しい彼女は社交場の華。取引先のパーティーへ出向くことの多い父にとって、彼女は自慢の人だった。
私が彼女に初めて会ったのは二年前。我が家でホームパーティーが開かれた時だ。
母はこの日もパーティーへの参加は叶わず、私は一人ちっとも楽しくない大人の集いを部屋の隅から眺めていた。
彼女は艷やかな黒髪を纏め上げ、デコルテの開いたタイトな黒いドレスを身に着けている。数人のゲストに囲まれた彼女は、暫く談笑を続けていたが、会話が一区切りするとその輪から抜け出して、ウェイターからシャンパンの入ったグラスを二つ受け取った。
向かった先は、ちょうど一人になった父のいるテーブルだ。
「やあ」と父が声を掛けると、彼女は微笑みながら、「シャンパンをお持ちしましたわ」と応える。白く長い指先を飾る赤いマニキュアの美しさを見せつけるように、グラスをテーブルの上に置いた。
「ところで、本日のゲストへのお土産の件ですが……」
彼女は仕事の話を始めたが、同時に父の方へと身体を寄せる。
すると、父もビジネスライクな笑みを浮かべながら、彼女の腰にそっと腕を伸ばした。
それに気づいた彼女は、人から見えぬよう、左腕を背中側に回して父の手を探し始める。二人は互いに相手の温もりを見つけると、すぐに指を絡めて遊び始めた。
暫くして父はゲストに呼ばれて離れたが、彼女は私に見られていたことを分かっていたのか、唇の前に人差し指を当てながら私の元へと歩み寄ってきた。
「シー。静かにしてくれたら、いいことを教えてあげる」
「……いいこと?」
「そうよ。とても大切なことよ。欲しいものは、『欲しい』ってすぐに口に出してはいけないわ。本当に欲しければ、少しずつ、少しずつ。焦っては駄目。それが欲しいものを確実に手に入れる秘訣なの」
翌年に母が亡くなると、彼女はこの屋敷に住み始め、一年経たずして妻の座を手に入れた。
父と結婚した彼女の指先は、以前にも増して様々な派手な色のマニキュアで彩られ、父からの愛を一心に受けるようになった。
「いい子にしてくれたら、蝶子ちゃんの爪にもマニキュアを塗ってあげる」
そう言っていたのはいつのことだったか。
両手の指をかざしてみても、指先には見慣れたいつもの短い爪が乗っているだけで、いつまで経っても私は少女のままだった。
(つづく)
(2194文字)
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