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【連載小説】「春夏秋冬 こまどり通信」第八話(全十話)

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Ⅳ.冬


 十二月の人々の足取りは、弾んでいたり、少し急ぎ足だったり。食材や子ども達のプレゼントを求めてやって来る人々で賑わう商店街からは、連日クリスマスソングが聞こえてくる。

 この間、サンタクロースの帽子と白い綿のひげをつけたカワやんが、白い息を吐きながら営業にやって来た。私は、寒さで少し赤くなったカワやんの指先を見て、チューリップの形をした手羽先の唐揚げセットを予約する。

「一人じゃ食べきれないから、赤羽さんにお裾分けしようかな」
 と言うと、
「イブの日、店閉めた後でも良ければ、ケーキ持ってくるから一緒に食おうぜ」
 とカワやんは言った。

 今年は、ツリーを飾ることも、誰かにプレゼントを用意することも考えていなかったけれど、どうやら私にもクリスマスはやって来るらしい。
 花の咲いていない寂しい庭の中で、赤と黄色の実をつけた千両と万両だけが、イルミネーションのように光っている。


 
 この日「こまどり教室」に初めてやって来た宇久井うぐい進さんは、そんな私の予定を知っていたかのように、フルボトルのシャンパンを差し出した。

「どうぞ、ご挨拶のしるしに」
「いいえ、こんな高価なもの、いただけません! 今日は、体験レッスンですので、どうぞお気になさらず!」

 何とか丁重にシャンパンをお返しすると、「すみません。どうも若い方の好みは分からない方で」と、宇久井さんは申し訳なさそうにしてシュンとする。

「お気持ちは、とても嬉しいんです。ただ、ここにいる間は気を遣わずに、ありのままでいてほしい。それが先代からの願いなんです。だから、どうか肩の力を抜いて過ごしてくださいね」
「ありがとうございます。確かに、ここは静かでよいところですね。すっかり世間から離れてしまった気分だ」
 宇久井さんは、ようやく銀縁眼鏡の奥にある目を穏やかに緩めた。

 四十歳ほどのスーツを身につけた男性が、ここへやって来るのは珍しいことだった。先代は、「ここへ来たい」と思ってもらえることについては誰に対しても感謝をしていたけれど、誰でも受け入れていたわけではなく、時にはお断りをすることもあった。ここは教室でもあり、我が家でもあるので、踏み入れてもよい人かどうかを慎重に見極める必要があったのだ。

 宇久井さんに電話で連絡をいただいた時、私もどうしようか、と迷っていた。女一人で住む家に、力でかなわない見知らぬ男性を迎えて大丈夫だろうか、と心配になった。
 けれど、電話の向こうから伝わってきたのは、どうしてもここに来たいという思いと、丁寧な口調の端々に浮かぶ相手への心遣い。
 この人は、大丈夫。
 私は、話している内に心からそう思えたのだった。

 この日、宇久井さんのために用意していたのは、夏に来てくれた麗さんの時と同じく、『ワトソン』のスケッチブックと三十六色入りの色鉛筆セット。
 最初は林檎から、とも思ったけれど、絵を描くことが苦手だと伺っていたので、まずは私が下書きをしたものに色をのせてみてはどうか、と電話をいただいた時に提案した。好きなものを聞くと、宇久井さんは「百合の花」と答えてくれた。

 百合の花を描く時、先に背景の色を塗っていくことで、水彩用紙の地の色を花弁の色として活かすことができる。あまりテクニックにはこだわらず、好きな色を背景に入れ、花のシルエットや紙の白色が浮き出てくる過程を楽しんでいただけたら、と考えていた。

「では、早速始めましょうか」
 そう言って、私は色鉛筆ケースの蓋を開いて、スケッチブックを宇久井さんの前に広げようとする。すると、そこに大きな手がすっと現れた。

「先生、すみません……。実は、私は色鉛筆を習いに来たわけではないのです」
 声の主へ顔を向けると、頭を下げた宇久井さんの整えられたつむじが見えた。


 
 宇久井さんが気持ちを整理する間、私は台所でココアを作ることにした。純正ココアパウダーと砂糖を鍋に入れて、牛乳で少しずつ溶かしながら火にかける。そうすると、お湯を注ぐだけでできるココアよりも、濃厚で甘く、より幸せを感じられる飲み物になる。もしかしたら、宇久井さんの心もほぐしてくれるかもしれない。

 色鉛筆やスケッチブックを片付けて、机の上にココアの入ったマグカップを二つ並べる。
「どうぞ」とすすめると、宇久井さんはカップを手に取り、一口すすった。
「おいしい」
 そう言うと、ほっと一息をついて、ようやく向かいに座る私の顔を見てくれる。

「お口に合ってよかったです。落ち着かれましたか?」
「ええ、おかげさまで。ありがとうございます」
「あの、早速なのですが、先ほどのお話の続きをうかがってもよろしいでしょうか」
「はい……。ぜひともお話させてください」
 宇久井さんは姿勢を正すと、まっすぐ私の目を見つめた。

「先生は、千鶴さんから、『菊池忠輝』という名前を聞いたことはありませんか」
「キクチさん……? 以前いらした生徒さん、でしょうか。宇久井さんは、先代の千鶴をご存じなんですか?」
 初めてここに来たはずの宇久井さんの口から先代の名前を聞き、思わず目を丸くする。一体、どういうことだろう。

「ああ、そうですよね、一体どこから話せばいいのやら……。実は、『菊池忠輝』というのは、僕の父なんです。苗字が違うのは、僕が彼の先妻の子で母の姓になっているからで……。僕自身は、千鶴さんとお会いしたことも、お話したこともありません。今日ここへやって来たのは、父からある依頼を受けたからでして」
「依頼、ですか」

「ええ。千鶴さんと会ったことがあるのは、父の方なんです。一年と数か月前でしょうか。父は、昨年の夏頃に千鶴さんから手紙を受け取っていたようなのですが、なぜか今頃になってその手紙を開き、私にここへ向かうよう言いつけたのです」
 
「手紙? それは、どんな内容だったのですか?」
「手紙には、こう書かれていたそうです。『お約束のもの、お預かりしています。なるべく早くお返ししたい』と。何を預けているのか、父に聞いても教えてくれなくて。結局気になって、あなたに『色鉛筆教室のレッスンをお願いしたい』と偽って電話をしてしまいました」
 宇久井さんは再び、「嘘をついて、すみません」と頭を下げる。

「あの、私も、ちー……、先代からそんな話は何も聞かされていなくて。キクチタダキさんというお名前も初めて聞きました。それに、先代は……」
「今年の初めに、すでに亡くなられていますよね」

「えっ」
「失礼な話だとは承知していますが、千鶴さんのこと、それから、この家やあなたのことは、ある程度調べさせていただきました。父の口から女性の名前が出て、正直『またか』と思ったのです。我が家は、後妻とその子供たちと、色々複雑でして。もし、千鶴さんが父の愛人であれば、厄介なことになると」

「ちーちゃんが、愛人⁉」
「けれど、私の思い過ごしでした。父と千鶴さんにそのような関係はありません。千鶴さんとのやりとりも、その手紙一通きり。父のことは、調べればどこの人間かすぐに分かりますから、会社宛てに手紙を送ってくださったのでしょう」

 私達のことを調べたって、何? キクチさんは、何者なの? 
 色々な疑問は浮かぶけれど、ひとまずちーちゃんとキクチさんが深い関係ではないと聞いてホッとする。

「何だか、驚くことばかりで……。私、本当に心当たりが全くないんです。先代は、一体何をお返ししたかったんでしょう」

「こちらは、何かのヒントになりませんか?」
 宇久井さんが私の前で手のひらを開くと、古びた鍵が姿を見せた。

「父宛ての手紙に同封されていたそうです」
「少し、手に取ってみてもよろしいですか?」
「ええ、もちろん」

 実際に持ってみると、思ったよりも重量がある。真鍮しんちゅう製で、鍵の先にちょんと一つだけでっぱりのついたシンプルな形。持ち手には、栓抜きのような楕円のモチーフがついていた。

 あ──。
 脳裏に、あるイメージが浮かぶ。

「あの、もしかしたら、と思うところが一つだけあるのですが、よかったら一緒に来ていただけませんか?」
 鍵をぎゅっと握ると、私は椅子から立ち上がる。

「もちろんです」
 宇久井さんはそう言って、私に続いた。


(つづく)


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