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短編小説『半透明な熱帯魚たち』 Ⅲ.陽花(Haruka)(4)(最終話)

(4)
 
 決して話すことが得意でないHizukiとSeinaが丁寧に伝えてくれた思い。
 それは、ただのコメントでも、スマートフォンの画面に映るただの文字列でもなく、指先でなぞれば透明なガラスをすり抜けて、こちらに思いの色や温度を届けてくれる。そこから感じるものは、彼女たちの弱さでも、小ささでもなく、心の奥に眠る「伝えたいと願う強い意思」だ。言葉を伝える手段にそれぞれ苦手なものがあったとしても、一人で越えられない恐怖を抱えていたとしても、彼女たちの言葉には、生まれたての卵のようなまだ耳には聴こえない鼓動を感じる。
 
 パーソナリティとして何か話さなければと思いつつも、涙が止まらず息を詰まらせていると、新しいコメントがどんどん画面の上へ上へとのぼっていく。
 
Nana「Haruka! 私たちのこと忘れてるよー」
Sho「そうだよ、ここのリスナーは皆、仲間だろ?」
Masa「熱帯魚でも何でも仲間に入れてくれよー!」
Rico「私たちだって応援してるんだからね!」
Kotaro「何か困ったことあったら言ってくれよ」
 
 優しさとユーモアと、そしてちょっぴり不満の混じった愛しい小さな泡たちだ。
 ああ、これだからラジオ配信はやめられない、と陽花は強く思う。
 
「あはは、皆、ごめんごめん。忘れてたわけじゃないよ。ラジオ配信を始めたきっかけは、自分を嫌いになりたくなかったからだったけど、私が元気でいられるのは、皆が毎日時間になるとここに来てくれて、私の話を聞いてくれるおかげだなって、改めて考えてたら泣けてきちゃった」
 
 衣替えしたばかりの制服のカーディガンの袖で目元をこすると、時計はいつの間にか配信終了の時刻を迎えようとしていた。ここで過ごす時間はいつもあっという間だ。
 
 Harukaは、リスナーたちに間もなく配信終了時間来ることを伝えると、今日の感謝を言葉に込めて番組を締めくくった。
 
「一人で踏み出すことが怖ろしい時、離れていても言葉で、声で、誰かと繋がることができる。それが群れていると他の人から見えたって、恥ずかしいことなんかじゃない。私たちは、小さな熱帯魚のようにまだ弱い存在なんだ。私はここから声を届けて、『ここに来たらひとりじゃないんだよ』って伝えたい。ここにいる皆も、きっと同じように言ってくれるはずだって信じてる。だって、私が今日も配信を続けられているのは、皆がどんな私でも受け止めてくれるから。私の嫌いなところも、『そんなことないよ』って言ってくれるから。いつも本当にありがとう。……それでは、今日も配信終了の時間になりました。また明日も、午後4時にここで会いましょ♪ See you♡」
 
 
 陽花は配信終了ボタンを押した後、学生鞄からキャンパスノートを取り出して真っ白なページを広げる。
 黒色の水性サインペンを右手に握ると、左手にはスマートフォンを持ち、そのカメラでキャンパスノートを映すと動画撮影のスタートボタンを押した。
 
 右手のサインペンは、なかなか思うようにスムーズに進まずに、小さな波を描く。
「今、書いている文字を、皆が見たらどう思うだろう」
 そんなことが頭によぎると、ペン先が大きくうねりそうになった。
 
 一度、強く握りしめていたサインペンから手を離し、ゆっくりと深呼吸してから、もう一度三本の指をペンに添えるように握りなおし、今日の皆の言葉を思い出しながら、最初の一文字を書く。
 
「あ」。
 
 たった一文字のひらがな。それを書き切るまでに、三分もかかってしまった。
 けれど、気持ちを伝えたいとかなり丁寧に描いた一文字は、少しいびつで滑らかな曲線が美しかった。
 
「あなたの声が私は好きよ」
 その時、田村先生の声を耳元で再び聞いた気がした。
 文字で伝えたい思いも、「声」なのかもしれないと陽花は思う。
 
 その後もペンを握りしめながら、丁寧に心を込めて書き上げた、ひらがな五文字。
 ただそれが出来上がる過程を撮った10分の動画。
 
 何も知らない人が見れば意味の分からないものを、「SMILE」のHarukaのメインページにアップする。
 皆への思いを、いつもとは違う「声」で届けたかった。
 

 
 その夜、夕食後にスマートフォンを開くと、HizukiとSeinaからチャットでメッセージが届いていた。
 
Hizuki「コラボの話、会ってしたいな。ふたりはいつもどの辺にいんの?」
Seina「いいね。ちょっと緊張するけど、顔見て話してみたい。私は〇〇駅前のマックによく行くよ」
Hizuki「あ、そこなら近い。Harukaはどう?」
 
 陽花は、「ふたりとも、ありがとう! 私もOKだよ。今週末の予定はいかが?」と入力する。
 
 顔を見たことも、直接話したこともないふたりだけれど、ふたりの「声」を大好きになる予感がした。
 
 言葉。それは口から発すればすぐに消えてしまう一瞬のもの。
 文字に残せば記録として残り、時には「その時」の思いを保存しておくことができるけれど、「その時」は永遠ではない。
 時間や心とともに変化して、その意味もかたちも変えていく。
 
 陽花は、言葉のそんなところが好きだ。
 HizukiとSeinaの「話すこと」を恐れる心にも、この美しさが伝わればいいと思う。
 
 それが、熱帯魚の吐く泡のようにとてもはかないものであったとしても、嘆くことはない。
 誰かが自分の言葉や声を見つけて、「あなたはそのままでいいんだよ」と言ってもらえた時の喜びは強さをくれる。
 
 その喜びを知ってしまったら、言葉をしまってなんていられない。
 
 その次に生まれる言葉の泡は、きっと、もっと遠くまで飛ばすことができる。
 
(了)


🌟最後までお読みくださり、ありがとうございます。
 全体のバランスなど、見返すと反省点もたくさんありますが、
 三人の女の子たちの思いや変化が少しでも伝わっていたらうれしいです。

 優しい人ほど、きっと飲み込んでしまう言葉もあるかもしれないけれど、
 「言葉」は「心外吐」。
 言葉に込めた優しさや思いは、きっと伝わると信じています。

🌟物語のはじまりは、こちらから↓


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みなとせ はる
いつも応援ありがとうございます🌸 いただいたサポートは、今後の活動に役立てていきます。 現在の目標は、「小説を冊子にしてネット上で小説を読む機会の少ない方々に知ってもらう機会を作る!」ということです。 ☆アイコンイラストは、秋月林檎さんの作品です。