見出し画像

【連載小説】はつこひ 第一話

 店の扉が開き、「チリン、チリン」とベルが鳴る。

「いらっしゃいませ」
「蝶子さん、こんにちは。今日はネイルを新しいものにしていただきたいのだけど、これから大丈夫かしら」
「田中様、どうぞいらしてくださいました。ちょうど本日から十二月限定のネイルデザインが始まりましたの。赤色と白色のマニキュアをベースに、それぞれの指に七色に輝くクリスタルを添えて。クリスマスシーズンにぴったりの華やかなデザインは、いかがでしょう」
「あら、嬉しいわ。せっかく年に一度のクリスマスだものね。そちらでお願いしようかしら」

 田中様が目を三日月の形にして微笑みになったことを確認すると、カウンターの中から私の目の前の席に座るよう促し、「どうぞ右手からテーブルの上にお上げください」と声を掛けた。
 田中様が毛皮のコートをお脱ぎになると、その下に身に着けた緑色のノースリーブワンピースから、すらりと白く長い腕が姿を現す。ガラステーブルの上にベルベッド生地の柔らかなクッションを乗せると、ゆったりと美しい右腕が舞い降りた。

「田中様の手はいつも変わらずお美しいですね」
「ありがとう。これでもお手入れは毎日欠かさずにしているのよ」
「見ていても分かります。田中様が初めてこの店に来てくださったあの日から、全く変わりませんもの。指先にささくれさえ発見したこともありませんわ」

 そう言って、爪先の手入れに必要な道具を並べながら彼女を褒めたたえると、田中様は左手を口の辺りに添えて「うふふ」と笑った。

「蝶子さんは褒めるのが上手ね。けれど、正直なところ、やはり肌の衰えというのは感じるの。特に夏はいけないわ。あの暑さ、湿気に紫外線。日焼け止めを丹念に塗っても、やっぱりダメージは大きいもの」
「そんな風には全く見えませんわ。まだまだ弾力のあるしなやかな肌をしていらっしゃいますもの。けれど、もし気になるようでしたら、ぜひ近々またいらしてくださいね。次回までに、田中様のためのスペシャルメンテナンスメニューを用意しておきますわ。心配事を残しておく方が、きっと肌には悪いですから」

 彼女の爪先にラメの入った赤色のマニキュアを含ませた細いネイル筆を滑らせていると、中指と薬指が同時に二度跳ねる。上機嫌な時になさる癖だった。

「ところで、田中様。お嬢様はお元気でいらっしゃいますか?」
「ええ。元気にしているわ。もうすぐ十三歳になるの」
「以前、こちらにいらしていただいた時には、まだ八歳でいらっしゃいましたね」
「よく覚えているわね。そう、私のネイルをあなたに頼みにきたら、あの子がとっても興味を持ってしまって。『私もネイルをしたい』だなんて駄々をこねるものだから、困ってしまったわ」
「ふふ、そうでしたね。とっても可愛らしかった」

 田中様は空の一点を見つめて、記憶を探っているようだ。「困ってしまった」なんて言いながら娘の成長は嬉しいようで、時折均一に塗られた赤い口紅の口角を少し上げていた。

「そうそう、来週はあの子の誕生日なのよ。今年は大きなテディベアを贈ろうと計画していたのだけれど、うっかり主人が口を滑らせてしまって。あの子ったら『そんな子供っぽいもの、いらない!』なんて言うのよ。全く、どうしたものかしら」
「あらあら、それは困りましたわね。……ひとつ提案なのですが、今年のお嬢様のお誕生日に私から初めてのネイル体験をプレゼントさせて頂けませんか? 実は、お子さまにも安心して使用いただけるマニキュアを作ってみたのです。お湯と専用の石鹸で簡単に落とすことができますから、肌を傷めず、冬休みの間だけ楽しんで頂くこともできますわ」
「あら、そんな便利なものがあるの? それだったら、娘も喜ぶかもしれないわね」
「ぜひ、お嬢様とご相談されてみてください。いつでも用意しておきますので」
「ありがとう。あなたには、いつも親切にしてもらってばかりね」

 暫くの間、おしゃべりをしながらも、彼女の指先に集中し、丁寧に色を重ねていく。
 赤色のマニキュアが完全に乾く前に白色のマニキュアを点で置き、その色を広げるように竹串でマーブル模様を描いていった。さらに大小様々なクリスタルを爪先に散りばめると、まるで小さなクリスマス・イルミネーションのように光り輝く指先が完成した。

「いかがでしょう、田中様」
 両手のネイルを完成させると、田中様は目を細めてうっとりと指先に見入っている。どうやらご満足いただけたようだった。

 田中様からご予約を頂いたのは、翌日のこと。
 要件は、「来週の火曜日、娘の誕生日にネイルをお願いしたい」ということだった。

 私は早速、準備に取り掛かることにした。

(つづく)

(1894文字)

この作品は、とある古典文学作品から着想を得ています。
最終話にて記載いたします。

 つづきは、こちらから↓


いつも応援ありがとうございます🌸 いただいたサポートは、今後の活動に役立てていきます。 現在の目標は、「小説を冊子にしてネット上で小説を読む機会の少ない方々に知ってもらう機会を作る!」ということです。 ☆アイコンイラストは、秋月林檎さんの作品です。