鉄を運んだ道を尋ねて。
湊町では、平安時代から大規模な製鉄が行われてきたことが分かっていますが、当時湊町で作られた鉄のかたまりである「玉鋼(たまはがね)」を
どのようなルートで会津若松まで運んで行ったのか・・・
堰場と田代の中間あたりにあるところから入り、東山ダムに向かって延びる山道で、(「裏白河街道」と私たちは呼んでおりますが)
そこから会津若松へと降りていく道路があります。
その裏白河街道を通り、湊から鶴ヶ城までは、
車だと40分程度で着くことができますが、
当時はこの道を歩いて、玉鋼を運んでいたと思われます。
その道を今回旅してきましたので、動画にてご紹介いたします☆
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