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擂鉢(すりばち)沼(ぬま)の主


 昔、西田(にした)面(づら)の白旗(しらはら)八幡宮(はちまんぐう)から西へ、背炙(せあぶ)り峠にかかる手前の源氏(げんじ)屋敷(やしき)跡(あと)を沢に沿って入るほどに、擂鉢(すりばち)沼のほとりに着く。


 この沼は八幡(はちまん)太郎(たろう)が屯田兵(とんでんへい)の村を作った時の用水池で浅瀬がなく、擂鉢(すりばち)のように切り立って、中央の底がなんぼう深いかわからないといわれている。

 沼の落ち口にある古い笠松からの眺めは、四季それぞれの風情(ふぜい)を見せて、幽邃(ゆうすい)そのものである。

 昔はほど近い居(い)平(だいら)に源氏(げんじ)屋敷(やしき)があったので、よく子どもらが遊びに行ったという。
 大勢の場合は何事も起こらないが、独りぼっちで沼辺に行くと、行方不明になって見つかった例がない。
 そのころは水神様に召されたと言い、時代が移っては河童に引かれたと諦め、今から五十年前 大正の頃、旅稼ぎの越後の大工さんの長男が見えなくなったときは、神楽(かぐら)蛇(へび)に喰われたと恐れられた。
 それ以後は奪われた子どもはいないが、大人が夕方山から仕事の帰りなど笠松の下に休むと、そこに神楽(かぐら)の小さい獅子頭(ししがしら)のような、恐ろしい形相の蛇とも河童ともつかない面魂(つらだましい)が、下をにらみつけて動かなかったと云う話しは幾人(いくにん)もあった。
 この神楽(かぐら)蛇(へび)に会った人々は金もたまって生活が楽になっているとの噂で、その人にあやかりたいと笠松の下に休む人もあるらしいが、独りで会わないと幸運がつかないし、他人にしゃべると運が逃げるといわれるので、誰も黙っているのかもしれない。

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