第二話 善良風無思考人たち
『寝た子を起こす』という言葉があるが、文字通りやっと寝付いた赤子を起こしてくれる迷惑な人々がいる。
例えば、むずがる幼子をやっと寝かしつけたところへやって来る宅配便。
しかし、これはいたしかたない。
先方に非は無い。
インターホンを鳴らさないでほしいと張り紙をするなり、インターホンの音を消しておくなり、こちら側の対処の問題である。
だが、電車やバスの中で、いきなりベビーカーを覗き込んで
「いない、いない、ばあっ。」
などと奇声を上げる輩には対処のしようがない。
もちろん、ご本人は善意の塊なのである。
赤子をあやす善良な人に見える。
しかし、やっと寝付いた赤ん坊は、奇声に驚き火が付いたように泣くのである。
善良風な人々は、ベビーカーの中で大人しく眠っているとは思考しないのである。
たとえ起きていても機嫌良くしている時に皺々の顔がいきなりどアップで迫ってきたら泣き出すに決まっている。
が、当然、善良風な人々は、自分の親切心に酔いしれ思考しないのである。
駅やデパートなどのトイレにも善良風の人々は出現する。
女性ならば、トイレの行列を経験したことがあるだろう。
最近は、色々と設備も良くなり行列であっても、そう長時間待たずして利用できるが、幼い子どもがもじもじしながら並んでいるのを目撃すると
「大丈夫かな。順番がくるまで我慢できるかな。」
と気になる。こういう時に『善良風な人』が登場するのである。
「ここにおいで。」
と、優しく声をかけ自分の前にもじもじ子どもを入れてあげるのだ。
自分が、最後尾にいてさらにその後にもじもじ子どもがやってきたのならば、それは、善良な行為である。
しかし、自分が最後尾でないのであれば、もじもじ子どもと自分が順番を代わるべきではないのか。
大人であっても一秒でも早く個室に入りたい状況の人はいるかも知れない。
電車や待ち合わせの時間が気になる人もいるかも知れない。
善良風な人々は、そのようなことは思考しないのである。
自分は、もじもじ子どもを助けた善良な人と自己満足に浸っているのである。
私は、このように善良に見える行為ではあるが、誰かに迷惑をかけるかも知れないと思考しない人々を
『善良風無思考人』
と名付けている。
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