3年前に供養しそびれた4年半前の備忘録を今度こそ供養する
久しぶりにnoteを開いてみたら、「1年半前の備忘録を供養する」というタイトルの記事が『下書き』に保存されているのを見つけた。
供養してないやん。
気になって読み返したら、あー、なるほどねって感じで、そのまま寝かせとこうかなとも思ったのだけれど、
当時の素直な気持ちを残しておくのもいいかもなと、そんな気持ちになり。
そっと公開しておくことにしました。
ここから先は3年前の7月に書いていた内容です。
世の中が新型コロナウイルスと闘い始めた頃の備忘録。
↓↓↓
先日、iPhoneのメモを整理していたら2020年の2月末〜4月上旬までの備忘録を発見した。書いた日付は2020年4月4日。
きっと心の整理がつかず、どこかに吐き出したかったのだろう。だけど、当時は今以上に世の中が混乱していたし、先の見えない暗闇の中にいるような状態だった。そして、皆があらゆることにセンサーを張り巡らせ、繊細に反応していた時期だった。
そんな中で、自分の考えは発信していいものなのか、誰かを傷つけないか、怖くて誰にも伝えられず、でも吐き出さないと何かに押しつぶされそうで、そっと自分のiPhoneの中に吐き出したのだと思う。
あれから1年半ほど経ち、私は先日ワクチンを接種してきた。打つべきかどうかということに関しては何もいう気もない。
メディアではキャッチーな声ばかりが取り上げられているように思うけれど、持病やアレルギーなどの理由から、冷静に打たない判断をした人がいることも知っている。
そういう人たちに対して同調圧力がないことを願う。
そういう感じで、ワクチンに対する思いは複雑だし、ワクチンの普及で、世の中が劇的に変わるかどうかもわからない。
だけど、接種会場から自宅に着いた瞬間「あぁ、やっとここまで来たんだ。」と涙が溢れて止まらなかった。
それは、ワクチンの効果がどうこうというのではなく、あの先が見えない暗闇から抜け出せたという安心感のようなものだったかもしれない。これは自分のことではなく、世の中全体が、だ。
少なくとも、あの時よりは対処法もわかっているし、「ワクチンがない」状態から「打つか打たないか」選択できる状態にはなった。
止まっていた時間が少しずつ動き出したような気がしたのかもしれない。
だから、誰にも伝えられずにそっと吐き出したメモを供養してあげたいと思ったのだ。供養というかお焚き上げかもしれない。
以下、当時のメモから抜粋。
仕事内容などは一部ぼかしているけれど、ほぼ当時のまま抜き出そうと思う。
BCP(事業継続計画)って現場で初めて聞いた。なんか大袈裟なことになってるなー、程度だった。
年間で計画されていたイベントがいくつか中止になったけれど、残念だけど仕方ないという感じだった。
確かこの時、学校が休校になるとかならないとか言われていた頃で、いろいろな地域から子どもたちが集まって実施するイベントは、「念のため」中止した方がいいだろうという判断だったと思う。
中止により、返金が発生したけれど、会社の売り上げ規模から比べると微々たるものだった。
たぶん、この辺りが辛さの第一のピーク。
>私が会社に貢献できることって何…?
これをずっと考えていた。
↑↑↑
ここまで。
読み返してみて思ったのが、当時の気持ち、わりと忘れてしまってたな、ということ。悪いことばかりではないだろうけれど。
これ私が書いたのか…?あぁ、私だなぁ…と過去の自分と対話しているようで不思議な気分になったり。
そんな感じ。
なんかこう、うまく言えないけれど、時は経つものなのですね。