異文化ーインド編 #1
もう、10年ほど前になるが、インドに2年ほど駐在していた。今、思えばいつもイライラしていた。常に気が張っていたと思う。インドは日本と比較すると、まさに異文化、今まで常識であったことが、通用しない、なんてことは、ザラにある。貧富の差も大きい、日本ではほとんどお目にかかれないような光景が広がっている。
タクシースタンドの話
ニューデリー空港についてから、勝負が始まる。アライバルの出口を出ると、当時自宅に帰るにはタクシーを使うのだが、まず、タクシースタンドに行って、チケットを買う。タクシーにそのまま乗り、目的地に着くと、料金を巡りドライバーと揉めることもよくあるので、その防止策として、空港から乗り入れるタクシー料金を一括管理する目的で作られたシステムだ。他の国でもよくある。事前に空港のタクシースタンド目的地を告げ、料金を前払いする。
ここで注意が必要
「どこまでだい?」
「ディフェンスコロニーまで」(当時の住んでいた地域名)
「320ルピーだね」(500円)
(財布を見ると、500ルピーしかなく細かいのがないので、仕方なく500ルピーを支払う」
目的地までのタクシーチケットを受け取ると、
「どこから、来たんだい?」親しげに話しかけてくる。
「日本から」
「おー!、日本人か、日本はいいところだよ、俺は大好きだよ、なんでインドに来たんだい?仕事か?大変だね、こんな遠いとこまで・・、せっかくインドまで来たんだ、楽しんでくれよ。タージマハールは見たことがあるのか?日本人はみんな行くよ・・・」
なかなか、話は終わらない。そして、最後に、
「じゃ、元気でな、インド楽しんでよ、さよなら!!」
いつも、またかと思う。不機嫌そうな顔からのいきなりのハイテンションもだいぶ慣れていた。
「お釣りの180ルピーを早く、返せ!」
今まで、満面の笑顔だった彼は、急にまた不機嫌そうな顔に戻り、無言で180ルピーを返す。当時は本当に油断できないと感じていた。以前、同じ状況で、お釣りをもらうのを忘れ、2歩踏み出し、「あ!」と振り返り、返却を要求したが、すでに手遅れ。「返した」と主張。隣に座っているタクシースタンドのスタッフも「俺も、お前が金をお前の財布に入れたところを見た」と言い張る。押し問答も、埒が開かず、仕方なく引き下がった苦い経験がある。
当時、スタッフにこの話をすると、「小さい紙幣を持っていればよかったのに」「空港職員は、日本人をいい気分にさせようと思っただけ、お釣りを渡すのをただ忘れただけ」とのこと。自分がネガティブに受け取っただけなのかと思うほどだった。
肩揉みおじさんの話
ある時こんな話を聞いた。ニューデリー中心街に、マッサージおじさんがいると言う。このおじさん外国人観光客を狙い、路上で肩揉みをするらしい。ほとんどの観光客は拒否するが、たまにマッサージを受ける客もいる。そして、おじさんは、丁寧に肩揉みをした後、料金を提示するが、「50ルピーだよ」(80円くらい)と、良心的な料金だ。こんなに丁寧に肩揉みをしてくれて、たった80円、まあ、インドにしては割と高めなのかなと思い、50ルピーを支払うと、矢継ぎ早に、「ねえ、このノートに日本語で、感想書いてくれるかな」と言い出す。観光客も、よくしてくれたんだからと、「とても親切なおじさんです」とか、「肩揉みもうまく、本当に気持ちよかった、これだけしてくれて、良心的な料金だったよ」などといいコメントを残していく。そんな好感度が高いコメントを2つ、3つと集めて行く。
と、ここまでがおじさんの仕込み、次のターゲットには、このノートを見せ、安心させ、肩揉みが終わったあと、平気で、「じゃ、2,000ルピーだね」(3,200円)と言い出す。ノートには良心的な料金と書いてあったが・・・。
「ちょっと高い気がするが・・」
「わかった、しょうがない、1,500ルピーにするよ」(2,400円)
商談が成立し、観光客はしぶしぶ1,500ルピーを支払う。もちろん、おじさんは、ノートを書いてくれとは頼まない。
これもスタッフに聞いた。さすがにこれは詐欺だろうと話すと。「何を言っているんだ、おじさんもいつもより高い料金を提示しても、結局は観光客も納得して支払ったのなら、両方ハッピーじゃないか、おじさんもいつもより儲けが増えて嬉しい、観光客も肩揉みをしてもらい気持ちよくて嬉しい、だから支払った、何が問題なんだ、例えばこれがビジネスだったら、あなたはサービスの提供を受ける際、料金を聞かずに発注するのか?なぜ、先に料金を聞かない?」とのこと。
常識ってなに?
タクシースタンドの件も、ただ「お釣りを返せ」と当たり前のことを言えば、返してくれる。肩揉みおじさんの件も、先に料金を聞けばいい。彼らの本来の意図は別としても、決して嘘の情報を伝え、騙して金銭を受け取ってはいない。したがって詐欺だとは言い切れないかもしれない。私たちが、勝手にお釣りは忘れずに返すものだ、肩揉みはインドではそれほど高くなく、相場通りの料金のはずだという思いこみの常識がそもそも通用しない。日本に帰国すると、「そんなひどい目にあったんだ」と共感してくれる。自分の常識は正しかったと安心してしまうので、このインド人たちは完全に悪者になってしまう。
何事にも人間関係を重視し、いつも空気を読まなければいけない日本人。コミュニケーションなしの暗黙の了解文化を常識と信じているのかもしれない。
この日本の常識を外れると、不愉快になる。しかし、不愉快にならない努力をインドですることは、ストレスを大切に貯金しているようなものだと悟った。ありがままを受け入れるには、受け入れる準備も必要であることも。
靴磨きのボーイ
ある日、革靴を履いて(いつもだが)、ニューデリーのある大通りで、迎えの車を現地スタッフと待っていた。交差点付近に立っていると、5歳くらいの顔が泥だらけのボーイが、靴磨き道具一式を小脇に抱えて、近寄ってきた。
「靴磨きしないか」
車が来るまで、時間がもう少しあったので、
「いくらだ?」と聞いた。
「俺の靴磨きが終わったら、言うよ」
「だめだ、先に言え、言わないなら、あっちにいけ」
「いや、わかった、100ルピーでいいよ」(160円)(相場は10~20ルピーくらい)
「ふざけるな、高すぎる、10ルピーならいいぞ」
「それは、少ない、せめて50にしてくれ」
「いいや、だめだ。じゃ、30でどうだ」
しぶしぶ、嫌な顔をしながら、それでも多少高いので、ちょっと嬉しそう。
「わかった、やるよ」
ボーイが用意した、小さな木製椅子に腰掛け、小さな台に靴をあげると、5歳とは思えない手際で、小気味よく靴を磨いていく。持っている道具は、どこかから借りているのか、古びているが、その速さ、技術はまさに華麗な手捌きだった。5分ほどで、靴磨きが終わり、ピカピカに磨かれた靴に満足していた。
「30ルピーだよ」
細かな小銭、紙幣をいつもいくつかのポケットに入れて持ち運ぶ習慣になっていた。30ルピーを支払い、ボーイが礼も言わず立ち去ろうとしたその時。
「ボーイ、お前の靴磨きは本当によかった、これはチップだ」
と、小さく畳んだ100ルピーを周囲に気づかれないように、そっと渡した。周りに気づかれると、力の弱いボーイから100ルピーを力ずくで奪おうとする奴らがいるからだ。ボーイは手の中の紙幣を見ると、ニコッと笑い、靴磨きの道具を抱えながら、何か叫びながら走り出した。隣の現地スタッフになんて言ったんだと聞くと、
「やったぜ、今日の仕事は終わった」
と言っていたそうだ。そして、スタッフに言われた。
「だいぶ、インドのこと、わかってきたね」
常識を脱ぎ去ろう
その土地のルールに従おうと努力すると疲れてしまう。自分に何かを課すのではなく、自分がまとってる常識(と自分が勝手に信じている)を脱いで見ると、今まで見えなかったものが見えるようになり、自然と理解できるようになる。
今、また日本にいると、暗黙の常識がまとわりついている。いつでも脱ぐことができるか?確認したい。それには、きっと旅が一番いい。旅は自分とは何かと言うことを自分自身に問う為のものだと思う。常識を脱いで旅をしよう!そんな旅もきっと楽しい。
もう一つ、
これはビジネスの話。あるインド人の経営者に言われた。
「日本人は、几帳面で、真面目で、仕事の精度も高い。特に時間には厳しいと思っていた。1分でも遅刻すると、ものすごく非難される。それくらい時間に厳しい、なのに、なぜ会議はいつも時間通りに終わらない。開始後の1分も、終了後の1分も同じ貴重な1分だ。それを理解していない。1時間の予定会議で、1時間延長は当たり前。日本人は本当はタイムマネジメントができないんじゃないか」と日本人を代表して叱られた。返す言葉はなかった。