営業チームのいない異色SaaS企業 Atlassian流2兆円SaaS企業の創り方
異色のSaaS企業 Atlassian
IBMやOracleの様なエンタープライズ向けソフトウェアは、一般に営業の交渉が多く、(自分ではプロダクトを使わない)意思決定者が機能比較をして購買決定をする。故にセールスサイクルが長い。この一般的なソフトウェア企業の成長モデルを覆し、全く違うアプローチで急成長してきたSaaS企業がオーストラリア・シドニー生まれのAtlassianだ。AtlassianのJiraやHipChatは口コミで一気に広がり、最近買収したTorelloも同様のアプローチで、12万5千社以上の顧客を獲得した。領域は限られるとは言え、SlackやNewRelic等の成長SaaS企業もAtlassianに近い考えであり、パイオニアの事例だと考える。
今回は、Atlassian社長 Jay Simons氏のIntercomポッドキャスト/記事をベースに、営業チームに依存しない成長を遂げてきた異色のSaaS企業 Atlassianが「何を考え、どういう戦略で成長をしてきたか?」についてまとめたい。
営業に依存しないAtlassianの成長モデル
伝統的なエンタープライズソフト企業であるMicrosoft、Oracle等、そしてSaaSの王者であるSalesforce.comやWorkday。SaaSの成長モデルは、顧客の生涯価値(LTV)が獲得コスト(CAC)を上回るという前提において、営業/マーケに多大なる投資を行い、その資本効率を競うことで成長してきた。しかし、Atlassianは全く異なる戦略により成長を遂げてきた。
主要SaaS企業のIPO時の営業・マーケティング費用比率を下図に示す。
SaaSの上場企業のS&M%は平均37-38%といわれる中で、Atlassianは19%と圧倒的にS&Mへの投資が少ないことがわかる。これは急成長SaaS企業としては異色な例と言える。では、背景にはどのような成長戦略があるのか?
全ては圧倒的に優れたプロダクトから始まる
顧客は、ソフトウェアに限らずプロダクトを購入するか否かを考える際に、「口コミ」を最もあてにする。そのため、Atlassianでは、シード期から、口コミを最も重要な顧客獲得のチャネルと考えてきた。つまり、Atlassianの初期の戦略的な素晴らしさは、口コミを戦略的に活用したセルフ・サーブ型であり、オンラインで勝手に売れる優れたプロダクトにこだわったことだ。
しかし、これを成し遂げるには2つの要素が必要だ。
1つ目の要素は、「圧倒的に優れたプロダクト」だ。USテック業界の大物であるSeth Godlin曰く、"顧客に口コミさせる、つまり人に優れていると評価してもらいたいなら、評価に値するだけの優れたプロダクトでなければならない"と語る通り、優れたプロダクト無しでは口コミでの拡大はあり得ない。
2つ目の要素は、そのプロダクトの素晴らしさを積極的に社内外に喧伝してくれる、「熱狂的な顧客基盤」があることだ。これを実現するために、Atlassianは、プロダクト-マーケティング-顧客間でフィードバックループを徹底的に回し、顧客の引っかかるポイント(=摩擦)を徹底的に潰した。具体的には、どの顧客セグメントがどういった摩擦やペインを持っているのか、AdWordsを使い倒して、徹底的に調べ上げ、熱狂的な顧客になりそうなセグメントも設定した。
この圧倒的な優れたプロダクトを創ることが、Atlassianでいう成長モデル=「Flywheel」モデルの起点になっている。これについて、Atlassian社長Jayは次の通り語っている。
“Flywheelは、圧倒的に優れたプロダクト創りから始まる。創業当時Atlassianでは、いかに圧倒的なプロダクトを創るかばかり話していた。僕たちは、意識的に圧倒的(=remarkable)という言葉を使っていた。僕たちは顧客が「これはスゴイ!」とうなるプロダクトを作りたかったんだ。その結果、口コミで広がり、顧客が増えていった。ただ、Flywheelは必ず、顧客にとって重要で、意味ある課題を解決する、優れたプロダクトがスタート。そのプロダクトがあった上で、カスタマー・ジャーニー上にある「引っかかるポイント(摩擦)」を極限まで取り除くようにしたんだ。”
Atlassianの成長モデル:Flywheel
FlywheelはAmazonの成長モデルとしても有名だが、ロー・タッチ(営業リソースをかけずオンラインで売る)を主軸とした成長モデルだ。以下に、AtlassianのFlywheelモデルを示す。
なぜロー・タッチが現代において重要なのか?
10年前と現在とでは、B2Bにおける顧客のソフトウェア購入の仕方は全く違う。Googleで検索し、友達に相談し、職場の同僚に話をする。そんな感じではないだろうか。
現代では、既に昔のサプライヤー有利の時代からシフトしている。つまり、供給量が制限され、サプライヤーが顧客を支配する時代から、供給量が無限で、顧客がサプライヤーを支配する時代になったということだ。(これは、SaaSがカスタマー・サクセスを謳う背景でもある。)
この新しい時代において、顧客はプロダクトや企業に関する知識、周りの評判やイメージを全て知った上で購買サイクルに入ってくる。顧客は自ら勝手に学んでくる。それどころか、フリミアムでプロダクトを一通り使い倒してるかもしれない。そんな時代に、営業電話1つで顧客を獲得しようというのは、最も有効な方法とは言えない。むしろ顧客にさっさとプロダクトを使ってもらって、価値をいち早く理解してもらう方が有効だ。
Jayの言葉で言うと、以下の通りだ。
“インターネットにより情報が民主化されたため、この10年で顧客の購買サイクルは一変してしまった。ハーバード・ビジネス・レビューの調査によると、現代では、顧客が営業と話す前に、購買プロセスの65%が進んでしまっている。AtlassianのFlywheelは、この顧客の購買プロセスの障害となるものを極限まで排除することにフォーカスしている。価格がいくらなのか透明にし、顧客が自分で知りたいことをすぐ見つけ出せる環境を作る。そして、それに加えて最高のプロダクトを提供する。だから、僕らは顧客に対して、「私たちは、このプロダクトの持つ全ての力を、誰でもカンタンに知ることができるような環境を用意している。」ということも明確に伝えている。”
ロー・タッチ≠ノー・タッチ
Atlassianの戦略の大きな魅力は、大きな営業組織が不要なため、そこで浮いた資金をR&Dに集中投資できる点にある。
プロダクトをウェブサイトに置いただけで、顧客のトラフィックが集まり、勝手に売れる。まさに魔法の様な話だ。しかし、「SaaSはプロダクトが圧倒的に素晴らしくて、誰でも簡単に使えれば、勝手に売れる」という考えは完全なる間違いだ。ロー・タッチとは、全く顧客にタッチしないという意味ではない。ロー・タッチモデルは、セールスサイクルの初期において、営業チームの関与を極限まで減らすことだ。Atlassianにも顧客をサポートする人間は実際存在する。Jayはこう説明している。
“巨大なエンタープライズの場合、課題も複雑だが、僕たちにとっての価値も高い。そこで僕らは、エンタープライズ顧客専門の、複雑な質問に答えられる専門部隊「enterprise advocates」という組織を4年前から創設した。
ただ、12万社の既存顧客がある中で、急に4半期で5,000社の大手の新規顧客を獲得した場合、対応できるのか?現状では、この1社1社に寄り添って対応するのはすごく難しい、と言わざるをえない。つまり、僕らは「顧客が自分でサインアップし、プロダクトを使いこなす」Flywheelを中心に据えることがあくまでも重要だということ。もし顧客は僕らがいなくても使ってくれるなら、その方が最高だね。ただ、顧客がどうしても僕らの助けが必要なら、その時は顧客に助けの手を差し伸べる。”
価格をオープンに、透明にすることのメリット
SaaS企業は、普通はオンライン上で価格をオープンにしたがらない。何故なら、競合に価格を知られて価格競争に陥りたくないし、大型ディールでもっと高いカネが取れるのに、それを取りこぼすことにもなるからだ。それに、エンタープライズ顧客の値下げ交渉の材料を与えることにもなる。
この価格に対しても、Atlassianは特有の考えを持っている。Atlassianのプライシングのゴールは、顧客が営業の交渉プロセスに巻き込まれることなく、すぐ、カンタンに使いやすくすることだ。(顧客がクリックしたら、即購入できて、すぐ使える、みたいな。)
Jayは以下の通り説明している。
“顧客の最も引っかかるポイント(摩擦)は、コスト(=価格)だ。
どのソフトウェア企業も価格を公開したくない。そうなると顧客は、企業にコンタクトせざるを得なくなる。これが摩擦を生んでいる。
この背景にある、ソフトウェア企業側の心理は、こんな感じだ。
「確かに、価格を非公開にして顧客を怖がらせたくない。ただ価格先行になってほしくない。顧客の課題を理解して、プロダクトの価値を説明してからじゃないと、顧客にこの価格は妥当ですよ、とは説得はしにくい。」
そのため、Atlassianは敢えて、この価格に対する顧客の摩擦をなくし、透明性を維持することにフォーカスしている。そのため、ディスカウントや支払条件の交渉には一切対応しない。例え、それが顧客にとって高価格だとしても。結果、セールススピードは速い。例えば、エンタープライズ顧客が、アカウント10人分に1万ドルで使い始める時も、僕らと話す必要性は無い。”
ロー・タッチ・モデルは万能ではない
正しいビジネスモデルの選定は、スタートアップにとって非常に重要だ。誤れば、プロダクトを創り切る前に死に至る。
このビジネスモデル選定の難しさは、料金表をいじったり、プロダクトの機能を追加したり、マーケティングの施策を打ったり、イケてる営業担当を雇うといったことだけではない点にある。要は、事業の全ての要素を考慮する必要があるから難しい。一般的なソフトウェア企業とAtlassianのビジネスモデルの要素の違いを以下に示す。
Jayは、この点について以下のように説明している。
“ビジネスモデルは、選んだマーケットに大きく影響される。
例えば、僕がもしWorkdayだったら、2千社の超大手企業がこの地球上にいる。Atlassianモデルは、Workdayでは通用しない。Workdayの購入の意思決定は、経営レベルのトップダウン型で決まる。何故なら、人材管理システムは複数の選択肢の中から1つしか選ばないから。そして意思決定者は、CHROもしくはCIO。これには、トップダウン向けのコンサルティングが必要だから、セールスサイクルも長い。Atlassianのプロダクトみたいな、「ちょっと試して、買って、使い始めて、広げる」モデルはできない。
最後に:Atlassian流Flywheelへの注意点
ここまで、Atlassianがどのような考え方で成長をしてきたかを見てきた。
このAtlassian流Flywheelには、いくつか注意点があるので説明したい。
1つ目は、まずターゲット顧客を知ることが一番重要。Jayが言う通り、Atlassianが今のモデルに行きつくには、多くの要素が絡み合って成り立っている。その中で最も重要なポイントは、SaaSにおいてはターゲット顧客を知ることだ。その上で何がその顧客を惹きつけ、そして結果として、Flywheel型のロー・タッチ・モデルがハマるかどうかを考えるべきである。盲目的に「Atlassianがこうやってるから、こうやろう」は成り立たない。
2つ目は、グローバルレベルの強力なプロダクト+プロダクトに強い顧客基盤が必要だということだ。Atlassianのみならず、SlackやUnityの様にロー・タッチでの成長を目指す場合、グローバルで戦えるだけの強力なプロダクトとそれを支える開発チームは欠かせない。なぜグローバルかというと、オンラインでの展開が中心になるので国境は意味をなさないからだ。また、AtlassianやSlackの場合もそうだが、基本この戦略がハマりやすいのは、エンジニアやデザイナーなど、プロダクトに強く、良いプロダクトに熱狂できるセグメントがターゲットになるケースだ。顧客ターゲットのITリテラシーが必ずしも高くない場合や、全社導入型プロダクトは、ロー・タッチはほぼ不可能と考えるべきである。
3つ目は、FlywheelはT2D3の超高成長は目指しにくいという点だ。
Jayもpodcastの中で語っているが、Atlassianは毎年+30-40%の売上成長を15年連続で達成しているが、T2D3(200%成長×2回+100%成長×3回)レベルの高成長は一度もしていない。これは、ボトムアップかつ低価格が一番要因だ。短期での高成長を目指す場合には、Flywheelは適さないと考える。
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