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二十七歳、寂しさって恋人の話だけじゃない
気づけば三十歳が目の前に
もう私たちも、そろそいい歳だし!
先日、友人がそう言って結婚しました。
結婚の報告を聞いた際、心の底からおめでとう!という気持ちで、お祝いの言葉を届けました。幸せそうな姿と、薬指に光る指輪、見ているこちらまで幸せあな気持ちになりました。そう、あの一言が出るまでは!
「いい歳だし」という言葉は、同い年の自分には鋭利な刃物のように胸に突き刺さる。そうだよな、二十七歳ってアラサー目前だし。若くないんだよな。・・・こんなことを言うと、人生の先輩方に怒られそうです。「いやいや、二十代で何がいい歳だ!三十過ぎても結婚していない人もいるんだぞ」と呆れらそう。
誤解を招きかねないですが、各位先輩方に喧嘩を売っているわけではないんです。実際に自分自身が学生の時に比べれば、多少なりとも老いを感じるということです。
何はともあれ、結婚おめでとう!と言う気持ちは変わりません。
かく言う私自身は、結婚の予定もなければ恋人もいません。とうか、仕事してると出会いがない!恋愛する余裕もない!学生時代は他の学部やサークルなどで、色々と出会う機会もあったけど、大人になると驚くほどない!切実に。
え、みんな朝から晩まで働いてるのに、どこで出会っているの?アプリ、合コン、社内恋愛?マジで?私は友人たちが恋人ができたり、結婚するたびに話を聞いては驚いています。
とはいえ、出会いがないとボヤきながら、仕事を理由に色々と正当化してはいるものの、心のどこかで羨ましい気持ちがあるのは明白です。
自分だって恋人が欲しい!
未知の世界へ
平成一桁で生まれ、平成を学生として駆け抜けてきた自分にとっては、アプリというと出会い系のイメージが強くありました。少しアングラで良いイメージがない、ちょっと危ないもののようで怖い。そんなイメージが先行してしまい、どうにも踏み出せないというモヤモヤとした葛藤を抱えていました。
しかし転機は急に訪れました。
たびたび話に登場するごっつんも、アプリで今の恋人と出会ったというのです。すごく素敵な人と出会っているのを聞いて思ったんです。案外自分が思い込んでいただけで、マッチングアプリも恐れすぎるものではないのでは!?
と言うことで、ものは試しとアプリに登録したのが去年の夏の話です。
いざ登録してみると、本気で出会いを求めている人もいれば遊び相手を探している人もいる。中にはサクラと言われるような人もいる。想像していたより混沌としたものではありませんでした。今まで敬遠して、少し悪く思っていてごめんなさい!
しかし、思いもよらないことに直面しました。意気込んで登録したものの、何故か本気で臨めない。恋人が欲しいと思っている割には、本気になれていない自分がいるじゃないですか!
友人たちの結婚や恋人の話を聞いて、羨ましいと思い、自分もそうなりたいと思い、重い腰を上げて挑んだはずなのに、心ここに在らず。そう自分で分かるくらいに。
羨ましいの裏にあるもの、それは寂しさ
本気になれていないのに続けるのも相手に失礼だなと思い、アプリをやめました。本気になれない理由を探る方がさきだろ!ということもあったので。
さて、何故本気になれないのかを考えた際に自分の気持ちに向き合ってみることにしました。何を羨ましいと思っているのか、それ以外に何か思っていることがないのかを自分なりに考えてみると、答えは結構あっさりとしたものでした。
羨ましいという気持ちの裏に、寂しいという気持ちが隠れていたのです。
ここで突然ですが、人を好きになるってどういうものだと思いますか?
「恋焦がれて、相手と一緒にいたい!」とか、「愛したいし愛されたい!」とか「その人と付き合いたい、結婚したい、幸せな家庭を築きたい!」というような事を思い浮かべることが多いかと思います。実際、自分もそう思うことが多いです。しかしそれだけでなく「この人と一緒にいると楽しいし、くだらない話をしてたい」とか、「気を使わないでいい最高の友達」とかを好きって言うことありますよね。まさに今回は後者の方だったんです!
結婚を報告してくれた友人や、恋人と上手くいっていると報告してくれる、ごっつんを見ていると、幸せそうでなにより!と思う気持ちでいっぱいになる。しかし、その反面、いつかは疎遠になってしまうかもしれない。暇な時に食事をしたりしながら、他愛もないくだらない話をする機会はなくなってしまう。世界にたった一人、取り残されてしまったような寂しさが急に襲ってくる。
そこにはいつか訪れてしまう、その幸せな別れが怖いし寂しいという自分勝手なエゴがあるのだと気づいたのです。同姓ですら疎遠なんてよくある話だし、異性なら尚更ですよね。
幸せの副産物って素敵じゃないですか?
これからはこの寂しさとも向き合っていかなければならない。けど、それは悪いことばかりではないと思っています。だってそれは幸せの結果の副産物だからです。それが大人になると言うことだと思うようになりました。
それに完全に疎遠になると決まっているわけでもないはずです。今よりも話すことが減ってしまえど、それでも友人であることは変わらない。
それぞれの道を進み、それぞれの幸せの形を築き上げる。そして、いつかふとしたタイミングで会って話すと思うんです。その時は、今と違った話をしていることでしょう。もしかしたら、変わらずくだらない話をしているかもしれない。お互いに子育ての話かもしれないし、パートナーの愚痴かも・・・?ーそれもガス抜きでいいのかもって思いつつ、自分も愚痴られてる側なんだろうなと、想像すると戦々恐々としてしまうー
好きを見いだす/寂しさと付き合う大人たち
だからこれからも、友人たちを好きでいよう。
大好きな人たちが幸せになっていく姿を側で見ていたい!
私はそう強く思います。そして、自分も幸せだよー!って言える
そんな関係性でいたい。
幸せな話を聞いて、心を温めよう。そして少し寂しくなろう。
不幸な寂しさより、よっぽど素敵なことだと思います。
だから恋愛とは別の好きを持っていてもいいじゃないか。
もちろん恋だってしていくつもりだ。そこは抜かりなくやっていく。
これからも良好な関係を続けていくために。
友達を大切に、自分を大切にしていくために。
「寂しさと上手く付き合っていくことが、大人になるということ」
これが私が導き出した結論である。