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僕の小規模な退職 その13

昨日は会社に行く必要が無くなった初日。
いつもよりちょっとだけ遅く起きた。

「もう目覚ましかける必要ないな」
前日にスマホのアラームを解除したが、習慣化された体はいつも通りに目が覚める。
昨日のお酒が少し残っている。
重い体を起き上がらせるのに、いつもよりちょっとだけ時間がかかった。

普段、平日は飲酒を控えている。
だが前日は最終出社日。
妻が「外食しましょう」と誘ってくれ近所の行きつけの居酒屋にいった。

今の住居に引っ越してきた際に初めて入った個人経営のお店。
お酒が好きな僕ら夫婦は、その後何軒か近所のお店を行ってみたものの
「やっぱり、あのお店が一番居心地良いね」
と意見が一致。
事あるごとに通うようになり、ついには顔を覚えて貰えるようになった。

「めずらしいね。平日に来るの。今日は何かの記念日?」
大将と女将さんにそう聞かれた。
このあいだ結婚記念日で利用させていただいたばかり。
今日も何かの記念日と思ったのだろう。
たしかに記念日かもしれない。
退職記念日かも。
だけどその返答に詰まってしまい、なんとなく苦笑いを浮かべながら
「たまには平日も…」
みたいな曖昧な態度を取ってしまった。
若干気まずさが残ったが、さすがは熟練の大将。
何か人に言えないこともあるよな。といった感じでその後は温かく見守ってくれていた。

いつ来てもここの料理はおいしい。
定番メニューもあるが、季節ごと、その日の仕入れごとに変わるメニューが毎回の楽しみだ。
メニュー名を見ただけでは、どんなものなのか想像できないものがよく並ぶ。
今回は特に気になった「焼きナスのサラダ」を選んだ。

「焼きナス」がサラダ?
一体何を言っているんだ。そもそもナスのサラダも珍しい。というか見た記憶がない。それが焼きナス。だ、と…。
そういう具合だ。
でもこちらのお店に外れは無い。
期待が膨らむ。
何杯かのお酒と料理を愉しんだあと、そのサラダが登場した。

我々の目の前に出されたのはレタスなどの青野菜に、刻まれたトマトとレモン。スライスされた赤玉ねぎ。
その上に鎮座する芯まで冷えた焼きナスだった。
なるほど一度焼いたナスをここまで冷やして提供しているのか。
さらに特製のドレッシングがかかっているのだろう。
ナスの味わいと非常に相性が良い。
トマトやレモンの酸味もナスを引き立てている。
語彙力の問題で味覚を言語化することができないが、ナスの焼きびたしに近いような、違うような。そんな味わい。
思い返してもまた食べたくなるサラダだ。
これはさすがに家では真似できない。

そんな感動のメニューと何杯かのハイボールですっかり気分も良くなった。
最後の日に食事に誘ってくれた妻に感謝である。
良い最終出社日を過ごすことができた。

会計時にさっきは口ごもってしまったが実は会社を退職したことを告げた。
退職に関する詳しい事情は説明しなかったが、いろいろ察してくれた。
「しばらくは充電期間だね。ゆっくり休んで。身体が一番大切だから。」
温かい言葉をかけてくれる大将。
その隣にはハンカチで目を拭う女将さん。
僕らのために涙してくれているのだ。

なんて恵まれた出会いがあったんだろう。
自分にはたくさんの味方がいるんだ。
そう思えた。

44歳。推定無職。妻に大将に女将さんに感謝。ありがとうございます。


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ぞん
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