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僕の小規模な退職 その9

今度は失敗しないように焦らずに求職しよう。

ん?まてよ。
今の会社に入ったことは失敗だったのか?
たしかに嫌な思いもした。
何度も辞めたいとも思った。
肌に合わない。
居心地が悪い。
苦しい。
つらい。
エトセトラ

でも失敗だったろうか。
そういう様々なことを経て今の自分がいる。
失敗と切り捨ててしまうと自分を否定するようだ。

だから失敗とは言いたくない。
自分くらいは自分を肯定したって良いじゃないか。

でも次は失敗したくないのだ。
とても矛盾するが、次こそは自分に合った環境に身を起きたい。
企業に入るか、個人でやるか。
どちらにしても失敗はしたくない。

いずれにせよ。自分で決めること。
すべては自分次第だとは思う。
でも誰かのせい、何かのせいにしたくなる自分もいる。
では一体誰のせい?何のせい?

仮にこの世界がゲームの中のような、例えばマトリクス的なものだったとする。
ナニか見えざる者のようなダレかが自分を操作しているのかもしれない。
ゲームで操作するキャラクターのように、ダレかの見えざる手で操縦されているだけかもしれない。
自分の意思によって動いていると認識しているようで実はナニモノかの思惑通りに動いているだけかもしれない。
もしかしたらそれは個人個人を動かしているわけではなく全体を操作しているものなのかもしれない。
その全体の中に自分が存在しているわけで、自分の意思と思っている動機は全体のサイクルの一つなだけで必然的に動いているだけなのかもしれない。
この「世界」と認識しているハコの中でナニモノかの意思に寄って動かされているだけなのかもしない。
つまりはそのナニモノか、見えざるダレか、ナニかのせいで今の自分がいるのだ。
今までの苦しみはそのナニモノかによってもたらされたもの。
そうだとしたら、そのナニモノかに言いたい。
「もういい加減にしてくれ」と。
これ以上の実験はやめてくれ。
それともこれは試練なのか?(何の)
前世由来のカルマなのか?
因果応報か?

などと大げさに何かのせいにしてみたり。
そうやって気を紛らわすのだ。
そうすれば自分を自分で責める必要もなくなる。

それでもこの先に不安は消えない。

44歳。推定無職。もっと生きやすい世の中を願う。


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ぞん
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