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【見習い日記㉑】 無心でガチャガチャ回せるって大人よねの話


「大人になりてぇなぁ」

ボクは頭をかきながら遥か北の大地から旅を続ける渡り鳥を見上げていた。

凛とした冷たい空気は 19世紀の北欧デンマークの哲学者セーレン・キルケゴールであるかのように ボクをもっともらしく飾り立てた。

そもそも「大人」とは何であろうか?

これはもう哲学なのである。

そう、今日は「ガチャガチャをコンプするまで回したぜ」というどうでもいい話を、とにかく回りくどく話をしたいだけの回だ。もちろん中身は無いのであしからず。


今のボクは、子供の頃にぼんやり描いていた「大人像」とは かなりかけ離れてしまった。もっとキラキラとしているものだと勘違いをしていた。ベランダで朝日を浴びて「ん…んーっ」と背伸びを一発かまし、シンプルなデザインのマグカップで淹れたてのコーヒーを飲むものだと思っていた。

しかし現実はどうだ。

社会の歯車と化したボクは残業続きの疲れた体で、寝りゃあ良いのに毎晩アニメやゲームに時間の大半を割いている。そして小腹が空けばサッポロポテトBBQ味やブラックサンダーを好んで食べる。

哲学者プラトンのイデア論がまさに「理想の大人像」と「ゲームで負けてコントローラーをぶん投げているボク」なのだ。ボクの精神は依然として幼児性の呪縛から解き放たれず、魂の成長が肉体の成長に追いつかない存在なのである。


「すいません!初手から何を言ってるのか分かりません!」



はい、前フリが長くなったがここからが本題である。


先日、元同僚に ひと回り年上の彼氏ができたという話を聞いた。いわゆる年の差カップルだ。そして周囲に こう言っているそうだ。

「年上って大人で落ち着いてて良いよ。」

ボクはハッとした。そしてその言葉は静寂の湖に落ちた一粒の石となり、ボクの心のナローパスにまでその波紋を広げた。

個人の感想ではあるが、年が離れている若い彼女や嫁さんを捕まえている男が「大人で落ち着いている」はずがない。そういう風に見せているだけだ。

何故そう断言できるのか………。マイハニーがひと回り以上年下だからだ。

年上が大人で落ち着いているのであればボクもまた 大人で落ち着いているというロジックが成立してしまう。

マルティン・ハイデッガーの「存在と時間」では、人間が時間の中で存在するという概念が重要だという。年齢差のあるカップルは異なる時間の流れを共有する存在としt(以下略)。

要するに、ボクだって年下のマイハニーに落ち着いて見られたい。カッコいい大人の姿を見せたい。なのでボクは「大人」というものがどういうものなのか どうすれば「大人」になれるのかを三思しているのだ。そういった事情で今ボクはこうして渡り鳥を見あげているのである。


↑ボクの思うカッコいい大人の代表例


ある日ボクは久しぶりに新聞を読んでみた。大人といえば新聞である。漫画以外の紙媒体を手に持つことすら数年ぶりのことであった。


話は少しそれるが、昔「風俗情報紙」を定期購読していた。その中にお気に入りのコーナーがあった。大人のお店の店内の雰囲気やサービス内容、キャストの状況などの体験レポであった。それから十年以上の時が経ち、最近になって何気ない話の中で取引先の営業担当(女性)の方がその記者ご本人だったということが分かった。すごく話が盛り上がったのだがこの話は今日は割愛する。


こりゃあたまげたぁ。あんたそりゃ、むしろ割愛しちゃならん話じゃ。


話を戻そう。

そもそもボクにとって新聞とは荷物を発送する際のクッション材くらいの認識である。

そういう認識だからこそ、そこから大人の階段を登るためのヒントや手がかりを探すことは容易ではない。高校生の頃に分かりやすく勉強させていただいていたHot-Dog PRESS(ホットドッグプレス)のような大人のハウツー本が懐かしい。

時に世間は、いわゆる「103万の壁」で持ちきりであった。国民民主党の玉木代表が訴えている政策や、その落ち着いて丁寧に説明する姿や声が有権者に届いたのだろう。2024年の衆院選では大躍進を遂げた。

特に支持しているというわけではないが、ボクの周りには存在しない「上司像」「大人像」に映った。

ところがどうだ。

その直後にあの報道である。お相手は16歳(?)年下であった。新聞や各メディアはその報道に終始していた。

哲学者ミシェル・ド・モンテーニュの「人は他人の欠点に興味がある」という考えに基づくと、人々は自分たちの(以下略)。


あの「大人像」は見せかけに過ぎなかったんだなぁと思った反面、むしろこちら側の人間なんだなぁと親近感を覚えた。正直に言うと「なかなかやるやん」とすら思った。


ジャン•ポール•サルトルの存在主義では、人間は自y(以下略)


要するに「大人」とは、自由ではあるが自身の行動の選択と結果には責任を持たなければならない存在ということだ。自由の裏側には責任があるのだ。


実際、ボクはマイハニーに対していろんな意味での責任を全く果たせていない。この責任を果たしてこそ ボクは「大人」になれるのだと信じている。

また、アブラハム•マズローの自己実現理論で(以下略)

こうしてボクは、自己実現(自分が持つ潜在能力を最大限に引き出し必ずやり遂げること)と 責任 を果たせる「大人」になるのだと心に固く誓ったのであった。


そして今日も「自己実現」「責任」を念頭に、1回500円のガチャガチャを7度回して見事やり遂げてみせたのであった。

以上、ガチャガチャを無心で回せるようになったら大人よねの話でした。おわり。

ナナチ(左から2番目)が中々出てこなかったんよ。



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