自己紹介
近藤邦幸と申します。
まずは、ソーシャルワーカーと名乗れるように活動していきたいと思っていますが、なかなか動けていません。現在、学童保育や放課後デイのパートを転々と。独立型やらフリーなどと呼ばれるかたちでの活動を模索中です。
社会への就職面接のつもりで
僕は、社会人になってから18年ほどを公務員として働いてきました。
たいした実績はありません。少しだけ胸を張っていえるのは、チルドレンズミュージアムという施設の立ち上げに関わり、ボランティアコーディネーターとして働いたことくらいでしょうか。
あと開示しておかないといけないことに、公務員時代にうつ病をわずらったことがあります。そして、信号見落としの交通事故をおこし、子どもを傷つけたことがあります。これらは今でも、僕の行動や言葉に影響や影を落とすことがあります。
役所を退職した後は、社会福祉士の資格をとったり、学童保育や放課後デイや、児童相談所の非常勤を転々としてきました。もう一度、正規(フルタイム)でという拘りが残ってたのだと思います。結果、ジョブスキップに落ちいったとも言えますが、ひと処に居ては見れない、複数の現場を比較し知ることができました。資格取得のため学んだ福祉の課題、制度の狭間問題や収益と活動のジレンマも肌感覚として感じ取ることができました。
30代の頃にも感じていた生きていくうえでの違和感やノイズ、自分の性質や限界も、まだ漠然としながらもイメージとして掴めてきた気がします。僕は、価値や思いを共有、少なくとも尊重しあえる仲間がいれば、行動それなりに結果も出せるのですが、それがなければ著しく鈍くなるようです。それも、体調に影響があらわれるほどに。
人には恵まれ、パワハラなどの苦難は体験したことはないのに、わずかな違和感やノイズを受け流せず、ダメージとして溜め込んでしまっていたように思います。共感の輪を広げることがソーシャルワークと思いながらも、所属組織の一員として与えられた業務や責任と並行して、それを行うことができませんでした。
しかし、今、自身の強みをアピールするなら、感じてきた違和感やノイズ、これらと向き合ってきた経験なくしては語れないとすら思っています。
社会学者の上野千鶴子さんは著書「情報生産者になる」(2018)のなかで、
“情報はノイズから生まれます。”“ノイズとは違和感、こだわり、疑問、ひっかかり……のことです。”
と述べられていました。ノイズから「問い」が生まれ、その問いに対する答えを探るなかで「情報」はうまれるのだと。そうしてうまれた情報こそ伝聞ではない、オリジナルの、一次情報なのだと。
ノイズを掴み「問い」を立てること。上野さんのいうところの(社会学でいうところの?)“仮説”を立てることは、体験してきたいくつかの挫折や落ち込みをとおして覚えました。あとは、データを集めて検証すること、言い換えれば行動するだけです。そして、感じてきたノイズを何らかの情報や物語として発信できれば、ノイズはただのノイズではなくなり、僕がしてきた経験も何かしらの意味が持てる気がしています。
志望動機
ソーシャルワーカーを名乗る名乗らないに関わらず、多くの人が「社会に貢献する仕事」に携わっています。それも、報酬を得ることができるだけの業務をこなしながら。皆、jobもworkも行なっている。自分には出来なかった。かつてのチルドレンズミュージアム勤務時代にいくばくかの矜持をもっているのは、当時与えられていた業務自体が、人と人をつなぐこと、共感の輪を広げることだったからかも知れません。
正直なところ、劣等感や自身の怠け癖に罪悪感はあります。でも、出来ないことや限界は善し悪し抜きで性質として認めなければ、同じ失敗を繰り返すだけだということも知ってしまいました。
つまるところ、志望動機は「開き直り」なのかもしれません。
これからの活動が尻切れトンボに終わっても、情報になりきれない記録しか残せなくても、それを拾った人に「その程度のヤツでもここまでやれたんなら、何かモノになるかもしれない」と思わせられれば、こっそり胸を張れるかもしれない。
情報としてまとめることを目標に、少しずつ記録を残すために、この場をお借りし、行動につなげたいと思います。
参考)上野千鶴子,2018,「情報生産者になる」筑摩書房