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物語を再発見し、つなぐソーシャルワーク

ソーシャルワークの「アプローチ」

 社会福祉士の養成課程で、いくつかの「アプローチ」と呼ばれる方法論のようなものを習います。方法論といっても、こうすれば確実に相手のためになるというような便利なものではありません。

 社会福祉士(の主流)は、ソーシャルワーカーは専門職であるべしとしていて、関わり方の違いをワーカーの個性と説明することには否定的です。言い方がアレですが、社会福祉士を広めていくのに、当事者が専門職の当たり外れを感じることは減らしたい、という思惑もあるのでしょう。
 一方で、人と人との関わりである以上、その状況も同じであるわけがありません。そこで、関わり方が違うのは当然としても、その違いを個性だからで済ませず、理論的な裏付けを持ちなさい、となっています。

 身につければ何かができるようになる方法論というより、我流や直感だけで暴走してしまうのを防ぐ装置と捉えた方が良いのかもしれません。

 養成課程にいるときは、僕も役立つスキルを身につけて活躍できるようになりたいと思っていたので、正直なところ「これを身につけて何になるのだろう」と感じていました。それでも、惹かれたのがナラティブ・アプローチでした。

ナラティブ・アプローチの特徴

 養成課程に出てくるアプローチは、多くがカウンセリングやセラピーのように臨床心理の場から生まれています。ナラティブ・アプローチもその一つです。
 正確な定義や内容は、ネット上にも専門の方の解説がありますので、ここでは僕が惹かれた点について少し紹介させてください。

 このアプローチの特徴は、

1.問題を、(悪いものとしての)問題と捉えることへのアンチテーゼ

2.支援者・専門家として人に関わることへのアンチテーゼ

3.本人の語る言葉やその変化から、物語を再発見すること

 だと思います。

1.問題の外在化「ヒトと問題を分離する姿勢と言葉がけ」

 ナラティブ・セラピーを創設した人たちは、「社会問題とされているコト(事象)は、問題視する人や社会によって、問題と定義される」という考え方をする人たちだったそうです。

 つきつめると哲学的になりすぎて、使えないのですが、

 例えば、不登校であること自体は単に「学校へ行っていない」状態というだけなのに、義務教育や学歴社会の観点から「問題のある子」とされる。

 問題の外在化は、せめて「不登校という問題のある行動をする子」から「不登校という社会問題に向き合っている子」に本人自身や社会の意識を変えていく工夫とも言えます。

 1.が表れている手法的なものとしては「問題の外在化」と呼ばれるものがあたると思います。問題と見られている行動や原因を、本人の人格から切り離して、本人が語るのを促そうというものです。

 例えば、すぐに友達とケンカしてしまう子がいれば、その時の感情を「イライラ君」と名付け「どんな時に、イライラ君は出てくるの?」といった促し方をします。セラピー的な技法でなくても、「『死んだ方がいい』という声はどんなときに聞こえてきますか」といった質問の仕方をします。幻聴に悩む人への声かけという訳ではなく、特に本人に「死にたいのは弱いから」などの自責の傾向があるとき、問題や原因となる感情も、本人とは別、という姿勢でいることです。

2.無知の姿勢「『本人』の専門家は本人」

 2.は「無知の姿勢」として表れています。

 福祉職の雇用問題、賃金問題においては、よく「専門性を高めよう」という結論になることが多いのですが、人と接するにあたっては専門家であることの弊害が言われることは今や珍しいことではありません。専門職から受ける傷つき体験の話も、散見されます。

 アウトリーチを実践されている方の報告には、「支援」ですらスティグマ(被差別感や劣等感みたいなもの)を生じてつながりを持つことに対する障壁になるというものもあります。(特定非営利法人OVA,2018)

 専門職でなければ食べていけず、支援者でなければ「何しに来たの?」となる。かといって当事者と呼ばれる人たちにつながれなければ、何も始まらない。
 頭の痛い問題ですが、本人についての専門家は本人、だから本人に教えてもらう、聴く者はそれを引き出し物語を紡ぐのをサポートすることに徹するという姿勢は、ひとつのヒントになると思っています。

3.例外の発見と、自ら納得し受け入れられる物語

“人は説明を求める生きものです。最後にCにたどり着いた時、それが「必然」であるかのように説明されれば、その結果に納得します。物語とは、その解釈のための装置です。“(上野千鶴子,2018)

 3.については、だいぶ僕の先入観が入っているとは思いますが、最も惹かれた要素です。ナラティブ・セラピーでは、問題を外在化して語りを傾聴し、本人が拘り支配的になっている物語の中から、例外を発見して、別の捉え方をした自らに納得し受け入れられる物語を強化していきます。

 課題もあります。

“物語の書き換えを成功させたとしても、面接が終わって支援者が去ったあと、クライエントには、また過酷な日常生活が待ち受けています。“(荒井浩道,2014)

 からです。一方で、荒井さんはだからこそ社会的な関わりを旨とするソーシャルワークとしてのナラティヴ・アプローチに意義を見出しています。つまり、再発見された物語を周囲や社会に発信し、つなげていくことが、ソーシャルワークの担う役割になるのだと。

ナラティブ・ソーシャルワークを身につけたい理由

 僕の根っこである(と思ってる)、チルドレンズミュージアムの使命は地域にある物語を再発見し、子どもたちに伝えること。再発見の場そのものを子どもたちに提供することでした。
 僕もボランティアさんとの関わりの中で、地域のヒトの持つ物語を子どもたちに伝えることをテーマに、取り組んでいた自負があります。

 うつ病を経験したものとして、あのとき感じていたノイズには、意味があったと思いたい。
 不登校にしても、何らかの困難、不確かな違和感であっても、子どもたちが感じているノイズには、社会を変えうる何かがあると信じたい。困難に直面している子も、不確かな違和感に苦しんでいる子も、社会ではマイノリティだと思います。だけど、だからこそ、その子たちにしか感じ取れない何かがあります。

 自分の根っこと信じる経験、社会的弱者と呼ばれようがその感じているノイズには意味があると言う思い、それらが結びつくのが物語の再発見と発信(つなぐこと)であり、そこに惹かれたのだと思います。

 ナラティブ・ソーシャルワークに基づいていますというためには、まだまだ人と会い、聴き発信するだけの信頼関係をつくっていかないといけませんが。


(参考・引用)
・上野千鶴子,2018,「情報生産者になる」筑摩書房
・新井浩道,2014,「ナラティヴ・ソーシャルワーク“<支援>しない支援“の方法」新泉社
・特定非営利法人OVA,2014,「アウトリーチの実践に今日から使えるメソッド集」


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