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振り返りと、次のこと

前の投稿で、今思うところのことに終始して、振り返れてなく、肝心のこれからどうするかのことをかけてなかったので書きます。

前と同じこと書いてしまいますが、この一年は、子ども達にアプローチできるようにはならなかったものの、自分自身の"つながり"となるような人達とパイプを作ることができました。
その中の一つが、「篠山イノベーターズスクール」というところで、地方移住や起業を志す人が集まるビジネススクールのようなところでした。ようなところ、というのも失礼かもしれませんが、このスクールが開かれている丹波篠山というところは、都市部から電車で1時間ほどの農村地域で、みなビジネスのノウハウを学びにきているというよりは、農村や農村に惹かれる人たちとのネットワークを求めて集まっているスクールです。


そこに6期生として参加し学んだことを振り返り、これから【通信制大学という制度の活用の仕方を集めて発信していきたい】と思うようになった経緯などを書いていければと思います。

ビジネススクールで、ビジネスプラン?

篠山イノベーターズスクールでは、それぞれのビジネスの構造をデザインし、それを共有してブラッシュアップするということを繰り返してきました。
僕は、子どもの居場所と呼ばれるところにお邪魔して、スクールソーシャルワーカーのように“子どもの居場所ソーシャルワーカー“と呼ばれるような“シゴト“をしたいと思っていました(今も思ってはいます)。それをビジネスプランの形に落とし込んでみる、というのがスクール生としての目標でした。

そのセミナーで使っていたフレームワークは、ざっくりいうと、顧客は誰か・どんな関係を作っていくかと、自分のリソースやパートナーを照らし合わせて、どんな価値提案ができるのかというもの。

ただ、結論をいうと、僕は価値提案まで届きませんでした。

そもそもリソースが無い。資本や能力がないという意味ではありません(否定はしませんが)。

 ー リソース(発信できるもの)が無い!

ここでの「リソースが無い」は、サービスや情報、社会的信用が無いという意味です。

傾聴する。受容する。無知の姿勢で本人のナラティブを聴く。大切なことではありますが、やはり、どこの誰ともわからない相手に話そう・相談しようという人はいない。場合によっては、居場所にも関わらせてはもらえない。
傾聴などが強調されるのは、ソーシャルワーカーのほとんどが組織の一員で、組織や制度が提供するサービスや情報、信用を持っており、その場合、逆にそのサービスや情報の押し付けになってはいけないから。

ひとの居場所や、ナイーブなところへ踏み込もうとするのだから、当然と言えば当然なのですが、それには信頼(≒サービス、情報、社会的信用)が必要になります。僕は、組織や制度に属せておらず、まず自分で信頼してもらえるものを創らなくてはいけない。

自分で決めたはずの立ち位置を忘れていたことを、机上でも、現場でも思い知らされた一年でした。

これから一年になるか数年になるか、自分なりに発信できるものを手に入れるための時間になりそうです。発信したものに振り向いてくれた人なら、そして信頼してもらえたなら、その中には“話してくれる人“がいるかもしれない。僕の発信(リソース)と、子ども若者の声(顧客のニーズ)が重なり、『価値提案』ができるようになるのはその先になりそうです。

 ー 僕の“顧客セグメント“

もう一つ頭をなやませた顧客セグメントの決定は、ビジネスデザインの中で、【アプローチしていきたい人は、どんな状況でどんなニーズを持っているか】を仮定しておくことで、どんな価値提案をしていきたいかを明確にしていくには必要なことになります。

頭でわかってはいても、僕には「子どもらが何に困っているかは実際に話聞いてみないとわからない、でも話を聴くとこまで行けない(マーケティングできない)」という迷いや引け目があり、とりあえずで「【不登校】や経済的な困難を抱えて、オルナティブな学習を必要とする人」としてセミナーに参加していました。いちいち、不登校って曖昧であまり好きな表現じゃないですがなどと断りを入れて。

ビジネスでは基本であろうことが、僕のは一番曖昧でした。

今でも自分なりの“顧客セグメント“を表現する言葉は持ってないのですが、これから取り組みたいことを書く前に、せめて、どういうつもりで「不登校」という言葉を使っていたかくらいにだけは触れておきたいと思います。

 ーー 【不登校】を図にしてみました

「不登校」は、学校行政が統計を取るための項目としての定義はありますが、本来、「学校に行っていない状態」を表す言葉でしかありません。学校教育の関係者という立場でもない限り、そこに解決すべき【問題】が表現されているわけでもありません。

なので、統計項目の事由を参考に、例として挙げられている問題や困難らしきものを図にしてみました。

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表したかったのは、不登校とされる状態と、学校に行っている・行っていない状態は、いま必ずしも一致するものとして指されているわけではないこと。また、ひとくちに言われてても、そこにある困りごと、ビジネスプランで言うところの「ニーズ」はさまざまで、重なっていたり、困り度合いもグラデーションになっているということです。

図の中の「未病」というのは、一般的に「情緒が不安定」「うつ“状態“」と言われているところだと思ってください。あと、行政統計では「怠学(怠け、何となく)」というのがありますが項目として要は、理由や困り事を把握できていないということなので省いています。

また、「学校嫌い」は、不登校という言葉が世に出てくるまで使われていた表現らしく、今では大人の事情で使われていないものです。ただ、不定期にでも登校はしているため不登校の統計には上がってこない子どもらの“困り事“、ビジネス的にいえば“ニーズの種“を含んでいるように思うので、使わせてもらいました。

 ーー"顧客" は、「学校嫌い(の一部)」

既に一線で働いているソーシャルワーカーにとっては、全ての項目が顧客セグメントとはいえるかもしれません。むしろ、不登校と呼ばれる状況や経済的困難、その狭間にいる人も、元となっている【困りごと】が、それぞれ一つだけであることは稀で、本人にすらはっきりしないことが多く、それを一緒に紐解いていって解決につながるような支援につなげていくのが、ソーシャルワーカーの仕事といえます。

しかし、僕が取り組みたい、発信できるようになりたいと思っている【通信制大学での学び】を必要とする対象は、少し狭まるような気がします。

というのも発信したい通信制大学のメリットで最もわかりやすいのが経済的な使いやすさです。学費そのもの安さもですが、働いて収入を得ながら学ぶことを前提に設計されていることや、通学できる範囲に入学できる大学が無かったり、家族のもとを離れることができない理由にも対応できる可能性を持っています。

しかしもう一つ、【不登校と呼ばれる子どもらは、現在の「良い大学に入って、安定した会社に就職する」という高度成長期につくられたストーリーを基盤にして組み立てられている学校制度や受験のための勉強に違和感やノイズを強く感じている】ような気がしています。その違和感やノイズを表現できないために、心身の不調として無意識が訴えてくるほどに。
これはまだ、根拠のない思い込みです。経済的理由や、“学校嫌い“の中でも人間関係のトラブルからなった子に比べれば、その数は少ないかもしれません。その子の学びたいものが、大学の学問とも限りません。

ただ、ビジネスの顧客セグメントや市場の選択としては間違っていても、必要とする子ども若者がひとりでもいるなら、見つけ出して別の選択肢につながるストーリーを届けたい。と思っています。

次のこと、取り組みたいこと

この一年で繋がれたグループに、いくつかのボランティア団体やソーシャルワーカーのネットワーク、篠山イノベーターズスクールのほか、「丹波コミュニティカレッジ」という団体があります。

丹波コミュニティカレッジは、通信制大学のカリキュラム(と単位や学位の授与権限)を使い、単に講義を受けるのではなく、チームで教え合ったり議論したりし深めていくことをしている団体です。提携校として大学と契約を結び、メンバーで独自の(単位認定の受けれる)カリキュラムを作ったり、「学び」そのものを自分たちでデザインしていくことにも取り組んでいます。

これから一年になるか数年になるかわかりませんが、僕もここに参加させてもらい、ライフプランを考える際にどのように通信制大学の制度が利用できるのか、どのような「学び」ができるのかを、自身で体験し、観察したものを発信していければなと考えています。

 ー今思う、通信制の学びに必要なこと

丹波コミュニティカレッジでの取り組みの話を聞いたり、このnoteなどで通信大学生が既に発信しているものを見たりして、そして通信制大学ではありませんが篠山イノベーターズスクールで学んで、今の時点でいくつか学ぶことや学びを続けることに必要だと思うものがあります。

 ーー継続のためのコミュニティ

ひとつには、学びを継続するにはコミュニティに参加した方がいいということ。

大学だけでなく通信制の学校は、入学は簡単ですが、継続して卒業することの難しさがよく言われています。ネットを少し見ただけでも、「卒業率○%」という話題がいくつも出てきます(途中からの編転入も多く、データの取り方がバラバラなので比較には使えませんが)。

実際の理由は様々でしょうが、よく言われる一つは「孤独に進めないといけないことでの挫折」です。

多くの経験者のアドバイスでも活発なコミュニティへの参加を勧めており、大学側もコミュニティを用意していることも増えています。一方でコミュニティの個性の分析や、どんなコミュニティが良いのかといったことはまだ情報は少なく、調べ発信していく余地があるように思っています。

 ーー自分が何を学びたいか

もうひとつには、今、学んでいく順番が逆になっているのではないかということです。

大学での学びは、高校までの受験のための勉強とは違うとはいえ、一般教養など基礎部分の単位も取らなくてはいけません。しかも、研究や卒論の指導は早くても3年次からになります。卒論や研究が必須でない大学も増えています。

そうなると、多くの学生が「これが“社会に出て“何の役に立つんだろう」と思いながら、“学問や研究をするため"の基礎だけを勉強して卒業していくことになります。学ぶことの面白さや、そもそも学問がどういうものかに触れることなく。

効率よく学位をとって就職を目指すことも全く悪いことではありませんし、そのためにも通信制大学は“使える“と思います。また、学問の面白さを知ったとしても、社会で役立つ知識技術を選択し、学位だけ取得できればという人の方が多いでしょう。
ただ、それなら通学制、全日制大学の費用は高過ぎます。ビジネススキルや社会で役立つ知識のコンテンツは、無料・低額でオンラインにあふれている時代です。借金をしてまで大学に通うことを考えると、疑問を感じます。また、社会に出てから学び直しの必要を感じる人が増えているのも何かチグハグな違和感を感じます。

大学での話に戻りますが、基礎知識を覚えていないと研究といえるような学びはできない、という考え方もわからなくはないのですが、やりたいことのために自分に何が足りないかを知ってこそ基礎は身につくものではないでしょうか。人によっては、無駄になるのを知らず、薄々感じていても確信できず、多くの時間を費やしてしまうことになります。

このことは教育者側のカリキュラム作りの問題かもしれませんが、学びのコミュニティで想いや考え方を共有することに、学ぶ側でできる工夫やアイデアがあるように感じています。

 ーー生き方自体の価値観

最後に、これは根拠のない思いというより、漠然とした直感でしかないのですが。

通信制でとっても通学制(全日制)でとっても学位に優劣はないとはいえ、大手企業に就職するには大学のブランドも必要なのは事実だと思います。

通信制大学だけでなく、オルタナティブと言える学び方をするのであれば、その後のフィールドに「安定した企業に就職」を求めるのでは不利にしかならないでしょう。

「学び」でも「ビジネス」でも多数派とは違うやり方をしたいのなら、目標やゴール、取り組む上での価値観のようなものも多数派のそれとは違うものを持つ必要があるような気がします。

さいごに

社会学の調査法に参与観察やエスノグラフィーという手法があります。
集団や社会の中に加わり、観察などを通して自身をアンテナに「新しい概念(考え方や捉え方)」を見つける調査法です。

これを読むメンバーがいたら、あれなんですが、正直なところ丹波コミュニティカレッジに参加している人たちは、他人とは違う生き方をしているという意味で、“変な人“ばかりです。少なくとも皆と違うことに引け目どころか誇りを持つタイプの人たちです。
篠山イノベーターズスクールにしても、都会より地方に移住したい、都会より人口(市場規模)がどうしたって小さい地方・農山村で自分の仕事を創りたいと考える時点で、主流・多数派ではない価値観を持っていると言えるでしょう。

僕はこの人たちに関わって、通信制大学を上手く利用する方法、新しい学び方と言えるような「何か」、その先にある生き方を見つけて発信していけるようになりたいと考えています。

調査法を身につけるのは通信制大学を使って学びながら、同時進行になりますし、学術的には「何か」を見つけたあと一般的に言えることなのか数値的に調べていかなければ科学的とはいえませんが、見つけて発信したものが、誰かのヒントや批判し考えていくための材料になればうれしく思います。

まずは、今、これが次に取り組みたいこと、目標です。

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