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レポートでの参考文献の書き方

通信制大学であれ、通学制の大学であれ、初めて大学を使って学ぶ人を最初に戸惑わせるのは、レポートの書き方ではないかと思います。

レポートや論文と、作文の一番の違いは、「参考文献」や「引用文献」を明記することではないでしょうか。見た目の話ですが😅

レポート課題でも、「参考文献を明示しなさい」とか書いてあることがありますが、課題自体にはどのように書けとは書いていないことがほとんどです。

参考文献自体の文献リストを真似たらいいか、と思っても文献(論文・書籍)によって違ったりします。そう、決まりはあってないようなものなのです。

また、複数の文献を参考にすると、「こっちの本、作者二人いるけど、どっちを書けば、、、」とそのたび迷うことも。

なので、僕の経験からですが、何かのヒントになるものが書ければと思います。

『スタイルガイド』というものがあります

結論から言えば、『スタイルガイド』というものが存在しており、これに、雑誌論文はこう、書籍はこう、共著や編書(章ごとに書いてる人の違うやつ)のはこうと場合分けして書いてあります。

それに当てはめて書いておけばOKです。

当てはめる情報は、書籍の場合は、だいたい最後か最後から2番目のページに「奥付」というのがあり、そこに発行年や著者・発行者(出版社)などが書いてあります。

ちなみに、発行年は「第1刷」の年ですが、「第3版」など改訂がある場合は実際に読んだ版の第1刷の年になります。「改訂版」といった呼ばれ方をするように、内容が時代に合わせて変えてある場合があるからです。

第1版第1刷 1999年○月○日
第1版第2刷 2001年○月○日
第2版第1刷 2005年○月○日
第2版第2刷 2008年○月○日

とあって「第2版」を読んで書いた場合は、発行年は「2005年」になります。

こととね(2002)を参考に筆者

表記について余談

あと、必要な情報が載っていれば多少の表記は違っていても問題ないと思います。(「 or『 や、ページ数の表現にpを付けるかetc.)

大学の「評価」における大問題、「教授によって違う」は実際にあるので、断言できるわけではないですが、僕は今のところ記号や表記を変えたことで減点された形跡はないです。

重要なのは、参考や引用した内容を読んだ人が詳細を追えるように、「誰が」「いつ」「どこで(どの書籍・雑誌)」で書いたことがわかって、その原文を読めることなのです。


ガイドは、どこで手に入る?

昔、通学制に行っていた時は記憶にないのですが、この数年使わせてもらった通信制大学ではだいたい学校独自のものが用意されていました。大学によっては、「学修案内」のような冊子の1項目として、「レポートの書き方、注意事項」といったタイトルで書かれていることもあります。

ただ、あるということ自体を大学側から案内してもらった記憶はありません😓

「アカデミック・スキル」のような科目を設けている大学ではそこで配布されてたり案内されたりするのですが、たいてい必須科目ではないので、知らない人は知らないままということもあるのではないでしょうか。


見当たらないとき、どうする?

大学の人とつながりを持つキッカケ作りと思って、問い合わせをしてもらうのが一番ですが、用意されていなかったり、時間がなかったりしたときのため、僕がよく参考にしているスタイルガイドを紹介しておきます。

『社会学評論スタイルガイド』

https://jss-sociology.org/bulletin/guide/

社会学会の機関誌(学会誌)で投稿論文というのを書く人に向けたものですが、ネット上で見れるので便利です。心理学や教育学、福祉学、いわゆる文系であれば、理系でも教養科目のものであれば、スタイルはそんなに変わらないものと思います。(もうしわけない😓情報工学や数学などの理系学部のものに使えるかは自信ありません。レポートレベルなら大丈夫だと思いますが。)


「何のために参考文献をあげるのか」

既に長くなってますが、ちょっとだけ私見のようなものも書かせてください。

論文的な文章を書くのに参考文献を表示するのは、「意見が正しいことを証明するため」ではありません。そもそも、「偉い学者が書いた論文=証拠」ではありません。100%正しい真実を明らかにした「論文」やデータなんてありえず、それを言い出せば、もはや科学や学問ですらないと思います。

また、他の人の著作権などを守って書くためのルールという側面は、確かにあります。大切なことです。

課題レポートの場合は、「(指定のもの以外の)参考文献を理解しているか」を見るため、というのもあるでしょう。

ただ、もう一つ。

大事なのは、読んだ人が、書き手の意見だけでなく、何を参考にどのようにその意見にたどりついたか分かることだと思います。
意見そのものより、そのプロセスが、読み手に気づきや触発を与えてくれます。読み手にとっては、元になったもののほうに必要な情報があるということも当然あるでしょう。

論文的な文章というのは、意見が正しいことを主張し合うためだけのものではないと思います。読み手を論破するために書くのではなく、気づきや触発されるものを共有して、学びを深めるためにあるのだと思います。


=参考文献・URL=
こととね(2002)「出版年:版をとるか、刷でとるか?」,ブログ『こととね』,2022.7.27取得,https://www.kototone.jp/hon/librarian/ncr01.html

※自身の経験で例を書きましたが、確認のために上のブログ記事を参照させていただきました。他にもネット上に参考になりそうな記事もありましたが、こととねさんは図書館員さんのようで特に何故そのように書くのかなど参考になりました。


最後に

ことの他、余談やら私見やらが長くてスミマセン😓最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

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