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数値化の罠:人事評価こそ、悪い数値化の巣窟

一時期、目標管理制度というスタイルが、企業内の人事評価手法として流行しました。時期的には、バブル崩壊からしばらく経った1990年代の後半くらいからでしょうか。その時代では年功序列制度の弊害がクローズアップされていて、若手であっても能力・実績のある人を評価しようという成果主義にシフトするという考え方がもてはやされていました。そして、社員の実績を定量的に管理する手法として目標管理制度が注目されました。

この仕組みのポイントは、会社が上から目標を押し付けるのではなく、社員自身が自分のポジションに見合った目標を自ら設定し、その目標の達成度合いによって人事評価を行うという所にあります。目標管理制度のことは、英語ではMBO(Management By Objectives)と呼ぶのですが、英語の方が意味をストレートに表しています。
要は、放っておけば仕事をしない社員たちをきちんと管理(マネジメント)するために、社員自体に目標を立てさせて、「自分が立てた目標だから、ちゃんと守ってね」という自助努力をさせるという手法なのです。

この制度はまさに数値化の罠にはまった仕組みであり、形式的で無価値なアウトプットを作るために全社員の多大なる労力を奪うという、愚の骨頂のような施策でした。
なお、この話は過去の歴史ではなく、OKR(Objectives and Key Results)などと名前や手法を色々と見直しながらも、今の人事評価にも脈々と受け継がれている仕組みです。やはり期末になると各社員の成果を「定量的」に測定して、それを人事考課に反映するというお祭り騒ぎを行うのです。
こんなことを書くと、今のやり方(OKR等)を支持している人から反論を頂きそうですね。OKRは数値化の弊害を克服するための手法なのだとか、測定可能なキーリザルトに絞っているとか、数か月間の短期サイクルを回すのだとか、・・・。
しかし、MBOもOKRも、細かな部分は違えど大差はありません。人事評価に使う目標を数値化することに重きを置いているという本質部分が同じなのです。

おそらく、OKRも、あと数年経てば、きっと欠点がクローズアップされて使われなくなるはずです。過去のMBOの時も、当時は画期的な手法としてもてはやされましたが、10年ほど実例を積み重ねる中で様々な問題があることが判明し、徐々にMBOの悪口を言う人が増えたのです。
今はOKRの悪口を言う人は少ないですが、筆者としては数年先のことを予言するという気持ちで、このような数値化を重視する人事評価手法が役に立たない理由を説明していきます。

お寿司屋さんを数値で評価できるのか

なぜ役に立たないのか。
端的に言うと、企業やチームにおける個人の業績の本質部分を、測定できる数値として単純化することなど到底できないからです。

例えて言うならば、お寿司屋さんで素晴らしい食事をした後に、この寿司の素晴らしさを3つの指標で数値化することができるかということです。
そんなこと、無理に決まっています。

すごく単純化すると、こんな5段階評価になるでしょう。

【接客】:4
【味】:5
【店の雰囲気】:4

こんな評価では、寿司の素晴らしさなど到底表現できません。他の店と比較することもできあにでしょう。
3つの指標で数値化するという前提で最大限の工夫を行うと、こんな感じでしょうか。

【ネタの新鮮さ、熟成度合い、包丁さばき等の素材としての味わい】:4
【シャリの水分、酢の配合、ネタを含めた寿司としての構成】:5
【店の照明やカウンター素材、大将との会話を含めた店の居心地】:4

まあ、このように多くの単語を登場させて形容詞を工夫しても、何も本質は変わりません。こんな指標では、他では食べたことがないような天然ブリのつややかな脂身とか、歯ごたえのある透き通った身を持つイカの美しさとか、そのお店の寿司の素晴らしさなど何1つ表現できないのです。
イタリアンだって、フレンチだって、何でも一緒です。料理の素晴らしさを単純指標化することなどできません。

果物を数値で評価できるのか?

では、果物だったら、指標化できるでしょうか? 
これは、なかなか良い例なのでさらに解説しましょう。美味しいリンゴ、美味しいメロンなどについて、最近では糖度という指標を使って美味しさを表現します。
確かに、果物というカテゴリーにおいては、甘さを示す糖度という指標は、かなり本質に近い部分を表しているでしょう。昔は、スーパーで売られている果物に糖度という指標がついていなかったので、買って食べてみて「酸っぱい」ということがよくありました。最近では、糖度を見て選べば、そこまで大失敗することはないでしょう。
しかし、もちろんのことながら、甘ければ甘いほど美味しいというわけではありません。バナナは、常温で放置しておけば時間が経つほど糖度が増すでしょう。しかし、表面はどんどん黒くなり、果実はどんどん柔らかくなり、それを美味しいと感じる人は少なくなってしまいます。もし、糖度が高いほど高く購入するというスーパーが現れたら、卸売業者はバナナを美味しい時期に売るのではなく、腐る寸前まで待ってから売るということになってしまいます。
つまり、糖度というのは果物の品質を測定するために非常に有力な指標ではありますが、この指標をもとに価格を決めるといった「指標に基づいた単純評価」を入れてしまうと、とたんに本末転倒なことが発生するのです。

複雑な人事評価が数値化できるはずがない

さて、料理や果物でさえ定量的な評価など到底難しいのに、なぜか組織の中では人の評価は定量的に測定できると信じられているのです。
もはや、これは一種の催眠術にかかっているのではないかと感じます。

ほとんどの人は、新入社員として組織の一員になったときから、成果を定量的に表すことを強制され続けます。最初は成果を定量的に表すことに違和感を覚えていた人も、だんだん組織の慣習に染まり、それが必要悪というか、むしろ組織を維持するための必須手法であるかのように考えが変わってしまうのです。
しかし、組織においてどの人が仕事に貢献したかを測るというのは、料理の評価よりもはるかに難しいことです。

セールスの仕事は「売上」という指標を使って比較的測りやすい側面はありますが、この指標であってもインセンティブとして設定することで本末転倒な結果になります。糖度が高いバナナを高価で買い取れば、腐ったバナナが売りつけられるのと同じことです。
例えば、セールス担当者の売上に応じてボーナスが支払われるような仕組みにすると、担当者は自分の売上を大きくすることだけに邁進します。他の担当者の支援など目もくれませんし、他人の売上についても色々な理由をつけて自分の売上に計上しようと策をめぐらせます。
そもそも、売上は担当者の努力度合いと比例するものではありません。顧客の新規開拓は難しく、既存顧客からの受注は比較的簡単なので、大口顧客とつるんでいる人は成果があがりやすいのです。その結果、大口顧客を抱えている社内キーマンにすり寄るという、社内政治が重要になります。セールスの能力を磨いて勤勉に顧客開拓するよりも、大口顧客を持っている先輩と仲良くなることのほうが効率良いのです。
そして、売上を計上してしまえば顧客のことは放置するので、サービス品質も下がります。
このあたりで済めばまだ良いですが、このような報償制度は不正を誘発します。顧客とグルになって架空取引、循環取引といった不正会計事件にまで発展することもあります。

数値化しやすいセールスの仕事ですら、数値化は困難であり弊害も大きいのです。まして、その他の仕事は数値化すること自体、ほぼ不可能です。
本社部門の仕事、例えば戦略企画、人事、財務、広報、総務、といった仕事の成果をいくつかの数値指標で表すことなんて、冷静に考えれば不可能です。

しかし、過去から慣習として積み重ねてきた表面的な指標をこしらえて、「新サービスの立案推進:年2件」、「社内向け勉強会開催:年6回」、「業務改革提案:年3件」といった非本質的な目標を立てたことにして、「計画を予定どおり達成しました」などと言い張ることになるのです。

本社部門以外でも同じです。工場での生産管理や品質管理、物流、研究開発、何をとっても単純に数値で成果を測れる仕事なんてありません。

単純作業は自動化することが当たり前になった現代において、人に求められている仕事は複雑に絡み合った背景要因を理解した上で、多くの関係者と折衝しながら物事を進めていくという非定型的なものばかりです。だからこそ、その本質的な成果を数値化することなど、できるはずがないのです。

人事評価の現場風景

このように、人事評価は本質的に定量化できないはずなのに、実際には何十年もこのような人事評価が組織の中で行われ続けています。
その結果、実際の現場ではどんなことが起こっているのか、その風景を覗いてみましょう。

<例>   企画部員の成果目標設定

若手:ちょっと、いいですか。今年度の目標を立てろってメールが来てましたけど、企画部に来て目標作るのが初めてで、どういう目標を立てていいか悩んでまして。
私の仕事は、各部門から売上目標と実績の進捗を確認して、経営会議向けの資料を作ることじゃないですか。それって、どうやって目標にすればいいんでしょうね。

先輩:まあ、こういうのは作文能力の問題だよ。
例えば、各部門からExcelで月次データを集めるときに、なんか問題起こってない?

若手:まあ、いつも締め切りを超過する部門がいくつかありますね。

先輩:じゃあ、それだ。それを定量目標にすればいいよ。
各部門からの売上データのリアルタイム把握による精度向上」とか。

若手:かっこいいですけど、数値の目標になってないですよ?

先輩:大丈夫。指標は、「指定期日に間に合わない情報件数」にすればいい。現状は平均5件/月なのを、目標として平均1件/月にするとか。

若手:そんな劇的に変えられますか? いっつも月末になって電話で催促するんですけど、相手も現場情報が集まっていなくて板挟み状態で、情報を出せないって言うんですよ。

先輩:知ってるよ。だから、秘策を使ったんだ。「指定期日」って言っただろ。

若手:指定期日って、毎月末ですよね。

先輩:基本はね。でも、どうしても月末に出せない部門がいるなら、期日を変えればいいんだ。どうせ、月末というのはうちが決めたルールに過ぎないし、今もデータが数日遅れたって経営会議に間に合ってるんだろ。そういう部門には、「いつだったら出せます?」と予め聞いておいて、それを「期日」にすればいいんだよ。

若手:なるほど。コロンブスの卵、というかコペルニクス的な発想の転回! でも、うちの課長には、そんな小細工、すぐばれそうですよ。

先輩:課長、そこまでちゃんと見てるかなあ。課長だって人事部に掛け合うときに説明できる根拠がほしいだけだよ。
まあ、さらに工夫するなら、目標を達成する方法を色々書いておけばいいよ。
例えば、「月次報告の内容から遅延要因分析を行い、必要に応じて報告様式を見直した上で、各現場と緊密なコミュニケーションをとる」とか。

若手:さすが、なんかそれっぽいですね。
でも、報告様式って、ここ何年も変えてないから、変えると現場から怒られそうですけどね。

先輩:変えなくてもいいんだよ。必要に応じて、なんだから。それに、報告様式自体を変えなくても、提出方法を変えたり、遅延する場合のルールを作ったりすることだって、立派な改善だよ。

若手:なるほど、だいぶイメージができました。ほんとに、ありがとうございます。

先輩:蛇の道は蛇だからね。こうやって、蛇だらけになるのさ。

成果を数値化することに向かない業務をしているのに、無理やり数値目標を設定することを求めたときに、現場ではこのような不毛な作業が発生しています。
大体、数値目標を設定するようにと依頼する人事部自身、各現場でどのような数値目標を設定すれば実効的なものになるかなど、全く想像できていないのです。自分が想像できないことを、相手に押し付けているだけなのです。

困った現場は、仕方がないので無理やり数値目標を作ります。
とはいっても、企画部の平社員に過ぎない若手が、「営業利益の0.5%向上」といった目標を設定できるはずもなく、自分の身の回りの仕事で数値化できそうなネタを探し回るのです。
その結果、締め切り期日までに報告を提出してもらうというルーチン的でノンコアな業務の中から、指定期日の定義を変えるといった裏技まで駆使しながら、見た目的にはそれっぽい目標を設定するのです。
そして、若手社員は1日かかって、ようやく自分の「目標管理シート」を作成するのです。

しかし、もっと大変なのは多くの社員の評価をする課長です。この若手社員のように人事部から見ても問題ない水準で目標を設定してくれればラクですが、中にはとんでもない目標を設定してしまう社員もいます。「会社の売上を倍増する」といった大風呂敷を広げる人もいれば、「自分自身のコピー用紙の利用枚数を1割削減して地球環境に貢献する」とあまりにも些末な(そして因果関係に乏しい)目標を設定する人もいます。

要するに、定量的な人事評価というのは大規模な茶番劇なのです。
90%くらいの組織人はそのことを肌感覚として知っていて、「あうんの呼吸」で、それなりにもっともらしい指標を作り、その目標を達成する手段について美辞麗句を交えた説明文章を作ります。
ただ、残り10%くらいの人は、こういった「あうんの呼吸」を持ち合わせません。

自分の仕事が定量的に評価できるはずがない、できるというなら具体的に指標を示してみろと人事部や自分の上司(課長等)に食ってかかる人もいますし、自己流で作成した目標が組織として受け入れがたい内容になっている人もいます。こういう人の対応に、人事部も現場の課長もかなり労力を使ってしまうのです。
こうして、評価される人も、評価する人も、多大な労力を使って「数値で定量化されたかっこいい人事評価結果」を作り上げるのです。しかし、悲しいことに、この定量的な指標で良い結果を修めた人が昇進するとは限らないのです。結局、最後は人の判断なのです。昇進させたいと思う部下がいれば、上司は様々な手法を駆使して、結局その人を昇進させるのです。
ですので、多大な労力で作り上げた人事評価結果は、例えればハイパーインフレを起こした国の紙幣と同じであり、「膨大な量の紙が積みあがっているけど無価値」なのです。

それでも、人事評価で数値化が使われる理由

大方の人が茶番劇であると分かっているのに、それでも数値化の人事評価が続いている理由はどこにあるのでしょうか。
その理由は、ほとんどのビジネスパーソンが理想と現実のギャップを容認し、根本的な問題から目をそむけているからです。

理想的な話からすると、上司となった人は部下の状況を日々把握して、フランクな態度で接しながらも要所要所で部下を指導していき、多くの部下から人望を集める存在となるべきです。そういう上司ばかりになれば数値化をせずとも納得のいく人事評価が行えるはずです。

しかし、これは机上の空論に近い理想像に過ぎません。現実の職場風景を見ると部長級、課長級の人のほとんどはプレイングマネージャーとして大量の仕事を任せられており、部下に仕事を依頼するのも一苦労で、部下に振れなかった仕事は自分自身で抱えて夜中まで仕事をしているというのが実態です。そのような状況下で、部下の一人一人に目配せすることなど不可能です。

このような理想と現実のギャップがある中で、数値化という手法が妥協の産物として生み出されたのです。
忙しすぎて部下の管理などできていない上司にとっても、とりあえず部下自身が数値目標を作って実績を報告してくれれば、評価をしているという体裁が整います。上司も部下も、数値による人事評価が茶番と分かっていながら、そのことを「人事部が言っているから仕方ないんだ」と他責にしたうえで、必要悪として受け入れているのです。

そういう意味では、罪が重いのは数値化評価制度を残存させている人事部自体なのでしょう。彼らは、数値化によって一見もっともらしい人事評価制度を回すだけで、仕事をした気になっているのです。実際は、全てが茶番劇です。しかし、茶番劇の体裁を整えるために上司も部下も多大な労力を払って、無駄な作業をさせられているのです。
このような人事評価制度がうまく機能していると心底信じている人事部の社員がいるのならば、その人は安直すぎる「裸の王様」であり、人の管理をする人事部としての基本能力が欠けていると言わざるを得ません。
数値化など所詮茶番に過ぎないと割り切った上で、その上で大組織を回す上での必要悪として人事評価制度を回しているのならば、まだ救いようがあります。

しかし、茶番と分かっているのであれば、数値化する部分は極力シンプルにとどめるべきです。また、数値化指標を入れるとしても、その指標に意味がある分野に限定すべきです。セールスの仕事については売上高や営業利益について数値化することは一定の意味があるでしょうが、それ以外の多くの仕事(例えば、経営企画、財務、総務等の仕事)は基本的に数値化に向いていないでしょう。
そして、数値だけを絶対指標にするのではなく、数値の背景にある個人の努力や仕事の難易度といった定性的要素を重視するように評価することが、道を踏み外さないためのポイントです。

このあたりの考え方は、数値化至上主義者とは全く相容れないところでしょう。

「数値化はできるはず、数値化できないのは甘えだ」という主張も耳にします。

その人は、お寿司の美味しさを数値化できるのでしょうか。
仮に無理やり数値化したとして、それが美味しいお寿司屋を判断する指標になるのでしょうか。
お寿司さえ指標化できない人が、人事評価というより複雑なものを指標化できるはずがないのです。

みんな、どうか冷静になってください。



上記文章は、著書「数値化の罠:低成長の真犯人」からの一部抜粋です。


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