「戦争は人間の本能」は科学的事実ではない
以下はSYNODOSに掲載された伊藤隆太「「人間の心」をめぐる新たな安全保障――進化政治学の視点から」という記事に対するコメントです。
この記事の著者は「戦争は人間の本能に根差したもの」というのをあたかも「科学的」事実であるかのように前提しているけど、それはまだ科学の世界では決着がついていません。
反論となりうる一つの研究として、中尾央と松本直子による、日本の縄文時代の暴力死についての研究が挙げられます。
日本の縄文時代には 、伊藤氏が参照しているスティーブン・ピンカーの「狩猟採集民は農耕民よりはるかに暴力的」という主張が依拠するデータよりも、ずっと暴力死の割合が少なく、狩猟採集民の暴力が本能によるものではなく環境に左右された可能性が高いことが示唆されています。
もう一つ、Douglas P. Fry と Patrik Söderberg による、現在の狩猟採集民についての研究が挙げられます。
この研究では狩猟採集民の間での暴力は感情の爆発や個人的な確執の結果がほとんどであって、グループ間の抗争はまれだということが示されています。
戦争が本能に根差すものかどうかには関係ないけど、ピンカーの「人間はより合理的になることであらゆるタイプの暴力を減らしてきた」という主張に対する部分的な反論となりうるものとして Rahul C. Oka らの研究が挙げられます。
Rahul C. Oka, et. al. ``Population is the main driver of war group size and conflict casualties.’’
Oka らによれば戦争による死者の割合が減ったのは、人口が増加して分業が進み、国家の中での戦争に従事する人間の割合が減ったことで十分に説明できる(戦争に従事する人間の中での戦争による死者の割合は変わっていない)そうです。
この記事の著者の「国際政治にも科学的知見を反映させよう」という意見には賛成ですが、「戦争は人間の本能か?」みたいな大雑把な問いに科学で簡単に答えが出る(出ている)とは思わない方がいいと思います。