人の顔色を窺わない自分になりたい
最近の「自分らしく生きよう」の声が広がる影響か
人の顔色を窺わず、
自由に、自分の意見を通せるようにならなきゃ
と思う方の声をいくつか聞きます。
自分らしく生きよう の声が広がり
個人の尊厳が尊重され、個性を大切にされる時代です。
例えばこれを言ったら相手から怒られるかも…
と思っても言ってみたり
例えばこれを言ったら相手から嫌われるかも…
と思っても言ってみたり
これって良い面もあれば
悪い面もある訳で
実際怒られたり嫌われたりする
場合もありますよね。
その時の相手の嫌な感情を
受け取りたいかって言ったら
普通受け取りたくないわけですよ。
だからこそ今まであなたは顔色を窺っていた。
私はそれを悪いとは思っておりません。
大事なのは
嫌われてもいいから
言いたい
のか
言いたいけれど
嫌われたくない
のか
自分の中でどっちが大事なのか
と言う事なのですよ。
大好きで今後も一緒に居たい人に
ちょっとした事がムカついちゃって
「ばぁーか!あほー!!死ね!!!」とか
言っちゃったら
大好きな人と離れる選択をしたことになる。
けれど大嫌いで
関わりたくない人に
ニコニコと愛想よく合わせて
媚び諂っていたら
大嫌いな人とずっと一緒に居る
選択をしたことになる。
要は 自分が本当はどうしたいのか 。
顔色を窺いたい相手なのか
顔色を窺いたくない相手なのか
現在顔色を窺うな と言う
声を出す人が大きく出ているからこそ
窺う事が悪い事のような
捉え方をしてしまうのです。
勿論、声を出す人が
悪いと思っているか
悪いと思っていないか は別物です。
私は
顔色を窺わない人も 窺っている人も
どっちも素敵と思います。
そして
どっちの人も愛されていると思います。
例えば顔色を窺わず自分の意見を言う方は
意見が合う方には絶大に人気があり、
合わない人にはとても強く嫌われます。
仁さん ほりえもんさん 西野さん など
例えば顔色を窺って自分の意見を言う人は
オールマイティに好かれますが
あまり強くファンと言う人が少ないです。
しいたけさん ヒカキンさん 明石家さんまさん など
勿論 大嫌いだよ!
または めっちゃくちゃ好きだよ!という
個人の意見の方も
いらっしゃると思いますが
例でしかお伝えしておりませんし
私の主観ですのでご容赦ください。
私はどちらも好かれていると思うんですね。
私はどちらかと言うと顔色を窺います。
その人の仕草や表情を逐一確認して、
相手が傷つかないように導きますし、
傷つけそうな内容は「傷つけちゃうかもしれないけど」と
前置きを置きます。
けれど嫌いな人には非常に辛辣です。
顔色を窺う事もなく離れていきます。
それは自分で選んだものです。
そうしたい を選んだ。
窺うから 良い悪い
窺わないから 良い悪い
ではなく
自分らしく生きるとは
窺っていることも 窺わない事も
自分で決めると言う事なのです。
あなたは顔色を窺いたいですか?
それとも顔色を窺いたくないですか?
貴方が心から望んだものに
勇気を出して一歩踏み出す
それが「自分らしく生きる」なのです。