最近のセクシャルマイノリティについて思う事。
最近はいろんなセクシャリティが分類されている。
こうやって性自体がグラデーションになって、様々な人の性質が言葉で表記されるようになった。
だから現代では、「私は一人じゃないんだ」とか「私の仲間と交流したい」みたいに新しい場所を見つけられる人も増えてきた。
一方で、自分の性になにか名前を付けようと、つけたいと躍起になってしまっている人もいると思う。
私もその一人だった。恋愛ができない、恋愛感情を抱いたことがない、性別はほんとに関係ない。でも関係ないと言っているのは、そもそも「本当」の恋愛をしたことがないから?恋愛できないと言っているのは、人をただ「女性」「男性」みたいに見ていないくて「人」として見ているから?
こうやって自問自答していると全く自分の性がわからなくなってくる。
そこで、そもそも性が今、様々な種類に分類されて「性はグラデーションである」という事を示そうとしているのを思い出してほしい。
グラデーションなのだから、そのすべての色に名前があるわけない。そんなことを細分化されている現代では逆に忘れがちになっていると思う。
だから、もう一度思い出したい。
私は「何か」ではなく、それはただの状態で、私の性質は「何か」でなくそれはただの性質であるという事を。
いつの間にか自分を追い詰めたり、自分が自分を孤独に追いやったりしているかもしれないから。
最後まで読んでいただきありがとうございました。