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わたしはずっと"普通の人間"を演じてた。
私はずっと、人とは何か違うと思って生きてきた。
たとえば、気温をみて着る服を考えれないこと。
何月から夏で、何月から冬なのかわからないこと。
恋人に会いたいって思えないこと。
あまりにも自分を客観視すること。
ウソ泣きを悪気もなくすること。
眠ることが下手で朝になってしまうこと。
出したらきりがない。そんな些細な事って思われるかもしれない。
でもほかの人が普通にできていることが、できていないことって些細なことでもかなりきつい。
でも無駄に「演じる」ことや「いい子ちゃん」がうまいからさ。普通に見えてしまうんだよな。
ずっと「にんげん」であるように知識をつけて真似をした。だけど、いつまでたっても季節感は身につかないし、恋人と一般的な恋愛ができないし、結局うまく生きれない。みんなができてることができない。
RADWIMPS「棒人間」を聞いた時、私の話だと思った。
「見た目が人間なもんで、皆人並みに相手してくれます。
僕も期待に応えたくて、日々努力を惜しまないのです。」
太宰治「人間失格」の冒頭も同じ。
「自分ひとり全く変わっているような、不安と恐怖に襲われるばかりなのです。」
私が感じてることだと思って、人間失格のこの冒頭を読んだときは泣いた。
そのくらい、たぶん私は普通の人であるように「人間」であるようにと努力し学んでるのに一向に「人間」になっていないことを実感して疲弊しているんだと思う。
”生きにくい”というには大げさで、でも他とは何か持ってるものが欠けているような棒人間の自分を必死に人間に取り繕っているのが私。
でも最近は、そんな道化も身に染みて「人間」を演じるのがうまくなってきたきもする。うまく仕事もこなせるようになったし、自分がこんなに努力できる人だったんだと思ったし。
これからも、棒人間が人間になれるようにひっそりとばれないように生きていくんだと思うとなんだか気が遠くなってしまうけど、生きていくのは楽しいから生きてみようかな、そんな調子でずっと生きてる。
今日はそんな気持ちを吐き出してみた。まだ何にも結論も有効な策もわからないけど、今の気持ちを。
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最後にさっき一部だけ載せたRADWIMPS「棒人間」の大好きな歌詞の部分を残しておく。
笑顔と同情と謙遜と自己犠牲、朝起床に優しさと。
優に1億はこえそうな必要事項を生きるのです。
しかし全くもってその甲斐もなく 結局モノマネはモノマネでしかなく
一人また一人と去ってゆき、人間が剥がれ落ちるのです。
僕もいつの日にかホントの人間になれるんじゃないかなんて
そんな夢を見ていました、夢を見てました。
程よくテキトーに生きながらほどよくまじめに働きながら
全然大丈夫なフリをしながら たまに涙流しながら。
手に入れた幸せは忘れるわ 自分のことばかり棚に上げるわ
怒らせ、苛つかせ、悲しませ 僕はいったい誰ですか。
人間として初歩中の初歩を何一つとしてできないままに よくもまぁそんな気になれたもんだ。
僕は人間じゃないんです ほんとにごめんなさい
そっくりにできているもんで よく間違われるのです。
僕も人間でいいんですか?ねぇ誰か答えてよ
見よう見まねで生きている僕を許してくれますか
何度も諦めたつもりでも 人間でありたいのです。