6月末の大分岐以降、誰かが私をディーバちゃん、と呼び始めた。実態の無い名前と体は電車の窓際の席にちょんと座る。関わる人とモノが流れてゆく刹那電鉄。ディーバちゃんはどこの駅にも停まらない。どこに行くのか興味もない。切符も買ってない。車窓に映る自画も梅雨の晴れ間に溶け込むただの景色。
何時間もずっと、パンツの絵を描いている。トイレ以外はずっと描いていたいので今夜はライブの手伝いも休んだ。紫のパンツや色々なパンツ。過集中は好きだ。ふと顔をあげ時計を見るごとに1時間ずつ過ぎている。
夫に出会う前は肉が一切食べられない体になってた。初デートでラーメンの上の焼豚を食べることができて突然治った。そんな肉食夫は私に弁当を持たせる。彼はこれをDIYと呼ぶ。愛とは呼ばない。母子家庭でヘトヘトだった私に、大丈夫数年後は楽しくやってるよと教えてやりたい昼休み。いただきます。
アシュタールさんのセッション後、気付きの加速度が増している。また1人に別れを告げ世界線を変えた。新しい場所でまた、傷を作る。人間同士の距離感のバグ。傷口はすぐに溶けてしまう言葉というバンドエイドと癒着する。そのカサブタを集めるのも触るのも大好きだ。性癖と言っていい。