「生理ちゃん」は「ギャルと恐竜」ぐらいのポップさでアニメ化されるべき

小山健「生理ちゃん」が最終回らしくてしょんぼりしている。

「ギャルと恐竜」ぐらいのポップさでアニメになってほしかった。まさかの実写映画化はあったけど、映画館は、わざわざ足を運ぶところだ。
ふだんアニメを見ている男性の生活圏内に自然にはいってくることが、この作品の「完結」だと思っていた。

毎回オムニバスで、さまざまな職業や立場のちがう男女が主人公になる。
女性には生理ちゃん、男性には性欲くん、という得体のしれないヤツがとりついて、人間を変えてしまう。

よく、神や悪魔が主人公にとりついて、本人にしか見えない「彼ら」をつれて学校に行く・・・といった漫画があるだろう。うっかり話しかけて、クラスメイトに変な目で見られたり。
あんな感じで、カップルの男側には、生理ちゃんがのしかかって体調を悪くしているのが見えない。

ぼくにも見えない。そこにはただ調子悪そうな女性がいるだけ。「生理ちゃん」は、そいつを見る能力を授けてくれる漫画だ。

性欲だっていろんなトラブルを起こす。性欲のおかげで人生を棒に振る人、他人の人生を破壊する人を今までもこれからも見ることになるだろう。
ただ、違うとすれば性欲はギャグ漫画でもコメディ映画でも出てくる。昼間の話でも出てくる、話せる悩みである。

男から見る女性に生理はない。
だってアイドルとか女子高生とか女戦士とかスポーツ選手とか、毎日水着みたいな恰好ではしゃぎ回っている。

そこを、「オーシャンズ」が「ゴーストバスターズ」が、女性主人公になったように、生理のある女性でアイドルや女子高生の漫画を語り直した。
「おい男性諸君」と説教するのではなく、これぐらいの意識が普通、ぐらいのテンションで語りなおした。その自然体な感じが、なんというか、かっこよかった。

僕って、学生時代の「女子は強くてうるさくて悩みがない生き物」の印象を引きずったまま大人になっていた。女は人生楽しんでいるのに俺たち男はしんどい、と思っている男性は多いはず。

あいつを見る能力があるかないかで、異性への、他者への対応が変わる。少しだけ人生も変わるかも。


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南ミツヒロ
読んでくれてありがとうございます。 これを書いている2020年6月13日の南光裕からお礼を言います。

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