【SEKIROプレイ日記】SNSと死にゲーの距離
その方とお会いした瞬間、
「お噂はかねがね伺っております!」と一礼しそうになった。まぼろしお蝶なるお方だ。そういう人がいると目にしていたから字面の強さで覚えていた。僕の想像していたのは「月光蝶」と、水戸黄門のくのいちだった。だいぶ違った。すぐ負けた。(↓前回)
そう。前回からじりじり進んでいる。いろんなゲームたちを思い出しながら。
最近PS5でリメイクされた「デモンズソウル」から始まった死にゲーたち。それ以前にも、初代プレステの「キングズフィールド」「シャドウタワー」という原型らしきものはあった。キングスは当時180円ぐらいで買ったけど、日本の会社が作ったものかもわからなかった。
デモンズソウルは「かっこいい」ゲームだった。
当時は、ゲームの難易度はやさしめ、説明はていねい、プレイヤーのストレスをどれだけなくせるかにこだわっていた。
お接待してくれるゲームばかりの海でぱしゃぱしゃ遊んでいる中に、
「高難易度×ダークファンタジー」
の異物を投げ込んだ。
「死にゲー」って、昔の海外のバランスが悪いゲームを総称したほぼ悪口だったのに、そこには、ほかで得難い達成感があったことを思い出させた。
スーパーファミコンだと、風来のシレンで大ブレイクした「不思議のダンジョン」シリーズがある。
とっくに絶滅していた「ローグ」なんて化石ジャンルを鮮やかに蘇らせた。作家性を出しつつビジネスとしても成功した、かっこいいゲームだった。
SEKIROは、ことばも上手い。
敵の攻撃をはじいて、しとめる。昔から似たシステムはあったけど、それを「体幹」と表現する。
技の解説には「忍は、そう考える」「音も消してこそ忍」。
この世界の忍者は、殺人、隠密の技術に特化した一族なのが、会話以外でわかるようになっている。
ゲーム内の用語を全部漢字に置き換えるだけじゃなくて、「スキルツリー」とか、世界観を壊しかねない、他ゲームの言葉をそのまま持ってきたりもする。大胆!
ブラッドボーンのときにも感じたのは、死にゲーとSNSの距離感のむつかしさ。
初心者のアドバイスになる一方で、苦労するのがバカバカしくなる原因にもなる。
アイテムが隠された場所は、観光スポットみたいになってるし、どんな強敵も、すでに倒した人がその先を配信していると、なんだかバカバカしくなる。
僕は本気で「まぼろしお蝶」に挑むなら、苦労してもいいから、倒したときに
自分だけがここに到達した!!
と思いたい。
「ゼルダの伝説 時のオカリナ」が発売されたとき、ファミ通のレビューで
「誰もが、自分だけが解けたと思える謎解き」
と、絶妙な難易度の謎を絶賛した。
今は、多くの配信者によってSEKIROはクリアされている。
「誰もが、自分だけが挫折したと思ってしまうボス」
を、生み出す構造になっている。
で、↑まで書いた直後にひとつ進展してんじゃねえか!前回も、そんな感じだった。もうやめよっかなーと思ったギリギリでひとつ進展す。絶妙な難易度調整なのを証明してしまっている。