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「Return of the Obra Dinn/オブラディン号の帰還」は、現代最先端の廃墟スポット(ネタバレなし)

Return of the Obra Dinn「オブラディン号の帰還」
プレイヤーは保険会社の職員になって、乗員60名全員が消えた貿易船オブラ・ディン号に乗りこむ。死者の思いを感じる懐中時計「メメント・モーテム」を使い、全員の名前と死因を特定するのが目的だ。

甲板に転がるガイコツのわきで「メメント・モーテム」をひらくと、
死の直前に「船長」と呼ばれる人物と口論になり射殺される瞬間を見ることができる。


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手帳を開いて「この人物は船長により銃殺」とチェック。

服装とスケッチ、乗員名簿を照らし合わせて、被害者は船員か乗客か、インド系かアジア系か、と推測していく。

死の直前に残した言葉、荷物のくずれる音、ロシア語、中国語の怒号を整理して、どこから手をつけていいのか、無謀とも思える60名のリストを、かすかな糸口から埋めていく。

手帳には船員リストのほか、船の様子を記録したスケッチがある。ここに描かれた場面にも、ある死者の思念から跳ぶことができる。

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この場面を主観視点で歩きまわると、こんな感じだ。

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なぜ、裁判が行われることになったのか。どんな事件で、指示を出したのは誰で、銃を持つのは誰か。
誰がつるされ、誰が泣き、誰には他人事で、どの地位ならどの場所で見守ることになるのか。
スケッチには描かれていない余白を、想像と観察力で埋めていく。


仕事で人の死因を調べるのは、ミステリー小説の名探偵と変わらない。
だけど名探偵は、読者といっしょに犯人を憎んだり、ときには自分も危険にさらされるので、人の生死を娯楽にしている罪悪感も薄まる。

だけど、このゲームの背徳感はどうだ。

船内でおこった何事かは全て「終わったこと」。
主人公は犯人に消される危険もなく、死臭に眉をしかめることなく、安全圏から死を観察する。

海に転落していく人を見つけると、その人物は「海に転落して死亡」と確定する。
その後必死で泳ぎ切って、どこかの島に流れ着いてサバイバルしているかもしれないよ? でも「海に転落して死亡」と断定すれば、そうなったことになる。
書類上そうなる。
登場人物の断末魔を聞かせ、人柄を想像させておきながら、同時にビジネスとして死因リストを埋めさせる。
なんてことをやらせるゲームなんだ。

感覚としては廃墟探索。あれは人の生きていた痕跡を、それぞれのメメント・モーテムで感じているのでしょう?なんてことない壁や家具のシミから残留思念を読み取ってるんでしょう?ただ古い建物を見たいだけじゃないはずだ。

そもそも、このゲーム自体が古いマッキントッシュのゲームをオマージュした、モノクロの世界で構築されている。これが、作者の意図を越えて怖いものになった。
「懐かしいドット絵のゲームを作ろう!」なんてノリではない。
このゲームの作者がそもそも過去にこだわる人なのではないか? 世界全体が、作者の過去の思い出のカタマリみたいだ。その中に足を踏み入れて、さらに60名の死者の思念と向き合うことになる。

死者たちの声を聞いてると、自分が死んだあと、関係ない誰かが関わって事務作業で処理されるんだよな…と背筋が冷たくなる。

今の時代の最高峰の、きれいな映像を実現したら、その作品は一見の価値ありと呼ばれるだろう。名作と呼ばれるだろう。
だけど、古い白黒の映像なのに、初めての感情を呼び起こされた。
すごいものに出会ってしまったと思う。
これを名作じゃなかったらどう呼べというの。

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南ミツヒロ
読んでくれてありがとうございます。 これを書いている2020年6月13日の南光裕からお礼を言います。