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「R-1グランプリ」炎上が煙幕になって「しくじり先生」パンサー尾形モラハラDV回が隠れた

新しくなったR-1の進行がうまくいかなかったことで、お笑い好きの一人としてあーだこーだ言いたいけど、芸歴10年以上の大会を創設したことで話題が増えたし、チャンピオンですら話題にならなかったころに比べたら、今後の期待もこめてOKとしましょう!

それより印象的だった、R-1の少しあとに放送された「しくじり先生」パンサー尾形のモラハラDV疑惑回の話をしたい。

3月7日「しくじり先生」は、「パンサー」の尾形から妻へのDV疑惑を取り上げた回で、もっと目につく時間帯だったら完全にパンサーというお笑いトリオで普通に笑えなくなる、人によっては恐怖を覚える内容だった。

深夜だから不愉快に思う人が少なくてすんだのか、それとも広く目につくように放送して、人の振り見て我が振り直すきっかけにするべきだったのか。

尾形という男がもともと表情に乏しく、ドッキリにかかったときの反応の鈍さが面白いといえば面白かったけど、
「ちょっと怒ってるのかな?」
というふうにも見えて。この番組のあとだと、あの「なんも響いてない感じ」が気持ち悪くて笑えない。

(テレビ番組は刺激的な部分を抽出・強調するので、実態はほぼフィクションだったりすることもあるし、ご本人以上に他人が想像で語ることはおかしいけど、番組の印象のままに感想を言ってます。)

尾形が妻に科した「ルール」は、
自分たちの単独ライブと同時間帯にやっていたback numberのライブ動画を観るのはもちろん話をすることを禁止。BIGBANGの話をするの禁止。露出のある服を着るのは異性を誘惑してることだから禁止。コンビニでレジに男と女のレジ係がいたら男のほうに行くの禁止。
徹底的に男と遮断するようにしている。

「禁止事項」を並べただけでうわあ…と思ったけど、それよりきつかったのが、当人の尾形が
「うわあ!改めて俺を客観的に見ると酷いな!」
ってびっくりしてなかったことだ。

妻を他の男にとられたり、浮気されたりが嫌だから他の男性に触れさせたくない。(愛情ゆえに言ってるんだなと)理解してもらえると思ってた~。と発言。

途中からオードリー若林さんら男性陣はどう立ち回るか、笑顔で頭をフル回転させてただろう。
よく芸人はトーク番組のプレッシャーで、楽屋で嘔吐するときく。単独ライブひとつ実現させるまでに何年苦い汁を飲まされたか。その時間に妻が他のイベントのことを考えられるのがどれだけつらいか。
お笑い芸人としては、尾形を弁護をしたい気持ちはあったと思う。

だけど「こいつを理解できる男」として映ってしまったら、自分の芸人生命まで巻き添えにしてしまう。

YOUTUBEの関連動画にバックナンバーの曲が表示されただけで妻に嫉妬して大げんかにつながるエピソードは、体格差と稼ぎに差がある夫婦でやられると笑いにしようがなかった。
YOUTUBEは他の動画を見ても似たジャンルの動画をオススメしてくるのを知らず、関連動画にバックナンバー出てきたぞ!お前観てただろ!と責めて「彼女を愛してるんだ!」と主張するのがキツイ。

きついことづくめの回が炎上しないですんだのはなぜか。。

それは、芸人の出る番組を見る人は、みんなその時間、R-1グランプリの時間配分がおかしいことを語るのに一生懸命だったからですわ!
そっとしておくように導く野田クリスタルのツイートに感心したり、ザコシショウが服を着ていることにびっくりしたり、いろいろ忙しかったんだ!

R-1という新しい建物が爆発炎上して煙もくもくで周囲が見えない状態だったので「しくじり先生」という小さな教室の炎上は結果的に回避された。

視聴者をスッキリ終わらせるには、外ロケができる番組で、尾形が妻に科した縛りを逆に体験してもらうしかない。

尾形に1日密着してもらって、
胸元のひろいシャツを着たら「誘ってるだろ!」
レジで女店員と話したら「狙ってるだろ!」
そのたびに罰ゲームをやらされ、逆に奥さんにはお笑いライブの緊張や苦労を見てもらって、「お互いの気持ちがわかったよ」って表情だけでも見れたら、視聴者も安心して眠れたんではないでしょうか。

その後の奥さんのブログでは、なんとかいい雰囲気になっていて、話の通じない人ではないことを強調されていて、ひとまず安心、か? 

ふたつとも、「ふーんー楽しかったー」で終わるんじゃなくて、バラエティ番組だけど、たくさんの人の生き方について考えてしまう力があった。怒りや興奮をおぼえて、何か言いたくなる出演者の力量があったから、こうして長くなってしまった。優れた番組だった。一晩置いて、それだけはきちんと書いておきたい冷静さを取り戻した。

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南ミツヒロ
読んでくれてありがとうございます。 これを書いている2020年6月13日の南光裕からお礼を言います。