9月16日、夢のこと
疎遠気味の友達を看取る夢を見た。
誰と囲ったのか覚えてないけど、たしか自分含めて4人で最期を共にした。ここでも私は写真を撮ることにした。迷った、と言いながら、心の奥底での決意は固まってたと思う。
フラッシュを焚き忘れて撮った。まだ間に合えって思いながら、フラッシュ焚いた写真も撮った。最期までギリギリ笑っていた気がする。夢の記憶はすぐ曖昧になる。まあ、現実もすぐ忘れるけど。
そのあと、所々で思い出しては泣きたくなって、でも泣けなくて、でもみんなの前で話した時、なんかの拍子で声が震えて泣き声になって、後ろを向いた。しんどかった。
目覚めてもよく分からない感覚で、夢やと分かっているけどすごく現実の私との差がなかったから混乱した。映画の残像が続いた。たまに、現実と夢や作品との境目が曖昧になることがある。1年前、夢の中で泣いていた自分を久しぶりに思い出した。
なんでその友達の夢を見てしまったんやろね、
たしかについ最近思い出したけど、記憶に蓋をしていたようで、すごくすごく複雑な思いを今更というか再確認した。誰かが必要で誰かにすがりたかったんやと思う。絶対的存在で、分かってくれる人ではなく、分かり合える人が必要やったんかな、と今なら思う。誰かは私ではないし、私たちでもなかった。その心の穴なのか闇なのか不安なのか、それすら過去もこれからも分からないままやけど、いつのまにか一線が引かれていた。こんな夢を見たなら、心配して連絡してみようという考えが浮かぶとは思うけど、正直なところあんまり浮かばない。嫌いじゃない、全く。書いてみて、この言葉に嘘はないと改めて言える。救えなかったなと勝手に思ってるけど、私が救う必要はなかったし、私に救われる必要もなかった。やからきっと、もし万が一のことがあってその瞬間に私は必要じゃないと思う。
どう生きているんかな、誰かにすがっててもいいから、生きたいなら生きてほしいし、もしあんまり生きていたくないとしても自己中な私は生きてて欲しいと思う。
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