10月3日、生き延びろや

生き延びた気がするって言われた。
よかったっていうより、ふざけんなちゃんと生きろ、頼むから生き延びろやって思った。

映画の帰り道、駅前の植込みの縁で座って寝ている人がいた。酒飲みの自業自得、高確率でそうやと分かってるけど、めちゃくちゃ急いでるとか特段の理由なければ声かけるようにしてる。起こして、大丈夫ですかって。大概大丈夫、これも分かってる。
この行動の理由は、ごく稀な確率で死んでる、死にかけてるかもしれへんし、その可能性がある限りは声かける意味はあると思うから。声かけたところでこちらが失うものはない、強いて言うならその時間だけ。なら、とりあえず声かけとこや、精神。声かけて、お水渡して、無事に帰ってくれたら、それでいい、最悪とりあえず生きてくれたらそれでいい。ただそれだけ
そしてもう一つ理由があって、これは社会への抵抗。見て見ぬふりする人ばっかりや、通り過ぎたお前、大衆め、このやろうふざけんな、もういいもういい、私がやるってキレてる。こわい、見えてるのに見えてないことになっている。これは、一緒の枠になんか入ったらへんからなっていう無言の私の抵抗、一方的な私の戦い

焦点合ってないし、大丈夫か。とりあえず駅までは送るからあとは自分で何とか帰ってくれ、って思いながら歩いた。こんなことしてもらったのは初めてですって言われて、たぶんアホな自分は、そう言われてどこか嬉しい気持ちになって行動してよかったと思うんやと思うけど、この時の気分はすでに急降下していて、泣きたいのに泣けなくて、やのにそんな時に自分は何してんのってかんじで、うるせえ、たまたまじゃ、黙れって心の中でキレていて、そうなんですね、としか言えなかった。
医療従事者ですかと言われて、驚いた。おいおいおい、人を助けるのは医療従事者だけじゃない、そうじゃなくても声かけあってこや。これはそんな特別な事じゃない、そう捉えられることがおかしい。
なんでですかって言われて、理由を全部言うほどの体力と義理なんてないから、最悪の場合アル中で死ぬ可能性があるから声かけました、だけ答えて、え、あ、そうか、って。
なんだか生き延びた気がするって。ふざけんな、ちゃんと生きろ、頼むから自分で生き延びろ。無性に悲しくなったし、腹も立った。
もう一度、こんなことしてもらったのは初めてですって言われてさらに腹が立った、色々と。さっきの自分の言葉と矛盾するけど、誰もが声かけるわけないやろ、しょっちゅうあってたまるか、いや、ある意味あってほしいけど、これが現実。みんながみんな声かけるわけではないですって答えたら、それは悲しいですって言われた。は、それはあなたは言えない。この人が悪いわけじゃない(いや、飲み潰れるのは悪い)、正確にいうとこの人だけが悪いわけじゃない、けど想定してない返事が来て、しかも私にとってはあまりにも的はずれな言葉で。確かに悲しいですけど、でも同時に助けてもらえることを当たり前だと思わないでください、と言ってしまった。これは八つ当たり、この人だけが悪いんじゃない、あと、私が正義でもない。のにね、

改札前でFacebookを見せられて、名前を知った。とりあえず検索して見たけど、ヒットしなかった。生まれと育ちの場所と名前と、今日がお休みであることしか知らない人、頼むから、
積もり積もって、結局は泣きながら帰った。

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