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10月17日、お母さんのこと

働いていた時の話を聞いた。
サボったという言葉がお母さんの口から出てきたことにびっくりした。同調圧力を無視、いや、自分なりの理由があるがゆえの選択。なんかちょっと自分の片鱗が見えた気がした。(正確に言えばお母さんの片鱗が私か、?)サボったという言葉を聞いてかっこいいと思うことがダサいのは分かってるけど、なんかお母さんの場合はやっぱりかっこいいというか、そういう感情もあるんやと安心した。
そんで、そのまま話を聞いていると、その話は本当にかっこよかった。肝心なそのエピソードはここには書かない。けど、勝手に誇らしかった。そんなお母さんで嬉しかった。それでもそれを嫌味でも見栄でもなく、ただサボったと表現するところがかっこよくて完敗やった。

また話を聞きたい、まだまだ聞きたい。
知らないことが山ほどあることは当たり前で、知らないままでもいいと思うけど、でも、知ってもいいことがあるはず。というか、いま色々ごちゃごちゃ言ったけど、私が生まれる前の人生も、生まれた後の知らない側面の人生も、どっちも教えてくれたら嬉しい。

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