見出し画像

性別について考える:卒業旅行 その12

性別について考える

3年ぶりに母にあい、息子と一緒にお墓参りに行ってきた。一所懸命、元の性別のカッコをしたつもりだったけど、やっぱりバレて結果的にカミングアウトとなってしまった。

ただ、だからと言って、もう一方の性にガチンコでなりたいとは言ってない。そもそもそう思ってないからだ。ただ自分らしく生きようとすると、他人が勝手に、そう思うだけ。できるだけ迷惑かけない、怒られないように振る舞うのももう疲れた。

そもそも、性別ってなんなのか、そもそも男女しか性はないのか。世の中には、性別がなかったり、両性具有な生き物だっている。一度、無自覚に行動するより、性別論、男女論を整理する必要があるような気がしてきた。まずは、ここでは、一般的な性別論を整理してみて、次の論考で男女論へ考察をつなげることにしよう。

性別のパラメーター

一般的に性別は次の4つに分類されると言われている。

このサイトは、日本を代表するレインボープライドのイベントと、パレードのサイトだ。ここに企業スポンサー向けに書かれた、セクシャルマイノリティの定義が簡単にまとめられている。これが基本のキと考えて良いだろう。

中間に『性はグラデーション』という項目があるだろう。ここには性別を分解すると、次の4つに分類されることが書かれている。

  • 法律上の性別(多くは身体的性別ということが多い)

  • 性自認

  • 性的指向

  • 性表現

特に、性自認と性的表現のことを、SOGI(Sexual Orientation & Gender Identity)といい、LGBとTで全く違う話を混在させてることへの問題点として、それに代わるものとして使われている。

それぞれの意味は、TRPのサイトを見て欲しい。特に一般的に身体的性別と言われる部分を、わざわざ法律上の性別(要するに戸籍上に、医師と両親が勝手に登録した性別)と言ってることに、少し(かなり)意味がある。

実際、出産時に、染色体検査やホルモン値の検査をする産婦人科の医師はおそらくほとんどいない。外性器の『見た目』だけで決められることがほとんどだ。そのため、ごく稀に、両方あったりする場合、両親の意思で無理やりどちらかに決められていた闇歴史があった。そのことはとりあえずここまでにしよう。

わたしは、これらをさらに細かく分けたい。

性的指向は、セックスと恋愛に分けたい。だって、恋愛はしたいけど、セックスはしたくないっていう人の感覚は、今時の若い子には一般的だ。セックスに関する指向を、なんとかセクシャル。恋愛に関する指向をなんとかロマンティックということが多い。

例えば、こないだ高橋一生がNHKドラマで主演して大きな話題になった、『恋せぬ2人』の2人は、アロマンティック、アセクシャルだった。要するに、恋もしないし、セックスもしない。でもその2人が家族(仮)を作る。家族は欲しいってところがポイントだ。おい家族になりたいって指向はなんていうんだろう。周りでは、わたしもアセクシャルかもとかいうにわか当事者が増え、(仮)がブームになった。

じゃ、わたしはどうかというと、サピオロマンティックだと思う。これは知的な人が恋するっていう意味。セクシャリティはわからない、悩んでると、当事者の先輩に、人類皆パンセク(全性愛)でいいのよって言われた。性別で好きになるんじゃなくって、人を好きに成ればいいじゃない。確かにそれも一理かもしれないので、その可能性は捨てないようにしようって思ったけど、最近、全くそういうのに興味がなくなってるので、アセクシャルかもしれない。あ、わたしも流行り物に乗ってるのかも。

ちなみによくいる。二次元萌えで、三次元には興味がない人のことを、フィクトセクシュアル/フィクトロマンティックという。これはあくまでもつくられたキャラクターしか愛せないことを言うけど、テレビの中のAKB48しか好きに慣れない人も、多分このへんに近いと思う。

要するに、言いたいことは、何もセクマイって特別なことじゃなくって、みんなもそうだってことだ。誰もが何らかのロマンティックでセクシャリティを持ってる。そこにはマジョリティなんて存在しない。

社会的性別という考え方

基本的な4分類に、性表現というのがあった。要するにどのようなファッション(髪型やメイクを含む)をしているかってことだ。男装とか、女装とかってことになるのかもしれない。わたしが一番嫌いな言葉だ。

身体、自認とも女子で、表現が男子の場合、男装になるが、多分ボーイッシュな女の子で終わるだろう。しかしこれが男子が女子となると変態扱いされる可能性がある。

しかし、身体がどちらであったとしても、自認と表現が一致してるならば、それは装いではない。自分らしい服をただ着ているだけだ。ただし本人がそう思っていても、社会がそれを許すかどうかは別問題だ。

そこには社会的性別という問題があるからだ。すなわち、本人の身体や、自認や、表現は当然、指向なんて関係なく、社会からどういう性別で見られ、消費されているかということだ。

身体的女子で、自認も女子で、表現も女子、指向も男子というシス女性が、つけひげつけて、女子トイレに入ったら、多分通報される。なぜなら、ひげは男子としての記号だからだ。

海外でいうセルフID(自認だけで性を規定する考え方)にのっとり、自認が女子だからって言って、おっさんがメンズスーツで女子トイレに入るのは暴力だ。

それは、パス度という表現だけではクリアーできない問題がある。ショートカットで、ノーメイクの、パンツルックのおばさんが、なぜ女子トイレで問題にならないのか。単なるパス度ではない、女子としての雰囲気があるからだ。それは得てして、性ホルモンによるフェロモン的なものによるところが多い。

実際、女性の男性を誘惑するフェロモンは、35歳ぐらいでピークアウトして、なくなるという。しかし、女子として感知されるための別のフェロモンは出ているのではないか。もっというと、ホルモン療法を受けているトランスジェンダーも、同様のフェロモンが出ているのではないかと仮定できる。

これは、医師や研究者による実証を待たないとわからないことだけど、この現象をわたしは『雰囲気パス』と名付けてみた。男子としての雰囲気、女子としての雰囲気をなんらかの形で身につけて(若い子ならば、ホルモン療法せずにクリアーできる人も多いだろう)望む形の社会的性別として消費される。

それができた人は、ある意味見えない。俗に言う『埋没』する。見えないものはトラブルも起こらない。パウダールームで、うっかりラディカルフェミニストと、並んでも、見えないだから、通報されない。

だからセルフIDなんて馬鹿げてる。ただただそこには社会的視線があるだけだ。ただし、脱げば視線は下半身にも注がれる。そういう意味では、下半身の整理がついてないまでは、自分らしい温泉になんて入れない。いっそのことタトゥーでも入れて、それを言い訳にして入らないほうがいいだろう。

結論をまとめると、この社会では、性別とは、身体でも自認でもなく、ただただ社会的なものではないのかという事だ。もちろん出産する、させるが絡むとそれはまだ別の議論が必要なのは、自明のことだ(それは年齢による制限だってある)

整理しよう

以上を踏まえて、わたしは以下のように性別のパラーメーターを整理する。

  • 身体的性別

  • 法律的性別(戸籍上の性別)

  • 性自認(男女どちらかだけではない)

  • 恋をする性

  • セックスをしたい性

  • 関係 ポリかモノか 恋愛、性愛それぞれに

  • 性表現

  • 社会的性別

合計8つのパラメーター。男女の両端じゃなくって、Xジェンダー(ノンバイナリー)のような、中性、両性、無性、不定性ってひともいるし、ちょっと女性寄りの両性とかって言う人もいる。いやいや、この辺からこの辺全部っていう人もいるだろう。SOGIではそういうパラメーターをグラフに表して、コミュニケーションを取ることが多い。だから性はグラデーションって言われるわけだ。

当事者はもうわかってることだと思うので、無自覚に自分の性を信じてる人こそ、これらのパラメーターのどのへんに自分がいるのか考えてみてはどうだろうか。意外と自分もこのへんかもって思うかもしれない。

だから、わたしは、セクシャルマイノリティなんて嘘で、みんなセクシャルマジョリティだと思ってる。









いいなと思ったら応援しよう!