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この投稿は、”Just a Feminist”のZINEとしても公開しています。 上記サイトでは全文公開してます! いま、私たちが直面している環境問題やジェンダーの課題。その解決に必要なのは、問いを立て、それをデザインとして形にしていくことではないでしょうか。このテーマについて考え、書き進めるための構成を共有します。皆さんのご意見もぜひお聞かせください。 1. 問いが今求められている意味現代の複雑な課題(環境、ジェンダー、資本主義)に直面する中で、なぜ「問い」が重要なのか
こんにちは。今日は、わたしがずっと抱えてきた「ブスのプライド」について話してみたいと思います。 わたしは、自分のことをずっと「ブス」だと思ってきました。デブで、見た目も悪い。そんなふうに子どもの頃から感じていて、そのことが原因で仲間外れにされることも多かったです。たぶん、運動もできないわりにおしゃべりだったから、というのも理由のひとつかもしれません。 「痩せたら友達ができるかもしれない」「かわいくなったら写真に写る自分もよくなるかもしれない」——そう思いながら過ごしてきま
はじめにこのドキュメントは私的な思考実験につき、使われている表現はまだ稚拙で、ファーストバージョンなので、今後変わっていく可能性があります。ドキュメントは章立てもしてないので、期待しないでください。備忘録的なものです。 元来、職業デザイナーは市場調査の結果から、新製品開発という「キャンバス」を得たり、新製品の広告の宣伝という「キャンバス」得て、そこに絵を描くことでデザインしている。すなわち「キャンバス」はすでにそこにあるのだ。その「キャンバス」をヒアリングする場を「オリエン
「〇月〇日 区長になる女」という映画をみて、体温が上がった、なにかしたくなったけど、自分でできることは何もなかった。ああいう街に自分の街を変えるにはどうすればいいのか、調べまくってたどり着いたのは自治基本条例だった。 行政✖️デザインというシビックデザインというソーシャルデザインの一領域もあり、個人的に関心があった。 この文章は、そんな自治基本条例についての私的(詩的)テキストです。 自治基本条例とは、その自治体の決め事に、住民が参加する根拠を記載した自治体の憲法ともい
友達に読んでもらったら浅いっていわれた 自分でもそう思う。 書き直せるかな。深いなこのテーマ タイトルから書けなかった。それだけ自分の中で引っかかってること。 ネットでこんなnoteの記事を見つけた。 700以上ののいいねをつけたのは、女性だろうか、男性だろうか、内容を読む限り、ほとんどは女性だと思う。 この記事をわたしは親しい友人に共有する勇気が無かった。大体、女性差別の問題を話題に上げると2つの反応に分かれる。 わたしあんまり、女性差別って感じたことないんだよね
フェミニズムにおける「ケアの倫理」を探求していたら、どんどん輪が広がって、重要なキーワードにぶつかった。論をまとめる前に用語の整理をChatGPTを援用しながらおこなってみます。 ケアとコモン ケアとコモンの関係は、持続可能な地域社会を構築する上で重要な要素です。ミュニシパリズムとフェミナイゼーションの観点から見ると、以下のような関係が考えられます。 まず、ミュニシパリズムでは、小規模な共同体や自治体が地域の資源やニーズに基づいて共同の取り組みを行います。この取り組みに
狭義のケアというと、介護を思い浮かべるかもしれないけど、家事労働も、子育てもケアだとおもう。そしてケアは一方通行のように思われるけど、実のところは、みな誰かに依存して生きているのだから、相互関係にあると考えた方が良い。 この家族内ケア労働には、通常対価が支払われない。おそらく、ケアとは無償の愛、見返りを求めない「愛の労働」によって行われていることが期待されているからだ。 このような家庭内ケア労働は、通常、女性によって行われることが期待されている。しかしこれは歴史的には産業
団地の横に、芸術系の大学がある。 そこでは月1回ぐらいで、コンサートや舞台、映画上映会などを市民に開放してる。 今月は、「ほげますから、よろしくお願いします」だった。 87歳で認知症になった妻と、それをささえる95歳の夫のドキュメンタリー、そしてそこにはそれを記録しながら支える娘の姿があった。 ドキュメンタリー映画は大好きだし、近親者が撮影した作品もいくつか見てきたけど、テレビ制作に関わる娘による撮影は、やっぱり親子でないととれないリアリティがあって、本当に素晴らしい
今日の朝の脳活スペースに入った途端にきこえてきたこと 「自分」を好きになる方法 最初のスピーカーいきなり、自分が好きですたまらないとのこと、その原因が、いじめにあったことをつぶやく、聞きながら書いてるので、その後の展開がわからない。自分を認めた瞬間があるとか 本質的に 自分が好きな人は、実は自分のことが大嫌い 自分が嫌いな人は、実は自分のことが大好き ふと、そんなことを直感してしまった
わたしが本を買いまくるってことは、躁状態に移行したってコトを意味する。欝よりやばい、まじやばい。このままほっておくと、独り勝手にゾーンにはいってしまい、人と議論したがって、論破して嫌われるから、あまり人と会わないほうがいい。ビジネスライクな会話以外はアウトだ。 反省の意味を込めて、買ってしまった本を晒そう。 このうち何冊が読めるのだろう… 編集者でもあり、デザイナーでもあるわたしは、先輩達にこの多読症のことを相談したことがある、考えて見たら有名な作家や批評家の本棚に溢れん
自社オウンドメディアに書くために、思いついたまま書き殴ってみる。 ウェブサイトの制作費が激減してる。特に中小零細案件 いままでは通常、最低でも30万〜80万ぐらいはもらえていたウェブサイトの制作費が、5万〜15万の予算をいわれることがある。 WixのADIのような人工知能でデザインをしてくれて、ドメインと広告にこだわらなければ、無料で作れる時代。さらにクラウドソーシングによる、にわか副業Webクリエイターのディスカウントの波をしってるお客さんは、ウエブってその程度でできる
ちいさな出版社をやるってことは、自分が編集者になるということだ。いままで基本デザイナーとして関わってきて、その後、企画そのものから全責任をおうようになって、編集者とかディレクターっていわれるようになった。 とはいえ、あくまでもデジタルメディアやウェブの編集者で、紙の本の編集をしたことはない。でも、お客さんも元妻もほぼみんな紙の編集者だったので、憧れもあったし、門前の小僧なんとかで何をやってるのかはなんとなくしってた。 編集者は著者でも作家でもない。自分で書くのではなく、書
わたしたちは、圧倒的マイノリティだ。もう、マジョリティなんてどこにもいない。なにも、障害者や、セクマイや、母子家庭や介護家族だけがマイノリティなんじゃない。 子育てで悩んでる人、出産とキャリアを天秤にかけてる人、50代にして早期退職を宣告された人、いろいろあったけど、非婚という人生を選んだ人、最近夫婦の会話がない人、30代になって、まだ童貞・処女な人、SNSでしかホンネをしゃべれない人、ほら、みんな圧倒的マイノリティ。 環境問題を考えると、対前年度比で成長する社会なんて、
スキしないってことは、記事読んでないってことだよね。それでもフォローだけする人って、結局自分をフォローして欲しいだけって感じがしてちょっと苦手。 読者が増えることはいいことなので、フォローバックするんだけど、ちょっともやもや、100%フォローバックって書いてあると、結局あなたって、女なら誰でもいいんでしょ的な感じに近いものを感じてしまう。 やっぱり記事よんでくれて、共感したからスキして、今後の記事に期待する、過去記事も読んでみて、その人の価値観に共感するからフォローじゃな