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第3章 続々 笠置シヅ子は釧路に来たのか?

1.国会図書館デジタルコレクション

 1949年に笠置シヅ子が釧路で書いたとされるサインが釧路の蕎麦店に残っている。東かがわ市歴史民俗資料館によると、この年に笠置シヅ子が北海道で公演した記録はないという。しかし、北海道新聞で笠置シヅ子の足取りを追うと、小樽、札幌、旭川、函館で公演したことが分かった。ただ、釧路に来た証拠は見つからない。そこで、ほかの年の可能性をさぐってみたい。
 国会図書館デジタルコレクションの全文検索機能が拡充され、調べ物が飛躍的に便利になった。ただ、その調べ方にもいくつかコツがある。「笠置シヅ子」で検索すると1906件、「笠置シズ子」で検索すると2182件がヒットする。そのひとつひとつを確認するのは現実的ではない。このなかから釧路や北海道に関わる出版物を見つけたい。そこで、出版地に「釧路」と入れてみる。すると、やまだのぼる『竹老園物語』(1984年)がヒットする。これは、サインが残されている蕎麦店の歴史を書いた本だ。1949年に笠置シヅ子と織井茂子が来店してサインを残したとある。『釧路叢書 第25巻』(1987年)や『釧路叢書 第27巻』(1990年)もヒットする。こちらには、十條製紙の娯楽場に笠置シヅ子が来たとあるが、年は書いていない。国会図書館デジタルコレクションの検索範囲内では、笠置シヅ子が載っている釧路の出版物はこれだけである。
 つぎに、出版地を「北海道」と入れてみる。奔別(ぽんべつ)炭砿労働組合の『組合十年史』がヒットした。1948年7月10日、11日に火災復興祭が開かれ、屋外演舞場に笠置シヅ子一行を迎えたとある。この記述を信じると、1949年ばかりでなく、その前年にも笠置シヅ子は北海道に来ていたようだ。
 

2.1948年の笠置シヅ子

 1948年に笠置シヅ子が北海道に来たのなら、奔別炭砿に行っただけではあるまい。その前後には、札幌や函館で公演したにちがいない。釧路にも来ているかもしれない。道新のバックナンバーを追ってみることにした。
 まず、札幌市図書・情報館で、「パソコンでよむ北海道新聞」の1948年分を「笠置」「シヅ子」「シズ子」などと検索してみる。しかし、笠置シヅ子関係の記事はひとつもヒットしない。OCR検索は必ずヒットするとは限らない。7月の紙面を1枚ずつ確認してみる。すると、7月5日付の紙面に笠置シヅ子の名があった。「遂に登場 映画にレコードに放送に最高の人気の笠置シヅ子 五日より乞御期待 電気館」。小樽の映画館が出した広告である。

1948年7月5日付北海道新聞札幌版

 1948年にも笠置シヅ子は北海道に来ていたのだ。8日付には「豪華日本一軽音楽大会 灰田勝彦 ベティ稲田 笠置シヅ子 ディックミネ 前売発売中 13日より東宝」という広告が出ている。こちらは札幌だ。13日から17日までの5日間連続公演である。また、10日付の紙面には「謝奔別礦復興」という広告も見える。会社と労働組合の連名で、奔別鉱業所が大火災から復興したことに謝辞を述べている。残念ながら、笠置シヅ子の名はみえないが、この日に復興祭があったことは確かめられた。10日、11日、12日、15日、16日、17日の広告欄にも、笠置シヅ子らの公演が登場する。

1948年7月10日付北海道新聞札幌版 「謝奔別炭鉱復興」の下に笠置シヅ子

 さらに、14日付の一般記事にも笠置シヅ子が取り上げられている。「この行列二百万円成 東宝とりまき心ウキウキ」と見出しが踊り、「この行列決してお米の配給ではありません。これはスイングの女王笠置シヅ子一行の歌をきこうと心もウキウキ、きのう札幌東宝をとりまいた大行列」と書く。昼夜3回興行に集まった人数は、第1回2500人、第2回2500人、第3回3400人だったという。写真は不鮮明だが、大行列ができていたことは分かる。笠置シヅ子の人気は大きかったのだ。

1948年7月14日付北海道新聞札幌版

 札幌市図書・情報館で閲覧できるのは札幌版だけだが、1948年もGHQによる検閲が行われていたため、道立図書館に行けば、プランゲ文庫で地方版を見ることができる。釧路版のマイクロフィルムを出してもらって、繰っていく。6月の広告欄には、「憧れのハワイ航路」の岡晴夫、「あゝそれなのに」の美ち奴、浪曲の宮川左近らの公演が載っている。有名芸能人ばかりだ。当時の釧路の力が分かる(宮川左近は漫才師になる前である)。7月に笠置シヅ子の名があるかもしれない。期待が高まる。ところが、いつのまにか画面は8月の紙面になっている。変に思って、マイクロフィルムを巻き戻してみる。なんと、7月の紙面が欠落している。これはショックだ。

 しょうがない。函館版を見てみよう。7月24日付に笠置シヅ子公演の広告が載っている。「全世界を風靡するヴギウギの女王来る こんな素晴らしい機会は二度とない 27日と決定 公劇」とある。1949年に公演した「公楽映画劇場」に前年も来ていたのだ。25日、26日、27日、30日にも広告が出ている。1日3回公演を27日から30日まで4日間連続でこなしている。

1948年7月27日付北海道新聞函館版 


3.釧路には来たのか?

 1948年の笠置シヅ子の足取りは以下の通りである。
 7月5日~最終日不明…小樽電気館で公演。
 7月10日か11日…奔別炭鉱(三笠市)の火災復興祭。
 7月13日~17日…札幌東宝で公演。
 7月27日~30日…函館公劇で公演。
 この年は、7月のほとんどを北海道で過ごしたようだが、その足取りの全貌は掴めていない。釧路市図書館の所蔵新聞一覧を見ると、1948年7月の道新釧路版を所蔵しているらしい。笠置シヅ子が釧路に来たのなら、18日から26日の可能性がもっとも高い。レファレンスサービスに紙面の確認を依頼した。結果を待つ。
 

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