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人生アーカイブス~ケイさんの場合④~

ケイさん編ラストは、大学卒業~現在まで。

病気に関わる話など、ディープな話を聞く事ができ、これまでとは少し毛色の違った内容となりました。

イケてるピーポー達にびっくり(笑)

ー大学の時の話とか、もうちょっと聞いてもいいですかね

劣等感がすごかった。田舎の出身だからっていう劣等感ではなくて、なんていうか・・・みんな、知識人に見えた。わかる?

ーまあその感覚は分からないでもない

ルックスのいい人もいっぱいいるじゃん。で、下世話な話だけど、やっぱ彼女とかいたりするわけじゃん。いいなあとか思ったりね(笑)。後は、人が多すぎるってのはいやだったけどね。

ー何か一つの事件があってではなくて、学生生活を通して抱いた感情って感じ?

そうね。5年間ね(笑)。いまだにあるよ、それは。(同期の間での性の話題について)オープンさにもびっくりするけど、一段階レベルの上がった話をするじゃん。エッチの話。劣等感だよね。

―そんな神レベルの話を(笑)

神の領域の話を普通にする人達、イケてるピーポー達にびっくり(笑)

ー想像力豊かだよね。(都会も田舎も)考える所は変わらないと思うけど。1年生の時なんて、みんな尖ってたじゃないですか(笑)

あれ、何だ?通過儀礼?一種のマウントの取り合いなのかな?

あと、東京にいるだけで、なんか成長した気になってた。東京って首都じゃん。ニュースとかで「東京は~」とかって流れると、「俺今東京にいるぜ!」「あ、知ってる知ってる」みたいな(笑)

ー上京した事で、自分がランクアップしたと

そうそう。勝手に大人になったと思ってた。今考えたら恥ずかしい

ーそういう事の繰り返しなのかもね。50才くらいになったら、30代の時にこんなバカみたいなこと言ってたなあとか

とち狂った事しようと思ってしてるわけじゃなくて、とち狂った事をしてしまってるんだよな。

ー20代とかは、よりその傾向が強いかもね

なんであんなに酒飲んでたんだろう?もうあんなに飲めないよ。お酒強いって思ってたの。酒豪って本当にいるんだね。
モスコミュールばっかり飲んでた時期があってさ。一人で十何杯も飲んで、それだけでお代が4000円くらいになって同期にキレられた。ごめんなさいって。モスコミュールって言いたかったのって(笑)

(1年生は)最初やっぱり知ってる人で固まるじゃん。俺は、夕刊配達があったから学校にいない事が多くて、(自分に関しては学科内で)謎の人物だったらしいんだけど。
「あいつ同じ学科?話しかけてこいよ」ってけしかけるやつもいて、授業終わってから「ちょっとちょっと。同じ学科?」て言われて。怖かったもん。絶対、殺られると思ったもん(笑)。

今でも覚えてるのが・・・、携帯番号交換した時に、「仕事」とか「友達」とか分類を分けてたんだけど、「その他」でいい?って言われて、友達でお願いしますと(笑)。今から考えたらイジりなんだけど。

ー「お前、その他でいいでしょ」みたいな(笑)

あと、最初、(新入生の交流企画として)バレーとか走ったりしたよね?で、「はっきり言うけど、体型からして、走るの遅いだろ」って言われて(笑)。遅いって答えて。目立ちたくないし、いじめられたくないし。
実は動けるんだけどな俺、って思いながら見てた。

ーひどい(笑)

俺、(同じ学科で飲みに行ったりは)意外と少ないんだよ。拡張(新聞配達の戸別勧誘)があったからね。

東京がホームタウンとは言わない

俺ね、(やる事を)何か与えられてた方が楽な気がする。

ー完全に自由より?

飼いならされたいの。楽なの、思考停止してる方が(笑)色々考えちゃうじゃん

ー学校から家までが、一番遠かったんじゃない?

そうだよ~、よくやってたよ。その時まじめだったもん。本読んでたもん。気持ち悪い。イキってたのよ。ほんとはジャンプ読みたいのに(笑)
難しい本を読むという行為に、酔ってた所はあるよね。
高校出て東京来たら、イキるしかなくない?イキらない以外にどうやって生きていけばいいの?(笑)
田舎から出てきて劣等感丸出しの人からしたら、(東京で)自然体で生きるのって無理じゃない?

言い過ぎたけど、別に東京へ慣れようとは思わない。あと、意外とどこにも行ってない。東京ドームにも行ってないし、行った事ないところいっぱいある。20年間住んでんのよ?
・・・だから、ポジティブに捉えると、まだまだ楽しめるポイントはいっぱいある。

やっぱり、”(東京に)出てきた”っていう感覚は、どこかちょっと残ってるってことなのかな?

そうそう。残ってる。東京がホームタウンとは言わない。(地元にいた時は)必ず誰かしら人がいる状態で暮らしてたわけじゃん。高校も寮、大学入ってからもしばらくは寮。で一人暮らしなのが、面白いっていうか不思議。一人でも暮らしていけるんだなあってって思った。一人はやだなあとも思う。でも人がいるのもいやだなあって思う。

ー地方から出てきた人って、選択が出てくると思うんだよね。(卒業後に)地元へ戻るか、留まるか。

俺はね、単刀直入に言うと、戻って先生をやるつもりだったんだよ。で、色々あって卒業しましたと。やっぱり頭のどこかでは、教員試験受けないとなあ、とかいろいろ思って。色々バイトを転々として、さあっていう時にパニック障害・うつ病になって。(地元に)もどるっていう選択肢が消えちゃった・戻れなくなったんだよね。戻ればいいじゃんって簡単に言う人もいるけど、帰れねえっつうの、という話なわけ。

たらればの話になってしまうけど、あの時にあの電車に乗ってなければ、(パニック障害の発作が起きなくて)どうなってたのかなとか考える時もあるけど、もう戻れないじゃん。東京で楽しい思いもいっぱいしてるし、きついなと思う所もいっぱいあるんだけど・・。

祖母とよく電話をするんだけど。やっぱり祖母が言うには、「東京へ行ったのは間違いだったね」ってよく言われるの。はっきり言う人だから。
変えられないし、しょうがないって思う事の方が多いけど、
あの時、数学と理科をちゃんとしていたら、そしたら鹿児島大に行ってとか、ひしひしと今感じる事がある。

ばあちゃんからは、未だにもっと近くにいればいいのにってよく言われるのよ。そうだと思う。たまたま東京だっただけで、鹿児島だろうが北海道だろうが沖縄だろうが同じようになってたのかもしれない。
ただ、遠すぎると祖母はおっしゃる。しょうがなくね?て言ってるけど。

人の死について考える事がよくあるんだけど。死ってさじょじょに来るものっていう考えがあるじゃない?今の医療技術を考えると、延命もあるし。
病院で、衰弱していって(亡くなる)っていうのがあると思うんだけど、
私は違うのね。私が経験したものによると、やっぱり突然なんだよね。
当たり前だけど。ポンって亡くなるもんだって思ってるから。

ーお父さんの事は大きいのかな?

だと思う。だから、出来る事・やりたい事・話しておきたい事・会いたい人とかには、なるべく早く早く(行動)した方がいいんだと思ってる。

なんだかんだで10年経ってるんだけど、早く顔を見せに帰らないとなあとは未だに思う。ばあちゃんとか、母ちゃんとか・・・本当に明日は分からないからね。

ーそれは帰省じゃなくて、地元に戻るってこと?

本当に戻るのが目的だけど、それまでに1回帰るってこと。顔を見せる。
今の目標はそれ。

分かってんだよ。人から見れば、「帰ればいいじゃん」てなるわけよ。
たった2~3時間の我慢じゃんとかさ。・・・それができたら俺はいないよって。10年間もここにいないぜ?ってなるわけ

これは分かる人は分かるし、分からない人は分からないだろうけど、
出来ないものはできないの。やっぱり怖いの。密室空間とか。リスクがあまりにも高いの、俺にとっては。甘えだという人もいるけど。そういう時は、ちょっと人を呪ったりするけどね。
代われや、一回この生き地獄を味わってみろやって思う時がある。(発作など)減ってきたけどね。(気安く言う人に対して)といっても、そちらにはそちらの生活もあるしねって寛大になった部分もあるかもしれない。それは怒りかもしれないし、嘆きかもしれないし、分かんないけど。人に対してあまり益にならない考えをしてしまう事は多々あったし、これからもあるでしょうが、言ってもしょうがないけどね。
・・・(自分の苦しみは)代われんからね。

ーこれは別に正解を出すインタビューじゃなくて、ケイさんがどう思ってるのか聞きたいだけなので。
ある日突然終わりは来るかもしれないから、やりたい事とかはやっておこうというのがケイさんのスタンスであると。

スタンスはね。自分は棚に上げるけど、人には強く勧める(笑)

ーじゃあすぐに実行できるかは置いといても、今やりたい事ってのはなんなんですかね

やっぱり、1回は帰省したいよ。それが今一番やりたい。
顔を見せて、元気よって。10何年も、顔見て言ってないからね。でもまあ、まだ恵まれてる方よね。無作為に生きてるわけじゃないからね。一度顔を見せるという生きる目標っちゅうのもあるから、前を見て歩けてるのかな?とは思う。

ー突っ込んだ話をすると、(地元に)戻れない理由っていうのが、あやふやなのかなあとは思う。要因の一つとして、病気もあって、長時間狭い所にいられないっていうのもあるけど、何がクリアされたら行動に移せるのかな。
病気なら、例えばお薬とかでいい方向に行くかもしれない。
でも、それ以外にもなかなか行動に移せない要因はあるわけでしょ

(沈黙)
・・・・怖いんだと思う。
戻りたい反面怖いんだよ。なんでかっていうと、(自分と親はお互いに)顔も見てないじゃん。
10年間時間が流れて、自分は毎日自分の顔を見て、あまり変わってないように見えるんだけど、10年見てなかった親の顔、祖母の顔を直視する勇気がないんだと思う。そこで、自分が過ごしてきた10年ていう重みがものすごい目に見える形で突きつけられるんだと思うのよ。

その重みを受け止めるだけの勇気がないんだと思う。(電話で)話はするよ、声は変わらないよ?でもその10年ていう蓄積が受け止められないと思う。
マジかってなると思う。気持ちで言えば浦島太郎みたいなもんよ。怖くてしょうがないんだと思う。

現実逃避してると思うんだよ、今現在。でも帰って(親と)会うってことは、現実を突きつけられるんだよ。その時に、10何年間の自分がしてきたことを顧みると、何にもない気がするし、(親の顔を見て)どれだけの苦労をして、生きてきたんだろうってのも垣間見るでしょ?

これは予想だけど、(自分は)帰ったら自責の念に駆られると思うんだよ。駆られないといけないとも思う。受け止めないといけないんだろうけど、まだ受け止められない。あくまで俺視点だけど、あっち(親)が気にしないでいいって言ってもそれは無理な話だし。

そこで、また他の人と比べてしまうし。例えば、子供出来て孫なんか見せている人もいるし。妹とか、ちゃんと結婚もして孫なんか見せて・・・。
時間が欲しいって言って10何年経ってるから、逃げ続けてるような気もするけどね。

ーこの10何年間はあなたにとってどうだったんだろうね

もっと行動を起こせた事もいっぱいあるだろうと思う事もあるし、甘やかした視点かもしれないけど、よく10何年も耐えてるよねっていうのもある。
(気持ちが)両方に振れる時がある。
「もういいんじゃない?」って思う時、危ない時がある。
「死んでもいいんじゃない?もう苦しまなきゃいいじゃん」って思う時もある。

それが自殺なのか病気なのかは知らない。
このまま、死んでしまったとしてもしょうがないと。
そういう生活をしてきたお前が悪いんだよと思って、やけになる時もあるけど、(ここで死んでしまって)迷惑かけたくないっていうわがままもあるわけ。大変だよそりゃ。親がここまで骨ひろいに来て、色々後始末もさせて・・・。それはさせたくないと。

だったらもう家を空っぽにしてどっかでのたれ死んだ方がいいんじゃないかと思う時もあるけど、そんな行動力もないし。自暴自棄になる時はそんな時もあるよ。「もういいよ」って。アホな奴がいたんですね~って忘れられてもいいんじゃないかって。そういう時も多々ありますよ。ポジティブだったりネガティブだったり、揺れ動きますよ。
まあ、(ネガティブに触れる事は)だいぶ少なくなったと思うけど。

未だに思うよね、「もういいよ」って。そんな生活です。どう転ぶかは分からん、これは。目的がはっきりしてるのがせめてもの救いかなとは思う。

絶賛揺れ動き中って事かな

そうですね

(終)

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