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人生アーカイブス~ケイさんの場合①~

1発目となるケイさんは、私の長年の友人。まずは実験台としてインタビューさせて頂きました。そこそこ付き合いは長いのですが、知らない話もたくさんあり、これこそ”人に歴史あり”を地でいく感じでありました。

それではどうぞ!

ああ、違う不幸なんだなってなんか思った

ーそれでは、出身地と生年月日をお願いします。

出身は鹿児島県、昭和57年7月1日、今年で38才です。O型。

ーO型。なぜそこを主張したのか分からないですけど(笑)
・・・じゃあ、ケイさんの一番古い思い出はなんですか?
小さい頃から順を追っていけば、その人が分かりやすいと思うので。

多分、2歳か3歳くらいの時に、母ちゃんにね、「お母さんは白いドレスに、白い靴が似合うと思う」って言ったのを覚えてる。

なぜか。で、お互いにすげえ笑ってた様な気がする、っていうのが一番古い思い出。

ー面白いね。その前後は覚えてないの?
前後によって(内容が)大分変わってきますよね。

覚えてない。
そのセリフを言ったのは覚えてる。はっきりと。
言った後、抱っこされた様な記憶がある。
それが一番古い記憶。

ーその時の、周りの様子は覚えてますか?

えっとね、食事前だった。
で、母ちゃんはたしか台所に居たはず。(その場に)二人しかいなかった。
でもそれは覚えてるんだよね・・・。
なんでだろう?

ー不思議な記憶だね。
じゃあ、家族の事にふれたんで、家族構成を教えてください。

えー、三人兄妹で兄と妹がいて、父親は俺が小学校低学年の時に事故で亡くなって、今現在、母は再婚して、地元暮らし。
兄貴は、母親の近くに暮らしてて、妹は沖縄。今、4人子供がいるのかな?

ー家族仲はどうでしたかね?

悪くなかったですよ。

じゃあ、わりとよく話とかはしていた?

してたしてた。
あと、他の家庭に比べてみたら、多分俺は(家族と)しゃべっていた。あけすけにしゃべってしまう。

あと、おばあちゃん子だった。
反抗期もあったと思うけど、友達とかと比べると、家族へのスキンシップとかコミュニケーションは非常に多かったと思う。
反抗期とかでも、家族とは(自分から)話をしてた。

母親が女手一つで育ててくれたけど、小さなコミュニティで、周りが助けてくれた部分もあったから、別に辛い思い出とかは全くなかったね。
お父さんが亡くなってからも。

ーそれは幸せな事だよね

そうね。

ーじゃあ、悲しい記憶っていうのはありますかね?

悲しい記憶っていうのは、ウチの親父が、アル中だったのよ。
で、お酒飲んで暴れるから、母親と三人かな?妹もいたかな?
時間をつぶすために、学校の校庭に行ったような記憶があるな。
散歩みたいな感じだけど、結構長い時間。
父親が眠るまで待つみたいな感じ

ーお父さんは家において?

そうそう。
あと、父親が亡くなった時っちゅうのも、辛かった。
・・・亡くなった人っちゅうのは冷たいのな。
本っ当に冷たい・・・。
そう、すごい触った時を覚えてる。びっくりしたね。

ーお父さんが亡くなった時の事で、もうちょっと覚えてる事はあります?

触って冷たかった事と・・・どうかな・・・。
事故現場っていうかね、要は溺死だったんだけど、醜い姿でもなかったし、普通に生きてるみたいな姿だったんだけど、それで冷たかったっていうのと・・・。

後、母方のばあちゃんは、(事故の)連絡を聞いて、てっきり自分の娘が亡くなったと思ったんだと。

それを聞いた時に、なんか・・・なんて言うんだろう・・・変な感じがした。何を感じたんだろう?

びっくりしたっていうのを聞いて、なんて言えばいいか分からないんだけど、変な感じがした。

・・・あれ?自分の娘じゃなかったらよかったのかな?
そりゃよかったんだけど・・・不幸は不幸なんだけど、まだ、なんちゅうの?不幸の中でも、違う不幸だった・・・
多分、(亡くなったのが)自分の娘だったらすごい不幸なんだけど、それじゃなかったから、まだ救われてる部分も、もしかしたらあったのかなって思ったのかもしれない

ーそう感じさせる発言とかあったんですかね?雰囲気?

小さかったからはっきり覚えてないけど、
でもなんか、ああ、違う不幸なんだなってなんか思った。

今考えればそれは分かる気もする。今考えればよ。

多分、(自分も)そう思うかも。普通に。

ー否定はできないね

でもその時感じた、なんちゅうの、違和感?は覚えてるね。

ー話はちょっとずれるんですけども、さっき言った、おばあちゃん子っていうのは、今出てきた母方のおばあちゃん?

ちがう。それは亡くなった父方のおばあちゃん。
今も週1で連絡を取ってる。

母方のおばあちゃんと、その後連絡は取ってるの?

(お父さんが亡くなった)その後ね、母方のおじいちゃんが亡くなるんだよ。病院で亡くなったけど、長くはないだろうっていうのは聞いてたから。
そのあとすぐ、母方のおばあちゃんが脳出血で入院して。老人ホームへ入ったんだね。
んで、(自分が)東京へ出てから22、3の時かな?亡くなったんだよ。
でも俺はその時にね、帰らなかったんだよ、なぜか。
別にそれはしこりがあったからとかそんなのではなく、変な話、親父の死も見てるし、おじいちゃんの死も知ってるし、淡泊になってるというか・・・、聞いてたからね。

んで帰らなかった。

でも、不思議に、父方のじいちゃんが亡くなった時は帰ったのよ。
急だったんだけど。
入院してたっていうのは聞いてたんだけど、医者もわかんないくらい急に容体が変わって、亡くなったっていう話を聞いて。
で、帰って・・・。

不思議なもんでね、死というものに慣れてるっていったら変だけど、
他の人よりは、経験してるだろうと思ってたんだけど・・・。
なんて言ったらいいのかな・・・。

火葬場に行くでしょ?
骨になった時に、めっちゃ泣いた。

ーそれまでは泣かなかったの?

まあ泣きはしたけど、はらはらと、「あー、亡くなったんだ」っちゅう感じだったんだけど、骨になったのを見て、なんかものすごく泣いた。
それを今思い出した。
なんなんだろうね、・・・いまだに分かんない。

ー20代になって、受け止め方も違うだろうし、初めての死と、経験を経たうえでの死はまた違うのかもね

すんごい泣いたなあっていうのは、今考えたら思ったね。

②へ続く



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