【映画感想】浅田家!
「家族写真」を撮りたくなる、しんみりとしたいい映画だった。
子どもが赤ん坊の頃は毎日成長が目覚ましく、その全てを写真に収めたいと必死で写真を撮ったものだけれど、徐々に写真を撮ることは「非日常」になっていく。
「特別な日」にだけ撮るもの。
旅行や、行事ごとにそれを写真で切り取ろうと、撮るもの。
けれど、今の日常で、おでかけすることも少なくなり、写真をめっきり撮らなくなった。
我が家では毎年、年末に次の年のカレンダーをその年の一月から十二月までの思い出の写真を並べて、作成するのだけれど、去年写真を作る時、あまりの写真の少なさのために、何ヶ月か行事ごとが被って作成していた。
今年はおそらくもっと少ないだろう。
この映画を観ていたら、もっと「家族写真」を撮らなくちゃ…という気持ちになる。
夫は写真の腕のわりにたいそうなCanonの一眼レフを持っているが、望遠も巨大で大変重い。
スマホカメラの性能が日に日によくなっていき、活躍の場も少なくなっている一眼レフ。
子どもたちの運動会では「あなたどこの写真館の方?」というぐらい、保護者席をかき分けて最前列で写真を撮り、「目線、こっちお願いしまーす」「はい、撮るよー」と大声を張り上げている。申し訳ないので、一緒に撮ったお友達の写真は現像してお渡ししたりしていた。
でも、お父さんたちはどこの家も必死だ。子どもの姿を映そうと、記録に残そうと、この瞬間が少しでも永遠になるように、と願いをこめて撮った写真がきっと世界中にある。
この姿もまた、子どもたちの記憶に焼きつく風景となるのだろう。
そして、お父さんだけじゃなく、母親だってそうだ。
一日一日、今が永遠に続けばいいのに、と願う。
不意に子どもの目線の高さを感じて、「ああ、今がこの子の一番幼いときだ」と思う。明日はまたこの子は成長し、違う顔を見せている。
本当は一分一秒も目を離したくない。
ずっとついて回りたい。
でも自分だってやることもあるし、やりたいこともあるし、というか現実的についてまわっちゃいけないし…
だから、抱え切れないほどのたくさんの家族写真を撮っておきたい。
毎年、選び切れないほどの写真を撮っておきたい。
この「浅田家」の中では家族写真を、自ら「非日常」に作り上げ、「特別」にして、切り取っている。再現だったり、作ったりしながら。
ああ、そうか「特別」を待たずに作ればいいのか。
それが、何年経っても消えないその人たちだけの思い出となるのか。
何気ない日常もそこに含まれるのだから。
今日、ここで感じたことをきちんと覚えておこう。
今年のカレンダーには家族写真を入れるのもいいかもしれない。
旅行で撮ったものじゃなくても、
行事が何もなくても、
家の前で家族写真を撮ったって別にいい。
今度実家に帰ったら、実家でも家族写真を撮ろう。