Minami maru
これまで出会ってきた生き物たちの図鑑です^ ^ 小さい頃を思い出せます
恋人でも親友でも、別れたり 会わなくなっても その人と一緒にいたから得た思考とか 好きな音楽とか 自分の中に価値観として残るものが沢山あって。 一緒に人生を歩むことはできなくなっても、それまでの時間が全て消えるのではなく、むしろ目に見えない形として自分の一部になっている。今この思考・音楽や映画などの好みが 色んな人達との思い出が絡まりあって作りあげられたものだと思うと それはとても幸せなことだ。 そしてそれは私だけじゃなくきっと彼・彼女達の中にもいずれかの形で残っている。 そ
お酒を飲むのが好き、というよりは酔っぱらうのが好きなのだけれど、なぜ好きなのかを考えていた。 お酒を飲んで美味しいかなんてよく分からないけれど、なぜ飲むのかを考えていた。 酔うと楽しくなって、普段話さないような踏み込んだ話をつい聞いてしまったり、聞かれたりするのが、お互いをより深く知ることのできるその時間がとても嬉しくて、幸せで、大切に思っているからだった。 けれど、一番は、一緒に飲んでいる相手の好きなところや尊敬してるところとか、恥ずかしくって照れくさくて普段言えない
来年還暦を迎える母は最近てっぺんハゲに悩まされている。今日は三個目の分身を鏡の前で試している。今までの分身二つは3000円くらいだったらしいが、今回の分身は奮発して3万9850円も出したらしい。 カツラの威力は割とすごくて、遠くから見ると全然分からない。ちなみに、母はカツラをカツラと呼ばず分身と呼んでいる。カツラと言ったら分身と言いなさいと言われるので注意して欲しい。 今日は3万9850円の新しい分身のお披露目会をした。今回の分身は今までと違い、サイドの髪と後ろ髪が付いて
身近にあるものや人から飽くこともあると思うけれど 身近にないものや人からこそ飽くこともあると思う みなみ まる
自然を足の甲に感じながら あの子は 波にさらわれたのではなく 波に抱きしめられたのだと気がついた 抱きしめられた時 きっとまだ見えぬオリオン座を探し 浮かび 漂い 空を眺めていた 苦しくなって初めて 波に包まれていることに気がつくんだ みなみ まる
季節によって移り変わるお花 始まりがあり 終わりがあるから とても美しいのかもしれない 一つ一つが自分を生きているから 人は惹かれるのかもしれない きっと私たち人間も そうなんだと思いたい みなみ まる
小学生の頃私の住んでいた所は住宅街で、駅に行くのにバスに乗らなくちゃならなかったし、家から歩いてコンビニやスーパーに行った記憶も無い。今ならきっと不便だと感じるが、当時は幼かったのでそう感じたことは一度もなかった。むしろ、そういったものの代わりに公園や畑、川が沢山あり自然に囲まれた場所を楽しんでいた。 学校帰りには友達と道端に咲いているツツジを摘んで吸い、「これ美味しいアタリだ」と三時のおやつ代わりに味わっていた。そんな緑の多いところだったので自然と蝶や昆虫などが集まってく
「なつやすみなんだからそとにでなさい」 って大人はいう けれど わたしはいえでイヌとひるねをするのがすき アイスみたいなへやでほんをよむのがすき たまにことばをかいてみたりするのがすき カーテンがかぜにゆられるのをねころんでみるのがすき たまに たまに そとにでかけて ひかげがたくさんあるみちをみつけるのがすき ひさしぶりにともだちのかおをみるのがすき むしのいっしょうけんめいいきるこえがすき たいようのした ぼうっといまをかんじることがすき たまにわれそうにな
私は小さい頃から生き物が好きな子だった。よく捕まえていたのはどこにでも歩いているダンゴムシ。 透明のビンの中に捕まえてきたダンゴムシを入れて、彼らのご飯に葉っぱも一緒に入れてあげた。蓋をしないと逃げられてしまって、家のあちこちダンゴムシ状態になってしまうので、上からラップをし、輪ゴムで留め、息ができるように爪楊枝でポツポツ穴を開けてあげた。数日もすればダンゴムシたちのお家は黒くて小さなウンチだらけで、こんな小さな生き物もちゃんとウンチが出るんだと覗いていた。 そんな風に可
夢 それはいつの間にか忘れてしまうもの 幼稚園生の頃、ぼくは何になりたかった 小学生 中学生 高校生 ぼくは何になりたかった 夢 それはいつの間にか隠してしまうもの ぼく、動物園の飼育員さんをやってみたい ぼくがこんな夢を語っても夢の見過ぎと言われるだろう 夢 それはいつもドキドキするもの 鼓動が聞こえる 血が体を巡っている 時に苦しくても諦めたくない ぼくは動物園の飼育員さんになりたかった ぼくはお花屋さんになりたかった ぼくは早く大人になりたかった ぼくは生物
お気に入りの場所を見つけた 学校の校門を潜って 左奥にある図書館 その図書館、のとある席 長い階段を上がって右に出るとパソコンが並んでおり、それを無視して真っ直ぐに進むと辿り着く 座ると、窓ガラスが真正面に並び そこから光と木々が揺れているのが窺える 机まで漏れ出た淡い光は 秋めいた今の季節だとほんのり暖かくて心地良い 人気がないのか なぜかいつもその周りだけあまり人がいない 窓に向かって座ると、本当に私しか存在しないみたいで 月曜日の昼休み お昼ご飯を食べ終えた私は
晴れた日の午前中 道路の傍らに現れた 小さな靴 お母さんが洗ったピカピカの青は 顔を上げなくても空を思い起こす 公園で泥団子を作って ブランコに シーソー 滑り台 私の知らない昨日の記憶は この靴が教えてくれる みなみ まる
悲しさ、それは一種の快楽なのだ 人はどんな時に悲しいと感じるのか 好きな人にフラれた時 おばあちゃんが亡くなった時 両親が離婚することになった時 地元を離れる時 悲しい そう思うのは、確かに喜びが此処にあったということで、もう私の手の中には無くても、無くなってしまっても、触れていたということで、悲しいと思う事があるというのは幸せであるという事なのかもしれない、ということ
あなたと過ごす毎日は平凡で特別で 時を重ねるほど輝きを増す 明日も明後日も大切さは変わらない 産まれ育った場所はどんなところだった あなたのお母さんは今、幸せかな 誰でも飼えて簡単に手放せて それってどうなのかな 世界に疑問を持つようになったきっかけもあなた 色んなことを教えてくれた あなたが見る世界は小さな喜びに満ちている あなたとだからこそ感じる幸せ 言葉がなくてもきっと伝わっているよ 私の帰りを待つひとがいる 安心できる場所である 必ず帰る 待っていてね どんな不
ずっと知りたかったこの感情の名前を、今見つけた気がした。この本でいう聖域は、私の言葉に変えるとオアシスだ。きっと大抵の人には理解してもらえないけれど、それでいい。 泣きたくなるような暖かさを、自分一人だけがそう思っていたとしても。
卒業証書を持つ先輩の袴姿が写った写真。 私も着実にその時が近づいてきていてるのだと ようやく実感した途端、焦りが出てきた。 「今何してる?空いてたら今日会いたい」 が簡単に言えなくなってしまう。 大切な人たちと少し遠くなる寂しさ。 その時、残りの時間を過ごしたいと浮かぶ数人が とても大切なことに気づく 再確認する もう二度と忘れかけることのないように。 これからどれだけの日々を一緒に過ごせるかな。 太陽を避けて木陰の下を あの子の元に会いに歩く。