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孤独との境界が、日に日に曖昧になっていく気がする。
ひとりでも大丈夫だな、楽しいな、と思うことに、ああどうしよう、困るんじゃないかな、と思うのは、
年々分かち合える人の「数」が狭くなっていくからだと思う。
2020年、コロナ禍に入ったのをいいことに、私は社交のようなものをここ数年でだいぶ、捨てた。
それまで引き起こしてきたちぐはぐなもの……他人から自分への過度な期待とのズレ、自己受容力のなさ、関われば関わるほど下がっていくだけの何かは、大体が他人に良い顔しようと無理をしてしまう性格が起因していて、「愛想をよく見せること」をやめたらいくぶんか楽になったと思う。
そうすると必然と出会いとか、初めまして、みたいなものとか、偶然とかもどんどん減っていったわけだけど、
寂しい、というよりは、手のひらにやっと大事にできる範囲のものが載っかっていた1年だったな、と思う。
心許せる人とか、気の置けない友人とか、がんばりたい仕事とか、大切にしたい相手とか、そういうものが、溢れるかな、溢れないかな、くらいでぴん、と両てのひらにやっと納められた一年だったと思う。
私の手のひらは小さい。
器用な性格でもないし、自分で毎日まいにちいっぱいいっぱいだから、大切にできるものの総量がとっても少ない。
自分のことでいっぱいいっぱいだから、
毎日孤独との距離がぐんぐんと近づいていて
そして別にそれがそんなに嫌でもない1年だったなあ、と思う。
なんなら、「今しか自分のことでいっぱいいっぱいになれないんじゃないかな」とすら思う。
生活を一緒にしたいな、一緒に生きていきたいな、と思う人と出会うこととか、
自分の何かを差し出すことになるようなものごととかもなく生きているわけだから、
なんだか今はそれを満喫してもいいのかな…
と思う、反面
えっ、それでいいんだっけ、とも思う。
生きていくこととはきっと、両てのひらに溢れていた自由を一つずつ、自分以外の誰かや何かに差し出し、無限にある選択肢を一つずつ減らしていくことなのだと思う。
差し出したり減らしたりすることもなく、ただ自分のことにいっぱいいっぱいになっていて、29歳、いいのだろうか。
だめな気はする。
する。けど、でも、一旦は。
今年はこの習い事したいな、とか、これ学びたいな、とかを広げていきたいな。
いつか大切にしたいものが増えたとき、めいいっぱい大切にできるように、まずは自分にできることをいっぱいいっぱいやってみようかな。
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