異物として外つ国でふと考えた

今日はノートルダム大聖堂を見に行ってきました。昨日、友人から「ヨーロッパの人は朝が弱いから、早く行けば予約なしでも大丈夫だよ」と教えてもらい、その言葉を信じて、ぎゅうぎゅうに混み合ったB線の電車に乗りました。

日本の満員電車の感覚で、「まだもう少し入れるかな」と思って乗り込んだのですが、隣に立っていた女性が私に向かって、少しきつい口調で何かを話してきたんです。最初は「もしかして、ここはこれ以上乗っちゃいけない場所だったのかな?」と思ったのですが、周りの人たちは特に私のことを気にしている様子もなく…
そのときふと、「あれ、もしかしてこれは…いわゆるレイシズム的なことなのかな?」なんて考えてしまいました。

結局、二駅で目的地に到着したのですが、降りるときに後ろからとても聞き取りやすい英語、つまり非英語話者の方の英語で「What are you thinking?」と言われてしまいました。その瞬間、「ああ、やっぱり私に対して何か文句を言っていたんだな」と思いました。乗っている間に少し押されたり、つつかれたりしたのも、きっとその一環だったのだろうと納得しました。

でも、こういうことって、異国に来れば多少は仕方のないことなのかもしれないとも思いました。逆に、私たちの国に来ている方々も、私たちの習慣を知らないまま、悪気なく何かをしてしまって、それが原因でトラブルになったりすることもあるのだろうな、と。お互いに引くに引けない状況になってしまうこともあるのかもしれません。そんなことを考えながら過ごした一日でした。

正直、まだ少し気持ちが整理できず、ホテルの部屋に戻ってからはベッドに突っ伏してしまいました。

それからもう一つ、移民に関する出来事がありました。たまたま部屋に掃除のスタッフの方が来られたので、翻訳アプリを使ってフランス語で「今日はお風呂の掃除とリネンの交換、ベッドメイクだけで大丈夫です」と書いてお見せしました。ですが、その方はフランス育ちではなく、移民の方のようで、話すことはできても、文字を読むのが少し難しいご様子でした。結局、身振り手振りでお互いに意思を伝え合い、無事に理解していただくことができました。

自分とは異なる背景を持つ人たちと共に生活するということは、まず「暗黙の了解」が通じないことが多いということです。
たとえ文字や音声で説明しても、それが伝わらない場合もあります。だからこそ、お互いの気持ちやルールをどのように伝え合い、すり合わせていくのか、そうした努力が大切なのだと感じました。

おそらくフランスも、こうした課題に直面しながら、今の形を作り上げてきたのではないかと思います。日本もそういうことが必要になってくるのでしょうね。
因みに髪を切るのを忘れたのがいけなかったのが旅行中延々とマダムよばわりされてます。めんどくさい。

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