日記;2024年3月
押し入れを整理していたら、古い日記帳が出てきた。
2020年代かあ。♪ 春なのに 春なのに ため息またひとつ……
当時、「ジャーナリング」なんてのが流行していて、感じたことを書き出すと心を整える効果があるとか言われていた。
それで、みつきも始めたんだった。
ちょっと恥ずかしいけれど、お見せしちゃいますね。
あの頃のロクデモナイ政情、世相を反映してドロドロした感情を吐きまくっているので、覚悟して読んでね。
思想強めだよん、ゆたしく。
エロい記述もあるよ♡
(基本、敬称略)
* * *
3月某日
東京新聞夕刊の名物コラム「大波小波」(3月1日付夕刊)が大ヒットドラマ「VIVANT」(2023年7月16日〜9月17日、堺雅人、二階堂ふみ、阿部寛、TBS系)について書いていた。
「昨秋話題になったドラマ『VIVANT』を今さら見た」と(ザ)氏。
「血縁至上主義な家父長制と愛国主義への無批判に加え、自己満足的な日本賛美も鼻につく」
「『日本人は他者を敬う民族だ』……といった浅薄な認識や、『日本的な精神を教えれば途上国はもっといい国になる』的な展開は、手あかにまみれた愛国プロパガンダを超えられていない。このドラマがつくられヒットしたこと自体が、この国が自信を失っている証ではなかろうか」
私は第1回を見てそれきりだったから(そもそも企業ものはあまり好きでない)、
なんであんなにみんな大騒ぎしているのか、実はすごいドラマなのか、と後悔しかけていたんだけれども、見なくて正解だった。そういうドラマだったのか。
「日本すごい」が容易に受け入れられてしまう土壌があるんだな、すがりつきたい人がそれだけ多いんだな。そして、この国の衰退を認めたくない層がこれだけ多いんだな、この国は、って。
そんなに強い国が好きですか?
夜郎自大で他国を見下し他国を侵略していった地獄の大日本帝国時代の心性とあまり変わってないんじゃないすか。
「日本を取り戻す」なんて言って大ニッポンポン帝国バンザイな本音を隠さなかった安倍晋三が首相になった頃から日本人ってゴーマンになってない?
大半のヤマトンチュの心性がコレじゃあ、また同じことを繰り返しそうで恐怖しかない。
日本がすごけりゃ、日本が世界に冠たる大国、日本が世界をリードする国になったって、今のカツカツの生活が変わんなければ、そんなのカンケーねえ、としか思えないんですけれど。
理不尽な仕打ちを受けながら低賃金で長時間働かされて、パワハラ、セクハラ、カスハラ、物価高に悩まされ、中古のくせに4、5000万円もするマンションには手が出せない、あるいは買わされてローンで首が回らない。
そんな鬱憤鬱屈不満屈辱の四面楚歌、ふざけるな、と叫び出したい境涯にあって、
大谷すごい、金メダルすごい、ノーベル賞すごい、世界一すごい……すごい日本の、すごい日本人の一員である、ワタクシもすごいンだ! って世界の中心でアッピールせずにはいられない心境は、まあわかってやってもいいけれども。そんなちっぽけな誇り(驕りとも言う)、腹の足しにもならん。現実の生活が改善するわけでもない。
世界にはちっぽけだけれど、大国日本よりも、ジェンダー平等・社会福祉・教育・労働環境の充実を図り、心穏やかな暮らしを実現している国はたくさんあるんじゃない?
そりゃどの国にも悪いところはあるんだけれど、日本よりはマシって思える国は多いよ。
自民党だの維新の会だのウヨカルト政党の連中は何かというと「日本を強く、日本を偉大に、世界をリードするニッポンポン!」などと口にするけれど、みつきはそんな国よりも庶民が明日の生活を心配することなく平和で安穏な暮らしができる国がいい。
戦前のジャーナリスト・桐生悠々が書いていた。
「戦争の為に、百億の予算を組む国家と、教育の為に、百億の予算を組む国家と、いずれが将来性あるかは問わずして明である」(「他山の石」1940年年4月5日号)
かつて日本は前者にのめり込んで破滅したのよね。
戦争よりも教育に力を入れる国の方が断然いいに決まってる。
「VIVANT」には「美しき我が国を穢(けが)す者は何人たりとも許さない」というくさいセリフがあったそう。
ナンジャソリャ。
今、この国で、こんな風に思い込んでいる人なんて、お友だちには絶対したくない、関わりたくない、ネトウヨ、カルト、レイシスト、ミソジニー、自称意識高い上から目線冷笑系など、あっち方面の方々だけだと思いたいけれど、そうじゃないのんか?
そんな彼らがヘイトや暴言、セクハラ、パワハラ、カスハラ、モラハラ、裏金溜め込んで脱税とか、この国の美しい品性、品格を貶(おとし)め穢して「醜い国」にしているんだから世話はない。どのツラさげて「愛国者」ヅラしてんだか囧r
「愛国」「愛国」と声高に唾飛ばしながら語る輩は、近づけない、信用しない、無視するに限る。
手元の「悪魔の辞典」(角川文庫、1975年初版、47版。1911年発行)を開く。
アンブローズ・ビアスは「愛国」についてこう書いているよ。
「愛国者:少数の利益のほうが、全体の利益よりも大事なように思える人間。政治家には馬鹿みたいにだまされ、征服者には手もなく利用される人間」
「愛国心 :……松明を近づけるとすぐに火がつくがらくた。ジョンソン博士(イギリスの文豪、1775年に英語辞典を完成)の著名な辞書によると、愛国心は悪漢の最後の拠り所と定義されている……小生はそれを最初の拠り所と思考する……」
週刊金曜日(3月8日号)で武田砂鉄さんがこんなことを書いている。
「『愛国心』と言いながら、その行動には全く『愛』がない。単なる個人攻撃である。
とりわけこの10年、権力者に頭を撫でられながら、拡声器で罵声を吐き出すような言説が、『愛国』の真ん中に居座っている。」
(「鈴木邦男の愛国問答」書評)
「愛国」なんて、愚かなと輩と悪党しか使わない言葉なのだ。
ということで「VIVANT」は「愛国ポルノ」に認定!
3月某日
「浜の真砂は尽きるとも自民にバカの種は尽きまじ」
石川五右衛門じゃないけれど、こんなザレ歌が脳裏をよぎった。
「自民議員ら破廉恥パーティー」「半裸ダンサーに口移しチップ」「参加の青年局長ら辞任」
ほぼ裸のダンサーを招いた理由を聞かれ、自民党和歌山県連青年局長は「多様性の重要性を問題提起しようと思った」。
これを読んで「こいつバカだろ」と思わず口走った。
なんでここで「多様性」が出てくるの? 全く意味不明なんですけど。
こうした自民党の浅はかな連中の、「多様性」という言葉の食い散らかしは、本来の意味を消し去る効果しかない。
裸のダンサーと交流するのも、沖縄・アイヌ・クルド人・アジア人・障害者・LGBTQへの差別発言も、裏金ためて脱税するのも、カルトとつるんで政治を捻じ曲げるのも「多様性」ってか。
「多様性」だけではない。
「平和」「家庭」は、反社カルト統一教会が多用することで、
「保守」は、ポンニチ会議・神社カルト系自民党極右だけでなく、ヘイト、ネトウヨ、歴史改ざん、安倍晋三マンセー主義者の吹き溜まり政党(日本保守党)らによって、
注意を要する信用の置けない言葉になっちゃったよね。
メディアもいつの間にか、こんな連中のことを「保守」と書くようになってしまっていて、なんじゃこりゃと思う。ちゃんと「右翼」「極右過激派」「カルト過激派」「ファシスト」と書きなさい。
とにかく、美しい「日本語」がヘイト、右翼、カルト、安倍一派によって、盗まれ穢され破壊されている状況はどうにかならないのかしら?
3月某日
「高齢者も医療費3割負担だ」「高齢者は集団自決しろ」だのとほざいているオトキタ某だのナリタ某らは、高齢者が築いた土台があるからこそ、今の日本でノウノウと生きていられるのだという自覚がない。
だからこんな発言ができる。だから批判が殺到するし、CMも降板させられる。何もわかっちゃいないのにエラそーなことを言うな。
そもそもお年寄りはすごいんだ。
昔の朝ドラ「ちゅらさん」で古波蔵恵里が言っている。
「お年寄りは偉いんですよ。だって、それだけ長く生きてるわけですから。いろんな事知ってるし、偉いんです。当たり前ですよ、そんなの。東京では違いますか。沖縄ではお年寄りは偉いですよ。私もオバーを尊敬してます。敵わないですよ、オバーには」(第54回)
以上!
安倍晋三の裏金パーティーにビールを無償提供していたサントリー、ナリタ某をCMに起用したキリン、もう飲まないもんね。
ウチナーンチュには泡盛があるし、さんぴん茶があるし、オリオンもあるから問題なし!
日本維新の会? オトキタ某? こんな政党、議員、はなから信用していない。「身を切る改革」なんてえらそーに語っているけれど、カジノマネー、万博マネーに欲の皮ツッパらかして、汚いカネで醜く腹を膨らませているだけだ。さっさと消えてくれた方が、日本は少しはマシになる。
後日、キリンはナリタ某の広告を削除したと東京新聞に載っていた。当たり前だ。不買運動が広がっていたし、人を不愉快にさせるCMで商品が売れるわけはない。
「人権に対する知見が甘かったのではないか」(ジャーナリスト木村元彦氏)。
その通りだ。だいたい電通だかどこだか知らんけど、パブ屋はこんな輩、誰に受けると思っていたんだ?
自分一人が買うのを拒否ったところで何も変わらんだろ、とわかった風を装う冷笑したり顔は多いけれど、効果はあるよ。
ハーバード大学のエリカ・チェノウェス教授の研究によると「3・5%の人がアクションを起こせばシステムは変えられる」そうです。
「3・5%ルール」
100人なら3、4人ちょっと換算。
何でもかんでも当てはまるわけではないだろうけれど、
実際、キリンはナリタ某を切ったし、パレスチナ人を虐殺するイスラエルと関係のある米国の大学はデモや抗議活動にあって関係見直しに動いたってニュースもある。
声を上げ続けることが大切よね。
3月某日
国際女性デー(3月8日)に関連する東京新聞(9日付)の記事は読み応えのあるものばかりだった。
・「次期日弁連会長・渕上玲子さんに聞く」
「産休明けの女性が勤務時間をセーブして働くと2〜3年で閑職に追いやる人事がいまだにある」
・「画業50年 漫画家・槇村さとるさん 女の子よ自分を取り戻せ!」
「『こんな社会じゃ、誰が産めるか』とみんな感じているし、産んだところで冷遇される。女として生まれただけで、なぜこんなに戦わなくちゃいけないのか」
渕上さんと槇村さんの記事がつながっていて、うなずくことしきり。
なんでいまだに実現しないんだ? 強い憤りを持って読んだのが、一面トップの記事。
・「夫婦別姓 東京・札幌で提訴 経済界も要望」
日本で実現しない理由は明確だ。メディアが「保守」と書く極右カルト差別主義な香ばしい方々と、自民党のせいだ。
やれ「家族がバラバラになる」、やれ「日本の伝統的家族観、価値観が変わる」などと、妄言をがなりたてている。
はっ? バラバラ?
夫婦別姓は世界の常識なんですけれど。この記事によると同姓を義務付けている(強制)のは日本だけです。
はっ? 伝統的家族観?
庶民が名字を持ったのは薩長かっぺ侍による軍事クーデターでできた明治になってからですけど。
男尊女卑的・家父長的・女こどもは男に従え的家族観にしがみつく時代錯誤はいい加減にしろ。
こんなロクデモナイ家族観に毒され、同姓を支持している方々ほど、家族がバラバラで壊れていると思われ。
家庭では児童虐待や性加害、家庭内暴力(DV)、モラハラ、育児・家事放棄を、
職場ではパワハラ、セクハラ、陰湿ないじめをやらかしているんではないのか。
そんな家族観、価値観こそぶち壊した方が、この国に住む人は幸せになれる。
そもそも夫婦が別姓を名乗ったところで、反対する方々に何か迷惑でもかかるんですか。不都合でもあるんですか。純粋に当事者間の問題でしょうよ。
これは同性婚にも言えることで、個人の尊重、法の下の平等、婚姻の自由を保障した憲法を踏まえれば、認められて当然の権利です。
人の生き方を国家がしばり、他人がやいのやいのと口を出すなんてのは大きな迷惑、余計なお世話です。
選択的夫婦別姓導入を目指す一般社団法人「あすには」によると、現状のまま同姓強制を続けていくと、500年後には日本人全員が「佐藤」になるそうですよ。同法人は「日本の姓の多様性が失われる」と危惧している。
シミュレーションでは2446年に「佐藤」が50%を超え、2531年には100%に達する。
一方、別姓が導入されると、同じ2531年で佐藤姓は8%にとどまるんですって。
独特な姓の多い沖縄でもこの問題は深刻だ。
ヤマトンチュとの結婚で、沖縄の珍しい姓がどんどん消滅している。
朝ドラ「ちゅらさん」(2001)でも古波蔵恵里が上村姓になっちゃって残念に思った記憶がある。
私は結婚願望は強くないし、成り行き任せだけど、姓は絶対変えないよ。貴重な姓を残したいから。
私と結婚したい人は自分の姓を変える覚悟でプロポーズなさい。選択的夫婦別姓に賛同し実現に尽力なさい。
読書面はボーヴォワールの「第二の性」(1953年)特集。
有名な本だけど未読なので、興味深く読んだ。
よく知られている「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」という一節は「社会的・文化的につくられた女を指している」という指摘に、なるほど。
「男が作った社会規範のもとで……女らしさのステレオタイプに沿うように育てられ」女にならざるを得なかったのだな、と納得。
「女は結婚すると男の家来になる」
こんなのは真っ平ごめんだ。今度、図書館で借りて読んでみよっと。
3月某日
ちびまる子ちゃんのTARAKOさんが亡くなった(3月10日付東京新聞)。
63歳は若すぎる。1990年の放送開始から、まるちゃんの声を務めていた。
主要キャラの声優が変わる。
長寿アニメの宿命だけれど、TARAKAOさんロスを乗り越えられるかしら。後任の声優さんも大変だと思う。
前日には「ドラゴンボール」の鳥山明さんの死去も報じられた。68歳。こちらも若い。
少年雑誌はあまり縁がなかった。「美少女戦士セーラームーン」推しでしたし、ゲームも「たまごっち」ぐらいしかやらなかったので、「ドラゴンクエスト」も縁遠かった。
でも、日本のアニメを世界に広めた先駆の人だって認識はあった。
TARAKOさんともども合掌。
ところで、鳥山さんの死去に際し「日本の損失」的追悼をしている方々がいた。故人を個人として悼むことができない人がいるんですね。
前述の「すごいニッポンポン」にこだわっている方々ですかね。まるで人を国家の所有物(かつての言葉を使えば臣民)みたいにとらえていて、それが失われたから「国家の損失」ってなんだかなあ、って思う。
国民は国家のものでも、好き勝手に動かしていい使い捨ての家来でも手駒でも臣民でもないんですけどね。
憲法にも主権は国民にある、と書いている。国家の主人は国民ですのよ。
自民党の改憲案に賛成し、昔のように臣民、家来、三下、使いっ走りでいいって方々、どんだけ奴隷根性に染まっているんだか。
私はこんな憲法改悪案は御免被る。
3月某日
画期的判決が出た。
「同性婚否定は違憲 憲法『婚姻の自由を保障』 札幌高裁」(3月15日付東京新聞)
・憲法24条1項「婚姻が両性の合意で成立」は同性婚をも保障すると解される
・同2項は個人の尊重に立脚した立法を求めており、同性婚を許さない規定は違憲
・異性愛者の婚姻を定め、同性愛者に許していないのは差別的取り扱いで、法の下の平等を定めた憲法14条1項に違反
(自民党や右翼、反社カルト、神道カルト、ウィル・ハナダ・セイロン極右雑誌など同性愛嫌悪集団による)『「社会が変わる」といった反対論、嫌悪感、偏見については「的確な根拠があるとはうかがえない」「感覚的、感情的な理由にとどまっている』と一蹴。
同性婚については、世論も選択的夫婦別姓同様、賛成が多数なのだから、自民党は無駄な抵抗はやめて、さっさと国会で法整備を始めなさい。
同じ日の東京新聞。
在日米軍がポンコツオスプレイの飛行を普天間飛行場で再開した。
墜落事故の原因も明らかにせず、再び住民に恐怖と轟音を撒き散らし始めた。米軍のポチ、自衛隊も遠からず追随するのでしょう。
「沖縄でそれが許されると思っているとしたら大間違いだ」(玉城デニー沖縄県知事)
「オスプレイは飛べば飛ぶほど事故を起こす、よくこんな怖いことができるなと思う」(横田基地の撤去を求める西多摩の会)
「『国防は政府のやることで自治体は従え』という声が民間からも出るが、住民の安全確保という自治体の使命に反し到底受け入れられない」(オスプレイ来るないらない住民の会、木更津市)
ほんと、そう思う。
オスプレイは米国ではウィドウ・メーカーって言われているんだよ。ま、マンイーターと言われているかは知らん。
3月某日
東京新聞の「本音のコラム」で、アラブ人がよく口にする慣用句を紹介していた。
「罪より醜い言い訳」
新しい慣用句が閃いた。
「罪も言い訳も醜い自民党」
裏金脱税議員だの、差別発言議員だの、破廉恥パーティー主催議員だの、お友だちエコひいき・公文書改竄・税金私物化元首相だの、反社カルト・神道カルトべったり議員だののやっていることの醜悪さといったら!
ならず者国家か、この国は、と思うぞ。
3月某日
エッチな夢を見ちゃったんです。
ベッドに、あこがれのレ○様(ここで名を出すと同担に叱られそうなのでレ○様)がもぐり込んできたんです。冷え性の私の足をマッサージしてくれる。
いつの間にか二人は一糸まとわぬ姿になっているんです。
彼のピンポン玉、冷たいわ。やさしくサワサワしてあげちゃう。
彼のダイナマイトが私の赤い唇をたたくんです。思わず含んでしまった。
「ボクハ君ヲ愛シテイル
君ノ毛穴ノ発散ヲ感ジサセ、
君ノ産毛ヲ触ラセテクレ」(※)
レ○様、ぶつぶつ言いながら、
長くて細い指で私の淡い草原をなでたと思ったら、秘密の花園に侵入してきたんです。
あ、開かれる。あ、敏感な実に触れる。思わず「あん」と声をあげてしまった。
スムース・ライク・バターな花びらを見つめるレ○様。ああん、恥ずかしい。
あ、中指がホット・ライク・サマーなスイート・ライク・ハニーな部分に入ってきた。入り口が反射的にきゅううとすぼまったんです。
ああ、次は彼のたくましいセクシーダイナマイトが入ってくるんだわ。中で爆発しちゃったら、どうしよう。
あ、熱いものが当たる。ぐぐぐいっ、と。
レ○様を見つめたくて、つむっていた目を開けたんです。
ああっ! 顔がなんと、幼なじみで同じ高校だったタルヘーに変わっているんです。
なんでよ、なんでタルヘーなのよ。
私の処女を中途半端に奪った、思い出したくもない黒歴史、皮かむりのタルヘーなのよ。
ここで目覚ましが鳴った。
あー、びっくりした。途中までサイコーだったのに、なんで夢っていつも、さあこれからってところで変な展開になっちゃうのかしら。
レ○様が、タルヘーになっちゃうなんて。
タルヘーとは東京の別々の大学に進学したんだけれど、高校卒業以来、一度も会っていないんです。なんで突然出てきたのかしら。あいつ、いまどこで何してるんだろ。今度、ナツコに聞いてみよっと。
(ナツコは幼なじみで同じ高校、かつ同じ大学で、なおかつ同じく東京で働いているんです)
野良猫が発情で騒がしい夜に、こんな変な夢を見てしまうのよね、あたしって。
(宇能鴻一郎先生風に書いてみました。みつきの初体験については「みつきの微笑みがえし」第1話を読んでね。R18なんです。
ナツコのことは「みつき」の第5話と、「短い早いすぐ終わる タニグマー小説集1『ノーズロ』」に出てきます。タニグマーはウチナーグチで「短小」です。すみません)
※トーマス・マン「魔の山」
3月某日
ネットで神奈川新聞(3月20日付)の記事を読んで頭に血が昇った。
なんじゃこりゃー!(「太陽にほえろ」松田優作さん風)
「相模原市議会 骨抜き人権条例成立」
記者の解説を読むと、相当ひどい条例ができちゃったらしい。
『ねじ曲げにねじ曲げられた「マジョリティー(社会的強者・多数者)のマジョリティーによるマジョリティーのための反人権条例」……画期的な答申をわざわざ骨抜きにしてまで差別をなくそうとしない……恥知らずにも程がある。
「日本一のヘイトシティー」と指摘したのはヘイト問題の第一人者、弁護士の師岡康子弁護士だ。罰則によるヘイトスピーチ規制が分断につながるかのような物言いも欺瞞に満ちる。差別は既にあり、分断はマジョリティーが刻み付けている。
だから必要なのは「お互いが尊重される」ことではない。マジョリティーは充分尊重されており、尊重されるべきは今現在差別されているマイノリティーの人権だ。「相模原モデル」は見習ってはいけないモデルに成り果てた』
この反人権条例は不当な差別言動の禁止対象は外国ルーツの人たちに限定し、答申にあった障害、性的指向、性自認、出身を理由にした差別的言動は含まなかった。外国ルーツの人たちへのヘイトスピーチについても罰則は設けず。
これじゃあマジョリティーの方々は差別をやめないでしょ。
ウチナーンチュは沖縄(琉球国ルーツ)の先住民だし、アイヌは北海道の先住民だから、ヤマト民族に侵略されて、い無理やり日本に併合されたわけだから、本来、外国ルーツと言ってもいいと思うんだけれど、マジョリティーは植民者意識丸出しで「彼らは外国ルーツじゃないから差別してもオッケー」って、これからも差別し続けるんだろうね。
自民党のレイシスト女議員のほくそ笑みが見えるようで胸くそ悪いわ。
「日本一のヘイトシティー」相模原市。
私は「日本一の差別容認シティー」と認定する。
こんな街には住みたくないわ。
3月某日
自民党の二階俊博氏(85歳)が裏金脱税不祥事がらみで総選挙不出馬記者会見。自らの高齢を問われ「おまえもその歳、来るんだよ。ばかやろう」と捨てゼリフ。
(3月26日付東京新聞)
二階さん、
「高齢者は集団自決しろ」などと叫ぶ成田⚫︎輔某はじめ、オトキタ某、ひろゆ⚫︎某、曽野綾⚫︎某(もう老人だけど)、石原慎太⚫︎(もう故人だけど)ら、高齢者を切り捨てたくて仕方ない有象無象に言ってあげて下さい。
3月某日
「トランプによる米国の分断は、従来はマスメディアのフィルターで遮られていた嘘がSNSに出口を見出し横溢し、互いを補強し合った結果だ。
ただ、嘘には報酬もある。ユーチューブやXでは現在、耳目を集める煽り投稿で閲覧が増えればカネを稼げる。「アイヌ差別は存在しない」と煽る杉田水脈などはネトウヨ票も稼げる。
(3月22日付東京新聞「本音のコラム」ジャーナリスト北丸雄二氏)
こんなろくでもないシステムのせいで、ユーチューブはもう見る気しないし、インプレ稼ぎと思われるクズアカウントのクズ投稿も見たくないので、最近は「X」を見る時間も減っているよ。
本を読み、映画を見る時間ができて何よりだわ。
3月某日
話題沸騰、賛否かまびすしかった宮藤官九郎脚本ドラマ「不適切にもほどがある!」(2024年1月26日〜3月29日、阿部サダヲ、吉田羊、河合優実、磯村勇斗、坂元愛登、仲里依紗、TBS系)が最終回。
1986年と現代を行ったり来たりしながら時代の変化に目を白黒させるドタバタ劇。
・初めのうちは、タイムスリップした先でのギャップの大きさに惑い喜ぶさまがおもしろかった。
・が、直後から現代の常識をあげつらう感じが出てきてアレアレ?
・が、最後は主人公がどうにか現代流にアップデートされて、昭和時代に戻って、昭和な常識の異常に声を上げるようになった。
から、まあ、良しとしておこう。
印象に残ったセリフをいくつか。
第1話:
坂元「令和になんか帰りたくない。昭和がいいんだ」
吉田「どうして? こんな時代のどこがいいのよ。粗暴で差別的でセンスのない大人ばっかりの」
坂元「テレビでおっぱいが見れるじゃないか!」
(昔は「11PM」や「芸能人水泳大会」でポロリがあったそうで。志村けんのバカ殿あたりを最後に絶滅したんだっけ?)
第2話:
磯村「女性に対して『大丈夫、何もしないから』はアウトですよ」
阿部「何が!? 何もしないっつって、何かしちゃうのが男と女じゃないの? で翌朝『何もしないって言ったじゃ~ん』って、モーニングコーヒー飲みながらニヤニヤすんじゃねえの」
磯村「不同意わいせつ罪ですね。合意がなければ、すべての性行為は犯罪なんです」
阿部「は!? 部屋に上げた時点で合意みてえなもんだろ!」
(昔もひどかったね。性的同意は昭和の時代だって必要だったんだよ。それを「いやよいやよも好きのうち」なんて手前勝手なこと言って好き勝手やってきたんだろ)
第4話
吉田「井上くん、よく聞いて。あなた。自分がモテないからって、女を軽視している。女性蔑視。あなたそういうところある。昔から。ミソジニーの属性があるんです。昔から。そういう男に限ってホモソーシャルと、ホモセクシュアルを混同して、同性愛に救いを求めるの。井上くん、今ここ。わかる? 女にモテなくて、男に走っているの。あなた中二病なの! 自分がモテないのは女が悪いという考えを捨てない限り、モテないし、変われない。わかる?」
(みつきが不勉強なのかもしれないけれど、ミソジニーが女性嫌悪の果てに同性愛に行きついちゃうのか。そういうこともあるかもしれんけれど、ドラマで堂々と主張できちゃうほど一般的なの? ミソジニーはそのまま女性嫌悪でしょ、と思う。で、ネットで絡んで罵詈雑言を並べたて、リアルで嫌がらせや「わざぶつ」とかしてんじゃないの?)
ドラマはこの後、パワハラやインティマシー・コーディナーター(俳優にヌードシーンを演じてもらう際に、俳優と演出家の間に立って調整する職種)などが取り上げられ、声を上げる側を揶揄するシーンが出てきて「なんだかなあ」な展開になるんだよね。
「♪パワハラ上司にも親がいる、セクハラ上司も人の子だー」と古田新太が歌うくだりは失笑ものでした。だからなんなんだ、ってね。
「ふてほど」と同時期に放送していた「ブラックガールズトーク」(2月5日〜3月25日、朝日奈央、関水渚、石井杏奈、テレビ東京、館そらみほか脚本)にこんな会話があった。
朝日「うちの会社にもいるよ。いるんだよね、まだ」
石井「そうだよね。どこにでもいるし。怒ってもしょうがないんだよね」
関水「そうそう……だから笑顔を浮かべて心を無にして通り過ぎるのを待つ」
石井「無神経な人がのさばる時代が早く終わりますように……私、嫌なことは嫌だってちゃんと言う」
こんな会話、きっと1980年代に限らず、どの時代の女性たちもしていたと思うよ。
時代は表向き前進しているけれど、実は根本のところ(男社会とでもいう奴)が変わっていないから、女性たちのぼやきは、いまだに延々と変わらず続いていくのでした。
で、新聞、週刊誌に「ふてほど」問題の論考がたくさん掲載された。
しっくりきたのは2月5日付東京新聞夕刊「大波小波」の指摘。
「過去の価値観、たとえばジェンダー意識、多様性の認識の甘さ、差別的なまなざしなどをそのまま描けば……受け手のリテラシーが未熟ならば、過去の価値観を温存し、継承することになってしまう」
案の定、リテラシー欠如な方々による「あの頃は良かった」「今は窮屈」的ふてほど称賛がネットにもあふれていたよね。
笑いのネタにするほど、今の日本はジェンダー平等ではないし、コンプラが浸透しているわけでもない。外国人やLGBTQや障害者や基本的人権に対する偏見だって根強く残っているんだよね。女性はあの頃も今も窮屈な思いをしているんだよ。クドカン、ちょっと早すぎた、という感じかな。
でも、最終回に至って、阿部サダヲも未来の常識を身につけ、80年代に戻ると、昭和な言動を繰り返す校長や同僚らをたしなめたりして、きちんとアップデートした姿を見せていた。
めでたし、めでたし。
ところで1986年って、どんな年だった?
チェルノブイリ原発事故
「生きジゴク」…
岡田有希子さん…
社会党・土井たか子さん、日本初の女性党首
男女雇用機会均等法施行
マラドーナ「神の手」
シンボリルドルフ引退
スペースシャトル・チャレンジャー爆発
ダイアナ妃来日
山谷市街戦
♪時の流れに身をまかせ
写ルンです
などなど。
私が生まれる少し前ね。
3月某日
瀧波ユカリさんの「わたしたちは無痛恋愛がしたい 1」(講談社)
東京新聞(3月23日付)の記事「瀧波さんが女性のモヤモヤを斬る」を読んで購入した。
主人公は鍵垢(鍵をかけたアカウント)に本音を書き込む。
〈この世に女の子の安住の地なんてない〉
マンガは「ストーカー行為やハラスメント、家庭内暴力と、問題のオンパレード」
瀧波さんは言う。
「作中に書いた問題を大袈裟だと言う男性とは付き合わない方が良いと思う」
忘れないでおこう。