「真珠の耳飾りの少女」トレイシー・シュヴァリエ
「真珠の耳飾りの少女」トレイシー・シュヴァリエ
私の母は、彼らが来ている事を私に言わなかった。
後で彼女は私が神経質に見えなくないようにって思ったの、と言った。
私は驚いた、というのは私は彼女が私を良く知っていると思ったからだ。
知らない人たちは私が静かだと思っただろう。
私は赤ん坊の様に泣かなかった。
私の母だけが私の顎が緊張して、既に大きい私の目が大きく見開いているのに気づいただけだった。
私は玄関のドアの外で女性の磨いた真鍮のような声と、低く私が仕事に使っているテーブルの板の様な男性の声が聞こえた時、台所で野菜を刻んでいた。
それらは私がめったに私の家では聞かないような声だった。
私は彼らの声の中に高価な絨毯と、本と真珠と毛皮を聞いた。
さっき玄関の階段を一生懸命磨いておいてよかった。
料理鍋、大瓶のような母の声が前室から近づいてきた。
彼らは台所にやって来ているのだった。
私は細切れに切っていたネギを所定の場所に押し込んでから、包丁をテーブルの上に置き、エプロンで手を拭いて、唇を合わせて滑らかにした。
私の母が戸口に姿を現した、彼女の眼は二つとも警戒していた。
彼女の後ろでは、一緒にいる男性よりもずっと、背が大変高かったので、その女性は背を屈めなければならなかった。
私の家族は、父や兄でさえ、全員小さかった。
その女性は風のない日なのに、風に吹かれたような格好をしていた。
彼女の帽子は歪んでいたので、小さなブロンドの巻き毛がはみ出して、彼女がせっかちに何度もたたく蜂のように、額に掛かっていた。
彼女の襟はまっすぐにする必要があり、しわが寄ってた。
彼女は灰色の外套を肩から引き揚げた時、私は彼女の青いドレスの下で赤ん坊が育っているのを見た。
年末かそれより前に生まれるだろう。
女性の顔は楕円形の皿のようで、時度に輝き、又弛緩した。
彼女の眼は二つの明るい茶色のボタンのようで、その色はブロンドの髪同様、今までに見たことのないものだった。
彼女は私を熱心に見ているように見えたが、私に集中することができず、彼女の眼は部屋中を飛び回っていた。
「これがその少女なの、で・・・」と、彼女が急に言った。
「私の娘のグリエットです、」と、私の母が答えた。
私はその男性と女性に丁重に頷いた。
「そうね、彼女はそんなに大きくないわね。
彼女は充分強いかしら?」
女性が男性を振り向いたとき、彼女の外套の折り目が私が使っていた包丁の取っ手に当たり、包丁はテーブルから落ち、床の上でくるくる回った。
女性は叫び声をあげた。
「カタリーナ、」と、男は静かに言った。
彼はまるでシナモンを口に含んでいるように彼女の名前を言った。
女性は立ち止まり自分を落ち着かせようと努めた。
私は歩いて行って包丁を拾い、テーブルの上に戻す前にエプロンで刃を磨いた。
包丁が野菜に当たってしまったのだった。
私はニンジンのかけらを元の場所に戻した。
男の人は私を凝視していて、その目は海の色のように灰色だった。
彼は長いやせこけた顔をしていて、彼の印象はろうそくの炎のようにちらちらする、彼の妻の印象とは対照的に落ち着いていた。
彼は髭は生やしておらず、私に清潔そうな印象を与え、私は嬉しかった。
彼は肩に黒い外套をかけて、きちんとしたレースの襟の付いた白いシャツを着ていた。
彼の帽子が雨に濡れたレンガのように赤い髪の上に載っていた。
「ここで何をしていたんだねグリエット?」と、彼が聞いた。
私はその質問に驚いたが、その驚きを隠すすべは充分に知っていた。
「スープ用に野菜を切っていました。」
私は何時も野菜をその種類ごとにパイのように丸く並べていた。
5種類の野菜があった。
: 赤キャベツ、玉ねぎ、長ネギ、ニンジン、カブだ。
包丁の刃を使ってそれぞれの野菜を薄くそぎ、円盤状に薄くスライスしたニンジンを真ん中に置いた。
男の人はテーブルを指でたたいた。
「野菜はスープに入れる順に置かれているのかね?」と、彼は円を注意深く見ながら聞いた?
「いいえ、違いますわ。」私は言い淀んだ。
自分でも、なぜその順に並べたのか言えなかった。
私は単に良いと感じたままに並べたのだが紳士にそういうのは怖すぎた。
「白を並べなかったんですね、」と、彼がカブと玉ねぎを指さしながら言った。
「それから、オレンジ色と紫色は一緒に置けない。それはなぜ?」
彼はキャベツの切ったのとニンジンの片を彼の手の中でサイコロのように振った。
私は母を見た、彼女はわずかに頷いていた。
「色は並べて置くと戦いますから。」
彼はそんな答えを予期していなかったかのように眉をひそめた。
「それに君はスープを作る時にや野菜を並べるのにそんなに時間をかけるのかね?」
「ああ、いいえ違います、」と私は混乱して答えた。
私は彼に怠け者だと思われたくなかった。
私には眼の端の所で一つの動きが見えていた。
私の姉妹のアグネスがドアの柱のところで覗いていて、私の答えに首を振っていた。
私はしばしば嘘をつくわけではなかった。
私は俯いた。
男が少し首を振るとアグネスはいなくなった。
彼はニンジンとキャベツのかけらをそれぞれの刻んだ場所に落とした。
キャベツの千切りが一部、玉ねぎの中に落ちていた。
私はそれに手を伸ばしてちゃんとした場所に戻したかった。
私はそうはしなかったが、彼には私がそうしたいことは分かった。
彼は私を試しているのだった。
「もうおしゃべりは充分よ」、と、その女性が宣言した。
彼女は彼が私に関心を持っていることに腹を立てていたが、彼女が眉をひそめたのは私に向かってだった。
「じゃあ、明日?」
彼女は部屋中を見回す前にその男を見、私の母は彼女の後ろにいた。
その男はもう一度スープの中を覗き込んで、その後私に向かって頷き、女性たちに従って歩いて行った。
母が帰ってきたとき、私は野菜の円の傍に座っていた。
私は彼女がしゃべるのを待った。
台所は夏で暑かったのに彼女は冬の寒さに肩をすくめていた。
「あなたは明日から彼らのメイドをやり始めることになったわ。
あなたがうまく勤めれば、一日8スチューバー払ってくれるわ。
あなたは彼らと暮らすことになるわ。」
私は唇を強く合わせた。
「そんな風に私を見つめないで、グリエット、」と私の母が言った。
「私たちには必要なの、あなたのお父さんは仕事が亡くなったんだから。」
「彼らは何処に住んでいるの?」
「アウデ・ランゲンディック通り、モーレンプール通りと交差するところよ。」
「教皇派通り?彼らはカトリックなの?」
「あなたは日曜日には帰れるわ。彼らはその事に同意したから。」
母はカブの上に両手をもっていってキャベツと玉ねぎと一緒に掬って火を入れるばかりになっている水の鍋の中に入れた。
私が注意深く作った円グラフはぐちゃぐちゃになった。
私は父に会う為、階段を上った。
彼は顔に光線の当たる、屋根裏部屋の前の方の窓際に座っていた。
それは彼が今見るのに最も近いものだった。
父はタイル画家だった、キューピッドやメイドや兵士、船、子供、魚、花、動物を白いタイルの上に描き、釉薬をかけ、焼くために、彼の指は青く染まっていた。
ある日、窯が爆発して、彼の目と職を奪ってしまった。
他の2人は死んでしまったが、彼は運がいい男だった。
私は彼の隣に座り、彼の手を取った。
私がしゃべり出す前に彼は言った、「聞いたよ、」。
「みんな聞いたよ。」
彼の聴覚は失われた眼から力強さを奪っていた。
私は非難するように聞こえないような言い方を思いつくことはできなかった。
「グリエット、すまない。お前のためのもっと良いことをしたかったのだが。」
彼の眼が在った、医者がその皮膚を縫合してしまった場所は、悲しんでいるように見えた。
「しかし、彼は公平で立派な紳士だ。お前をちゃんと扱ってくれるよ。」
彼は女性については何も言わなかった。
「どうしてあなたはそう言えるの、お父さん?あなたは彼を知っているの?」
「お前は彼が誰だか知らないのか?」
「ええ。」
「数年前の市役所で見た絵を覚えているかい?ファン・ライフェンが買って展示したものだ。
それはロッテルダム門とスキーダム門から見たデルフトの街並みだ。
絵の大部分を占める空と、いくつかの建物に降り注ぐ陽光が印象的だった。」
「それに、絵具にはレンガ造りの壁と屋根がざらざらに見えるように砂が入っていた、そして、水面に長い影があって、私たちに近い方の岸には小さな人々が書いてあった。」と、彼は付け加えた。
「あれだよ。」
父の眼窩はまるでまだ目が在って、その絵を見ているかのように広がった。
私はそれをよく覚えていたし、正に何度もその場所に立ったことがあったが、画家がその場所に立ったようにはデルフトを見たことは一度もなかったことを思い出していた。
「あの人がファン・ライフェンなの?」
「そのパトロンがかい?」と、父はクスリと笑った。
「いやいや、子供だ、彼じゃない。
あれは画家だよ、フェルメール。
あれは、ヨハネス・フェルメールと彼の妻だよ。
お前は彼のアトリエを掃除することになっている。」
母は私が持っていくわずかなものに、洗って何時も清潔にしていられるように、コップと襟とエプロンを加えた。
彼女は、私のおばあさんの物だった、装飾の付いた貝殻の形をした鼈甲の櫛をくれたが、メイドが付けつには華やか過ぎた、それと私が私の周りのカトリックの教義から逃れるために必要になった時読めるように祈祷書をくれた。
私たちが私物を集めている時、彼女は何故私がフェルメールのために働くことになるのかを説明してくれた。
「あなたの新しいご主人は聖ルカ(芸術家)組合の長で、去年お父さんが事故に遭った時もそうだったのよ。」
私は頷き、そんな芸術家のために働くことになったと言う事がいまだに衝撃だった。
「組合はできる限り自分で面倒を見てくれます。
お父さんが毎週、何年もお金を入れていた箱の事を覚えているでしょう?
あのお金は私たちが今あるようなときのような、必要な時に親方たちの所に行くのよ。
でも、それにも限度があるのよ、分かるでしょ、特に今フランが見習い期間中でお金が入ってこないのよ。
私たちは公的な慈善はそれが無くてはやれない場合以外には、受けないつもりよ。
その時、お父さんがあなたの新しいご主人が何も動かさないで彼のアトリエを掃除してくれるメイドを探しているって聞いたの、そしてお父さんは、フェルメールが私たちの状況を知っていれば、組合の長として、喜んで助けてくれるだろうと思って、あなたの名前を言ったの。」
私は彼女が言った事をよく考えてみた。
「何にも動かさないでどうやって掃除をするの?」
「勿論動かさないとできませんが、何にも動かさなかったように正確に元の場所に戻すやり方を見つけなければいけません。
お父さんが目が見えなくなった今、あなたがやっているのと同じようにね。」
私はお父さんに事故の後、彼が何時も見つけられる場所に物を置くことを学んだのだった。
それは目の見えない人のためにすることではあったが。
画家の目を持つ人の為にやるのは全く別の事なんです。
その訪問以後、アグネスは私に何も言わなかった。
彼女の後から彼女の隣のベッドに入った時彼女は、私に背中こそ向けていなかったが、沈黙を保っていた。
彼女は天井を見つめていた。
蝋燭を吹き消すと真っ暗で何も見えなかった。
私は彼女の方を向いた。
「離れたくないことは分かるでしょ。でも私はそうしなければならないの。」
沈黙。
「私たちはお金が必要なの。お父さんが働けなった今私たちには何もないの。」
「一日8スチューバーはそんなに大金じゃないわ。」
アグネスは、まるで彼女の喉に蜘蛛の巣が立ったかのように、しわがれた声をしていた。
「それで家族はパンが食べられるわ。それに、チーズも少し。それはそんなに少なくないわ。」
「私は一人ぼっちになってしまうわ。
あなたは私を一人置いて行くの?最初はフラン、その次はあなた。」
前の年、フランが出て行った時一番狼狽したのは私たちの内でアグネスだった。
彼と彼女は何時も猫のように喧嘩をしていたが、彼がいなくなって数日は不機嫌な顔をしていた。
彼女は10歳で3人の子供の中では一番若く、私とフランがいない時間を経験したことが無かったのだ。
「お母さんとお父さんはまだここにいるわ。
それに私は日曜日ごとに帰って来るわ。
それにフランが言ってしまったのも驚くにはあたらない。」
私たちの兄弟が13歳になった時に丁稚奉公を始めることは、数年前からわかっていた事だ。
父は丁稚奉公のためのお金を一生懸命貯金していて、フランがどんな風に商売の他のやり方を学び、帰って来てから一緒にタイル工場を立ち上げるのかを終わることなく話し合っていた。
今や父は窓際に座り、将来の事を話すことは決してない。
事故の後、フランは2日間家に帰ってきた。
それ以来帰ってきたことはなかった。
私が彼を見た最後の時は、私が彼が見習いをしている、町の反対側の工場に行った時だ。
彼は疲れ切っているように見え、窯からタイルをとり出すときに腕の上下を火傷していた。
彼は時には夜明けから遅くまで働くので、食事を食べられないほど疲れていると言っていた。
「こんなにひどいとは父も言っていなかったよ、」と、彼は腹立たしげにつぶやいた。
「彼は彼の見習いが自分を作ったのだと、いつも言っていたよ。」
「多分それは本当よ、」と、私は答えた。
「彼が今あるのはその事のおかげなのよ。」
次の朝、私が出発の準備が整っていると、父が壁を手探りしながら玄関まで足を引きずって出てきた。
私は私の母とアグネスを抱きしめた。
「日曜日は直ぐにやって来るわ、」と、母が言った。
父は私にハンカチで包んだ何かを手渡した。
「家と私たちを思い出せるように。」
それは私のお気に入りのタイルだった。
ほとんどの家にある彼のタイルは窯が熱すぎたために欠けたりねじれたり、絵がぼやけていたり、何らかの欠点があった。
しかし、これは父が私たちのために特別にとっておいたものだった。
それは少年と年長の少女の2つの小さな姿の簡素な絵だった。
彼らは子供たちが普通するようにタイルの中で遊んでいなかった。
彼らは単に私たちがいつも歩いているように一緒に歩いていて、父が私たちの事を思って描いたものだった。
少年は少女の少し前を歩いていてたが、何か言っているかのように振り返っていた。
彼の顔はいたずらっぽく、髪は乱れていた。
少女は、他のほとんどの少女とは違って、私がかぶっているように、顎の下か首の後ろで端を結んで帽子をかぶっていた。
私は髪を全部隠してしまい、側面からは私の表情が隠れるように顔の両側に下がり、その顔が隠れるくらいつばの広い、白い帽子が好きだった。
私はその帽子をジャガイモの皮と一緒に煮て形が崩れないように保っていた。
私はエプロンで縛った荷物を持って家を出た。
まだ早い時間だったので近所の人々はバケツの水を階段や家の前の道に撒いていて、拭き掃除していた。
アグネスも私の他の仕事と同様に、そうすることだろう。
彼女は通りや運河で遊ぶ時間が少なくなるだろう。
彼女の生活も変わっていっているのだ。
人々は私が通り過ぎる時に、私を見て頷き、興味深そうに見た。
誰も私が何処へ行くの訊ねなかったし、親切な言葉をかけなかった。
彼らは男が仕事を失った時家族に何が起こるのか知る必要はなかったのだった。
若いグリエットがメイドになり彼女の父親が家族を没落させたことは後で議論することになるだろう。
しかし彼らはほくそ笑みはしないだろう。
彼らのも同じ事が起こるかもしれないのだから。
私は人生で今まで何度もその通りを歩いたが、これほど私の後ろに私の家があることを意識したことはなかった。
しかし、通りの終わりに近づき、家族が視界から消えた時、少ししっかり歩きやすくなり、周りを見渡した。
朝はまだ涼しく、空はデルフトの上にシーツのように平らで灰白色に|覆<おお> われていて、夏の太陽はまだ空を焦がすほどには高く登っていなかった。
私が歩いた運河は緑の混じった白い光の鏡だった。
太陽が明るく輝くのに従って運河は暗く苔の色になっただろう。
フランとアグネスと私はよくその運河に並んで座って、小石や棒切れや、時にはタイル片を投げ入れて、どれが、魚ではなく、たくさんの眼を持ち鱗手とヒレをもつ、私たちの想像上の生物に当たるか想像したものだった。
フランが最も興味深い怪物を考え出したものです。
アグネスが最も怖がりました。
私は余りにも存在しないものを思いつくことよりも、それらのありのままに物を見る傾向があったので、いつもその遊びを止めてしまった。
運河には、市場の通りに向かう数艘のボートがあった。
しかし水面が見えないくらい運河が込み合うのは市場の日ではなかった。
一艘のボートがジェロニマス橋の露店に出すために川魚を運んでいた。
もう一艘は水の上にレンガを積んで重そうに浮かんでいた。
竿で船を操っていた男が私に挨拶をした。
私はほとんど頷かず、私の帽子の端が私の顔を隠すように頭を低くした。
私は橋を渡って運河を超え市場の広場の空き地の方を見た、その時でさえ人々は仕事で、肉屋で肉を買ったり、パン屋でパンを買ったり、秤量所で木材を量り、運河を行きかっていた。
子供たちは両親のために、丁稚は親方のために、メイドはその雇い主のために、お使いに走りまわっていた。
馬や馬車が石の上でがたがたと音を立てて通っていた。
私の右側には市庁舎があり、その金箔の前面と白い大理石の表面は、窓の上の要石から見下ろしていた。
左側には新教会があり、そこは私が16年前私が洗礼を受けた場所だった。
その高く細い塔は石造りの鳥かごを思わせた。
父が前一度連れて行ってくれたことがあった。
私は私たちの眼下に広がった、デルフトの光景を決して忘れないだろう、狭いレンガの家、急な赤い屋根、緑の水路と町の門が永遠に私の心に刻まれた。
その時私は全てのオランダの町はあんな風なのか父に尋ねたが、彼は知らなかった。
彼は他のどの都市も、徒歩で2時間のハーグさえも訪れたことが無かったのだ。
私は広場の中心に向かって歩いて行った。
そこには円の中に八芒星の形に石が敷き詰められていた。
星のそれぞれの頂点がデルフトの異なる部分を指していた。
私はそこがまさに町の中心だと考えていて、私の生活の中心と思っていた。
フランとアグネスと私は市場に走っていけるくらい大きくなってからずっとその星の図形の上で遊んでいた。
私たちの大好きな遊びは、私たちの一人が一つの星の頂点を選んで、一人が、コウノトリ、教会、一輪車、花などと、物の名前を言い、私たちがその方向に言われたものを探しに走るというものだ。
そんな風にして私たちはデルフトのほとんどの部分を探検してしまった。
しかし、一点だけは星の頂点がさす方向で行かなかった場所があった。
私たちはカトリック教徒の住むパピスト・コーナーには行ったことが無かった。
私が働くことになっている家は家から10分、ポットにお湯が沸く時間、の所なのに私は一度も通ったことが無かった。
私はカトリック教徒について何も知らなかった。
デルフトのはそんなに多くはいなかったし、私たちが使ってるの通りや店には一人もいなかった。
私たちが彼らを避けていたわけではなかったが彼らは彼らだけでいた。
彼らはデルフトの中で容認されてはいても、彼らの信仰をあからさまに誇示しないことが期待されていた。
彼らは外からは教会と見えない控えめな場所で個人的に礼拝をおこなった。
私の父はカトリック教徒と一緒に働いていた事があって、彼らは私たちと何ら変わりはないと言っていた。
もし何か違いがあるとすれば、彼らは厳格さに欠けている。
彼らは食べたり飲んだり歌ったりゲームをしたりするのが好きなんだ。
彼はあたかも彼らをほとんど羨ましがるかのように言っていた。
私は今、星のその方向に向かって、広場を超えて、他の人々よりもゆっくりと、歩いていた、というのは私はそのなじみ深さから離れることに気乗りがしなかったからだ。
私は運河の上の端を横切り、左に曲がりアウデ ランゲンダイク地区に上がって行った。
私の左には運河が道と平行に走っていて、市場の広場と区切られている。
モレンポートの交差点には家の開けたドアの横のベンチに4人の少女が座っていた。
彼女たちは、最も大きなアグネスぐらいの年齢の子供から、最も若い、多分4歳ぐらいだろう、の子供まで大きさの順で座っていた。
中ぐらいの少女は膝に赤ちゃんを抱えていて、赤ん坊は多分もう這い這いをし、すぐに歩けるだろう。
5人の子供、と私は考えた。
そしてそれは予想した通りだった。
一番年長の子供は先端にホタテ貝の貝殻を付けた中空の棒でシャボン玉を吹いていた、その道具は私のお父さんが作ってくれたものにとても似ていた。
もう一人はシャボン玉が現れる度に飛びあがって突いていた。
赤ちゃんを膝に抱いた少女はシャボン玉を吹いている少女のすぐ隣に座っていたが、余り動けず、たまにしかシャボン玉を捕まえられなかった。
一番隅の最年少の女の子は一番遠くに離れていて一番小さかったしほとんどシャボン玉に近づく機会はなかった。
2番目に若い女の子が一番すばしこくシャボン玉を素早く追いかけて両手でシャボン玉を叩いてつぶしていた。
彼女の髪の色が4人の中で一番明るく、彼女の後ろの乾いたレンガのように赤かった。
一番若い子と赤ちゃんを抱いた子は彼女たちの母親のようなブロンドの巻き毛のだった。
さらに最年長の子は彼女の父親と同じ様な黒っぽい赤毛だった。
私は明るい色の髪の女の子がシャボン玉を、家の前に対角線状に敷かれた湿った灰色と白のタイルで跳ねる直前で、叩き潰すのを見ていた。
彼女は手先が器用なんだろう、と、私は思った。
「地面に着く直前にたたくのが一番良いわね、」と、私は言った。
「そうしないとタイルをもう一度磨かなくちゃいけなくなるわ。」
最年長の少女がシャボンのパイプを下した。
4組の目が彼女たちが姉妹であることを疑わせないような、同じような目つきで私を見た。
私はここにある灰色の目の中に、明るい茶色の目の中に、頬のこけた顔に、せっかちな動きに両親のいろいろな特徴を見た。
「あなたは新しいメイドなの?」と、最年長の子が聞いた。
「私たちはあなたに気を付けるように言われたわ、」と、私が答えるよりも前に、明るい赤毛の女の子が遮って言った。
「コーネリア、行ってタンネケを連れて来て、」と長女が彼女に言った。
「あなたが行きなさいよ、アレイデェス、」と、コーネリアが、私を大きな灰色の目でじっと見つめて動かない、一番若い女の子に命じた。
「私が行くわ。」
最年長の子は、結局、私の到着が重要だと判断したに違いない。
「いいえ、私が行くわ。」、コーネリアが飛び上がって彼女のお姉さんの前を走り、私は2人のおとなしい少女と一緒にそこに残された。
私はその女の子の膝の上でぐずっている赤ちゃんを見た。
「その子はあなたの弟なの妹なの?」
「弟よ、」少女は羽根枕のように柔らかい声で答えた。
「名前はヨハネスよ。ヤンとは呼ばないでね。」
彼女は最後の言葉を、何時も繰り返し聞かされている言葉であるかのように言った。
「分かったわ。あなたの名前は?」
「リズベットよ。こっちはアレイディス。」
最年少の子は私を見てほほ笑んだ。
彼女たちはどちらも白いエプロンの付いた茶色の服を着て、帽子をかぶってきちんとした身なりをしている。
「あなたのお姉ちゃんは?」
「マートゲ。マリアって呼ばないでね。
私たちのおばあちゃんの名前がマリアって言うの。
マリア シンズ。 ここはお祖母ちゃんの家なの。」
赤ん坊が泣き始めた。
リズベットは膝の上で赤ん坊を上下にゆすった。
私はその家を見上げた。
それは明らかに私たちの家よりは大きかったが、怖れをなすほど大きくはなかった。
私たちの家は平屋なのに対し、それは2階建てで小さな屋根裏部屋が付いていた。
それはモレンポート通りが片側を走っている端の家だったので、通りの他の家よりほんの少し広かった。
それは運河に沿ってぎっちり詰まって建って、緑の運河の水に煙突と階段状の屋根を映しているデルフトの多くの家に比べると、きっちり詰まって建っている感じではなかった。
この家の一階の窓はとても高く、2階には他の家とは違って2つではなく3つの窓が通りに面して付いていた。
家の前からは、ちょうど運河を渡ったところに、新教会の塔が見えた。
カトリック教の家族にとっては奇妙な眺めだろうなあと私は思った。
彼らは決して中に入ることが無いであろう教会。
「で、あなたが例のメイド、でしょう?」
私は後ろの方から言う声を聞いた。
昔の病気で|痘痕≪あばた≫になった大きな顔の、女性が戸口のところに立っていた。
彼女の鼻は球根状でいびつで、彼女の厚い唇は互いに押し付けられて小さな口を形成していた。
彼女の目はまるで空の青さを捕まえたかのように明るい青色をしていた。
彼女は灰色がかった茶色のドレスに白いスモックを合わせて着、頭には帽子をきっちりとかぶっていて、エプロンを付けていたが、それは私の程清潔ではなかった。
彼女は戸口をふさぐように立っていたので、マートゲとコーネリアは彼女を押しやって外に出なければならなかった、そして彼女はまるで挑戦を待っているかのように腕を組んで私を見ていた。
彼女は既に私に恐れを抱いているのだろう、と私は思った。
もし私がそうさせるなら、彼女は私をいじめるだろう。
「私の名前はグリエットです、」と私は彼女を平然と見つめながら言った。
「新しいメイドです。」
その女性は腰の重心を入れ替えた。
「じゃあ、中に入った方が良いね、」と彼女が暫くしていった。
彼女が暗い室内に入って行ったので、戸口が入れるようになった。
私は敷居を跨いだ。
初めて玄関に入ったとき、いつも思い出すのは絵のことだった。
私はドアの内側で立ち止まった、ドアノブを握りしめじっと見つめた。
私は前にも絵を見たことがあったが、私の家ではそれほどたくさんの絵を見たことはなかった。
私は11枚を数えた。
一番大きなものは、ほぼ裸の2人の男が相撲を取っているものだった。
私はそれが聖書の物語から取ったものなのかどうかわからなかった、カソリックに独特の物なのだろうかと思った。
他の絵は、果物が盛られているものや、景色や、海の上の船や、肖像画だった。
何人かの画家によるもののようだった。
私はどれが私の新しい主人が描いたものかしらと思った。
私が彼に期待していたものは何もなかった。
後で、私はそれらがすべて他の画家によるもので、彼は自分で描き終わった絵を家に置くことはめったにないと分かった。
彼は芸術家であると同時に画商でもあり、ほとんどどの部屋にも絵を飾っていた、私が眠る部屋にも。
それらが売れる度に数は変わったが、全部で50以上の絵があった。
「すぐ来なさい、のんびりしている暇はないわよ。」
女性は家の片側に沿って奥まで続く長い廊下を歩いて行った。
私は急に左側の部屋に曲がる彼女について行った。
真向いの壁には私よりも背の高い絵が掛けてあった。
それは十字架のキリストを聖母マリア、マグダラのマリア、聖ヨハネが取り囲んでいる絵だった。
私は見つめないようにしようとしたが私はその大きさとその被写体に驚いてしまった。
「カトリックは私たちとそれほど違わない、」と私の父は言っていた。
しかし、私たちはそんな絵を家にも、教会にも、どこにも持っていなかった。
今は私はこの絵を毎日見ることができるだろう。
私はいつもその部屋を磔刑の部屋だと思うことにしていた。
私はその部屋では決して快適ではなかった。
私は絵画にとても驚いたので、隅にいる女性がしゃべるまで彼女に気付かなかった。
「まあ、あなた、」と、彼女が言った、「それはあなたにとっては初めて見るものね。」
彼女はパイプを吸って、心地よさそうな椅子に座っていた。
パイプを噛んでいる彼女の歯は茶色になっていて、指はインクが滲んでいた。
彼女の黒いドレス、レースの襟、しっかりした帽子などの、彼女の指以外は汚れは無かった。
彼女の皴のよった顔は厳格だったが彼女の明るい茶色の目は楽しそうだった。
彼女は誰よりも長生きするかのように見える種類の老婆だった。
私は突然、彼女がカタリーナのお母さんだ、と思った。
それは単に彼女の目の色や同じように帽子から飛び出している灰色の巻き毛だけの為ではなかった。
彼女はカタリーナを世話をすることよりももっと能力のない人を世話をすることが慣れているような立ち居振る舞いをしていた。
今私はなぜ彼女の娘ではなくて私が連れてこられたのかが分かった。
彼女は私を何気なく見ているようだったが、その視線は注意深かった。
彼女が目を細めた時、私は彼女が私の考えている事は全てわかっていたのだと気が付いた。
私は帽子で顔が隠れるように首を傾げた。
マリア・シンズは煙草をふかし、笑みを浮かべた。
「そうよ、お嬢ちゃん。
あなたは、あなたは考えを自分自身に留めておくのよ。
そんな風に、私の娘のために働くことになるの。
彼女は今、お店に買い物に外出中よ。
ここにいるタンネケがあなたを案内して、あなたの仕事を説明してくれるわ。」
私は頷いた。「はい、奥様。」
老婆の横に立っていたタンネケが私の横を通り抜けた。
マリア・シンズの目が私の背中をじっとているのを感じながら、私はタンネケの後を追った。
私はもう一度彼女がくすりと笑うのを聞いた。
タンケネはまず調理と洗濯用の部屋と2つの保管庫あるの有る家の後ろの部屋に連れて行った。
洗い場は、たくさんの白い洗濯物を干した小さな中庭へと続いていた。
「まず、初めにこれにアイロンをかけてちょうだい、」と、タンネケが言った。
私は何も言わなかったが、洗濯ものはまだ昼間の太陽で十分漂白されているようには見えなかった。
彼女は私を中に連れ戻し、梯子が下の方に繋がっている保管部屋の一つの床の穴を指さした。
「あなたはそこで眠るのよ、」と、彼女は言った。
「今あなたの持ち物をそこに置いて、後で片付けなさい。」
私はしぶしぶ、アグネスとフランと私が怪物を探して運河に石を投げたことを思いながら、私の包みを薄暗あい穴に落とした。
私の持ち物は汚い床の上にどさっと落ちた。
私はリンゴの木がその実を落とした時のような気分になった。
私はタンネケについて廊下を戻り、そこは全ての部屋に通じていて、私たちの家よりずっと多い部屋があった。
マリア・シンズが座っている磔の部屋の隣は、家の正面の方に向かって子供たちのベッドとおまると小さなテーブルとイス、椅子の上にはたくさんの土器、ロウソク、ロウソクの芯切り鋏、服がごちゃごちゃにおいてある、小さめの部屋があった。
「子供たちはここで寝るの、」と、タンケネが呟いた、多分部屋が乱雑だったのが恥ずかしかったのだろう。
彼女はふたたび廊下を上がって行って大きな部屋のドアを開けた、そこには前の窓から赤と灰色のタイルの床に光が降り注いでいた。
「大広間よ、」と、彼女が呟いた。
「ご主人と奥様がここで寝るの。」
彼らのベッドには緑色の絹のカーテンが掛かっていた。
部屋の中には、黒檀がはめこまれた食器棚、いくつかのスペイン製の革製の椅子を周りに配した、窓際に押しやられた白木材のテーブルがあった。
しかし、またしてもそこには私の心を打つ絵があった。
この部屋には他の部屋よりも多くの絵が掛けられていた。
私は無言で19個を数えた。
そのほとんどは肖像画で、両方の家族を描いたもののようだった。
聖母マリアと、3人の王の一人が、|幼子≪おさなご≫キリストを拝んでいる絵もあった。
私はその2枚の絵を不安げに見上げた。
「今度は2階よ。」と、タンネケは先に立って階段を上がって行き、指を唇に当てた。
私はできるだけ静かに登った。
一番上で見回して、閉まったドアを見た。
ドアの後ろには、私が彼だと分かった沈黙があった。
私はドアが開いて彼が現れた場合に備えて、ドアにじっと目をやったまま、立っていた。
タンネケが私の方に身を乗り出して囁いた、「あなたはそこに入って掃除することになるわ、若奥様が後であなたに説明するでしょうけど。
そして家の後ろの方へ向かうドアを指さして、「これらの部屋は、私の女主人の部屋です。
私だけが掃除するために入ります。」と言った。
私たちは再び階下に降りた。
私たちが洗い場兼台所に帰った時、タンネケが、「あなたは家の洗濯を受け持つことになるわ。」と、言った。
彼女は洗濯が全然追いつかず、大量の山になった衣類を指さした。
私は追いつくの為に格闘することになるでしょう。
「料理用台所には貯水タンクがありますが、洗濯用には運河で洗濯するのがいいでしょう、町のこの部分では十分清潔ですから。」
「タンネケ、あなたは今までこれを全部ひとりでやっていたんですか?家の料理、掃除、洗濯を。」と、私は低い声で言った。
私は正しい言葉を使った。「それに、買い物の一部。」
タンネケは自分の勤勉さに誇らしげに胸を張った。
「勿論、若奥様が大部分をやっておられますが、子供を身ごもられた時は生肉と魚は避けられます。それもしょっちゅう、」と、彼女は囁き声で付け加えた。
「あなたは肉屋と魚屋へも行くことになります。
それもあなたの仕事になるでしょう。」
それを言って彼女は私を台所に残して去って行った。
この家には私を含め10人の人がいた、一人は他の人よりもっと多くの服を汚す子供です。
私は毎日洗濯することになり、私の両手は石鹸と水で赤切れがとひび割れができ、私の顔は流れに立っている事で赤くなり、背中は濡れた布を運ぶことで痛み、腕はアイロンがけで焼けつくようだった。
しかし、私は新人であり、私が一番大変な仕事をすることになるのは予想されたことでした。
洗濯ものは洗う前に一日水に浸ける必要があった。
私は地下室に続く保管庫で2つの|白目≪しろめ≫製の水を入れるポットと銅製の薬缶を見つけた。
私はポットを持って長い廊下を玄関に向かって歩いて行った。
少女たちはベンチに座っていた。
今はマートゲが赤ちゃんのヨハネスにミルクに浸し柔らかくしたパンを食べさせていて、リズベットがシャボン玉を吹く役だった。
コーネリアとアレイディスがシャボン玉を追いかけていた。
私が姿を現した時、彼女らはみんなやっていた事を止めて、期待を込めた様子で私を見た。
「あなたが新しいメイド、」と、明るい赤い髪の女の子が宣言した。
「そうよ、コーネリア。」
コーネリアは小石を拾って、道の向こうの運河に投げた。
彼女の腕の上下には長いひっかき傷があった、家の猫に引っかかれたのだろう。
「あなたは何処で眠るの?」と、マートゲがぐちゃぐちゃになった指をエプロンで拭きながら聞いた。
「地下室でよ。」
「私たちはあそこが好きよ、今すぐあそこに行って遊びましょうよ!」と、コーネリアが言った。
彼女は家の中へ駆け込んだが、それほど遠くには行かなかった。
だれも彼女について行かなかったので彼女は戻って来、彼女の顔はイラついていた。
「アレイディス、」と、私は最も若い女の子の方に手を伸ばして言った、「どこで運河の水が汲めるか教えてくれる?」
彼女は私の手を取って私を見上げた。
彼女の目は2枚のピカピカの銀貨のようだった。
私たちは通りを横切った、コーネリアとリズベットがついてきた。
アレイディスは私を水辺に降りる階段に案内した。
私たちが水面を除くとき、私は数年前にフランとアグネスと水辺に立った時は何時もするように、彼女の手をしっかりと握った。
「端から離れなさい、」と、私は命じた。
アレイディスは素直に一歩下がった。
しかしコーネリアは私が階段を下りて鍋を運ぶすぐ後ろをついてきた。
「コーネリア、あなたは私が水を運ぶのを手伝ってくれるの?
もしそうじゃないなら、あなたの姉妹の所に戻りなさい。」
彼女は私を見て、その後、最悪の事をした。
もし彼女が不機嫌になったり叫んだりしたら、私は彼女の扱い方を習得しただろう。
しかしそのかわりに彼女は笑ったのだった。
私は彼女に近づいて行って彼女をひっぱたいた。
彼女の顔は赤くなったが彼女は泣かなかった。
彼女は階段を駆け上がって戻って言った。
アレイディスとリズベットが私を厳かな表情で見下ろしていた。
私はその時感じた。
これが私と彼女の母との間の関係性になるだろう、と私は思った。
ただし、私は母親をひっぱたくことはできないけど。
私はポットに水を満たし階段の一番上まで運んだ。
コーネリアはいなくなっていた。
マートゲはまだヨハネスを抱いて座っていた。
私はポットの一つを中に入れ調理場に戻り、火をおこし、銅の薬缶に水を入れて、お湯を沸かすために火にかけた。
私が戻った時、コーネリアは又、外にいて、彼女の顔はまだ赤みを帯びていた。
女の子たちは灰色と白のタイルの上で|独楽≪こま≫で遊んでいた。
私が残しておいたポットはなくなっていた。
私が運河を見ると、それが階段から手も届かないところでひっくり返って浮いているのが見えた。
「そうよあなたは手に余るわ、」と、私はつぶやいた。
私はポットを引っ掛けて取る棒を探したが見当たらなかった。
私はもう一つのポットに水を満たして、私の顔が少女たちに見られないように顔を背けて、中に運んだ。
その鍋を、火にかけた薬缶の隣に置いた。
その後、私はもう一度外に出てた、今度は箒を持って出た。
コーネリアがポットに石を投げていた、多分沈めようとしているのだろう。
「やめなければもう一度ひっぱたくわよ。」
「お母さんに言いつけるわ。メイドは私たちを叩かないものよ。」と、コーネリアは別の石を投げた。
「あなたがやったことをあなたのお祖母さんに言いましょうか?」
コーネリアの顔に恐怖が浮かんだ。
彼女は持っていた石を落とした。
市庁舎の方から運河に沿ってボートがやって来ていた。
私はその男がその日の早い時間から舟を操っていたのに気が付いていた。
彼は荷物のレンガを配達していて、舟はかなり沈んでいた。
彼は私を見てにやりと笑った。
私は顔を赤らめた。
「お願いいたします、」と、私は言った、「そのポットを取ってくださいますか?」
「ああ、今、私に何かしてほしくて私を見ていたんだね、そうだろう?変わったもんだ!」
コーネリアは私を興味深げに見ていた。
私は、耐えた。
「ここからはポットに届かないの、あなただと多分できるわ。」
男は身を乗り出し、ポットを捕まえて中の水を出して私に渡した。
私は階段を下りて行って彼からそれを受け取った。
「ありがとう、感謝しています。」
彼はポットを手放さなかった。
「私がもらえるのはそれだけ?キッスは無いの?」
彼は手を伸ばして私の袖を引っ張った。
私は腕を引き離し鍋をもぎ取った。
「今度じゃなくて、」と、私はできるだけ軽く言った。
私はその手の話は得意ではなかった。
彼は笑った。
「ここを通る時は、毎回鍋を探すことにするよ、そうだろう、お嬢さん?」と、彼はコーネリアに向かってウインクした。
「鍋とキス。」
彼は竿を持ち上げて舟を岸から押し出した。
私が通りに戻るために階段を上がっていると、2階の真ん中の窓に人の動きを見たように思った、その部屋は彼がいる部屋だ。
私はじっと見たが、反射した空以外何も見えなかった。
私が中に夜で洗濯物を干していると、カタリーナが帰ってきた。
最初に玄関で鍵がじゃらじゃら鳴る音が聞こえた。
鍵は彼女の腰のすぐ下に大きな束になって掛かっていて、彼女のお尻にあったって跳ねていた。
私には不快に見えたが、彼女はそれを誇らしげに身に付けていた。
それから、彼女が調理場に入り、タンネケと店から物を運んできた少年に何か命じているのが聞こえた。
彼女は両方に対し厳しい口調で話していた。
私はベッドシーツ、ナフキン、枕カバー、テーブルクロス、シャツ、上着、エプロン、ハンカチ、襟、帽子を下ろして畳み続けていた。
それらは無造作に干されていて、場所によっては束になっていたので、布のところどころがまだ濡れていた。
そしてそれらは干す前に振ってなかったので、いろんなところに皴があった。
私はそれらを見栄え良くするために一日の大部分、アイロンがけすることになった。
カタリーナが戸口に現れて、彼女は太陽はまだ最も高くなっていないのに暑くて疲れているように見えた。
彼女の薄手のノースリーブのワンピースはぐちゃぐちゃに膨らんで青いドレスの上にはみ出していて、その上に来ていた緑色の部屋着は既にしわくちゃだった。
彼女のブロンドの髪はそれを押さえつける帽子をかぶっていなかったので、今まで以上に縮れていて、髪のカールは、髪を束ねる櫛に逆らっていた。
彼女はあたかも、しばらく、その水を見ることで静かで冷静になるに違いない、運河の傍で静かに座る必要があるように見えた。
私はどんな風に彼女に接すればいいのか確信が持てなかった。
私はメイドになったこともなかったし、家にメイドがいたこともなかった。
私たちの通りには召使は一人もいなかった。
誰もそれを雇う余裕はなかったのだ。
私はたたんでいた洗濯物を籠に入れ、彼女を見て頷いた。
「おはようございます、奥様。」
彼女は眉を顰め、私は彼女に最初にしゃべらせればよかったと気が付いた。
私はもっと彼女に気を配らなければならなくなるだろう。
「タンネケは家を案内してくれた?」と、彼女が言った。
「はい、奥様。」
「そう、じゃあ、何をやればいいか分かっているでしょうし、その事をやることになるでしょう。」
彼女はその後、何と言葉を続ければいいのか戸惑っているように、躊躇した、そして私は、私が彼女のメイドとしてどうあるべきか知らない以上に、彼女が私の女主人としてどうあるべきか、ほとんど分かっていないことが分かってきた。
タンネケは多分マリア・シンズによりしつけられてきていて、今も彼女の命令に従っているのだろう、カタリーナが彼女に何と言おうと。
私は彼女がそうと見えないように彼女を助けなければならないことになるだろう。
「タンネケは私に洗濯のこと以外でも、肉や魚を買いに行ったりしてほしいってあなたがおっしゃっていたって説明していました、奥様。」と、私は優しく提案した。
カタリーナの顔が明るくなった。
「そうよ。あなたの洗い物がここで終わったら、彼女は連れて行くでしょう。その後は毎日自分で行くのよ。
それと私が必要になった時は他の雑用もやるのよ、」と、彼女は付けくわえた。
「はい、奥様。」と言って、私は待った。
彼女が他に何も言わないので私は男物の|亜麻布≪リネン≫のシャツに近づき、洗濯紐から外した。
カタリーナはそのシャツをじっと見ていた。
「明日、」と、彼女は私がそれを畳んでいる時に言った、「あなたが掃除することになっている2階を見せてあげましょう。朝一番に。」
私が返事をする前に彼女は中に入っていまった。
洗濯ものを取り入れた後、私はアイロンを見つけて、それをきれいにして、温めるために火に掛けた。
タンネケがやって来て私に買い物バケツを手渡した時、私はちょうどアイロンがけを始めたところだった。
「今からお肉屋さんに行くわよ、」と、彼女が言った、「今、肉が必要なの。」
私は彼女が台所で|パースニップ≪清正ニンジン≫を刻んでいるのが聞こえていて、それを炒めている匂いがしていた。
家の前の外では、カタリーナの傍でリズベットがスツールに座り、ヨハネスがゆりかごで寝、カタリーナがベンチに座っていてた。
彼女はリズベットの髪を梳き、虱を探していた。
彼女の横ではコーネリアとアレイディスが裁縫をしていた。
「だめよ、アレイディス、」と、カタリーナが言っていた、「糸を真っ直ぐ引っ張りなさい、緩すぎよ、コーネリア、アレイディスに見本を見せてあげなさい。」
私は彼女たちがみんなでそれほど静かにしているとは考えたことも無かった。
マートゲが運河の方から走って来た。
「お肉屋さんに行くの?私も言っていい?ママ?」
「タンネケから離れないで、彼女の事を気にかけているならばね。」
私はマートゲが一緒に来るのがうれしかった。
タンネケはまだ私を警戒していたが、マートゲは陽気ですばしっこいので友達になりやすかった。
私はタンネケにマリア・シンズの為に何年間働いてきたか尋ねた。
「ああ、何年もね、」と、彼女は答えた。
「ご主人と若奥様がご結婚なさりここにきて住まわれる数年前からだよ。
わたしはお前より年が行かないときに働き始めたんだよ。
ところでお前はいくつなんだい?」
「16歳です。」
「私は14歳で働き始めた、」と、タンネケは誇らしげに続けた。
「生涯の半分をここで働いてきたのさ。」
私だったらそんなことを誇らしげに言う事はなかっただろう。
彼女の仕事は彼女を消耗させていたので、28歳という彼女の年齢にしては年をとって見えていた。
肉屋はちょうど市役所の後ろで、マーケット広場の南西にあった。
その中には32の屋台があり、数世紀にわたりデルフトにあった。
主婦やメイドが家族のために忙しく肉を選び、交渉し、買い、男たちが枝肉を前後に運んでいた。
床の上のおがくずは血液が沁み込み靴と服の裾にくっついた。
私はかつては毎週ここに来ていて、その匂いには慣れていたはずなのに、空中には血の匂いが漂っていて、それはいつも私を震えさせた。
それでも、慣れ親しんだ場所に来て嬉しかった。
私が、私たちがお父さんの事故の前から肉を買っていた屋台の前を通り過ぎた時、その肉屋が私に声をかけた。
私は彼に微笑みかけ、知った顔に会えてほっとした。
それは一日の内で初めて私が笑った時だった。
一日で、それほどたくさんの人々に会い、それほどたくさんの事を知り、それほど私の生活を構成するありふれたことから離れたことをするのは奇妙なことだった。
前には、もし私が新しい誰かに会うとすると、私は何時も家族と隣人に囲まれていた。
もし私が新しい場所に行くとすると、私はフランやお母さんやお父さんと一緒で何の脅威も感じなかった。
新しいものは、靴下のほころびのように、古いものの中に織り込まれていたのです。
フランは彼が見習いに出て間もなくの頃、ほとんど逃げ出しそうになったと言っていた、それは仕事がきつかったからではなく、毎日毎日変わったことに直面することができなかったからだと言っていた。
そこに留まったのは、私たちのお父さんが貯金を全て彼の見習い費用に使ってしまっていたからで、彼が家に帰ってもすぐに追い返すだろうことを知っていたからだった。
それに加えて、もし彼が別の世界でどこか別のところに行ってももっと奇妙なことを見たことだろう。
「一人の時、あなたに会いに来るわ、」と、私は肉屋に囁いた。
その後、タンネケとマートゲに追いつくために急いだ。
彼らはずっと向こうの屋台で立ち止まっていた。
そこの肉屋は白髪交じりのブロンドの巻き毛の明るい青い目をした、ハンサムな男だった。
「ピーター、こちらはグリエット、」と、タンネケが言った。
「これから彼女が肉を取りに来るわ。あなたはいつも通り私たちの勘定に加えてちょうだい。」
私は彼の顔に目を留めようと努力したが、彼の血の飛び散ったエプロンを見ないわけにはいかなかった。
私たちの肉屋は商売をしている時は、何時も清潔なエプロンを付けていたし、血が付けばいつもそれを換えていた。
「ああ、」と言って、ピーターは私を今からローストしようとしている太った鶏でもあるかのように私をじろっと見た。
「今日は何にします?グリエット?」
私はタンネケの方を振り向いた。
「チョップ4ポンド(2kg)とタン1ポンド(500g) "と彼女は注文した。
ピーターは笑った。
「それであなたはどう思います、お嬢さん?」とマートゲに向かって言った。
「うちではデルフトで一番いいタンを売っているでしょ?」
マートゲが頷いて関節、チョップ、タン、豚足、ソーセージの陳列をじっと見ながら、くすくす笑った。
「グリエット、あなたは私がこのホールで一番いい肉を持っていて、一番正直な秤を持っていると分かるでしょう、」と、ピーターがタンを計りながら言った。
「あなたは私について不満を言う事は無いでしょう。」
私は彼のエプロンをじっと見て、言葉を飲み込んだ。
ピーターはチョップとタンを私が持ってきたバケツに入れ、私にウインクし、次の客に対応するために振り返った。
私たちは精肉ホールのちょうど隣にある次の魚の売り場に行った。
カモメが売り場の上を飛んで、魚屋が魚の頭と内臓を運河に投げるのを待っていた。
タンネケが私を魚屋に紹介した、勿論その魚屋も私たちが買っていた魚屋とは違う魚屋だった。
私は毎日肉と魚を交互に食べることになるのだった。
私はそこを去る時、カタリーナと子供たちがベンチに座っている、その家に帰りたくなかった。
私は歩いて家に帰りたかった。
私はお母さんの台所に入り、バケツいっぱいのチョップをお母さんに渡したかった。
私は数か月肉を食べていなかった。
カタリーナは私たちが帰った時、コーネリアの髪を梳いていた。
彼女たちは私に気も留めなかった。
私はグリルの上の肉をひっくり返したり、大広間のテーブルに物を持って行ったり、パンを切ったりして、タンケネの夕食を手伝った。
食事の準備が整うと少女たちが入って来て、他の人々が大広間に座る間、マートゲが台所でタンネケに加わった。
私はちょうどタンネケが出しっぱなしにしていたタンを保管庫の中の肉用の樽の中に置こうとしていた。
そして、彼が外から現れた時、猫がまさにそれを盗ろうとしていた。
彼は長い廊下の端に帽子をかぶり外套を着て立っていた。
私は黙って立っていて、彼が立ち止まった、光が彼の後ろから照らしていたので私には彼の顔は見えなかった。
私は彼が廊下を通して私を見ていたかどうかは分からなかった。
暫くすると、彼は大広間に消えて行った。
タンネケとマートゲは、私が磔の間で赤ん坊を世話している間、給仕をしていた。
タンネケが給仕を終わった時、彼女は私と合流し、私たちは家族が食べたものを飲み食いした、チョップ、|アメリカボウフウ≪パースニップ≫、パン、ビールなど。
ピーターの肉は私たちの肉屋の程は良くなかったが、長い間食べていなかったので歓迎すべき味だった。
パンは私達が食べていた安い茶色のパンより、むしろライムギパンだったし、ビールもそれほど水っぽくなかった。
私はその夕食で家族の給仕をしなかったので彼には会わなかった。
時々、彼の声を聞いたが、たいていマリア・シンズと一緒だった。
その声の調子から、かれらがうまくやっているのは明らかだった。
夕食後、タンネケと私は後かたずけをし、そして台所と保管室の床をモップで拭いた。
それぞれの台所の壁は白いタイル張りで、暖炉は青と白の一部鳥、他の部分は船、別の部分は兵隊たちの描かれたデルフトタイルが貼られていた。
私はそれらを注意深く見たが、私のお父さんの描いたものは一枚もなかった。
私はその日の残りの大部分を洗濯場でアイロンかけをして過ごし、時々火をおこすためにアイロンがけを止め、薪を取って来て、暑さから逃れるために中庭に行った。
女の子たちは家を出入りし遊んでいて、時々私を見に入って来て、火をつつき、別の時にはタンネケが台所で居眠りしているのを見つけては、彼女をからかったりし、ヨハネスは彼女の足元ではい回っていた。
彼女たちは少し私に不安を感じていたようだった、たぶん彼女たちは私が彼女たちをひっぱたくかもしれないと考えていたのだ。
コーネリアは嫌な顔で私をにらみつけ、部屋の中に長くは留まらなかったが、マートゲとリズベットは私がアイロンをかけた服を持って行って大広間にある戸棚に持って行ってくれた。
彼女たちの母はそこで眠っていた。
「赤ちゃんが生まれる最後の月は彼女は一日の大部分を彼女の周りに枕を支えにして、ベッドにいる事になるでしょう、」と、タンネケが打ち明けた。
マリア・シンズは夕食の後、二階の自分の部屋に行ってしまった。
しかし一度、彼女が廊下に立っている時、彼女の物音を聞いた、私が見上げると私を見ていた。
彼女は何も言わなかったので、私はアイロンがけに戻り、彼女がそこにいないふりをした。
暫くして私は彼女が頷いて、去っていくのが私に目の隅に捉えられた。
彼には二階にお客さんがいた。
2人の男の声が階段を上がって行くのが聞こえた。
その後、彼らが降りて来るのを聞いたとき、私はドアの所で彼らが出て行くのを覗き見した。
彼と一緒にいた男は太っていて、帽子に長く白い羽根を付けていた。
暗くなると私たちはろうそくを点けて、他の人々が大広間でタンを食べている間に、タンネケと私は子供たちと一緒に磔の部屋で、パンとチーズを食べ、ビールを飲んだ。
私は注意して磔の絵を背にして座った。
私はとても疲れていたのでほとんど考えることもできなかった。
家では私は同じくらい一生懸命仕事をしたことがあったが、全ての事が初めての奇妙な家でずっと緊張して真面目な顔をしているの程、疲れたことはなかった。
家では、私はお母さんやアグネスやフランと一緒に笑うことができた。
ここでは一緒に笑う人がいないのだ。
私はまだ私が眠る事になっている地下室に降りて行っていなかった。
私はろうそくを持っていたが、ベッドと枕と毛布より外側の周りを見るにはあまりにも疲れていた。
涼しく新鮮な空気を入れるため地下室の落とし戸を開け放し、靴と帽子と服を脱ぎ、短くお祈りをし、横になった。
私のベッドの足元に掛かっている絵に気が付いたのは、私がロウソクを吹き消そうとしていた時だった。
私は今や立ち上がって、目を大きく見開いた。
それは二階にあるものよりも小さな、十字架の上のキリストの別の絵だったが、さらに気持ちを乱すものだった。
キリストは苦痛に頭を後ろにそらし、マグダラのマリアが目を丸くしていた。
私はそれから目を話すことができず、用心深く横たわった。
私はその絵のある部屋で眠ることなど想像できなかった。
私はそれを下ろしたかったが、敢えてそうしなかった。
結局、私はろうそくを吹き消した。
私は私の新しい家での最初の日に、ロウソクを無駄使いすることはできなかったのだ。
私はもう一度横になり、私の目はその絵が掛かっていると私が知っている場所に釘付けになったままだった。
その夜私は眠ろうとしてもよく眠れなかった。
私は何度も目を覚ましその絵を探した。
私は壁に何も見ることはできなかったが、絵の全ての細かい部分が私の心の中に沁みついていた。
ついに、明るくなりかけた時、又絵が現れ、聖母マリアが私を見下ろしていると確信した。
私は朝起きた時、その絵を見ないようにして、その代わりに、上の保管室の窓から差し込む薄暗い光の中で地下室の中にある物を良く観察しようとした。
見るべきものはあまりなかった、タペストリーで覆われた、積み重なった椅子に、壊れた椅子が数脚、壁に立てかけられた、鏡ともう2枚の静物画の絵。
もし私が磔の絵と静物画を入れ替えたら、だれか気が付くだろうか?
コーネリアは気が付くだろう。
そして彼女は母親に言うだろう。
私はカタリーナや他の誰かが私がプロテスタントであることをどう思っているのかは知らなかった。
自分でそれを意識しなければならないのは奇妙な感覚だった。
私は今までに数の多さで負けたことはなかった。
私は絵に背を向けて梯子を上って行った。
カタリーナの鍵が家の前でガチャガチャ鳴って、私は彼女を見つけに行った。
彼女はまるで半分眠っているかのように、ゆっくりと動いていたが、彼女は私を見て体を起こそうと努力した。
彼女は私に階段に導いて登らせ、ゆっくりと手すりにつかまって、体を引き上げながらゆっくりと登った。
アトリエで鍵を探して開け、ドアを押し開けた。
部屋は暗く、シャッターが閉まっていた。
シャッターの隙間から少しだけ見えた。
部屋からは、夜タイル工場から帰ってきたときの私の父親を思い出させる亜麻仁油の鋭い匂いが漂ってきた。
それは木と刈ったばかりの乾草が一緒になった様な臭いだった。
カタリーナは、敷居の所で立ち止まったままだった。
私はあえて彼女より先には入らなかった。
気まずい沈黙の後、「じゃあ、シャッターを開けて。左側の窓じゃなくて、真ん中と向こうの窓だけよ。それと真ん中の窓の下の部分だけよ。」
私は部屋を横切り、イーゼルと椅子を避けながら、真ん中の窓に進んでいった。
私は低い窓を引っ張って開けて、その後シャッターを開けた。
私は、カタリーナが私を戸口のところで見ている間は、イーゼルの上にある絵を見なかった。
机は椅子と一緒に、右側の窓の隅に押しやられていた。
椅子の背と座面は黄色の花と葉で装丁された革だった。
「そこら辺の物を何も動かさないでね、」と、カタリーナが私に念を押した。
「それは彼が今描いているものだから。」
私がつま先立ちをしたとしても、上の窓とシャッターに手が届くには小さすぎた。
私は椅子の上に立たなければならないだろうが、彼女の前でそうしたくはなかった。
彼女は私が失敗するのを待っているようにして、私を緊張させた。
私はどうしたらいいのか考えた。
私を救ったのは赤ん坊だった、赤ん坊が下の階で泣き始めたのだ。
カタリーナが片方の腰からもう一方の腰に重心を移した。
私は躊躇していると、彼女は我慢できなくなり、ついにヨハネスの面倒を見るために去って行った。
私は急いでよじ登って窓の木枠の上に注意深く立って、上の窓を引っ張って開け、体を乗り出してシャッターを押し開けた。
下の通りを見下ろし、タンネケが家の前のタイルをこすっているのを覗き見した。
彼女は私に気付かなかったが、彼女の後ろを、濡れたタイルを横切って歩いていた一匹の猫が立ち止まって私を見上げていた。
私は下の窓とシャッターを開け椅子から降りた。
私の前で何かが動いて、私は凍り付いた。
動きが止まった。
それは私だった、2つの窓の間に掛かっている鏡に映った私だった。
私は自分自身をじっと見た。
不安で罪悪感のある表情をしていたが、私の顔は光を浴びてもいて、私の肌を輝かせていた。
私は驚き、見つめ、その後鏡から目を離した。
時間ができたので部屋を見渡した。
それは階下の大広間ほどではないにしても、四角で大きな空間だった。
窓が開いているので、明るく風通しが良く、壁は漆喰塗りで、床は灰色と白の大理石のタイルで、濃い色のタイルが四角い十字の模様にはめ込まれている。
モップで床を拭いたときに漆喰が濡れないように天使の描かれたデルフトタイルが壁の一番下に一列に並んでいた。
それらは私の父が焼いたタイルではなかった。
大きな部屋なのに、家具はほとんど置かれていなかった。
真ん中の窓の前にはイーゼルと椅子があり、右の端の窓の前にはテーブルが置かれていた。
テーブルの横に、私がそこに立った時に踏み台にした、真鍮の鋲で釘付けされた無地の革製の椅子があり、椅子の支柱の上部には2頭の獅子の頭が彫られていた。
椅子とイーゼルの後ろの奥の壁には小さな食器棚があり、引き出しは閉まっていて、清潔なパレットの横には数本の刷毛とひし形の刃の付いたナイフが上に置かれていた。
食器棚の横には紙と本と印刷物ののった机があった。
入口近くの壁に、もう2脚のライオンの頭の彫られた椅子が置かれていた。
それは日常生活のごたごたから無縁の秩序だった部屋だった。
それは他の部屋とは異なっているように感じられ、まるで別の家にいるかのようだった。
ドアを閉めれば、子供の叫び声も、カタリーナも鍵のじゃやじゃらなる音も、私たちの箒で履く音も、聞き取ることは難しかった。
私は箒と水の入ったバケツと雑巾を持ってきて、掃除し始めた。
私は絵の道具が置かれている、物を動かしてはいけないと分かっている隅から掃除を始めた。
私はそこに上って窓を開けようと四苦八苦した時に使った椅子に膝をついて窓と角の隅に掛かっている黄色いカーテンの襞を乱さないように軽く触れて、埃を払った。
ガラス窓の枠は汚れていて温かいお湯でこする必要があったが、彼がきれいにしてほしいのかどうかは確信が持てなかった。
カタリーナに聞いてみなければならないだろう。
私は椅子の埃を払い、真鍮の支柱とライオンの頭を磨いた。
テーブルはしばらくの間ちゃんときれいにされていなかった。
誰かがそこに置かれたもの、パウダーブラシ、パウダーボウル、手紙、黒い陶器のポット、片側に積み重なって端の方にかけてあった青い布、のまわりを拭いていたが、それらはテーブルをほんとうにきれいに掃除するためには動かさなければならなかった。
私は母が言ったように、それをまるで触れていないかのように動かして、元に戻す方法を見つけなければならなかっただろう。
手紙はテーブルの隅の近くにあった。
もし私が紙の端に沿って親指を置き、人差し指をもう一方に沿って置いて、私の小指をテーブルの端に引っ掛ければ、私は手紙を動かして、埃を拭いて私の指が示す場所に戻すことができるはずだ。
私は指を端に当てて、息を吸い、それから手紙を動かし、塵を拭き、素早い一回の動きでそれを戻した。
私はなぜそれを素早くやらなければならないと感じたのかは、確信が持てなかった。
手紙は、ちゃんと正しい場所におかれたようだったが、それは彼だけにしか分からないことだ。
それにしても、これが私のテストであるなら、それを終わらせるのが最善だ。
私は自分の手で手紙からパウダーブラシの距離を測って、それから指をそのブラシの片側からいろいろな場所に置いた。
パウダーブラシを取り外し、ほこりを払い、元に戻し、手紙とパウダーブラシの距離を測った。
パウダーボウルでも同じことをやった。
これが私が何も動かしたようには見えないで掃除をしたやり方だった。
私はそれぞれの物と周りの物との関係と、その間の空間の距離を測ったのだった。
テーブルの上の小さなものは簡単だった、家具はより難しかった、私は脚を使い、膝を使い、時には椅子を移動して元どうりするのに肩や顎を使った。
私はテーブルの上に乱雑に積み上げられている青い布をどうしたらいいか分からなかった。
もし布を動かせば、私はその折重なりを正確につけることができないだろう。
私がそれを掃除する方法を見つけるまで、彼がそれを掃除していないことに気付かない事を願って、1日か2日、今の所そのままにしておこうと感じた。
部屋の残りの部分に関しては私はそれほど注意しなくてよかった。
私は床の、壁の、窓の、家具の、埃を取り、掃き掃除をし、モップ掛けし、一部屋を満足いくまで充分掃除をやったという満足感を得るまでしっかり掃除した。
テーブルと窓の有る方の反対の隅には、物置部屋に続くドアがあり、絵やカンバスや椅子や収納箱、皿、便器、コートラック、一列に並んだ本、がいっぱい入っていた。
私はそこも、それらの物がよりきちんとなるように整頓してきれいに掃除した。
それでも、私はイーゼルの周りをきれいにすることは避けた。
何故だか分からなかったが、そこに掛かっていた絵を見ることが不安だった。
しかし遂にそこ以外掃除する場所がなくなってしまった。
私はイーゼルの前の椅子の埃を払い、それから絵を見ない様にして、イーゼル自体をきれいにし始めた。
私が黄色いサテンの布を覗いたとき、私は掃除を止めなければいけなかった。
マリア・シンズが話しかけてきたとき、わたしはまだその絵をじっと見ていた。
「普通見られないわよね、それ、でしょ?」
わたしは彼女が入って来るのが聞こえなかった。
彼女は戸口の内側にちょっと屈んだ格好で、レースの襟の有る立派な黒いドレスを着て立っていた。
私は何と言えばいいのか分からず、思わず絵の方を振り向いた。
マリア・シンズは笑った。
「彼の絵の前でお行儀を忘れたのはあなただけじゃないわ、お嬢さん。」
彼女はやって来て、私の横に立った。
「そう、うまく描けているでしょ。それはファン・ライフェンさんの奥さんよ。」
私は私のお父さんが後援者として言っていたので、その名前を知っていた。
「彼女は美しくはないけど彼は彼女にそうさせたの、その絵は高く売れるでしょう。」
それは私が最初に見た絵だったので、私は下絵から最後の完成まで見てきたが、その他の物よりずっと良く覚えていた。
女性がテーブルの前に立ち、横顔になるように顔を壁にある鏡に向けている。
彼女は白いオコジョの毛皮を付けて、贅沢な黄色いサテンの外套を着て、髪にはおしゃれな赤い五角形の付いたリボンを付けていた。
窓からの光が彼女の左側を照らし、彼女の顔に当たり、彼女の微妙な額と鼻の曲線をなぞっていた。
彼女は真珠の付いたひもを首に結び、リボンを上に持ち上げ、両腕を空中に持ち上げていた。
彼女は、鏡の中の自分自身にうっとりしていたので、誰かが彼女を見ているのに気が付いていないように見えた。
彼女の後ろの明るい白壁には古い地図が貼ってあり、手前の黒い部分には手紙の置かれたテーブルと、私が既にふき取ったパウダーブラシとそれ以外の物があった。
私はその外套を着、真珠を身に付けて見たかった。
私は彼女をそんな風に描いた人の名前が知りたかった。
私はさっき鏡に映った自分を見たことを思い出し、恥ずかしかった。
マリア・シンズは私と一緒に立って、絵に満足しているようだった。
すぐ後ろで見るのは奇妙な気分だった。
既に私が埃を掃ってしまったので、隅の手紙から、|白合金≪ピューター≫製のボウルの横に何気なく置かれたパウダーブラシ、暗いポットの周りに丸められた青い布など、テーブルの上の全ての物とお互いの位置関係は分かっていた。
全ての物がより清潔で純粋であることを覗けば、正確に同じものであるように見えた。
それは私の掃除をバカにしているようだった。
それから、私は違いを見つけた。
私は息を吸った。
「どうしたの、お嬢さん?」
「絵では、女性の横の椅子のライオンの頭部がありません、」と、私は言った。
「いいえ、前にはそこにリュート(弦楽器の一種)が置いてあったの。
彼はたくさんの変更をするの。
彼は見た通りには描かず、そうあるのがふさわしいように描くの。
お嬢さん、この絵は仕上がっていると思うか教えてくれる?」
私は彼女をじっと見た。
彼女の質問は引っ掛けに違いなかったが、私には改善点は見つけられなかった。
「出来上がっていないんですか?」と、私は口ごもった。
マリア・シンズは鼻で笑った。
「彼はこれに3か月かかっているのよ。そのうえもう2か月かかると思うわ。
かれは物を変えるでしょう。 わかるでしょう?」
彼女は周りを見回した。
「お掃除は終わったんでしょ、そうじゃないの?
そうね、じゃあ、続けてくれる、お嬢さん、あなたの他の仕事を。
かれはすぐあなたがどんな風にお掃除したかを見にやってくるでしょう。」
私は最後にもう一度絵を見たが、一生懸命詳しく見ても何か抜けているとは感じなかった。
それは夜の空にある一つの星を見るように、もし一つを直接見るとほとんどそれを見ることはできないが、それを目の端の方から見るとずっと明るく見えるようになるのだ。
私は箒とバケツと雑巾を集めた。
私がその部屋を去る時、マリア・シンズはまだその絵の前に立っていた。
私は運河から水をポットに組んできて火にかけ、タンネケを探しに行った。
彼女は女の子たちの寝室にいて、コーネリアが服を着るのを手伝っていた、マートゲはアレイデェスを手伝い、リズベットは自分で服を着ていた。
タンネケは機嫌が悪く、私をちらりと見ただけで私が話しかけようとした時、無視した。
結局、私は彼女が私を見なければならないように、彼女の前にまっすぐ立っていた。
「タンネケ、私今から魚屋さんに行くんだけど。今日は何を買ってきてほしいですか?」
「そんなに早く行くんだって? 私たちは何時も一日のもっと遅い時間に行くよ。」
タンネケは、まだ私を見なかった。
彼女はコーネリアの髪に5角形の星の付いた白いリボンを結ぼうとしていた。
「お湯が沸く間私は暇なの、だから今、行こうと思うの、」と、私は手短に答えた。
私は、たとえ肉屋や魚屋が家族のために取っておくと約束したとしても、最も良い肉や魚の切れ端は早い時間に手に入ると言う事は付け加えなかった。
彼女はそれを知っているはずだから。
「何を買ってきましょうか?」
「今日は魚って気分じゃないね。
肉屋に行ってマトンの|肉の塊≪ジョイント≫を買ってきてちょうだい。」
タンネケはリボンを結び終わり、コーネリアが飛び上がって私の前を通り過ぎた。
タンネケは振り返って何かを探すために箪笥を開けた。
私は彼女の灰色っぽい茶色のドレスがぴったりと張り付いた、大きな背中をしばらく見つめていた。
彼女は私に嫉妬しているのだった。
私は、彼女が私とマリア・シンズ以外は誰も行けないと思われていた、彼女が入ることを許されていないアトリエを掃除したのだった。
タンネケが婦人用の帽子に手にして立ち上がって言った、「旦那様は一度、私を描いて下さったの、知ってるわね。
私が牛乳を注ぐところを。みんなそれは彼の一番いい絵だって言ったわ。」
「それが見たいです、まだここにあるんですか?」と、私は応えた。
「いいえ、ファン・ライフェンがそれを買ったんだよ。」
私はしばらく考えた。
「じゃあ、デルフトで一番裕福な男の一人が毎日あなたを見て喜んでいるわけですね。」
タンネケはにやりと笑って、彼女の痘痕顔がさらに大きくなった。
適切な言葉は一瞬にして彼女の気分を変えたのだった。
その言葉を見つけ出すのは私次第なのだ。
私は彼女の気分が不機嫌になる前に行ってしまう為に振り向いた。
「一緒に行ってもいい?」と、マートゲが聞いた。
「わたしも?」リズベットが付け加えた。
「今日はだめよ、」と、私はきっぱりと言った。
「あなたは何か食べて、タンネケを手伝いなさい。」
私は少女たちが私について行くことを習慣にさせたくはなかった。
私を気遣ってくれた事のご褒美として使いたいと思ったのだった。
それに私は、なつかしい通りを、私の横でいつも新しい生活を思い出させるおしゃべりを連れてではなく、一人だけで歩きたかった。
私は|ローマカトリック教徒≪パピスト≫コーナーを後にして、市場の広場に踏み込んだ時、深い息をついた。
私はその家族と一緒にいる時はいつも自分自身をしっかりと縛り付けていた事に気が付かなかったのだ。
ピーターの店に行く前に、私は私の知り合いの肉屋に立ち寄った。彼は私を見てにこにこしていた。
「やっと挨拶しようと決めたんだね!なんだよ、昨日はあなたは私のようなものにとっては偉すぎたんだ。」と、彼はからかった。
私は自分の新しい立場を説明し始めたが彼は私の話を遮った。
「勿論知っているよ。
みんなタイル職人のジャンの娘が画家のフェルメールのとこに働きに出たって話しているよ。
そして、そのあと、一日して、彼女が既に古い友達と話すにはプライドが高すぎるって知ったのさ。」
「私はメイドになったからってそんなにプライドが高くはならないわ。
私のお父さんのことを恥ずかしいと思っているのよ。」
「あなたのお父さんは単に運が悪かっただけですよ。
誰も彼の事を責めてはいませんよ。
あなたが恥ずかしがる必要はありません、あなた。
勿論、あなたが私から肉を買わないという事を除いてですがね。」
「仕方が無いのよ、おあいにくさま。誰から買うか決めるのは私の奥さまですから。」
「ああ、そうなんだ、そう?
あなたがピーターから買っているのは彼のハンサムな息子とは関係ないってこと?」
私は眼を剝いた。
「彼の息子とは会ったこともないわ。」
肉屋は笑った。
「そうだろう、これからも会わないだろう。行きなさい。
次にお母さんに会ったら私に会いに来るように言いなさい。
彼女に何か取っておくから。」
私は彼に感謝してピーターの店の方に行った。
彼は私を見てびっくりしたようだった。
「もう来たのかい?
ここでもっとあの舌肉を買うのが待ちきれなかったのかい?」
「今日はマトン肉を一塊ちょうだい。」
「グリエッタ、教えてくれ、あれはあなたが今までに買った舌の中で一番良い舌肉じゃなかったかい?」
私は彼が欲しくてたまらないお世辞を言うのを拒絶した。
「ご主人と奥様がお食べになったわ。その味については何もおっしゃらなかったわ。」
ピーターの後ろで、店の奥のテーブルの上のバラ肉を刻んでいる若い男が振り返った。
彼が息子に違いない、なぜなら親父よりも背が高いが、父親と同じ明るい青い目をしていたからだ。
彼のブロンドの髪はふさふさでカールしていて、杏子を思わせる顔立ちをしていた。
彼の血の付いたエプロンだけが見た目に不快感を与えていた。
彼のまなざしがまるで蝶々が花に留まるように私の上に停まり、私は顔を赤らめずにはいられなかった。
私はマトンを、と私の注文を繰り返し、彼の父親を見つめ続けた。
ピーターは肉を探し、私のために塊を引っ張り出して、カウンターに置いた。
2組の目が私を見つめていた。
塊は端の所が灰色だった。
私はその肉の匂いを嗅いでみた。
「これは新鮮じゃないわ、」と、私はぶっきらぼうに言った。
「こんな肉を家族に食べさせたら、奥様は喜ばないでしょう。」
私の言い方は私が意図したよりも傲慢だった。
多分そうする必要があった。
父と息子は私をじっと見つめた。
私は息子を無視しようとして、父親の視線を受け止め続けた。
ついに、ピーターは彼の息子の方を向いた。
「ピーター、カートの取り分けておいたその肉の塊を俺に渡してくれ。」
「でも、その肉は…さんにとっておいた・・・」と言って、ピーターの息子の方は言うのを止めた。
彼は姿を消して、別の肉を持って戻って来た、その肉は見ただけで上質なものだと分かった。
私は頷いた。
「そっちの方が良いわ。」
息子のピーターは肉の塊を包装し私のバケツに入れた。
私は彼にありがとうと言った。
私が帰ろうとしたとき、父と息子の間を通過する視線が目に入った。
それでも、それが何を意味するのか、そしてそれが私にとって何を意味するのかはなんとなくわかっていた。
私が帰った時、カタリーナはベンチに座ってヨハネスにおっぱいを与えていた。
私が彼女に肉を見せると、彼女は頷いた。
私が中に入ろうとすると低い声で、「夫がアトリエを見て、掃除は適切だったと分かったといっていました。」
彼女は私を見なかった。
「有難うございます、奥様。」
私は中に足を踏み入れ、果物とエビの描いてある静物画を見て思った、そう、私はここに留まろうと。
その日の残りの時間は最初の日と、その次の日も同じように過ぎた。
アトリエを掃除し、魚屋や肉売り場に行き、又洗濯を始め、日によっては洗濯ものの仕分けをし、水に浸けて、シミ取りをし、別の日にはこすり洗いをし、すすぎ、熱湯消毒し乾燥させるために干す前にそれを絞り、昼間の光で漂白し、また別の日にはアイロンをかけ繕い物をして畳んだ。
私は何時もタンネケの昼の食事の支度を手伝うために仕事を止めた。
その後私たちは掃除をし、それから少し自由に休む時間があり、外のベンチで裁縫をし、それか裏庭に帰るのだった。
その後朝の内にやっていた事を終えて、その後タンネケの遅い食事を手伝った。
私たちがやった最後の事は朝まで清潔さときれいさを保つためにもう一度床にモップをかける事だった。
夜に私はベッドの足元に掛けてある磔の絵に私がその日着ていたエプロンをかけた。
そして私はその後より良く眠った。
次の日、私はそのエプロンをその日の洗濯物に加えた。
2番目の朝、カタリーナがアトリエのドアを開けている間に、私は窓を掃除すべきかどうかを聞いた。
「しなくていい理由があるかしら?」と、彼女は厳しく言った。
「そんな細かいことをいちいち私に聞く必要はないわ。」
「光の為です、奥様、」と、私は説明した。
「もし私が窓をきれいにすると、絵を変えるかもしれません。ご存じでしょうけど?」
彼女は理解できなかったのだった。
彼女は、絵を見るために部屋の中に入って来る気が無かったか入ってこれなかったのだった。
彼女は一度もアトリエには入らなかったように思えた。
タンネケの気分がいい時に、私はその理由を尋ね理必要があるだろう。
カタリーナは下に降りて行って彼に聞き、窓は掃除しないように下から言った。
私がアトリエを掃除し終わった時、私は彼がそこにいた形跡は何も見つけられなかった。
何も動かされてはいず、パレットはきれいで、絵に何の変化も現れていなかった。
しかし私は彼がそこにいたことを感じることができた。
私は最初の2日間はランゲンダイク通りの家の中では彼をほとんど見なかった。
玄関や二階で時々彼の物音を聞いたが、彼の子供たちと笑い合い、カタリーナに優しく話しかけていた。
彼の声を聞いていると、まるで彼と一緒に運河の端に沿って歩いていて、自分の足取りがおぼつかなくなったかのような気分がした。
私は彼が自分自身の家で私をどんな風に扱うのか、彼の台所で私が切った野菜に注意を払うのかどうか、わからなかった。
今までに私にそんな興味を抱かせた紳士は今までには誰もいなかった。
私は家に来て3日目に彼と直接会った。
夕食の少し前、私がリズベットが置いたままにしていた皿を探しに外に出た時に、アレイデェスを両手に抱いて廊下を歩いていた彼とぶつかりそうになった。
私は後ずさりした。
彼とアレイデェスが同じ灰色の目で私をじっと見つめた。
彼は笑っていなかったし、私を見て笑いもしなった。
彼と目を合わせるのは難しかった。
私は二階で絵の中から真珠を付け黄色いサテンの服を着た、彼女自身を見ている、女性の事を考えた。
彼女は紳士の見つめるまなざしに目を合わせるのに、何の難しさも抱かないだろう。
私が何とか彼と目を合わせようとしたときには彼はもう私の事を見ていなかった。
次の日、私はその女性本人を見た。
肉屋からの帰り道、男の人と女性がランゲンダイク通りを、私の前を歩いていた。
私たちのドアの所で、彼は彼女の方を向いて一礼し、それから歩き続けた。
彼の帽子には長い白い鳥の羽が付いていた。
彼は数日前に家を訪問した人に違いない。
私はちらっと彼の横顔を見て、彼が口髭を蓄え、体つきにい合った、ふくよかな顔をしていることが分かった。
彼はまるで今にも嘘のおべっかのお愛想を口にしようとしているかのようにほほ笑んだ。
女性は、私が彼女の顔を見るよりも前に、振り返って家の中を見たが、私は彼女の髪に5角形の星の赤いリボンが結んであるのを確かに見ることができた。
私は彼女が階段を上って行くのが聞こえるまで玄関の所で待って、立ち止まっていた。
その後、彼女が降りてきた時には、私は衣類をかたずけて大広間の戸棚に入れようとしていた。
私は彼女が入って来る時に、立っていた。
彼女は腕に黄色いコートを持っていた。
リボンはまだ彼女の髪に付いていた。
「ああ、カタリーナはどこ?」、と、彼女が言った。
「お母様とご一緒に市役所に行かれました。家庭内の要件で。」
「そう。気にしないで、別の日に会えるでしょう。彼女にこれをここに置いて帰ります。」
彼女はマントをベッドにかけその上に真珠のネックレスを置いた。
「はい、奥様。」
私は彼女から目が離せなかった。
私は彼女を見ているのにまるで見ていないように感じた。
それは奇妙な感覚だった。
マリア・シンズが言ったように、彼女は絵に中で光に照らされた時ほど美しくは無かった。
私が単に彼女のことをそんな風に思い出しているからなのか、彼女は美しかった。
彼女は私が彼女をそんな風に知り合いででもあるかのように見ていたので、彼女が私を知っているのかしらとでもいうように、困惑した表情で私を見つめた。
私は眼を伏せた。
「奥様にあなたがいらっしゃったことをお伝えしまておきます。」
彼女は頷いたが当惑しているようだった。
彼女はマントの上に置いた真珠をちらっと見た。
「彼と一緒に2階のアトリエに上がって置いて来ようと思うの、」と宣言して、ネックレスを取った。
彼女は私を見なかったが、私はメイドは真珠に関しては信用してはいけないものだと彼女が考えていると知っていた。
彼女が言ってしまった後に、彼女の表情が香水のように残っていた。
日曜日にカタリーナとマリア・シンズは広場の市場にタンネケとマートゲをつれて行った。
彼女たちはその週いっぱいもつ量の家庭用の野菜や主食の穀物その他を買った。
私も私のお母さんや妹に会えるかもしれないと考え、彼女たちと一緒に行きたかったが、年下の子供たちと赤ちゃんと一緒に家にいるように言われた。
子供たちが市場に走って行かないように押しとどめるのは難しかった。
私は彼女たちを自分で市場に連れて行くことはやろうと思えばできただろうが、敢えて家を無人のまま開けておくことはできなかった。
その代わりに、私たちは運河を、キャベツや豚や、花や木材や小麦粉、イチゴ、蹄鉄などを一杯積んで市場へ、上り下りする船を眺めた。
それらは帰りにはからで、船頭は金を数えたり酒を飲んだりしていた。
私は少女たちに私がアグネスやフランと一緒に遊んだゲームを教え、彼女たちは彼女たちが作った遊びを私に教えてくれた。
彼らは、私がヨハネスを膝に抱いてベンチに座っている間、シャボン玉を吹き、彼女たちの人形で遊び、縄跳びをした。
コーネリアはほっぺたを叩かれたことは忘れた様だった。
彼女は明るく人懐っこく、ヨハネスのことも助けてくれて、私に従順だった。
彼女が近所の人が通りに出したままにしておいた樽の上に上がろうとしたとき「手伝ってくれる?」と、私に頼んだ。
彼女の薄茶色の目は大きく見開かれ、無邪気だった。
自分では彼女の優しさがわかったが、私は彼女は信用できないと知ってはいた。
彼女は女の子の中で一番興味深い存在かもしれないが、最も変わりやすく、最良であると同時に最悪なのだった。
彼が家から出てきたとき、彼女たちは彼女たちが外に持ち出してきた貝殻のコレクションを分類して、異なる色ごとの山に分けていたところだった。
私は赤ちゃんを彼の肋骨を両手に感じながら横に抱えていた。
彼が金切り声を挙げたので、私は自分の顔を隠すために自分の鼻を彼の耳に埋めた。
「パパ、一緒に行ってもいい?」と、コーネリアが叫び、飛びついて彼の手を掴んだ。
私は彼が顔を傾け、帽子のつばが彼の顔を隠していたので、彼の表情を見ることはできなかった。
リズベットとアレイディスが彼女たちの貝殻を放り出した。
「私も行きたいわ!」と、声を揃えて言い、彼のもう一方の手を掴んだ。
彼は頭を横に振り、私には彼の戸惑った表情が分かった。
「今日はだめだ、薬屋に行くんだ。」
「絵の材料を買いに行くの、パパ?」と、コーネリアが彼の手を掴んだまま聞いた。
「それ以外も色々ね。」
ヨハネスが泣き始め、彼が私を見た。
私は気まずい思いで赤ん坊をあやした。
彼は何か言いたそうに見たが、無言で女の子たちを振り払いランゲンダイク通りを下って行った。
野菜の色と形について話し合った時以来、彼は私に一言も口をきいていなかった。
私は日曜日にとても早く目が覚めた、というのは家に帰れることに興奮していたからだ。
私はカタリーナが前のドアのかぎを開けるのを待たなければならなかったが、私がドアが開く音を聞いて外に出てみるとマリア・シンズがカギを持って立っていた。
「今日は私の娘は疲れているの、」と、私を外に出すため横によって言った。
「彼女は数日休むでしょう。あなた、彼女がいなくてもやっていけるかしら?」
「勿論です、奥様、」と私は言い、「私は質問があればいつでもあなたに聞けますから。」と、付け加えた。
マリア・シンズはクスリと笑った。
「ずるい女の子ね、あなたは。
自分が誰の鍋からスプーンで食べ物を食べさせてもらっているのは分かっているのね。
大丈夫よ、ここら辺にいるちょっと賢い人とはうまく付き合っていけているから。」
彼女は私に何枚かの硬貨を手渡した、私が数日間働いたお給金だ。
「さあ行きなさい、どうせ、あなたのお母さんに私たちの事を全て言うんでしょう。」
私は彼女がもっと話す前に、すり抜けて、市場通りを横切って、新教会の早朝礼拝に向かう人々の所を通り抜け、急いで家へと続く通りと運河を登って行った。
私のいる通りから振り返り、一週間も経っていないのにそれが何と違うように感じられることかと考えた。
光はより明るく平坦に見え、運河はより広く見えた。
運河に沿って生えているプラタナスの木は、私を待っている番兵のようにじっと立っていた。
アグネスは家の前のベンチに座っていた。
彼女は私をみると、「彼女がいるわ!」と家の中に向かって叫び、それから私の方に走って来て私の腕をつかんだ。
彼女はこんにちわとも言わず、「どうですか?」と、聞いた。
「彼らは良いですか?あなたは厳しく働くの?そこには女の子はいるの?家はとても大きいの?あなたは何処で寝るの?立派なお皿で食べるの?」
私は、私のお母さんを抱きしめて私のお父さんに挨拶をするまでは彼女の質問に答えず笑っていた。
それほど多額ではなかったが、手に持っていた数枚のコインを母に手渡すのは私には誇らしく感じられた。
結局、これが私が働いている理由だったのだから。
私のお父さんが私の新しい生活について、座って聞くために、私たちの周りにやって来た。
私は両手を差し出して、案内して玄関の階段を超えるのを手伝ってあげた。
彼はベンチに座ると、私の掌を自分の親指で撫ぜた。
「お前の手には赤切れができている、」と、彼が言った。
「荒れていて、摩耗している。もうすでに厳しい仕事の傷跡があるね。」
「心配しないで、」と、私は軽やかに答えた。
「これまで十分洗濯してなかったため、大量の洗濯物が私を待っていたのよ。 すぐに楽になるわ。」
私の母が私の両手をじっくり見た。
「オイルにベルガモット(柑橘類)を浸してみましょう、」と彼女が言った。
「それはあなたの手を柔らかく保つの。アグネスと私はそれをいくつか摘みに田舎に行くつもりよ。」
「教えて!」と、アグネスが叫んだ。
「それについて教えてよ。」
私は彼らに語った。
夜、どれほど疲れ切ってたか、私のベッドの足元に掛かっている磔の絵がどうだったのか、コーネリアをひっぱたいたこと、マートゲとアグネスが同い年である事など、いくらかの事は言及しなかった。
私は肉屋からの伝言を母に伝えた。
「彼は親切だこと、」と、彼女は言った、「でも、彼は私たちに肉を買うお金がない事やそんな施しは受けない事を知っています。」
「私は彼が施しという意味で言ったのじゃないと思うわ、」と、私は説明した。
「私は彼が、友情からそう言ったのだと思うわ。」
彼女は答えなかったが、彼女は肉屋には行かないだろうと私は知っていた。
私が新しい肉屋ピーター父子とについて言った時、彼女は眉を挙げたが何も言わなかった。
その後私たちは私たちの教会へ礼拝に行き、そこで私はよく知った顔やよく知った言葉に囲まれた。
アグネスとお母さんの間に座って、私は私の背中が教会の信者席の中にくつろいでゆくのを感じ、私が一週間ずっと付けてきた仮面が私の顔から解けて行くのが感じられた。
私は泣いてしまうかもしれないと思った。
家に帰ると、お母さんとアグネスは私に夕食を手伝わせなかった。
私は父とともに陽の光の中でベンチに座っていた。
彼は温かい方には顔を向けて、私たちが話している間ずっとそんな風に顔を傾けていた。
「さあ、グリエッタ、」と、彼は言った、「お前の新しい主人について話してくれ。
お前は彼の事はほとんど話さなかった。」
「私はは彼と会ったことはあまりないのです、」と、私は正直に言った。
「彼はむしろアトリエにいますし、そこでは誰も彼の邪魔はしませんし、それ以外は外に出ています。」
「組合の仕事をしているんだよ、そう期待しているよ。
しかし、お前は彼のアトリエに入ったことがあるんだろう、掃除と物の位置を計ったことについては話してくれたけど、彼が取り組んでいる絵については何も話さなかったね。」
「あなたが分かるように話すことができるか分からないのです。」
「やってみなさい。
私は記憶以外にはほとんど新しいことを考える事はありません。
私の心が幼稚な模造品しか作り出さないとしても、お前のご主人の絵を想像することは私に喜びを与えるだろう。」
それで私は首に真珠を巻いた、手を差し伸べた、鏡の中の自分自身を覗き込んでいる、女性について、窓からの光は彼女の顔と黄色い外套に降り注ぎ、前面の暗さが彼女を私たちの方から隔てていることを説明しようとした。
私の父は熱心に聞いていたが、彼自身の顔は私が、「後ろの壁の光はとても暖かくて太陽があなたの顔に当たっている時に感じるように感じられた」、と言うまでは輝かなかった。
彼は頷き笑い、やっと理解したことに満足した。
「これがお前が、お前の新生活について最も好むことだよ、」と彼は嬉しそうに言った。
「スタジオにいる事が。」
たった一つの事よ、と私は思ったが、言わなかった。
夕食を食べた時に、私はそれをカトリック教徒の区域にある家の物と比較しないようにしたが、私は既に肉と良質のライムギパンに慣れっこになってしまっていた。
私のお母さんはタンネケよりも料理が上手だが、黒パンはパサパサしているし、味付けのための脂肪を入れない野菜のシチューは味気なかった。
部屋も違っていて、大理石のタイルは無いし、厚い絹のカーテンもない、道具を使った張られた革製の椅子もなかった。
全ての物が装飾のない簡素で清潔なものだった。
私はそれを知っていたので愛していたが、今やそのつまらなさに気付いていた。
一日の終わりに、両親にさようならを言うのは私が最初に家を離れた時よりももっとつらかった、というのは今回はかえると何が待っているか知っていたからだ。
アグネスは市場広場まで私と一緒に歩いた。
私たちが分かれる時、私は彼女に彼女はどんな具合か聞いた。
「寂しいわ、」と、彼女は応えた、若い少女からの悲しい言葉だ。
彼女は一日中活発だったが、今では落ち着いていた。
「私は毎日曜には帰って来るわ、」と、私は約束した。
「それに、多分平日に、私は私が肉や魚を買いに行った時に声を掛けに来ることもできるわ。」
「それとも、あなたが買い物に向こうの家を出た時わたしが会うことができるわ、」と、彼女は明るく提案した。
私たちはミートホールで何度か会うことができた。
私は私が一人で出ている限り、彼女に会えるのがうれしかった。
私はランゲンダイク通りの家での私の場所を探し始めた。
カタリーナとタンネケとコーネリアは時には気難しかったし、私は一人で仕事するようにほっておかれた。
これはマリア・シンズの影響かもしれない。
彼女は彼女自身の理由で私が有用な追加物だと決め、他の人々も、子供たちでさえ、彼女の例に従った。
多分彼女は私が洗濯もの係になったから衣類がより清潔で漂白されたものになったと感じたのだった。
又、私が肉を選ぶようになってから肉がより柔らかくなったと感じたのだった。
又、彼は清潔なアトリエでより幸福だった。
これら最初の2つは本当だった。
最後の事は、私にはわからなかった。
彼と私が最後にようやく話した事は、私の掃除についてではなかった。
私は注意深く家事がうまくなったという称賛の声を自分自身から遠ざけた。
私は敵を作りたくなかった。
もしマリア・シンズが肉がおいしいといえば、私はたアンネケの料理の仕方が上手だからだと答えた。
もしマートゲが彼女のエプロンが以前より白いといえば、私は今は夏の太陽が特別強いからだと言った。
私はできるだけカタリーナを避けた。
それは私が母の台所で野菜を切っているのを見た瞬間から、彼女が私の事を嫌っている事が明らかだったからだ。
彼女の気分はお腹に赤ちゃんがいる事では改善されず、その事は彼女を不格好に見せ、彼女が自分で思っているのとは全く違って家庭的な優雅な女性とは程遠いものだった。
暑い夏だったので赤ん坊は特に活発だった。
彼女が歩くといつも彼女のお腹を蹴り始め、または彼女がそう言った。
お腹の赤ん坊が大きくなるにつれて彼女は疲れて不快げな表情で家の中を歩き回った。
彼女はどんどんベッドに長くいるようになり、マリア・シンズが彼女の鍵を引き継いで、私のために朝アトリエの戸の鍵を開けることになった。
タンネケと私はますます、女の子の面倒を見る事や、家の買い物をすることや、赤ちゃんのおむつを替えることなど、彼女の仕事をし始めることになった。
タンネケの気分がいいある日、私はなぜ彼らが物事が楽に運ぶようにもっと召使を雇わないのかと尋ねた。
「こんな大きな家では、それにあなたの女主人の裕福さやご主人の絵の為に、」と私は付け加えた、「彼らは他のメイドを雇う余裕が無いのですか、それに、コックも?」
「はー?」と、タンネケはせせら笑った。
「彼らはあなたに支払うのがやっとなのさ。」
私はびっくりした。
毎週、私の手に入るコインの総額はとても少額だった。
カタリーナが棚に無造作にたたみこんで持っている黄色い外套のように立派なものを買う事ができる為には、私は何年も仕事をしなければならないだろう。
彼らがお金に困っているなんてありえないように思えた。
「勿論、赤ちゃんが生まれたら数か月看護婦にお金を払う方法を探し出すでしょう、」と、タンネケが付け加えて言った。
彼女の口調は不満そうに聞こえた。
「何故ですか?」
「そうすれば看護婦が赤ちゃんにおっぱいをやれるからよ。」
「奥様は自分の赤ん坊におっぱいをやらないんですか?」と、私は愚かにも聞いた。
「自分の子供に授乳していたら、こんなにたくさん子供を産むことはできないよ。
自分で授乳すると、産まなくなるんだよ」
「ああ、」私はそんなことにとても無知だったと感じた。
「彼女はもっと子供が欲しいのかしら?」
タンネケはクスリと笑った。
「私は時々思うんだよ、彼女は彼女が好きな召使たちで家を一杯にできないから、子供たちで家を一杯にしようとしているのさ。」
彼女は声を潜めた。
「ご主人は召使を雇う金を稼ぐほど充分、絵を描かないからね、わかるだろう。
何時も彼は1年に3枚絵を描くんだよ。たった二枚の事もある。
これじゃあ金持ちにはならないよ。」
「彼はもっと早く描けないの?」
私はそう言いながらも彼がそうしないだろうことは分かっていた。
彼はいつも自分のペースで絵を描くだろう。
「奥さまと若奥様は時々意見が合わないのさ。
若奥様は彼にもっとたくさん描いてほしいけど、奥様は早く描くと彼がだめになってしまうとおっしゃいます。」
「マリア・シンズはとても賢いわ。」
私はマリア・シンズが何らかの意味で称賛されている限りは、私がタンネケの前で言葉に出して意見運を言っても良いことをそれまでに学んでいた。
タンネケは彼女の女主人に極端に忠実なのだった。
彼女はカタリーナは我慢がならない様だったが、彼女の機嫌がいい時にはカタリーナの扱い方について忠告してくれた。
「彼女の言う事は気にしないで、」と、タンネケは忠告した。
「彼女が話すときは無表情でいて、それから自分のやり方で物事をやりなさい、それか、私の女主人か私があなたに言ったやり方でそれをやりなさい。
彼女は決してチェックしないし、気が付かないわ。
彼女は単に自分が私たちに命令しなければならないと感じているからそうしているだけだから。
でも、私たちは私たちの本当の女主人は誰だか知っているし、彼女も知っているわ。」
タンネケはしばしば私に対して不機嫌だったが、私はその事を長く心に停めない事を学んだ、というのはそれはそんなに長い間続かなかったから。
彼女は気分が変わりやすかった、多分、カタリーナとマリア・シンズの間に長い年月いるからだった。
カタリーナの言うことを無視するという彼女の自信に満ちた言葉にもかかわらず、タンネケは自分のアドバイスに従わなかった。
カタリーナの厳しい言い方が彼女を動揺させたのだった。
そしてマリア・シンズは、彼女の公正さにもかかわらず、タンケネをカタリーナから守らなかった。
私はマリア・シンズが自分の娘を何かの理由で叱りつけているのを一度も聞いたことが無かった、カタリーナには時にはそれが必要だったのに。
タンネケの家事のやり方もあった。
多分、彼女の忠実さは彼女の家に関する、隅までモップをかけないとか、肉が外は黒焦げ中は生、鍋がちゃんと磨かれていないなどの、だらしなさを補ってはいただろう。
彼女が彼のアトリエの掃除をしようとして何をしたかは想像できなかった。
マリア・シンズはほとんどタンネケを叱らなかったが、彼女たちはどちらもそうすべきだとは知っていて、この事がタンネケを不安にさせ、急いで自分自身を守るようにさせた。
私には、マリア・シンズは彼女の賢明なやり方にもかかわらず、彼女に最も近い人々に対しては柔らかな対応をすることが明らかになった。
彼女の判断は見た目ほど公平ではなかった。
4人の少女に関しては、コーネリアは最初の朝に見せたように、最も予測ができなかった。
リズベットとアレイディスは良い、静かな、子供だったし、マートゲは家事を学び始めるのにはよい年頃で、彼女は彼女の母親のように癇癪を起して私に大声を出すことはあったが、その年齢になったことは彼女を落ち着かせていた。
コーネリアは大声は出さなかったが、時には始末に負えなかった。
私が最初の日に使ったマリア・シンズに怒ってもらうという脅しさえいつも効き目あるわけではなかった。
あるときは彼女は、喉を鳴らしている猫が突然撫でている手に嚙みつくのように、愉快に遊んでいるかと思うとすぐ変わるのだった。
彼女の姉妹たちに忠実だが、彼女は彼女たちを強くつねって泣かすことも躊躇せずやった。
私はコーネリアを警戒していて他の人々を好きになった様には好きになれなかった。
私はアトリエを掃除するときは彼女たちを避けた。
マリア・シンズは私のためにドアを開けて、まるで彼女が看病している病気の子供ででもあるかのように、数分絵を点検してそこに留まることもあった。
しかし、彼女が去ってしまうと、私はその部屋を独り占めすることができた。
私は何か変わっていないか見まわした。
最初はそれは、来る日も来る日も、前のままのように見えたが、私の目が部屋の細かい部分に慣れると、小さな事に気付き始めた、戸棚の上の筆が並び変えられていたり、戸棚の引き出しの一つが開いたままになっていたり、イーゼルの隅にパレットナイフがバランスよく置かれていたり、椅子がドアの横の場所からほんの少し動いていたりした。
しかし、彼が絵を描いている隅は何も変わらなかった。
私は、部屋のその他の場所と同様できるだけ素早く確実に掃除できるように、注意深くそれを動かさないようにして、素早く私の測り方に素早くなれさせた。
そして他の布で実験した後、私は濃紺の布と黄色のカーテンを湿った布で、折れ目が乱れないようにして注意深く埃が取れるように押し付けて、掃除をし始めた。
私が一生けん命探しても、絵には何の変化も見られなかった。
ある日、ついに私は、女性のネックレスにもう一つ真珠が追加されたことを発見した。
別の日には、黄色いカーテンの影が大きくなっていた。
彼女の右手の指が何本か動いたとも思った。
サテンの外套がとても本物のように見えるようになったので、私は手を伸ばしてそれに触れたいと思った。
ある日、ファン・ライフェンの奥さんがベッドの上に本物の外套を残していた時、私は危うく触れそうになった。
私がドアの所にいるコーネリアが私を見つめている時に、ちょうど私は毛皮の襟を撫ぜようと手を伸ばしたところだった。
他の女の子なら私が何をしているのか聞くのだろうが、コーネリアは見ているだけだった。
その事はどんな質問よりも悪い。
私は手を下ろし、彼女は微笑んだ。
私がその家で働き始めて数週間後のある朝、マートゲが魚屋について行きたいと言い張った。
彼女は市場の広場を走り回る事や、いろんなものを見て回る事や、馬を撫ぜたり、他の子供たちの遊びに加わったり、色々の店で燻製の魚を試食したりするのが大好きだった。
私がニシンを買っていると私の脇腹を突っついて大声で言った、「見て、グリエット、あの凧を見て!」
私たちの頭の上の凧は長い尻尾のある魚のような形をしていて、風があたかもそれが空中を泳いでいるかのように見せていて、カモメがその周りを飛び回っていた。
私が笑ってみていると、アグネスが私たちの近くに寄って来て、マートゲをじっとみていた。
私はその家に彼女と同じ年の女の子がいることはまだ言っていなかった。
伝えれば彼女を動揺させるし、彼女がマートゲと取って替えられたと感じるだろうと思ったからだった。
家に帰った時、時々、私は彼らに何か気まずい感じを抱いた。
私の新しい生活が古い生活と取って代わっていたのだった。
アグネスが私を見た時、マートゲに見えないように私は少し頭を振って、魚を私のバケツに入れるために目を背けた。
私は時間をかけた。
私は彼女の傷ついた顔を見ることに耐えられなかった。
私はもしアグネスが私に話しかけていたら、マートゲが何をするか分からなかった。
私が振り返ると、アグネスはいなくなっていた。
私は日曜日に彼女に会った時に説明しなければならないだろうと思った。
私は今2つの家族を持っていて、彼らは混じり合ってはいけないのだ。
私は後で自分自身の妹に背を向けたことを何時も恥ずかしく思った。
私はカタリーナが荒い息をして現れた時、中庭で紐にピンと掛ける前に一つずつ振って、洗濯物を干していた。
彼女はドアの傍の椅子に腰かけて、目をつぶりため息をついた。
私は、彼女が私の所に座るのは普通の事だとでもいうように、自分のやっている事を続けたが、私の顎は引きつっていた。
彼女は、「みんな出かけちゃったの?」と、突然聞いた。
「誰がですか、奥様?」
「彼らよ、あなたはバカな女の子ね。私の夫と、 彼らがもう二階に上がって行ったのか行って見て来なさい。」
私は慎重に玄関に入って行った。
二組の脚が階段を登っていた。
「何とかやれますか?」と、彼が言うのが聞こえた。
「ええ、ええ、勿論だよ。君はそんなに重大じゃないって知っている、」と、もう一人の男が井戸のように深い声で答えた。
「ほんのちょっと厄介だ。」
彼らは一番上の段に着き、アトリエに入って行った。
ドアが閉まるのが聞こえた。
「彼らは行った?」カタリーナが声を潜めて言った。
「彼らはアトリエにいます、奥様、」と、私は答えた。
「いいわ、じゃあ私が立ち上がるのを手伝ってちょうだい。」
カタリーナが両手を出したので私は彼女を立ちあがらせた。
私は彼女がもっと大きくなってまだ歩けるとは思わなかった。
彼女は、鍵の束がガチャガチャいわないようにして抱えて、帆をいっぱいに張った船のように廊下を歩いて行き、大広間に消えて行った。
後で、私はなぜカタリーナが隠れていたのかタンネケに聞いた。
「ああ、そこにフォン・レーベンフックがいたんだね。」と、彼女がくすくす笑いながら答えた。
「ご主人の友達だよ。彼女は彼を怖がっているのさ。」
「どうして?」
タンネケはひどく笑った。
「彼女は彼の箱を壊したのさ!彼女がそれを覗き込んでいてそれを倒しちゃったんだよ。
彼女がひどく不器用だってお前も知っているだろう。」
私の母の包丁が床でくるくる回っているところを思い出した。
「何の箱ですか?」
「彼は覗き込むと物が見える木の箱を持っているのさ。」
「何が見えるの?」
「なんでも、さ。」
「何でも、だよ!」と、タンネケはイラつき気味に答えた。
彼女は明らかにその箱については言いたくなかった。
「若奥様がそれを壊した、そして今はファン・レーベンフックは彼女に会いたがらない。
その事がご主人が自分がいないかぎり彼女を自分の部屋に入るのを許さない理由さ。
多分、彼は彼女が絵をひっくり返すとでも思っているのでしょうよ!」
私は私が理解するのに数か月かかったことを彼が私に話してくれた日の次の朝、その箱が何なのかを発見した。
私が掃除するためにアトリエに着いたとき、イーゼルと椅子が部屋の片隅に移動してあった。
机は紙と印刷物が片付けられて元の場所にあった。
その上に服をしまう為の収納箱ほどの大きさの木の箱があった。
一方の側により小さな箱が取り付けられていて、その箱から丸いものが突き出していた。
私はそれが何なのかは分からなかったが、敢えて触ってみようとはしなかった。
私は、まるでその使い方が突然はっきりわかるとでもいうように、時々それをチラチラ見ながら、掃除に取り掛かった。
私は部屋の隅、それから部屋の残りの部分を布でほとんどそれに触れないようにして箱の埃を掃い、掃除した。
私は物置を掃除し、床のモップ掛けをした。
私は掃除が終わった時、その箱の前に立って、腕を組んで、その周りを注意深く見るために歩き回った。
私の後ろはドアに面していたが、私は突然彼がそこに立っていると知った。
私は彼の方を向くべきか、彼がしゃべるのを待つべきなのか、確信がなかった。
彼がドアをきしませたのに違いない、というのはその後私は振り向いて彼と面と向かう事ができたのだから。
彼は、彼の普段着の上に長い黒いガウンを羽織って、入口に背中を持たせかけていた。
彼は私を興味深げにじっと見ていたが、私が彼の箱を傷つけるかもしれないと心配してはいない様だった。
「中を覗いてみたいかね?」と、彼が聞いた。
彼が何週間も前に野菜について私に質問して以来、私に直接話しかけたのは初めてのことだった。
「はい、旦那様、そうしたいです、」と私は何に同意しているのかは分からないまま、応えた。
「それは何なんですか?」
「カメラ・オブスキュラというものだよ。」
その言葉は私にとって何の意味もなさなかった。
私は横に立って彼が留め金を外し、2つに分かれていて留め金で結ばれた、箱の上部を持ち上げるのを見ていた。
彼は箱が一部開いた状態で蓋を斜めに立てかけた。
下にはガラスがあった。
彼は屈み込んで蓋と箱の間を覗き込み、それから小さな箱の端にある丸いものに触れた。
彼は何かを見ているようだったが、私にはそんな興味を引くものが箱の中にあるとは思えなかった。
彼は立ち上がって、私がとても注意深く掃除した一角をじっと見て、それから手を伸ばして真ん中の窓のシャッターを閉めたので、部屋は端の窓だけの光しかなかった。
その後、彼はガウンを脱いだ。
私は不安になって片方の足からもう一方の足に重心を移動させた。
彼は帽子を脱いで、イーゼルの横の椅子に置いて、もう一度箱を覗き込む時にガウンを自分の頭の上にかけた。
私は一歩退いて私の後ろのドアの方をちらっと見た。
最近はカタリーナはほとんど階段を登らないだろうが、もしマリア・シンズかコーネリアか誰かが私たちを見たらどう思うだろうかと思った。
私が振り返った時、私の目は彼の靴に釘付けになった、靴はその前の日に私が磨いたのでピカピカだった。
彼はついに立ち上がって頭から彼のガウンを取った、彼の髪はぼさぼさだった。
「さあ、グリエット、準備ができたよ。さあ君が見てごらん。」
彼は箱から下がって、私にそこに行くように手で合図をした。
私はその場に根が生えたように立ち尽くした。
「ご主人様。」
「私がやった様に、ガウンを頭に掛けなさい。
そうすれば像がより強くなる。
それが上下逆さまに見えないように、この角度から見なさい。」
私はどうしたらいいのか分からなかった。
彼のガウンに包まれて見えないという思い、彼がずっと見つめていると言う事で、私は気を失いそうに感じた。
しかし彼は私の御主人なのだ。
私は彼が言うようにしなければならなかった。
私は唇を噛んで、それから蓋が立ち上がっている、箱の方に進み出た。
私は屈み込んで中に備え付けられている乳白色の四角いガラスを覗き込んだ。
その上には微かに何かが描かれていた。
彼は全ての光を遮断するため、私の頭にそっと彼のガウンをかけた。
それは彼が着ていたのでまだ暖かかったし、太陽の陽で焼かれた時のレンガのような匂いがした。
私は体を固定させるために両手をテーブルの上に置いて、ちょっとの間目をつぶった。
私はまるで私の夕食の時のビールをあまりにも速く飲んだ時のような感じがした。
「何が見えるかね?」という、彼の声を聞いた。
私は眼を開けて、中に女性が描かれていないその絵を見た。
「ああ!」私があまりにも突然立ち上がったので、ガウンが私の頭から床に落ちた。
私はその布を踏みつけて箱から後ずさりした。
私は脚を動かした。
「すみません、ご主人さま。
私は今朝、ガウンを洗濯します。」
「ガウンの事は気にしなくていいよ、グリエッタ。
何が見えたかね?」
私は息を呑みこんだ。
私はひどく混乱し、少し驚いていた。
箱の中にあったのは悪魔の手品か、私が理解できないカトリック教徒の何かだった。
「絵が見えました、ご主人様。
只、女の人はいませんし、もっと小さい。
そして物が入れ替わっていました。」
「そうだよ、画像は上下逆さまに投影されているんだよ、そして左右がひっくり返っている。
それを元に戻す鏡が付いているだろう。」
私は彼が言っている事が理解できなかった。
「でも・・・」
「なんだい?」
「私には理解できません、ご主人様。どうやってそこに映ったのですか?」
彼はガウンを引っ張り上げて、その埃を掃い落した。
彼は笑っていた。
彼が笑う時、彼の顔は開け放った窓のようだった。
「これが見えるかね?」
彼は小さな箱の端について言る丸いものを指さした。
「これはレンズと呼ばれるものだ。
それはあるやり方で切ったガラス片で作られている。
あの情景から光が入って来る時、」と言って、彼は部屋の隅を指さした。
「それを通って箱に入り、私たちがここに見えているように映像をうつしだすのだ。」
私は、理解しようと、彼をとても強く見つめていたので私の目から涙が出てきた。
「映像とは何ですか、ご主人様?その単語は私が知らない単語です。」
彼の顔の上で、まるで何かが変化した、まるで今まで私の肩の向こうを見ていたのが、今は私を見ているように。
「それは絵だよ、絵画のようなね。」
私は頷いた。
なにより、私が、彼の言った事を私が理解できると彼に思ってほしかったのです。
「君の目はとても大きいね、」と、彼はそのとき言った。
私は赤面した。
「そう言われます、ご主人様。」
「もう一度見たいかね?」
いいえ、しかし私はそう言えない事を知っていた。
私は一瞬に思った。
「もう一度見ます、ご主人様、でも一人で残っている時だけに。」
彼は驚いているようだった、それから面白がった。
「良いだろう、」と彼は言った。
「私は数分後に戻って来る、そして入ってくる前にドアをノックするよ。」
彼はドアを後ろ手に閉めて、立ち去った。
私は彼のガウンを掴んだ、私の両手は震えていた。
一瞬、私は単に見たふりをしてみたと言おうかと思った。
しかし彼は私が嘘をついていると知るだろう。
私は好奇心が強かった。
彼が見ていないと思うとそれを考慮するのがたやすくなった。
私は深く息を吸って、箱を覗き込んだ。
私にはガラスの表面に部屋の隅の景色の微かな痕跡が見えた。
頭にガウンを掛けると、彼が言うところの、隅にある、テーブル、椅子、黄色いカーテン、地図のかかっている黒い壁、テーブルの上のピカピカの陶器のポット、|白目≪ピューター≫の洗面器、パウダーブラシ、手紙などのその映像は、どんどん鮮明になった。
それらは、私の目の前に、平らな表面の上に組み立てられ、絵ではない絵のように、すべてそこにあった。
私は慎重にそのガラスに触った、それはすべすべして冷たく、絵具の後もなかった。
私がガウンを脱ぐと、それでもそこにあったが、映像は再び霞でしまった。
私はもう一度ガウンを被り光を遮断し、もう一度宝石のような色が現れるのを待った。
それらはガラスの表面で、部屋の隅にあるよりも輝いているように、色とりどりであるように思われた。
その箱の中を覗き込むのは、私が最初に真珠の首飾りを付けた女性の絵を見た時にそれから目を離せなくなったのと同じくらい、抗しがたいものになってしまった。
私がドアをこつこつ叩く音を聞いたとき、私は彼が入ってくる前に、ちょうど立ち上がってガウンを肩まで降ろす時間があった。
「もう一度見たかい、グリエット?ちゃんと見たかい?」
「見ました、旦那様、でも私は自分が見たものに全然確信が持てません。」と、私は自分の帽子をちゃんと被り直した。
「素晴らしいだろう?私の友人がそれを私に見せてくれた時、私もお前と同じようにびっくりしたよ。」
「でも、なぜあなたは自分の絵で見られるのにそれで見るんですか?」
「お前には分からないよ。」
彼はその箱をトントンと叩いた。
「これは道具なんだよ。
私は私が絵を作るために、私が見るのを補助するために使うんだ。」
「でも、あなたは見るのには自分の目を使います。」
「本当だね、でもいつも私の目ですべて見えるわけではないんだよ。」
私の目は、その目が以前は私から隠されていた何か予期せぬものを、青い布の影から現れる、パウダーブラシの後ろから、発見するかのように、部屋の隅に飛んだ。
「私に言ってごらん、グリエット、」と、彼が話を続けた、「お前は単純に私がその隅にあるものを描いていると思っているのかね?」
私はその絵をちらっと見、答えることができなかった。
私はまるで騙されているような気がした。
私が何と答えようと、それは間違いになるだろう。
「カメラ・オブスキュラは私が違う見方をするのを補助してくれるんだよ、」と、彼が説明した。
「そこにあるものをもっとよく見るために。」
彼は私の顔の当惑した表情を見た時、私のようなものにそれほど多くを語ったことを後悔したに違いない。
彼は振り返って箱をパチンと閉めた。
私は彼のガウンを外し、彼に手渡した。
「ご主人様」
「ありがとう、グリエット、」彼は私からそれを受け取る時に「ここの掃除は終わったのかね?」と言った。
「はい、ご主人様。」
「じゃあ、行ってもいいよ。」
「有難うございます、ご主人様。」
私は急いで掃除用具を集めて、ドアを後ろ手にガチャンと閉めて立ち去った。
私は彼が言った事について、箱が彼がもっとよく見るのをどんな風に助けるのだろうかと、考えた。
私はなぜだか分からなかったが、彼が正しいことは分かった、何故なら私はそれを彼の女性の絵の中と、私が覚えているデルフトの絵に見ることができたから。
彼は、物事を他の人々が見ないような方法で見、その結果私がずっと生活してきた市が、別の場所のように見え、女性が彼女の顔の光で美しくなるのだった。
わたしが箱を覗いた次の日、私はアトリエに行ったが、箱はなくなっていた。
|画掛け≪イーゼル≫は元の場所に戻されていた。
私は絵を見た。
以前は私はほんの少しの変化しか見つけなかった。
今は、女性の後ろの壁に掛かっていた地図が、絵の中からも部屋の中からも取り去られているのが簡単に分かった。
壁は今やむき出しだった。
絵は単純であればあるほどよく見え、女性の輪郭は壁の青みがかった白い壁の背景に、より鮮明になった。
しかしその変化は私をとても狼狽させた、それはあまりに急すぎた。
私は彼にそんなことは予想していなかった。
私はアトリエを出た後、落ち着かない気持ちになり、肉売り場に歩いて行った時何時もするように周りを見回すこともしなかった。
私は年老いた肉屋に挨拶に手を振ったたけれど、彼が私に声をかけても、立ち止まりはしなかった。
息子のほうのピーターは一人で店番をしていた。
私は最初の日以来、数回彼を見かけていたが、いつも彼の父親がいたので、父親のピーターが店を仕切っている間彼は後ろに立っていた。
いま、彼は言った、「こんにちは、グリエット。君がいつ来るのかと思っていたよ。」
私はバカなことを言うものだと思った、というのは、私は毎日同じ時間に肉を買っているのだから。
彼は私と目を合わせなかった。
私は彼の言葉に何も答えないようにしようと決めた。
「シチュー用の牛肉を1,5kgちょうだい。それと先日お父さんが売ってくれたソーセージはあるかしら?女の子たちがそれが好きだって。」
「すみませんもう残っていません。」
一人の女性がやって来て私の後ろで順番を待つために立った。
息子のピーターは彼女をちらっと見た。
「ちょっと待ってもらえますか?」と、彼は私に低い声で言った。
「待て、ですって?」
「あなたに聞きたいことがあるんです。」
私は彼がその女性に応対できるように横にどいた。
私は落ち着かない気持ちで待っているのは嫌だったが、そうする外なかった。
彼が用事を済ませ、又二人だけになった時、彼が聞いた、「君の家族は何処に住んでいるんだっけ?」
「アウデ・ランゲンダイクの教皇派地区だけど。」
「違う違う、君の家族だよ。」
私は自分の勘違いに赤面した。
「リートフェルト運河の外れ、コーエー門から遠くないところよ。どうしてそんなことを聞くの?」
遂に彼の眼が私の目とちゃんと会った。
「あの地区でペストが流行したって報告があったんだ。」
私は後ずさりし、私の目は大きく見開いた。
「隔離はされたの?」
「まだだ。彼らは今日されるって思っているよ。」
後で、私は彼が私の事を他の人々に尋ねていたに違いないと気が付いた。
もし彼が既に私の家族が何処に住んでいるか知っていたら、彼は決してペストの事を私に語ろうとは考えなかっただろう。
私はそこから帰ったことを覚えていない。
息子のペーターは私のバケツに肉を置いたのに違いないが、私が知っているのは家に着いたことだけで、バケツをタンネケの足元に置いて言った、「私は若奥様に会わなきゃ。」
タンネケはバケツの中をくまなく探した。
「ソーセージが無いよ、代わりの物もない!お前はどうしちゃったんだい?
直ぐに肉屋に行ってきな。」
「私は若奥様に会わなければいけないの、」と、私は繰り返し言った。
「なんだって?」
タンネケは不審げになった。
「何かヘマしちゃったのかい?」
「私の家族は隔離されるかもしれない。私は彼らのところに行かなくっちゃいけない。」
「ああ。」タンネケは不安そうに体重を移動させた。
「そんなの知らないよ。聞かなきゃいけないだろうね。奥様と一緒にいるよ。」
カタリーナとマリア・シンズは磔の絵のある部屋にいた。
マリア・シンズはパイプを喫っていた。
私が入っていくと彼女たちは話を止めた。
「どうしたのお嬢ちゃん?」と、マリア・シンズが呟いた。
「どうか奥様、」と、私はカタリーナの方を向いて言った、「私は私の家族の通りが隔離されるかもしてないと聞きました。私は行って家族に会いたいのですが。」
「何ですって、ペストを連れて戻って来るって言うの?」と、彼女がきつく言った。
「勿論だめよ。気が狂ったの?」
私はマリア・シンズを見たが、その事がカタリーナを怒らせた。
「だめって言ったでしょ、」と、彼女が言った。
「あなたができる事できない事を決めるのは私です。その事を忘れたの?」
「いいえ、若奥様。」
私は眼を伏せた。
「あなたはそれが安全になるまで日曜日に帰ることはできないでしょう。
さあ、行きなさい、私たちはあなたがうろついていないところで議論する事があります。」
私は洗濯ものを中庭に持っていき、誰とも会わないで良いようにドアに背を向けて外に座った。
私はマートゲのドレスを洗いながら泣いた。
マリア・シンズのパイプの匂いがした時、私は涙をぬぐったが振り向かなかった。
「バカなことを言わないで、お嬢ちゃん、」とマリア・シンズが私の背中に向かって穏やかに言った。
「あなたは彼らのために何もできないし、自分を救わなければなりません。
あなたは賢い女の子です、その事をうまく解決できます。」
「私は答えなかった。暫くすると彼女のパイプの匂いはしなかった。」
次の日の朝、私がアトリエを掃いていると、彼が入って来た。
「グリエット、君の家族の不幸を聞いて気の毒に思っているよ、」と、彼が言った。
私は自分の箒から眼を上げた。
彼のまなざしには思いやりがあり、私は彼に尋ねることができると感じた。
「隔離はされたのかどうか教えてもらえますか?」
「されていよ、昨日の朝だったよ。」
「教えてくださってありがとうございます、ご主人様。」
わたしが「別の事を聞いてももいいですか?ご主人様、絵について。」と、私が言った時、彼は頷いてそこを去ろうとしていた。
彼はドアの所で立ち止まった。
「何だね?」
「箱を覗いている時、箱は絵から地図を取り外すようにあなたに言いましたか?」
「そうだ、言ったよ。」
彼の表情はまるでコウノトリが捕まえられる魚を見た時のように真剣なものになった。
「地図が消えて嬉しいかね?」
「今は、前より良い絵です。」
別の時だったら敢えてそんなことを言おうとは考えなかっただろうが、私の家族の危機が私を無鉄砲にしたのだった。
彼の笑顔に私は箒を強く握った。
私はその時うまく仕事ができなかった。
私は床をどれくらいきれいにできるかとか、シーツがどれくらい白か気にすることより、自分の家族のことが心配だった。
前には誰も私の上手な家事について触れなかったかもしれないが、今は私がどれほど不注意か気が付いていた。
リズベットはシミの付いたエプロンに文句を言った。
タンネケは私の掃き掃除で皿に埃が付いてしまったとぶつぶつ言っていた。
カタリーナは彼女の上着の袖にアイロンをかけるのを忘れているとか、ニシンを買いにいたのに鱈を買って来たとか、火を消してしまった事などを何度も大声で怒鳴っていた。
マリア・シンズは私と廊下ですれ違う時「ちゃんとやってくださいね、お嬢ちゃん、」と小さな声で言った。
私はアトリエでだけは、以前通り彼が必要とする正確さで掃除をすることができた。
私は私が家に行くことを許されなかった最初の日曜日には何をすればいいのか分からなかった。
私は、私たちの教会が隔離地域の中に有ったので、行くことはできなかった。
私は家に留まりたくなかった、カトリック教徒が日曜日に何をしようと、私は彼らと一緒にいたくはなかった。
彼女たちはモレンポートの角にあるイエスズ会の教会に向かって家を出た、少女たちは良い服を着ていた、タンネケでさえ黄色っぽい茶色のウールのドレスに着替えてヨハネスを抱いていた。
カタリーナは、彼の夫の手を握りゆっくりと歩いていた。
マリア・シンズは彼女の後ろでドアのカギをかけた。
私は彼女たちが見えなくなるまで、家の前のタイルの上に立ち、何をしたらいいのか考えていた。
私の前にある新教会の塔の鐘が時を告げ始めた。
私はあそこで洗礼を受けたのだった、と思った。
きっと彼らは礼拝の時に私が中にいるのを許してくれるに違いない。
私は金持ちの家に隠れているネズミのような気分で広い場所に忍び込んだ。
中は冷たく薄暗く、丸いすべすべの柱がのびていて、天井はまるで天にも届こうというほど高かった。
牧師の祭壇の後ろにはオレンジ公ウイリアムの大理石の墓石があった。
私が知っている人は誰も見受けられず、もっと立派な服、今まで私が着たことのあるどんな服よりも仕立てのいい服を着た人々だけが見受けられた。
私は礼拝の間、柱の後ろに隠れていたが、そのため礼拝の声はほとんど聞こえなかったが、誰かがやって来て私にそこで何をしているのと聞かないかと、私はとても神経質になっていた。
礼拝の終わりに、誰かが私に近づいて来るよりも前に急いで外に抜け出した。
私は教会の周りをまわって、運河を超えたところにある家を見た。
ドアはまだ鍵がかかり、閉まっていた。
カトリックの礼拝は私たちの物より長く続くに違いないと、私は思った。
私は私の家族の家に向かってできるだけ遠くまで歩き、兵士が道を塞ぐために配置されている柵のある所で立ち止まった。
柵を超えた向こうの通りはとても静かに見えた。
「あなたの後ろの向こうはどうですか?」と、私は兵士に聞いた。
彼は肩をすくめて何も答えなかった。
太陽は出ていなかったものの、空気はムシムシして暖かかったので、彼は外套を着て帽子をかぶっているため暑そうに見えた。
「一覧表はあるんですか?死亡者の。」と私はやっとの思いで言った。
「まだ無い。」
私は一覧表がいつも遅延して出るし、普通正確でないことには驚かなかった。
人のうわさの方がしばしはより正確だった。
「タイル職人のジャンの事を知っていますか?聞いたことはありますか?」
「中の事は何も知らない。待つことだね。」
兵士は他の人が彼に同じような質問をしようと近づいてくるのに答えようとして、彼女に背を向けた。
私は違う通りの柵にいる別の兵士に話しかけようとした。
先ほどの兵士よりは友好的ではあったが、彼もまた私の家族について何も言えなかった。
「聞いてみることはできるが、只じゃあないよ、」と、彼は付け加えた、彼は私を笑いながら上から下まで見たので、彼がお金のことを言っているのではないと分かった。
「恥を知りなさい!」、と私はきつく言い返した、「悲惨な状況にある人たちを利用しようなんて。」
しかし彼は恥じているようではなかった。
私は兵士が若い女性を見る時にはたった一つのことしか考えていないと言う事を忘れていた。
私がアウデ・ランゲンダイクに帰った時、家が開いていることが分かりホッとした。
私は中に入り私のお祈りの本を持って中庭に隠れて午後を過ごした。
夜はタンネケにお腹が痛いと言って、食事をせずにベッドに這入った。
肉屋のピーターの所で、父のピーターが他の人の応対で忙しい間に、息子のピーターが私を肉屋の片隅に連れて行った。
「君の家族の消息はあったかい?」
私は首を横に振った。
「誰も私に何も言えなかったわ。」
私は彼と目を合わせなかった。
彼が気にかけてくれたことで、私はまるでボートから降りたばかりで足元の地面がぐらぐらしているような気分になった。
「俺が調べるよ、」とピーターが言明した。
彼の言いっぷりから、私が彼に反論すべきではないことは明らかだった。
「ありがとう、」と、私は長い沈黙の後言った。
私はもし彼が何か見つけてくれたら、私には何ができるのだろうかと思った。
彼は兵士が要求したようなやり方で何か要求しているわけではないが、私は彼に恩義を施されることになる。
私は誰からも恩義を施されたくはなかった。
「数日か、かかるかもしれない、」と、ピーターは彼の父親に牛のレバーを手渡すために振り返る前に言った。
彼はエプロンで手を拭いた。
私は彼の手から目を離さず、頷いた。
彼の爪と指の間の皴には血がいっぱい付いていた。
その光景には、私は慣れるしかないのだろうと思った。
私はアトリエの掃除よりも毎日の雑用の方がより楽しみに思うようになった。
特に、息子のピーターが彼の仕事から眼を上げて私を見た瞬間に、私は彼のまなざしに手掛かりを探した。
私は知りたかったが、知らない限りは望みはあったのだ。
彼から肉を買った時か、私が魚を買った後彼の売店を通り過ぎた時から数日が経ったが、彼は単に首を横に振り続けた。
そしてある日、彼は顔を上げて、目をそらし、私は彼が言おうとしていることが分かった。
誰のことだか、だけは分からなかった。
私は彼が何人かの客の相手を終えるまで待たなければならなかった。
私はとても気分が悪くしゃがみ込みたかったが、床には血の斑点がいっぱい付いていた。
ついに息子のピーターはエプロンを外してやってきた。
「それは君の妹のアグネスだったよ、」と、彼はそっと言った。
「彼女は重体だ。」
「そして私の両親は?」
「彼らは今のところ大丈夫だ。」
私は、彼が私のために、その事を知るためにどんな危険を冒したのかは聞かなかった。
「ありがとう、ピーター、」と、私は囁いた。
それは私が彼の名前を言った最初の時だった。
私は彼の眼を覗き込み、そこに親切さがあるのを見て取った。
私は同時に私が恐れていた期待も見た。
日曜日に、私は兄を訪問しようと決心した。
私は彼がどれくらい隔離やアグネスの事を知っているのか分からなかった。
私は朝早く家を出て、ロッテルダム門からずっと離れたところにある町の壁の外にある工場の方へ歩いた。
私が着いたとき、フランはまだ眠っていた。
門の所で答えた女性は私が彼の事を尋ねると笑っていた。
「彼はまだ数時間は眠っているでしょうよ、」と、彼女が言った。
「彼らは日曜日は一日中眠っているの、見習工たちはね。休日ですもの。」
私は彼女の言った、言い方も言った事も好きではなかった。
「どうか彼を起こして、妹が来たことを知らせてください、」と私は要求した。
私はちょっとカタリーナに似た言い方をした。
女性は眉を吊り上げた。
「フランが王座の鼻先まで見えるほど高い家系の出身だとは知らなかったわ。」
彼女がいなくなったので、私は彼女がフランを起こしてくれるのは疑わしいと思った。
私は低い壁に座って待った。
教会へ行く家族が私の前を通り過ぎた。
ちょうど昔の私たちのように、二人の少女と二人の少年が両親の前を走っていた。
私は彼らが見えなくなるまで見ていた。
遂にフランが眠たげな顔ををこすりながら現れた。
「ああ、グリエット、」と、彼が言った。
「君なのかアグネスなのか分からなかったよ。アグネスは自分ではこんなに遠くまで一人で来ないと思うけど。」
彼は知らなかったのだった。
私は知らせないでおくことも、やさしくそれを告げる事もできなかった。
「アグネスはペストに罹っているのよ、」と、私はぶっきらぼうに言った。
「神様、彼女と私たちの両親をお助け下さい。」
フランは顔を撫ぜるのを止めた。
彼の眼は赤かった。
「アグネスが?」と、彼は混乱して繰り返した。
「それをどうやって知ったの?」
「誰かが私のために見に行ってくれたのよ。」
「君はまだ彼らに会っていないんだろ?」
「封鎖されているのよ。」
「封鎖?それはどれくらい続いているの?」
「今のところ10日よ。」
フランは怒って頭を振った。
「僕はこれについて何も聞かなかったよ!
来る日も来る日もこの工場に閉じ込められて、見えるものと言ったら白いタイル以外何もない。
気が狂ってしまうんじゃないかと思う。」
「今あなたが考えるべきことはアグネスの事よ。」
フランは不機嫌に頭を垂れた。
彼は私が数か月前に会った時より背が高くなっていた。
彼の声も同様に低くなっていた。
「フラン、教会には行っているの?」
彼は肩をすくめた。
私はこれ以上彼に質問する気にはなれなかった。
「私は今彼らみんなのために祈りに行くわ、一緒に来る?」と、私はこれ以上質問する代わりに言った。
彼はそうしたがらなかったが、私はなんとか彼を説得した、私は又一人で見知らぬ教会と向かい合いたくはなかった。
私たちはあまり遠くないところに教会を見つけて、礼拝は私を安かな気持ちにしなかったが、私は私たちの家族のために一生懸命祈った。
その後、フランと私はシー河に沿って歩いた。
私たちはほとんどしゃべらなかったが、お互いに相手が考えている事は分かっていた、私たちのどちらも、ペストから回復した人について聞いたことがなかったと言う事を。
ある朝、マリア・シンズがアトリエのカギを開ける時に、「いいかいお嬢さん、今日はあのコーナーを片付けてね。」と言った。
彼女は彼が絵を描く場所を指さしていた。
私は彼女が言っている意味が分からなかった。
「テーブルの上にあるものは全て物置の収納箱にしまってね、」と言い、「カタリーナの化粧用のブラシとボウル以外はね、その2つは私が持っていきます。」と、付け加えた。
彼女はテーブルを横切って、私が数週間注意深く元の場所に置き続けた、2つの物を取り上げた。
マリア・シンズは私の顔を見た時笑った。
「心配しないで。彼は終わったのよ。今はもう彼はこれは必要ないの。
ここが終わったら椅子を全部埃を掃ってちゃんと真ん中の窓の所に配置してね。
そして全部のシャッターを開けてね。」
彼女は化粧ボウルを腕に抱えて去って行った。
ボウルとブラシがないと、テーブルの上は見覚えのない絵柄に変わってしまった。
手紙、布、陶器のポットがまるで誰かがテーブルの上に落としただけであるかのように、意味もなく置かれていた。
まだ、私はそれらを動かすことを想像できなかった。
私は他の仕事に取り掛かることでそれをやるのを後回しにした。
私は全てのシャッターを開けた、その事は部屋をとても明るく、変に変えた、その後テーブル以外の全ての場所の埃を掃いモップで拭いた。
私は、完成した絵が何が違っているのか、しばらくその絵を見た。
私はその絵の中の何の変化もここ数日間見なかったのだった。
彼が入って来た時私はまだ考えていた。
「グリエット、君はまだ掃除を終わっていないのかい。
急いでやりなさい。私は君がテーブルを動かすのを手伝いに来たんだよ。」
「遅くてすみません、ご主人様。今やりますから。」
彼は私が何か言いたがっている事に驚いたようだった。
「私は物がそこにあることに慣れ過ぎていたのでそれを動かすのが嫌だったのです。」
「わかったよ。じゃあ私が手伝おう。」
彼は青い布をテーブル方取って、差し出した。
彼の手はとても清潔だった。
私は彼の両手に触れることなく布を受け取って窓の所に持ってきて埃を落とした。
それからそれを畳んで物置の収納箱にしまった。
私が帰ってきたとき彼は手紙と黒い陶器のポットを集めてそれ等をしまってしまっていた。
私たちはテーブルを部屋の隅に動かし、私は彼がイーゼルと絵をその絵の背景として描かれている部屋の片隅に動かしている間に椅子をテーブルの中央に置いた。
絵をその絵の背景として描かれている場所で見るのは奇妙な感じだった。
数週間の静けさの後のこの突然の移動も全て変な感じがした。
それは彼らしくなかった。
私は彼に何故なのかは聞かなかった。
私は彼が考えている事を推測するために彼を見たかったが、私は箒を見つめ続け青い布でたった埃を掃除し続けた。
彼は私を置いて去り、私はスタジオに長居したくなかったので、すぐに仕事を終えた。
そこにはもはや慰めはなかった。
その日の午後、ファン・ライフェンと彼の奥さんが訪ねてきた。
タンネケと私は前のベンチに座っていた、彼女は私にレースの裾の修理の仕方を教えてくれていた。
少女たちは市場の広場に出かけて、私たちに見える新教会の近くで凧あげをしていて、コーネリアが凧を空に揚げている間、マートゲが紐の末端をもっていた。
私はファン・ライフェンが遠くからやって来るのを見た。
彼らが近づいてきたとき、私は彼女の絵と前に短期間会ったことで彼女だとわかり、帽子に白い羽根を飾った口ひげを生やした男で前に彼女をドアの所に同伴した時の脂ぎった笑顔で彼だとわかった。
「見て、タンネケ、」と、私は囁いた、「あなたの絵を毎日見とれている紳士よ。」
「ああ!」タンネケは彼らを見て顔を赤らめた。
帽子とエプロンを整えて、彼女は「行って、奥様に彼らが来たって伝えなさい!」と、言った。
私は家の中に入り、マリア・シンズと赤ちゃんを寝かしつけているカタリーナを、磔の絵の部屋で見つけた。
私は、「ファン・ライフェン夫妻がいらっしゃいました、」と告げた。
カタリーナとマリア・シンズは帽子を動かし襟を整えた。
カタリーナはテーブルに掴まって、体を引き起こした。
彼女たちが部屋を出る時、マリア・シンズはカタリーナの鼈甲の櫛に手をやり、それを整え直した、鼈甲の櫛は特別な機会にだけ付けるものだった。
彼女たちは私が廊下で待機している間に、玄関の広間でお客を迎えた。
彼らが階段に向かっていく時、ファン・ライフェンが私を見、一瞬立ち止まった。
「所で、これは誰ですか?」
カテリーナは私を見て眉をひそめた。
「メイドの一人にすぎません。タンネケ、私たちにワインを持ってきてちょうだい。」
「目の大きなメイドにワインを持ってこさせてくれ、」と、ファン・ライフェンが頼んだ。
「さあ、おいで」と、彼は自分の妻に言い、階段を登り始めた。
タンネケと私は横に並んで立っていて、彼女はイライラし、私は彼が私に注目したことに狼狽していた。
「じゃあ、そうしなさい!」とカタリーナが私に叫んだ。
「彼が言った事を聞いたでしょ。ワインを持って来なさい。」
彼女はマリア・シンズの後について重そうに階段を登った。
私は小さな女の子たちが眠っている小さな部屋に行き、そこに保管してあるグラスを見つけそのうちの5個を私のエプロンで磨きお盆の上に置いた。
それから台所でワインを探した。
私はそれが何処に置いてあるのか知らなかった、というのは彼らはワインは頻繁には飲まなかったからだ。
タンネケは不機嫌になっていなくなっていた。
私はワインが戸棚に鍵をかけてしまってあって、みんなの前でカタリーナに鍵を求めなければならなくなるのではないかと心配になった。
幸いにも、マリア・シンズがこの事を心配していたに違いない。
磔の絵のある部屋に、彼女はピューターの蓋の付いた白い水差しにワインを満たして置いておいた。
私はそれをお盆に置いて、まず他の人と同じように自分の帽子と襟とエプロンを整えてから、アトリエに運んで行った。
私が入って行った時、彼らは絵の傍に立っていた。
「宝石は又、」と、ファン・ライフェンが言っていた。
「宝石が付いていて幸せですか、わたしの愛しい人?」と彼の妻の方を向いて言った。
「勿論です、」と、彼女は答えた。
光が窓から差し込み彼女の顔を照らし彼女はほとんど美しく見えた。
私がその朝主人と一緒に移動させたテーブルの上にお盆を置いていると、マリア・シンズがやって来た。
「私がやります、」と彼女が囁いた。
「早く行きなさい、さあ、早く。」
ファン・ライフェンが「あの目のぱっちりしたメイドは何処だ?もう行ってしまったのか?彼女をもっとちゃんと見たかったのに。」というのを聞いたとき、私は階段の途中にいた。
「さあさあ、彼女は何でもありません!」と、カタリーナが陽気に叫んだ。
「見たいのは絵なんでしょう。」
私は前のベンチに戻って、私に一言も口をきかないタンネケの隣に座った。
私たちは袖口を直しながら、上の窓から流れて来る声を聞きながら、黙って座っていた。
彼らがもう一度下りてきたとき、私は角まで行きモレンポートの暖かい壁にもたれて、彼らがいなくなるまで待った。
後で彼らの家から男の召使が来て、アトリエに消えて行った。
私は彼が行ってしまうのは見なかった、というのは、少女たちが帰って来て、林檎を焼けるように火を起こしてほしいと私に言ったからだ。
次の日の朝、絵はなくなっていた。
私には最後にもう一度絵を見る機会は無かった。
その朝、私が肉を売っている広場に着くと、私の前の男が封鎖は解除されたと言っているのが聞こえた。
私はピーターの売り場に急いだ。
父親と息子はそこにいて、何人かの人々が買い物の順番を待っていた。
私は彼らを無視して息子のピーターの所に急いで行った。
「私の買い物を急いでやってくれる?」と、私は言った。
「私は実家に行かなければいけないのよ。牛タン1.5kgとソーセージ3本だけでいいから。」
彼は彼が相手をしている老女が発する怒った声を無視して、手を止めた。
私に彼が包みを渡すとき、「もし私が若くてあなたに微笑んでいたら、あなたは私に何でもしてくれるでしょうに、と思うわ。」と彼女が怒っていた。
「彼女は微笑んでいませんよ、」と、ピーターが応えた。
彼は父親をちらっと見て、それから私に小さな包みを手渡した。
「あなたの家族にあげてください。」と、彼が小さな声で言った。
私は彼にありがとうも言わず包みをひったくり走り出した。
泥棒と子供たちだけが走る。
私は家への全行程を走った。
両親は下を向いてベンチに並んで座っていた。
私は彼らの所にたどり着いたとき、父親の手を取って私の頬の所まで持ち上げた。
私は彼らの横に座り、何も言わなかった。
言われるべきことは何もなかった。
全てが退屈な時が続いた。
何か意味を持っていた事、洗濯ものの清潔さ、お使いに出る毎日の歩き、静かなアトリエは、未だにそこにあったのに、重要性を失った、まるで体の打撲傷が消えて皮膚の下で硬いしこりになるように。
私の妹が死んだのは夏の終わりだった。
その秋は雨がちだった。
私はほとんどの時間を洗濯ものを室内の棚に掛けて、カビが生える前に、しかし焦がさないように乾かそうと、火の近くに移動させ、過ごした。
タンネケとマリア・シンズはアグネスの事をわかった時、充分私に親切だった。
タンネケは数日間は自分がイラつかないように気を付けていたが、すぐにまた怒ったり不機嫌になったりし始め、彼女をなだめるのは私次第と言う事になった。
マリア・シンズはほとんど何も言わなかったが、カタリーナが私につらく当たるようになったときは彼女を止めさせた。
カタリーナ自身は私の妹について何も知らないか、それを現わそうとしなかった。
彼女は出産が近づいていて、タンネケが予想したように、赤ん坊のヨハネスをマートゲに任せて、彼女はほとんどの時間をベッドで過ごしていた。
彼はよちよち歩きをし始め、少女たちを忙しいままにしていた。
少女たちは私に妹がいたことも知らなかったし、その妹を亡くしたことも理解しなかっただろう。
アレイディスだけは、何かがおかしいと感じているようだった。
彼女は時々やって来て私の横に座って、まるで子犬が暖を求めて母犬の毛の下に潜り込むように彼女の体を私に押し付けて来るのだった。
彼女は他の誰もできない簡単なやり方で私を慰めてくれた。
ある日、私が服を干していると、コーネリアが中庭に出てきた。
彼女は古い人形を私に手渡した。
「私たちはもうこれでは遊ばないの、」と、彼女は言明した。
「アレイディスでさえよ。あなたはこれをあなたの妹にあげたい?」
彼女は眼を無邪気に大きく見開いていたので私は彼女がアグネスの死について何か言うのをふと耳にしたのだと分かった。
「ありがとう、でもいらないわ、」とほとんど言葉が詰まりそうになりながら、言うのが私にできる精一杯のことだった。
彼女は微笑みスキップをしながら行ってしまった。
アトリエは空っぽのままだった。
彼は別の絵を描き始めなかった。
彼はほとんどの時間を家から離れて過ごし、ギルドか広場の向かいにある母親の宿屋メーヘレンで過ごしました。
私はずっとアトリエを掃除していたが、それは他の部屋を埃を掃ったりモップ掛けをするだけの、他の仕事と同様になった。
私は肉市場を訪れる時息子のピーターと目を合わせるのはつらいということが分かった。
彼の親切が私の心を痛めていたのだ。
私は彼の親切にお返しをしなければならなかったがそうしなかった。
私はお世辞の一つも言うべきだったがそうしなかった。
私は彼の注意を引きたくなかった。
彼のお父さんに対応してもらいたがるようになった、お父さんの方は私をからかったりはしても彼の肉についての評価以外は何も要求しなかった。
私たちは、その秋立派な肉を食べた。
私は時々日曜日にフランの工場に行き、私と一緒に家に帰ることを促した。
彼は2度、そうして、両親を少しだけ元気づけた。
一年前までは家に3人の子供がいた。
今は誰もいない。
フランと私が二人ともそこにいる時、私たちは彼らにもっと良かった時を思い出させた。
一度私の母は笑いさえした、その後首を振った。
「神様は私たちが運が良いと言う事を当然と思っている事に罰をお与えになったのよ、」と彼女は言った。
「私たちはその事を忘れてはいけないわ。」
家を訪れるのは容易ではなかった。
私は封鎖されていた何日かの日曜日、家を訪れなかったことで、家が見知らぬ場所のように感じるようになってしまったと気が付いた。
私は母が物をどこに置いていたか、暖炉にどんなタイルが並んでいたか、部屋に太陽の光が一日の違った時間にどのように差し込むのか、忘れ始めていた。
たった数か月後には、私は自分の家族の家よりも教皇派通りにある家を思い描くことができた。
特にフランは訪問するのが難しいと感じていた。
工場の長い日夜の後、彼は笑ったり冗談を言ったり、少なくとも眠ったりしたかった。
私は彼をなだめて、もう一度私たちの家族を結び付けようと思って、そこに連れて行っていたんだと思う。
しかし、それは無理だった。
私の父親の事故以来、私たちは違う家族になってしまっていたのだった。
私は家族の家から帰ってきたとき、カタリーナの出産が始まっていた。
私は玄関に足を踏み入れた時、彼女が呻いているのが聞こえた。
私は大広間を覗き込んだ、そこは何時もより暗く、彼女のプライバシーを確保するためにシャッターが閉まっていた。
マリア・シンズがタンネケと産婆と一緒にそこにいた。
マリア・シンズは私を見ると、「行って私が遊びに出した女の子たちを探しなさい。
長くはかからないだろう。一時間以内に帰って来なさい。」と、言った。
私はそこを離れられることがうれしかった。
カタリーナは大声を出していて、そんな状態で彼女の言う事を聞くのは正しいとは思えなかった。
彼女が、私にいてほしくもないと思っているだろう事も分かっていた。
私は彼女たちのお気に入りの場所、角を曲がったところにある家畜が売られている「野獣市場」で彼女たちを探した。
私が彼女たちを見つけた時、彼女たちはビー玉をしたりお互いに追いかけっこをして遊んでいた。
赤ちゃんのヨハネスは彼女たちの後ろをおぼつかない足取りでよちよち歩きをして、半分歩き半分ハイハイし彼女たちを追いかけていた。
それは私たちは日曜日にやって良いと言われていた遊びではなかったが、カトリック教徒はその事について異なる見解を持っていた。
アレイディスは退屈になって私の所にやって来て座った。
「お母さんはもうすぐ赤ちゃんを産むの?」と、彼女が聞いた。
「あなたのお祖母ちゃんがそう言っていたわ。もう少ししたら帰って会いに行きましょうね。」
「お父さんは喜ぶかしら?」
「そう思うはずよ。」
「赤ん坊が生まれるんだからお父さんはもっと早く絵を描くつもりかしら。」
私は答えなかった。
カタリーナの言葉が小さな女の子の口から出てきているのだった。
私はそれ以上聞きたくはなかった。
私たちが帰った時、彼は玄関に立っていた。
「お父さん、帽子!」とコーネリアが叫んだ。
少女たちが彼に駆け寄って彼は被っていたキルトの父親の帽子を掴み取ろうとした、その帽子のリボンが彼の耳の下にぶら下がっていた。
彼は誇らしげでもあり恥ずかしがっているようにも見えた。
私は彼が今までに5回父親になったことに驚き、彼がその事に慣れっこになっているのだと思った。
そこには恥ずかしがる理由は何もなかった。
たくさんのこどもをほしがっているのはカタリーナなのだ、と私はその時考えた。
彼はむしろ自分のアトリエで一人でいたいだろう。
しかしその事は全く正しいというわけではなかった。
私は赤ちゃんはどうやったらできるのかは知っていた。
彼は彼の役をやったし、意志をもってやったに違いなかった。
カタリーナが気難しい人だったのと同様、私は彼が彼女を見て、彼女の肩に触れて、蜂蜜で絡めたような低い声で話しかけていたのをしばしば見ていた。
私は彼の事を、彼の妻と子供たちの事をそんな風に考えたくはなかった。
私は彼の事は一人でアトリエにいると考えたがっていた。
いや、一人でではなく、私だけと。
「君にはもう一人の弟がいるんだ、女の子たち、」と、彼が言った。
「彼の名前はフランシスカス。彼に会いたいかね?」
彼は、私が通りでヨハネスを抱えて待っている間に彼女たちを招き入れた。
タンネケは大広間の下の窓のシャッターを開けて身を乗り出した。
「若奥様は大丈夫ですか?」と、私は聞いた。
「ああ、大丈夫さ。
彼女は大騒ぎをしたけど、その後は何もなかったよ。
彼女は殻からクルミをとり出すみたいに、赤ん坊を産むようにできているのさ。
さあ、来なさい、ご主人様が感謝の祈りを捧げたがっています。」
不快ではあったが、私は彼らと一緒に祈ることを拒むことはできなかった。
プロテスタントも安産の後には同じことをするだろう。
私はヨハネスを抱いて大広間に入ったが、そこはより明るく人であふれていた。
私が彼を下ろすと、彼はよちよち歩いてベッドの周りに集まっている、彼のお姉さんたちの所に行った。
カーテンは後ろに引き下ろされ、カタリーナは枕にもたれて赤ちゃんを抱きながら横になっていた。
疲れてはいたが、微笑んでいて、初めて幸せそうだった。
私の御主人さまが彼女の傍に立って、彼の新しい息子をじっと見降ろしていた。
アレイディスが彼の手を握っていた。
タンネケと産婆は、新しい看護婦がベッドの近くで待っている間にも、たらいと血の付いたシーツをきれいにしていた。
マリア・シンズが台所からワインとグラスを3つお盆に載せて部屋に入って来た。
彼女がそれを置いたとき、彼はアレイディスの手をほどき、ベッドから遠ざかり、マリア・シンズと一緒に跪いた。
タンネケと産婆がやっていた事を止め、同じようにひざまずいた。
それから看護婦と子供たち、そして私がひざまずいた、リズベットがヨハネスを無理やり座らせようとすると、身をよじって泣き叫んだ。
私の御主人さまはフランシスカスの無事な誕生と、カタリーナを救ってくれた事を感謝する神への祈りを言った。
彼はラテン語で私の理解できないカトリックの語句を付け加えたが私は気に留めなかった。
彼は、私が聞きたくなるような、低い心地よい声をしていた。
彼がお祈りを終えるとマリア・シンズが3つのグラスにワインを注ぎ、彼女と彼とカタリーナが赤ちゃんの健康を願ってそのワインを飲んだ。
その後、カタリーナは赤ん坊を看護婦に手渡し、看護婦は赤ん坊を胸に抱いた。
タンネケは私に合図して、私たちは産婆と少女たちに、パンと燻製ニシンを持ってくるために部屋を出た。
「さあ、私たちは今から誕生の宴の準備を始めるよ、」と、タンネケがそれらの物を持ち出す時に行った。
「若奥様は大きなことだ好きだからね。私たちはいつも通り、大忙しよ。」
その誕生の宴は私がこの家で見た最も大きなお祝い事だった。
私たちはその準備に10日かかり、掃除と料理に10日かかった。
マリア・シンズはタンネケが料理するのと私が掃除するのを手助けする2人の少女を一週間雇った。
私に付いた少女は頭の回転は遅かったが、私が彼女に何をすべきかを正確に伝え、ちゃんと目を光らせている限りはよく働いた。
ある日、家にあるシャツやガウンや婦人用の帽子、襟、ハンカチ、帽子、エプロン、など全ての布と一緒に、既にきれいになっているかどうかにかかわらず、宴に必要な全てのテーブルクロスとナフキンを、洗濯した。
リネン類はもう一日を要した。
その後、私たちは大型のジョッキ、グラス、陶器の皿、水差し、銅製の鍋、パンケーキ用の鍋、鉄製の焼き網と櫛、スプーン、おたまを宴会のために近所から借りた品物と一緒に洗った。
私たちは真鍮製品や銅製品銀製品を磨いた。
カーテンを引き下ろして外で埃を掃い、全てのクッションとラグの埃を叩いた。
私たちはベッドの戸棚の、椅子とテーブルの、窓台の木製部分を、ピカピカになるまで磨いた。
最後には私の両手はひび割れができ血がにじんだ。
宴のためにとてもきれいにした。
マリア・シンズはラム肉、子牛の肉、タン、豚肉全部、ウサギ肉、キジ肉、鶏肉、牡蠣、伊勢海老、キャビア、ニシン、甘いワイン、最良のエールビール、パン屋が特別に用意した甘いケーキを特注した。
私がマリア・シンズの注文を父親の方のピーターに発注すると、彼は彼は揉み手をした。
「じゃあ、またもう一つ養わなきゃならない口が増えたね、」と彼は行った。
「私たちにとってはなおさら良いことです。」
ゴーダとエダムチーズとアーティチョークとオレンジ、レモン、ブドウ、プラム、アーモンド、ヘーゼルナッツの大きな塊が到着した。
パイナップルさえ送られてきた、マリア・シンズの裕福ないとこからだった。
私は今までにパイナップルは見たことが無かったし、そのザラザラしたチクチクした皮に誘惑されることはなかった。
いずれにせよ私が食べることは無かった。
タンネケが私たちに味わう事を許してくれたもの以外は。
彼女は小さなキャビアの一口を味見させてくれたがその贅沢さにもかかわらず私が認めたほど好みではなかったが、甘いワインは素晴らしくシナモンの風味が付いていた。
中庭には特注の石炭と薪と近所から借りた焼き串が積まれた。
エールビールの樽も中庭に貯蔵され、豚がそこで焼き豚にされた。
一度焼き始めると一晩中火を使うのでその火の番をするためにマリア・シンズは若い男の子を雇った。
準備の間ずっとカタリーナは看護婦に世話をされて、フランシスカスとともにベッドの中にいて、白鳥のように気高く穏やかだった。
白鳥のように彼女も長い首と鋭いくちばしを持っていた。
私は彼女に近づかなかった。
「これが彼女が毎日そうであるべきだと思っている状態なんだよ、」と、タンネケが、ウサギの肉を茹で、私が窓を洗うためにお湯を沸かしている時に私にぶつぶつ不満を言った。
「彼女は自分の周りの全てがこんな状態であってほしいのよ。ベッドカバーの女王よ!」
私は彼女と一緒にクスクス笑い、彼女が不誠実であってはいけないないと知っていながらも彼女がそんな時ますます不誠実になるようにそそのかした。
彼は準備の間、彼のアトリエに鍵をかけ、家を離れ、組合に避難していた。
私は宴会の3日前に、一度だけ彼を見た。
リズベットが私を見つけに来た時、雇われた少女と私は台所ののロウソク立てを磨いていた。
「肉屋さんがあなたを訪ねてきているわ、」と、彼女が言った。
「表の外よ。」
私は磨いていた布を落としエプロンで手を拭き、廊下を彼女について上がって行った。
私はそれが例の肉屋の息子だろうと分かっていた。
彼とは教皇区であったことは無かった。
少なくとも私の顔はいつものように蒸し暑い洗濯ものを干している時のようには赤切れはできていませんでした。
息子の方のピーターは家の前でマリア・シンズが注文した肉を積んだ荷車を引いていた。
女の子たちがその中を覗き込んでいた。
私が玄関に現れるとピーターは私を見てほほ笑んだ。
私は平静を保ち赤面しなかった。
コーネリアが私を見ていた。
彼女だけではなかった。
私は背後に彼の存在を感じた、彼は私の後ろについて廊下を下りてきたのだった。
私は振り返って彼を見、彼がピータの笑顔と、そこにある期待も見てしまった事を知った。
彼は灰色の目を私の方に移した。
その目は冷たかった。
私はまるで立ち上がるのが早すぎたかのように、眩暈を感じた。
私は振り返った。
ピーターの笑顔はそれほど大きくなかった。
彼は私の眩暈を見ていたのだった。
私は二人の男の間に捕まえられてしまったように感じた。
それは心地よい感覚ではなかった。
私は私の御主人さまを通すために横にどいた。
彼は言葉を発することもなくじっと見つめることもなくモレンポートの方に歩いて行った。
ピーターと私は黙って彼が行ってしまうのを見ていた。
その後、ピーターは「君の注文したものを持ってきたよ、」と言った。
「どこに置きますか?」
その週の日曜日、私が両親の家に行った時、私はもう一人子供が生まれたことを言いたくはなかった。
私は、その事が彼らにアグネスを失くしたことを思い起こさせると思ったのだ。
しかし、私の母はその事を市場で聞いて知っていて、私は、誕生と家族とのお祈り、全ての宴会の準備などなどを彼らに説明させられたのだった。
私の母は私の手の具合を気にかけたが、最悪の状態は終わったと約束した。
「それで、絵は?」と、私の父が尋ねた。
「彼は別の絵を描き始めたのかね?」
彼は何時も彼のために私が新しい絵を説明する事を望んでいた。
「何も、」と、私は答えた。
私はその週、ほとんどアトリエで時間を過ごさなかった。
そこは何も変わっていなかった。
「多分、彼は怠けているんだよ、」と、私の母が言った。
「彼はそうじゃないわ、」と、私は急いで答えた。
「多分彼は見たくないんだよ、」と、私の父は言った。
「私は彼が何をしたいのか分からないわ、」と、私は私が思ったよりも強い口調で言った。
お母さんが私をじっと見ていた。
お父さんは椅子の中で体位を変えた。
私は彼についてそれ以上は言わなかった。
宴会の日には客たちが昼頃に到着し始めた。
夕方までには家の内外に100人の人々がいて中庭や通りにあふれていた。
パン屋、仕立て屋、靴屋、薬屋は勿論、裕福な商人たち、全ての種類の人々が招かれていた。
近所の人々もいたし、ご主人様の母親と妹それにマリア・シンズのいとこたち。
画家もそこにいたし他の組合のメンバーたちもいた。
ファン・レーベンフックやファン・ライフェンと彼の妻もそこにいた。
父親のピーターでさえ彼の血の付いたエプロンを外して、スパイスのきいたワインの水差しを持って通り過ぎようとしている私を見て、頷き笑ってそこにいた。
「やあ、グリエット、」と、私がウィンを注いでいると言った、「私の息子が、わたしがあなたと夜を過ごしているのに嫉妬するでしょうね。」
「そうじゃありませんわ、」と私はつぶやきながら、恥ずかしくなって彼から離れた。
カタリーナは注目の的だった。
彼女は彼女のまだ元の大きさに縮んでいないお腹に合わせて仕立て直した緑色の絹のドレスを着ていた。
その上からファン・ライフェンの妻が絵のモデル用に着ていた、オコジョの毛皮のついた黄色い外套を着ていた。
それが他の女性の肩にかかっているのを見るのは変な感じだった。
勿論、それは彼女が着るべきものだったが、私は彼女がそれを着ているのは好きではなかった。
彼女は真珠の首飾りとイアリングも付けていたし、彼女の金髪のカールはきれいにセットされていた。
彼女は出産から早くも立ち直っていて、とても陽気で優雅で、彼女の体はここ数か月そうだったような重荷から解放されていた。
彼女は容易に部屋中を動き回り、彼女のお客たちとお酒を飲み、笑い、ロウソクに火を点け、食事を注文し、人々を一つにした。
彼女が立ち止まったのは、看護婦がフランシスカスに食事を与えている時に大騒ぎをする時だけだった。
私の御主人様はずっと静かだった。
彼の眼はしばしばお客様の間を動き回るカタリーナを追っていたが、彼はほとんどの時間を大広間の片隅でファン・レーベンフックと話して過ごしていた。
彼は洗練された黒のビロードの上着を着、父親を示す帽子をかぶり、パーティーにはそれほど興味なさそうではあれ心地よさげに見えた。
彼の妻のように大勢の群衆には魅力を感じてはいなかった。
夜遅く、ファン・ライフェンが、私が火の付いたロウソクとワインの水差しをもって廊下を通り抜けようとしている、私を廊下で追い詰めた。
「ああ、目の大きなメイドさん、」と、彼は私に寄りかかりながら叫んだ。
「こんばんは、お嬢さん。」
彼は私の顎を手で掴んで、もう一方の手で私の顔を照らすためにロウソクを持ち上げた。
私は、彼の私を見るそのやり方が好きではなかった。
「君は彼女を描くべきだよ、」と、彼は肩越しに行った。
私の御主人さまがそこにいた。
彼は顔をしかめていた。
彼は彼のパトロンに何か言いたそうだったが言うことはできなかった。
「グリエット、もっとワインをもらえるかね。」
父親のピーターが磔の絵の部屋から飛び出して来て、コップを私に差し出した。
「承知しました。」
私はファン・ライフェンの握っている私の顎を引き離し、急いで父親のピーターの方に横切って行った。
私は背中に2組の視線を感じた。
「ああ、ごめんなさい、水差しは空なんです。直ぐ台所から持ってきます。」
私は水差しがワインでいっぱいなのを彼らに発見されないように手元に抱えて、急いで立ち去った。
私が数分後に帰ってきた時には、お父さんの方のピーターだけが、壁に寄りかかって、残っていた。
「有難うございました、殿方」と、私は彼のグラスにワインを注ぎながら低い声で言った。
彼は私にウインクをした。
「あなたが私を殿方と呼ぶのを聞けただけでも価値があったよ。
もう二度と聞くことはないだろう?"
彼はグラスを掲げて乾杯の格好をしてワインを飲んだ。
宴会の後、冬が私たちに降りてきて、家は冷たく平坦になった。
大量の洗い物以外は、もはや待ち構えているものは何もなくなった。
少女たちは、アレイディスでさえも、気難しくなり、注意を要求するようになり、めったに協力してくれなくなった。
マリア・シンズは以前にもまして2階の自分の部屋でより長い時間を過ごした。
宴会の間中、静かにしていたフランシスカスは、風に苦しめられ始終ほとんど泣いていた。
彼は中庭でも、アトリエでも、地下室でも聞こえる、家中に聞こえる突き通すような声を出した。
彼女の本来の性格からして、カタリーナは赤ちゃんには驚くほど忍耐強かったが、他の皆に、彼女の夫にさえ当たり散らしていた。
私は宴会の準備をしている間アグネスの事を心から追い払おうと努力していたが、彼女の記憶が以前にも増して蘇ってきた。
今は考える時間があったので、私は多く考えすぎるようになってしまった。
私はまるで傷をきれいにしようとして舐めて、もっと悪化させる犬のようだった。
最悪だったのは、彼が私に怒っている事だった。
ファン・ライフェンが私を追い詰めた夜以来、多分息子の方のピーターが私に微笑みかけて以来、彼はより距離を取るようになった。
私も彼と、以前より多い回数すれ違うようになった気がした。
彼はフランシスカスの泣き声から逃れるためにしても、多くの時間外出していたが、私は何時も彼が出て行くときに玄関のドアの前から入って来ていたり、彼が階段を上がって来る時降りて行っていたり、彼がマリア・シンズを探して磔の絵のある部屋にいる時に部屋を掃除していたりした。
ある日、カタリーナの雑用のおり、市場の広場でさえ会った。
彼は毎回礼儀正しく頷き、それから私を見ないで私を通すために横にのいた。
私は彼を怒らせたのだが、どうしてなのかは分からなかった。
アトリエは何時ものように冷たく、平坦になってしまっていた。
以前はそこは忙しく目的に満ち、絵画が作られる場所だった。
今は、私が急いでそこに積もった埃を掃き掃除したけれど、それは埃以外何も待っていない、単なる空っぽの部屋でしかなかった。
私は悲しい場所であってほしくは無かった。
以前と同じようにそこに避難したかった。
ある朝、マリア・シンズが私のためにドアを開けようとやって来て、既に開いているのを見つけた。
私たちは薄暗い部屋の中を覗き込んだ。
彼はテーブルで眠っていた、彼の頭は両腕の上にあり、背中はドアの方に向いていた。
マリア・シンズは後ずさった。
「赤ん坊の泣き声のためにここに上がって来たのに違いない、」と、彼女はつぶやいた。
私はもう一度見ようとしたが、彼女が道を塞いだ。
彼女はそっとドアを閉めた。
「彼をそっとしておきなさい。あなたは後でお掃除できるから。」
次の朝、私はアトリエで全てのシャッターを開けて、私に何かできることはあるか部屋中を見回した、彼を怒らせることなく私が触れることができる何か、彼が気が付かないように動かすことができる何かを。
全ての物がその場所に有った、テーブルも、椅子も、本と紙であふれんばかりの机も、ブラシとナイフが上に注意深く配置された棚も、壁に立てかけられたイーゼルも、その横に置かれたきれいなパレットも。
彼が描いた作品は物置にしまい込まれたり、家の中で使用されたりしていた。
新教会の鐘が時を告げ始めた。
私は外を見ようと窓の方に行った。
鐘が6つ鳴り終わった時までには私はやるべき事が分かっていた。
私は火で沸かしたお湯と石鹸と清潔なぼろ布を取って、アトリエに戻り、そこで私は窓を拭き始めた。
私は窓ガラスの一番上に手が届くようにテーブルの上に立たなければならなかった。
彼が部屋に入る音を聞いたとき、私は最後の窓を洗っていた。
私は左の肩越しに振り返って彼を見た、私の目は大きかった。
「ご主人様、」と、私は神経質そうに話し始めた。
掃除したいという衝動をどう説明したらいいのかわからなかった。
「止めなさい。」
私は彼の意に反したことをやってしまったのかと恐怖を感じ固まってしまった。
「動かないで。」
彼はまるで彼のアトリエに幽霊が現れたかのように私を見つめていた。
「どうもすみません、ご主人様、」と、私はぼろ布をバケツの中に落としながら言った。
「最初にあなたにお伺いを立てるべきでした。
でも、今のところ何も描いていらっしゃらなかったし・・・」
彼は当惑した表情をした後、首を振った。
「ああ、窓だね。いや、君はやっている事を続けていいよ。」
私はむしろ彼の前で掃除をしたくはなかったが、彼がそこに立ち続けたので、私には選択の余地は無かった。
私は雑巾を水の中に突っ込み、とり出して絞り、もう一度窓枠の内側と外側を拭き始めた。
私は窓を終え、掃除の効果を見るために後ずさりした。
差し込んでくる光は濁りのないものだった。
彼はまだ私の後ろに立っていた。
「ご主人様、お気に召したでしょうか?」と、私は聞いた。
「もう一度肩越しに私を見てくれないかね。」
私は彼が命じたようにした。
彼は私をじっと見ていた。
彼は又私に興味を持ったのだった。
「光が、」と、私は言った。
「今は、よりきれいです。」
「そうだ、」と、彼は言った。「そうだとも。」
次の朝、テーブルが、赤や黄色や青いテーブルかけとともに、絵を描くコーナーに戻されていた。
椅子が後ろの壁の所に置かれ、壁には地図が掛けられていた。
彼は又始めたのだった。
私の父はもう一度、私に絵を描いているところを説明してもらいたがった。
「でも、前回から何も変わりないわ、」と、私は言った。
「私はもう一度聞きたいんだよ、」と、火の近くに屈みこみながら言った。
彼の言いっぷりは、フランが小さい少年だったころ温まった鍋の中に何も残っていないと言われた時のような言いっぷりだった。
父は3月中は冬の寒さが和らぐぎ、太陽がまた現れるのを待ちきれない様だった。
3月は何が起こるか全く分からない、予測不能の月だった。
氷の灰色の空がもう一度町中を閉ざしてしまうまで、暖かい日が希望を高めた。
3月は私が生まれた月だった。
眼が見えなくなったことで父は冬を以前にも増して大嫌いになった様だった。
彼のその他の感覚が強くなり、彼は寒さを敏感に感じ、家の中の生気のない空気の匂いを嗅ぎ、母よりも野菜シチューを味気なく感じた。
彼は冬が長い時は苦しんだ。
私は彼にすまないと感じていた。
出来る時は、私は彼にタンネケの台所からサクランボのシチュー、乾燥させた杏子、冷たいソーセージ、一度などカタリーナの戸棚に見つけた乾燥させた薔薇の花びらなど、をこっそり持ち込んで彼に振舞った。
「パン屋の娘が窓の傍の一角に立っています、」と、私は辛抱強く説明を始めた。
「彼女は私たちの方を向いていますが、彼女の右側の窓の外を向いています。
彼女は黄色と黒のぴったりした絹とビロードの胴着と、濃い青いシャツを着、2か所で顎の下まで垂れ下がった白い帽子をかぶっています。」
「お前がかぶっているようなのを?」と、私の父は尋ねた。
私は毎回同じように説明していたが、彼は今までこの事を尋ねたことは無かった。
「そうよ、私みたいに。でもよく見ると、」私は慌てて付け加えた、「彼は本当はそれを白く塗らないで、青と紫と黄色に塗ったことが分かります。」
「しかし、それは白い帽子だってお前は言ったね。」
「そうよ、その事がとても変なのよ。
それはいろいろの色で塗られていたの、人が見ればそれは白だと思うわ。」
「タイル絵はもっと単純だよ、」と、私の父はつぶやいた。
「青を使う、それだけさ。輪郭には濃い青、影には明るい青、青は青だ。」
そしてタイルはタイル、と、私は思った、そして彼の絵とは全く違う。
私はお父さんに白は単に白じゃない事を理解してほしかった。
その事は私の御主人さまが私に教えてくれた事だった。
「彼女は何をしているんだね?」と、お父さんはしばらくして聞いた。
「彼女はテーブルに座って白目の水差しを片手に持ち、もう一方の手は彼女が少し開けた窓の上に置いているの。
彼女は水差しを持ち上げて、窓から水を捨てようとしているけど、彼女はやっている事を途中でやめて、夢見るか通りの何かを見ているの。」
「彼女はどっちをやっているんだい?」
「私は分からないわ。時々一方をやっていて、時々もう一つの事をやっているようよ。」
私の父は席に座り直して、顔をしかめた。
「最初にお前は帽子は白だけど白じゃないと言った。
次に、少女はあることをしていると言い、別のことかもしれないと言った。
お前は私を混乱させるよ。」
彼は頭痛がするとでもいうように、額をこすった。
「ごめんね、お父さん。私は正確に表現しようとしているの。」
「でもその絵の中には何の話があるんだね?」
「彼の絵は物語を語っているわけじゃないの。」
彼は返事しなかった。
彼は冬中、気難しかった。
もしアグネスがそこにいれば彼女は彼の気分を励ますことができただろう。
彼女は何時も彼を笑わせる方法を知っていた。
「お母さん、足温器に火を入れましょうか?」と、私はお父さんの方から私のイラつきを隠すように顔をそらして聞いた。
彼は眼が見えなくなってしまったので、彼はその気になれば、他人の気分を簡単に察することができた。
私はその絵を見ないで批判したり、彼がかつて描いていたタイル画と比較してほしくなかった。
私はもし彼がその絵を見る事さえできれば混乱するようなことは何もないと言う事を理解出来るだろうと言う事を言いたかった。
それは物語を告げてはいないかもしれないが、見ることを止められない絵なのだった。
私の父と私が話している所で、母はシチューを作ったり、火をくべたり、皿やカップを並べたり、肉を切るナイフを研いだりと忙しかった。
彼女の返事を待つことなく私は足温器を集めて、泥炭が保管してある奥の部屋に持って行った。
足温器に泥炭を詰めながら、父に対する怒りの感情を静めた。
私は足温器を元に戻し、火をつけた。
私がそれらをテーブルの席の下に置いたとき、お母さんがシチューを掬ってビールを注いでいる間に、私は父を彼の椅子に連れて行った。
父は一口飲んで、顔をしかめた。
「このおかゆを甘くする何かを教会派の区域から持ってこなかったのかい?」と、彼は呟いた。
「できなかったわ。
タンネケは機嫌が悪かったし、キッチンには行かなかったもの。」
私はそう言った事を一瞬後悔した。
「何故だい?お前は何をしたんだ?」
だんだん父は私の欠点を見つけるようになって、時にはタンネケの味方をするようにさえなった。
私は急いで思い付きを言った。
「私は彼らの最上のエールビールをこぼしたのよ。水差しに入ったのを全部。」
私の母は咎めるような眼で私を見た。
彼女は私が嘘をついたとき分かっていたのだった。
もし父がそれほどひどい感じでなかったなら、彼も同様に私の言いっぷりから気が付いたかもしれない。
しかし私は嘘をつくのが上手になって行った。
私が帰るために家を出る時、冷たく強い雨が降っていたのに、母は途中まで一緒に行くと言い張った。
私たちがリートフェルト運河に着き、市場広場の方に右に曲がる時、彼女が、「おまえはもうすぐ17歳になるね。」と、言った。
「来週にね、」と、私は同意した。
「今はもうお前が女になるのも長くない。」
「もうすぐよ、」と、私は運河にぽつぽつと落ちる雨粒に目をやったままで言った。
私は将来のことについて考えたくはなかった。
「私は肉屋の息子がお前に気があるって聞いたよ。」
「誰がそんなことをお母さんに言ったの?」
それに答えるように彼女は単に帽子から雨粒を掃い、ショールを振った。
私は肩をすくめた。
「彼は、他の女の子以上の注意を、あたしに払ってはいないと確信しているわ。」
私は彼女が私に警告を発して、良い子で、我が家の名前に傷を付けないようにしなさい、というと期待した。
彼女はそういう代わりに、「彼に失礼の無いようにしなさい。
彼に微笑んで、気持ちよく接しなさい。」
彼女の言葉には驚いたが、私が彼女の目を覗き込み、そこに肉屋の息子が提供することのできる肉への渇望を見た時、私は彼女が何故自分のプライドを捨てたのかを理解した。
少なくとも、彼女は私が以前についた嘘については尋ねなかった。
私は彼らにタンネケが私に怒った理由について言うことができなかった。
あの嘘はもっと大きな嘘を隠していた。
わたしはもっと、ずっと多くの説明すべきことを持っていたのだった。
タンネケは私たちが縫物をしているはずの午後の間に私が何をしているのか発見してしまったのだった。
私は彼の助手をしていたのだ。
それは2か月前に始まった、フランシスカスが生まれた日から、遠くない一月の或る日の午後からだった。
その日はとても寒い日だった。
フランシスカスとヨハネスは二人とも胸に疾患のあるような咳をし、息が苦しそうだった。
カタリーナと乳母は洗い場のある台所の火の傍で彼らの面倒を見ていて、それ以外の皆は料理場のある台所の火の近くに座っていた。
彼だけがそこにいなかった。
彼は2階にいたのだ。
彼は寒さは気にならない様子だった。
カタリーナが2つの台所の間にやって来て立ってた。
「誰か薬屋に行かなければいけないわ、」と、彼女が宣言した、彼女の顔は火照っていた。
「男の子たちに何か必要よ。」
彼女は私をじっと見た。
いつもならそんな用事には私は選ばれなかった。
薬局に行くのはカタリーナがフランシスカスの誕生以来私に任せきりにしている肉屋や魚屋に行くような事ではないのだ。
薬屋は尊敬できる医者で、カタリーナかマリア・シンズが好んで彼の所に行っていた。
私にはそんな贅沢は許されなかった。
しかし、とても寒い日は、どんな用事でも、家の中で一番重要でないメンバーに与えられるのだった。
今回ばかりはマートゲもリズベットも私について行くとは頼まなかった。
私はカタリーナが乾燥させたニワトコの花とフキタンポポの飲み薬を買ってくるのよ、と言っている間に、ウールのマントとショールに身を包んだ。
コーネリアは私がショールの端を引き上げているのを見ながらぶらぶらしていた。
「あなたと一緒に行っていい?」と、彼女が私によく訓練された無邪気さで私に微笑みかけながら尋ねた。
私は、彼女を時々厳しく評価しすぎていたのではないかしらと思った。
「だめよ、」と、カタリーナが私に言った。
「寒すぎるわ。私は他の子供たちを風邪にするつもりはないわ。さあ、あなたは出かけなさい、出来るだけ早く。」と、彼女は私に言った。
私は玄関のドアを引いて閉めて通りに歩きだした。
そこはとても静かで、人々は分別を持って家の中に身を寄せていた。
運河は凍っていて、空は荒々しい灰色だった。
風が吹き抜け、私が顔の周りに巻いたウールにさらに鼻を押し付けた時、私の名前が呼ばれるのが聞こえた。
私はコーネリアが付いてきているのかと思い、周りを見回した。
玄関のドアは閉まっていた。
私は上を見た。
彼が窓を開けて頭を出していた。
「ご主人様?」
「どこに行っているんだい、グリエット?」
「薬屋さんです、ご主人様。
若奥様がお頼みになったのです。男の子達のために。」
「私も物も一緒に買ってきてくれないかね?」
「勿論です。ご主人様。」
突然、風がそれほど厳しく感じられなくなった。
「待っていなさい、メモを書くから。」
彼が見えなくなり、私は待った。
すぐに、彼がまた現れて、小さな革のポーチを投げおろした。
「薬屋に中に入っている紙を手渡して、彼があなたにくれるものを持ってきてくれ。」
私は頷いて、この秘密の申し出に喜び、私のショールの折り返しの中にポーチをしまい込んだ。
薬局は|小麦<コールンマルクト>広場沿いのロッテルダム門の方にあった。
それほど遠くなかったが、息が、するたびに私の中で凍り付くようで、店に入る頃には話すこともできなくなった。
私はメイドになる前ですら一度も薬局に言った事は無かった、治療薬は全てお母さんが作っていた。
彼の店は、床から天井まで棚が並んでいる小さな部屋だった。
そこにはそれぞれにきちんとラベルが貼られた、あらゆる大きさの瓶、たらい、陶器製の壺、があった。
私はたとえ文字が読めたとしても、私にはそれぞれの器に何がか入っているのか理解できないのではないかと思った。
寒さでほとんどの匂いはしなかったが、私の知らない、杜の中にある、腐った葉っぱの下に隠れている何かの様な、匂いが残っていた。
私は薬屋が数週間前にフランシスカスの誕生の宴会に来た時に、一度だけ遇ったことがあった。
禿で小柄な男で、ひな鳥を思い出させた。
彼は私を見て驚いた。
そんな寒い日にあえて外出するような者は、ほとんどいなかった。
彼は膝の所に秤を置いてテーブルの前に座り、私が話し出すのを待った。
「私はご主人様と若奥様の御用で来ました、」私は、喉が少なくともしゃべることができるくらい温まると、言った。
彼はうつろな目をしていて、私は付け加えて行った、「フェルメール家の者です。」
「ああ、ご家族の成長はいかがですか?」
「赤ん坊たちが病気なんです。
若奥様が、乾燥したニワトコの花とフキタンポポの水薬が必要です。
それと、私の御主人さまは、」
そういって、私はポーチを彼に手渡した。
彼は当惑した表情でそれを受け取ったが、紙切れを読んで頷いた。
「骨黒と黄土色を切らしている、」と彼はつぶやいた。
「それは簡単に用意できるよ。
彼は今までに、彼のために絵の具を買ってこさせたことは無かった、しかし・・・。」
彼は目を細めて紙片越しに私を見た。
「彼は何時も自分で買いに来るんだ。これは驚きだ。」
私は何も言わなかった。
「じゃあ、座りなさい。
火の近くで、あなたの物が用意できるまでここに後ろに下がっていなさい。」
彼は忙しくなり、壺を開け乾燥した花のつぼみの小山の重さをはかり、瓶の中のシロップを計り、物を注意深く紙と紐で包んだ。
彼は何かを革のポーチに入れた。
それ以外の包みはそのままにしておいた。
「彼はキャンバスは必要ですか?」と、彼は壺を高い棚に戻しながら、肩越しに聞いた。
「私には分かりません。私は彼にその紙に書かれたものだけを買ってくるように頼まれました。」
「これは大変な驚きだ、実にとても驚いた。」
彼は私を上から下まで見た。
私はつま先立ちをした。
彼がじろじろ見たので、私は自分がもっと背が高ければよかったのにと思った。
「そうだね、結局、寒いからね。
彼はどうしてもという時までは、外に出たくなかったのだろう。」
彼は私に包みとポーチを渡し、ドアを開けたままに保ってくれた。
外の通りに出て、後ろを振り向くと、彼はまだドアの小さな窓から私を見つめていた。
家に帰り、私は最初にカテリーナの所に、緩く包んだ包みを手渡しに行った。
それから、私は階段へ急いだ。
彼は下に降りて来ていて、そこで待っていた。
私はポーチをショールの中から引っ張り出して、彼に渡した。
「ありがとう、グリエット、」と、彼が言った。
「あなたは何をしているの?」と、コーネリアが廊下のずっと遠くから見ていた。
驚いたことに、彼は彼女に答えなかった。
彼は単に振り返って、彼女と向かい合う事になる私を一人残し、また階段を登って行った。
私はしばしばコーネリアに真実を告げるのが居心地の悪い思いがするのにもかかわらず、真実が最も簡単な答えでした。
私は彼女がそれをどう扱うかについて確信が持てなかった。
「私は絵の用具をあなたのお父さんのために買ったのよ、」と、私は説明した。
「お父さんがそうするように頼んだの?」
その質問に対し、私は彼女の父親が言ったとおりに返事をした、私はショールを脱ぎながら、彼女から離れて台所に向かって歩いて行った。
私は答えるのが怖かった、というのは私は彼に害が及んでほしくなかったからだ。
私は既に、もし私が彼の為にお使いをしたことを誰も知らないければ、それが一番良いと知っていたからだった。
私はコーネリアが彼女が見たことを彼女の母親に話したとすればどうなるだろうと思った。
彼女は若いけれども彼女の祖母のように、抜け目ないのだ。
彼女は自分の情報を心にしまって、それを公表する時期を注意深く選んでいるのかもしれない。
彼女は、彼女自身の答えを数日後に私にくれた。
それは晴れた日で、私は、貯蔵庫の中で、私の母が私に刺繍をしてくれた襟に身に付けるための物を探していた。
私は直ぐに私の数少ない私物が散らかっているのが分かった、襟はたたみなおされてなく、私の下着の一つは丸められて隅の方に置かれていて、鼈甲の櫛はハンカチから投げ出されていた。
私の父のタイルを包んでいたハンカチがあまりにきちんと包んであったので私は不審に思った。
私がそれを開けると、タイルが2つに割れていた。
男の子と女の子がお互い別々になるようにそれは割られていた、今は後ろを見ている少年は何も見ておらず、帽子で顔を隠した少女は一人ぼっちだった。
その後、私は泣いた。
コーネリアはその事がどれほど私を傷つけたか想像できなかっただろう。
私の首を胴体から切り落とした方がよほど当惑することは少なかっただろう。
彼は他のこともするように頼んだ。
或る日、彼は魚屋からの帰りに薬屋で亜麻仁油を買ってくるように頼んだ。
私は彼と彼のモデルの邪魔にならないように階段の下に置いておくことにした。
彼もそうするように言った。
多分彼は私がいつも通りではない時間にアトリエに上がって行くとマリア・シンズかカタリーナかタンネケカコーネリアが気付くかもしれないと分かっていたのだった。
家では簡単に秘密は守れないのだった。
別の日に彼は肉屋で豚の膀胱を買ってくるように頼んだ。
私はなぜ豚の膀胱が必要なのか、後になって、彼が、毎朝掃除を終えた私に必要な絵の具を並べるように言うまでわからなかった。
彼はイーゼルの近くにある棚の引き出しを開けて、そこにどの絵の具がどこに入っているのか、色の名前を言いながら教えてくれた。
私はそれまでにウルトラマリン(海の青色)、バーミリオン(朱)、マシコット(黄金色)など、多くの名前を知らなかった。
茶色や骨炭色や鉛白は小さな土器の壺に保管され乾かないように羊皮紙が掛けられていた。
もっと貴重な色、青や赤や黄色は少量づつ豚の膀胱に入れられていた。
絵具を絞り出すには穴をあけて、穴をふさぐのには釘が使われた。
ある朝、私が洗濯をしていると、彼が入って来て、病気で来れなくなったパン屋の娘の代わりに立っていてくれるように頼んだ。
「ちょっと見て見たいんだ、誰かがそこに立っていなければならない。」と、彼は説明した。
私は素直に、一方の手を水差しの取っ手に、もう一方を冷たい隙間風が私の顔と胸に吹き込むようにすこしだけ開けた窓の窓枠においた、彼女のポーズを取った。
恐らくこれがパン屋の娘が病気になった理由だろうと私は考えた。
彼は全てのシャッターを開けていた。
私はそれほど明るい部屋を見たことが無かった。
「顎を下に引いて、」と、彼が言った。
「そして下を見なさい、私じゃなく。そう、そんな風に。動かないで。」
彼はイーゼルの横に座っていた。
彼はパレットもナイフも、ブラシもとらなかった。
彼は単に膝に手を置いて座って、見ていた。
私の顔は赤くなった。
彼がこれほど熱心に私を見つめるとは思わなかった。
私は何か別の事を考えようとした。
私は窓の外を見て運河を移動する船を見つめた。
ボートを漕いでいたのは、私が最初に来た日に鍋を取るのを手伝ってくれた男だった。
あの朝からどれほど多くの事が変わってしまったのだろう、と、私は考えた。
それ以来私は彼の絵を見ていない。
今は、私は彼の絵の中にいるのだ。
「今見ているものを見ないように、」と、彼が言った。
「見ているってことが、表情で分かるんだよ。それは君の気を散らせている。」
私は何も見ないように、他の事を考えようと、やってみた。
私は、私たちが家族で田舎に薬草を摘みに行った日の事を考えた。
私は前の年に市場の広場に見に行った絞首刑の事を考えた、その女性は酔って怒りで彼女の娘を殺してしまったのだった。
私は最後に見たアグネスの顔の様子を考えた。
「お前はたくさんの事を考えすぎている、」と、彼が座る位置を変えながら言った。
私は浴槽いっぱいのシーツを洗ったのに、ちっともきれいにならなかったような気持ちになった。
「すみません、ご主人様。どうしたらいいのか分かりません。」
「目を閉じてごらん。」
私は眼を閉じた。
暫くして、私は手の窓枠と水差しが感じられ、重く感じられていった。
その後、私は後ろの壁、左にあるテーブル、窓からの冷たい空気を感じることができた。
彼の周りの空間、彼がいると分かっている彼の肉体、これが私の父が感じている事なのだ、と私は思った、。
「よろしい、」と、彼が言った。「それでいいよ。ありがとう、グリエット。
掃除を続けてもいいよ。」
私は作られた絵をはじめから見たことは無かった。
私は見たままの色を塗り、見た儘が描かれていると思っていた。
彼は私に教えてくれた。
彼はパン屋の娘の絵を白いキャンバスの上の淡い灰色の層で描き始めた。
その後、彼は少女とテーブルと地図にあたる場所を示す赤っぽい茶色の印を全面につけた。
その後、私は彼が見たもの、女の子の顔、青いスカート、黄色と黒の胴着、茶色の地図、銀の水差し、そして洗面器、白い壁を描き始めるだろうと思った。
その代わりに、彼は彼女のスカートが置かれる部分に黒、胴着と壁の地図を黄土色、水差しとそれが置かれている洗面器を赤、そして壁に別の灰色を塗った。
それ等は間違った色で、どれもがそれ自身の色ではなかった。
彼は、私が言うところのそれらの「間違った色」を塗るのに長い時間をかけた。
時々その少女がやって来て何時間もその場所に立っていたのに、私が次の日の朝、絵を見ると何も書き加えられたり消されたりされていなかった。
そこには私がどんなに長くそれを見つめても、形を成さない色の領域だけがあった。
私がそれらが何を意味するのかを知っていたのは、私がその胴着自体を洗濯したからで、ある日、彼女が大広間でカタリーナの黄色と黒の胴着に着替えるのを覗いたときに、その少女が何を着ているかを見ていたからだ。
私は毎朝、彼に頼まれた色をいやいやながら用意した。
或る日私は何時ものように青を用意した。
私が2度目にそれを置いたとき、彼は、「ウルトラマリンはだめだ、グリエット。私が頼んだ色だけにしてくれ。お前はなぜ私が求めていない色をセットしたんだ?」と、彼は当惑していた。
「ごめんなさい、ご主人様、それはただ・・・」と言って私は深く息を吸い込んだ、「彼女が青いシャツを着ていたからです。私はあなたが、黒いままにしておかないで、その色を欲しがると思ったのです。」
「私が使う時に、頼むよ。」
私は頷いてライオンの頭の彫刻の付いた椅子を磨く行為に戻った。
私は胸が痛くなった。
私は彼に怒られたくなかった。
彼は部屋を冷たい空気で満たすために、真ん中の窓を開けた。
「こっちに来てごらん、グリエット。」
私が雑巾を敷居に置き彼の方に行った。
「窓の外を見なさい。」
私は外を見た。
新教会の塔の後ろの雲は消えようとしている、心地よい風が吹いている日だった。
「あれらの雲は何色だね?」
「何故ですか、白です、ご主人様。」
彼は少し眉を上げた。
「そうかね?」
私はそれらをじっと見た。
「それと灰色です。多分雪が降ってくるでしょう。」
「いいかい、グリエッタ、これだともっとよくわかるよ。君の野菜の事を考えてごらん」
「私の野菜をですか?ご主人様?」
彼は微かに頭を動かした。
私は又彼を困らせていた。私は顎が引き締まった。
「君が白をどんな風に分けたかを考えてごらん。君のカブと玉ねぎは同じ白ですか?」
突然私は理解した。
「いいえ。蕪には緑色が含まれていて、玉葱には黄色が含まれています。」
「正にそうだよ。今、君は雲に何色を見たかね?」
「青がいくらかあります、」と、私はしばらくそれを注意深く見て行った。
「黄色もあります。それと、緑色もいくらかあります!」
私は興奮したので、一個ずつ指さしながら言った。
私は、全人生でずっと雲を見てきたのだったが、私はその時初めて見たような気がした。
彼は微笑んだ。
「あなたは雲の中にはほとんど真っ白は見つからないでしょう、なのに人々はそれが白だという。
あなたは今、私がまだ青は必要じゃないといった理由が理解できますか?」
「はい、ご主人様。」
私は本当は分からなかったが、それを認めたくはなかった。
何となくわかったような気はした。
彼が間違った色の上に色を塗り重ねた時、ついに私は彼が意味することが分かった。
彼は少女のスカートの上に明るい青を塗って、テーブルの影でより暗い、窓の近くになるほどより明るい、少し黒が透けて見える青になった。
壁の部分では彼は黄色い黄土色を加えた、それを通して灰色の一部が透けて見えるようにした。
それは明るくはなったが白い壁ではなかった。
光が壁を照らした時、私は白ではなく、多くの色だと発見した。
水差しと花瓶はもっと込み入っていた、それらは黄色になり、そして茶色に、青になった。
それらは絨毯や少女の胴着椅子に掛かった青い布、全てを映していたが、それ自身の本当の銀の色をしていた。
それなのに、水差しや洗面器のように見えたのだ。
その時以来私は物を見ることがやめられなくなった。
彼が絵の具を作るのを手伝って欲しがった時、私はやっていることを隠すことは困難になった。
ある朝、彼はアトリエの横の保管室の梯子を使って、私を屋根裏部屋に連れて行った。
私はそれまで一度もそこに行った事は無かった。
それは急勾配の屋根と新教会の見える光の差し込む窓のついた、小さな部屋だった。
そこには、小さな食器棚と、一端が切り取られた卵のような形をした石が置かれた空洞のある石のテーブル以外には何も無かった。
私は父のタイル工場で同じようなテーブルを一度見たことがあった。
小さな暖炉のそばには、いくつかの洗面器や浅い陶器の皿、トングなどの容器もあった。
「君にここで物を挽いてほしいんだ、グリエット、」と、彼が言った。
彼は棚の引き出しを開け私の小指ほどの長さの黒い棒をとり出した。
「これは、黒の絵具を作るために、火で炭化させた象牙のかけらだ。」と、彼は説明した。
彼はそれをボウルの中に落とし、獣の匂いのする糊上の物を加えた。
それから彼は彼が擦り棒と呼んでいる石をとり出して、その持ち方とテーブルの上に屈みこんでその石に体重をかけ、骨を砕くやり方を示した。
数分後、彼はそれを磨り潰し細かいペースにした。
「さあ、君がやってごらん。」
彼は黒いペーストを小さな壺にかき集めて入れて別の象牙のかけらをとり出した。
私は擦り棒を取って、テーブルの上に屈みこんで彼の姿勢を真似しようとした。
「違う、手はこんな風にしなきゃ。」
彼は私の手の上に彼の手を置いた。
彼が触ったことのショックで私は擦り棒を落としてしまった、それはテーブルから転がり落ち床に落ちた。
私は飛びのいて彼から離れ、それを拾い上げようと屈みこんだ。
「どうもすみません、ご主人様、」と、私は擦り棒をボウルに戻しながら呟いた。
彼は二度と私に触ろうとはしなかった。
そのかわり、「手を少しだけ上に動かして、」と言葉で指導した。
「そうそう。今度は回すときに肩を使いなさい、仕上げる時は手首を使って。」
私は自分の象牙を磨り潰すのに長い時間がかかった、というのは、私は不器用だったし、彼が私に触ったことで動揺していたからだ。
それに私は彼よりも小さく、私がやるべきことになる動作に不慣れだった。
少なくとも、私の腕は洗濯ものを絞ることで強くなっていた。
「もう少し細かく、」かれはボウルを調べて言った。
彼が良いよ、と決めるまで、彼がどれくらい細かさを望んでいるか私に分かるように彼は私の指の間でこすらせて、私はもう数分間磨り潰した。
その後、彼はもう少し骨片をテーブルの上に置いた。
「明日は白鉛の砕き方を教えよう。骨よりもずっと簡単だ。」
私は象牙をじっと見た。
「どうしたんだ、グリエット?少しの骨なら怖くはないよね?
君が髪を梳くのに使ったことの有る象牙の櫛と何ら違いはない。」
私はそんな櫛を持つほどの金持ちでは決してなかった。
私は自分の指で髪を整えていたのだった。
「それは、そういう事ではないんです、ご主人様。」
彼が私に頼んだ他のすべての事は掃除や手伝いに走っている間にすることができた。
コーネリア以外の誰も不審に思う事は無かった。
しかし物を粉にすることは時間がかかり、私がアトリエを掃除をしていると思われている間にそれをやることはできなかったし、私は、他の仕事を離れて、時々屋根裏部屋に行く理由を他の人に説明する事はできなかった。
「挽くのには時間がかかります、」と私は弱々しく言った。
「一度慣れてしまえば、今日ほど時間はかからないよ。」
私は質問したり、彼に従わなかったりしたくなかった、彼は私の御主人さまだ。
しかし、わたしは階下の女性たちの怒りも恐れていた。
「私は今肉屋に行くことになっていますし、アイロンがけもあります、ご主人様。
若奥様のお仕事も。」
私の言葉は些細なことに聞こえた。
彼は動じなかった。
「肉屋へだって?」、彼は顔をしかめた。
「そうです、ご主人様。
若奥様は、私が何故他の仕事ができないのか知りたいとお思いになるでしょう。
若奥様は私が二階のここで、あなたのお手伝いをしていると知りたがります。
理由もなくここに上がってくることは容易ではないんです。」
長い沈黙があった。
新教会の鐘が7回鳴った。
「分かったよ、」、鐘が止んだ時、彼が呟いた。
「考えさせてくれ。」
彼は象牙をとって引き出しに戻した。
「この少しだけは、今やってくれ。」と、彼は残っているものを指さした。
「長くはかからないだろう。私は出かけなければならない。やり終わったらここに置いておいてくれ。」
彼はカタリーナに話しかけ、私の仕事について言わなければならない事になるだろう。
そうすれば、私は彼の仕事をしやすくなるだろう。
私は待ったが、彼はカタリーナに何も言わなかった。
絵具の色に関する問題の解決策は思いがけなくタンネケからやって来た。
フランシスカスの誕生以来、看護婦はタンネケと一緒に磔の絵のある部屋で寝ていた。
彼女は赤ん坊が目を覚ました時、容易に彼におっぱいをやりに大広間に行けるからだ。
カタリーナは自分でおっぱいを与えないのに、フランシスカスを彼女の横の揺りかごに寝かせると言い張っていた。
私はこれが変な采配だと思ったが、私がカタリーナをよく理解するようになって、彼女がその義務そのものではなく母性があるふりをすることを手放したくないのだと分かった。
タンネケはその看護婦(乳母)と自分の部屋を一緒に使う事は幸せではなかった、乳母があまりにもしょっちゅう赤ん坊の世話をするために起き上がり、ベッドに戻って来た時にいびきをかくことに不満を言っていた。
タンネケはその事を相手が聞いているかどうかに関係なく、みんな言った。
彼女は自分の仕事をさぼり始め、十分な眠りを得ていないせいにした。
マリア・シンズは彼女に、彼女たちにはどうしようもないことだと言ったが、タンネケは文句を言い続けた。
彼女はしばしば私に黒いまなざしを投げかけた、私が家にやって来て住む前は、タンネケは乳母が必要になった時は何時も地下室で寝ていたからだ。
まるで乳母のいびきは私のせいだとでも言わぬばかりに。
ある夕方、彼女はカタリーナにさえ訴えた。
カタリーナは寒いのにファン・ライフェン夫妻の夕べの為の準備に身支度をしていた。
彼女は何時も彼女を幸せな気持ちにさせる真珠つけ黄色い外套を着て、上機嫌だった。
顔に振りかける粉から衣類を守るため、外套の上には肩を覆うリンネルの幅の広いケープを掛けていた。
タンネケが彼女の悩みの種を挙げている時、カタリーナは自分自身に粉を振りかけ続け、出来上がりを確かめるべく鏡を持ち続けた。
彼女の髪は三つ編みにしてリボンを付けられていて、彼女が幸せな表情をしている限りは彼女はとても美しかった、彼女のブロンドの髪と明るい茶色の目の組み合わせは彼女をエキゾチックに見せていた。
とうとう、彼女はタンネケに向かって化粧ブラシを振り回した。
「止めなさい!」、彼女は笑いながら叫んだ。
「私たちは乳母が必要だし、彼女は私の近くで眠らなくちゃいけないのよ。
お前の部屋以外は、女の子たちの部屋には空きがないし、だから彼女はそこにいるよ。やれることは何もないわ。なぜおまえはそんなことで私を悩ませるの?」
「多分やれるかもしれないことが一つあります、」と、彼が言った。
私はリズベットのためのエプロンを探している棚から眼を上げてた。
彼は廊下に立っていた。
カタリーナは驚いて彼女の夫を見上げていた。
彼はほとんど家事に興味を示さなかった。
「ベッドを屋根裏部屋に持って行って誰かそこで眠らせれば。多分、グリエットを。」
「グリエットを屋根裏部屋にですって?なぜ?」
カテリーナが叫んだ。
「それでタンネケが地下室でねむれるだろう、彼女の望み通り、」と、彼は穏やかに言った。
「でも、」と、カテリーナが混乱して、言うのを止めた。
彼女はその考えに承服していない様だったが、理由を言うことはできなかった。
「ああ、そうですわ、奥様、」と、タンネケが熱心に割って入った。
「その事はきっとうまくいきますわ。」
彼女は私をちらっと見た。
私はもう既にちゃんとたたんである子供たちの服をたたみ直すのに忙しかった。
「アトリエのカギはどうするのよ?」
カタリーナはやっと反論を見つけ出した。
屋根裏部屋への入り口は、アトリエの物置部屋からはしごを使うという、一つしかなかった。
私は自分のベッドに行くには私はアトリエを通らなければならないが、そこは夜は鍵がかかっていた。
「私たちはメイドに鍵を持たせることはできないわ。」
「彼女は鍵は必要ないだろう、」と、彼は反論した。
「あなたは彼女が一度ベッドに行ったら、アトリエのドアに鍵をかけても良いよ。
そうすれば、彼女は朝あなたが来て鍵を開ける前にアトリエの掃除ができる。」
私はたたむのを止めた。
私は夜、自分の部屋に鍵を掛けるという考えが好きではなかった。
困ったことに、この考えはカタリーナを喜ばせた様だった。
多分、彼女は私を閉じ込めることは、私を一か所に安全に保ち、彼女の目に触れないようにすると考えたのだろう。
「いいわ、じゃあ、」と、彼女は決心した。
彼女はほとんどの事を決めるのが早い。
彼女はタンネケと私の方を向いた。
「明日、二人はベッドを屋根裏部屋に運びなさい。
これは、乳母が必要なくなるまでの、一時的なことですよ、」と、彼女は付けくわえた。
肉屋や魚屋に行くのも一時的なものだと私は思った。
「ちょっと私とアトリエに来なさい、」と、彼が言った。
彼は、私が画家としての眼付と分かるような眼で、彼女を見ていた。
「私?」、カタリーナは夫を見てほほ笑んだ。
彼がアトリエに招待する事はめったになかった。
彼女は化粧ブラシを仰々しく置いて、今や化粧粉のついた幅の広いケープを外し始めた。
彼が近づいて彼女の手を掴んだ「それはそのままにしておきなさい。」
これは彼が私を屋根裏部屋に移すという提案とほとんど同じくらいの、驚きの事だった。
彼がカタリーナを二階に連れて行っているので、タンネケと私は顔を見合わせた。
次の日、パン屋の娘が絵のモデルになっている間、幅の広い白いケープを付け始めた。
マリア・シンズはそれほど簡単には騙されなかった。
彼女が、上機嫌のタンネケから、彼女が地下室に私が屋根裏に移るというのを聞くと、彼女はパイプで煙草をふかし、眉をひそめた。
「お前たち二人は単に交代することもできる、」と、彼女は私たち2人をパイプで指さしながら言った、「そうすればグリエットが乳母と寝て、お前が地下室に行く。
それで、誰も屋根裏部屋に行く必要は無いよ。」
タンネケは自分の勝利で頭がいっぱいで、女主人の言葉の論理に気づかなかった。
「若奥様は同意なさいました」と私は簡素に言った。
マリア・シンズは横目で長い間見つめた。
屋根裏部屋で寝ることは私がそこで仕事をすることを容易にしたが、未だにそれをする時間は無かった。
私は朝早く起きることができたし早く寝に行くことができたが、彼は時々、私が普通火の傍に座って縫物をしている時に、私に午後に屋根裏に上がる方法を考えなければいけないほどのたくさんの仕事を与えた。
私は暗い台所で縫物が見えない、明るい屋根裏部屋に行く必要がある、と不満を言い始めた。
それか、お腹が痛いので横になりたいと言った。
マリア・シンズは私が言い分けをする度に、以前と同じように横目で見たが、何も言わなかった。
私は嘘をつくのに慣れていった。
一度屋根裏部屋で寝ることを提案した後は、彼は私が彼のために働けるように、私の仕事の手配を任せてくれた。
彼は私のために嘘をついたり、彼のために使う時間があるかと尋ねたりして私を助けてくれることは決してなかった。
彼は朝、私に指示を与え、それが次の日までに実行されている事を期待した。
色それら自身が、私が隠してやっているという悩みを補ってくれた。
私は彼が薬屋から持ってきた骨や、白鉛、|西洋茜<マダー>、|金密陀<マシコット>を砕きその色をどれくらい明るく純粋にできるのかを見るのが好きになった。
私は原料を細かく砕けば砕くほどその色がより深くなることを学んだ。
荒くざっと砕いた粒子の西洋茜色は素晴らしく明るい赤い粉になり、亜麻仁油と混ぜられて輝く絵具となる。
その色と、他の色を作るのは魔法の様だった。
私は材料を洗って不純物を除去し本当の色を出す方法も学んだ。
私は浅いボウルとして一連の貝殻を使い、色を、チョークや砂や砂利を取り除くために、何度も濯ぎ、再度濯ぎし、時には30回もすすいだ。
それは退屈で時間のかかる仕事だったが、洗うたびに色が輝き、必要なものに近づいて行くのを見るのはとても満足のいくものだった。
彼が私に操作するのを許してくれない唯一の色は、ウルトラマリンだった。
ラピスラズリはとても高価で、石から純粋な青を抽出する工程はとても難しいため彼はそれを自分自身でやった。
私は彼の傍にいる事に慣れていった。
時には私たちは小さな部屋の中で並んで立った、私が白鉛を砕き、彼がラピスを洗ったり、|黄土色<オーカー>を加熱したりして。
彼はほとんど私に話しかけなかった。
彼は静かな男だった。
私も話さなかった。
それは、窓を通して光が差し込む平和なひと時だった。
私たちは仕事が終わると、お互いの両手に水差しから水を注いできれいに洗った。
屋根裏部屋は、彼が亜麻仁油を温めるたり顔料を熱するのに使う小さな火があったが、とても寒かった、それにその火も彼が必要だと言わない限り敢えて点けなかった。
そうしないと、私はカタリーナとマリア・シンズに泥炭と薪がそれ程早くなくなってしまう理由を説明しなければならなかったからだ。
私は、彼がそこにいる時は、寒さをそれ程気にはしなかった。
彼が私の近くに立っていると、私は彼の体の暖かさを感じることができた。
ある日の午後、私がマリア・シンズの声を下のアトリエで聞いたとき、私は粉にしたばかりの|金密陀<マシコット>を洗っていた。
彼は絵を描いて仕事をしていて、パン屋の娘は座って時々ため息をついていた。
「お嬢さん、寒くない?」と、マリア・シンズが聞いた。
「少し、」と、かすかな答えが返ってきた。
「なぜ彼女は足温器を使わないの?」
彼の声はとても小さかったので私にはほとんど聞こえなかった。
「足までは絵を描いていないわね。また風邪をひいてほしくはないわ。」
又しても私には彼の言っている事は聞こえなかった。
「グリエットが彼女のために持ってきてくれるわ、」と、マリア・シンズが提案した。
「彼女は屋根裏部屋にいるはずよ、お腹が痛いって言っていたから。ちょっと彼女を見て来るわ。」
彼女は老女の早さとは思えないくらいの早さだった。
私が階段の一番上の段に脚を掛けるまでには、彼女は階段を半分程登っていた。
私は屋根裏部屋に引き下がった。
私は彼女から隠れることはできなかったし、何かを隠す時間もなかった。
マリア・シンズが部屋に入ってきた時に、彼女は素早くテーブルの上に一列にならんだ貝殻と、水差しの水と、マシコットの黄色いしみの付いた私の着ているエプロンを見た。
「そう、これがあなたが上がって来ていた理由だったのね、お嬢さん?
私もそう思っていたわ。」
私は眼を伏せた。
私は何と言えばいいか分からなかった。
「お腹が痛い、目が痛い。
私たちはそんなにバカじゃないわよ、分かっているでしょ。」
彼に聞いて下さい、と私は彼女に言いたかった。
彼は私の御主人さまです。
彼がやったことです。
しかし彼女は彼を呼ばなかった。
彼は説明するために階段の下に現れることもなかった。
長い沈黙があった。
その後マリア・シンズが言った、「どれくらい前から彼の助手をやっていたの、お嬢さん?」
「数週間前からです、奥様。」
「彼はここ数週間絵を描くのが早くなっていました、私は気が付いていましたよ。」
私は眼を上げた。
彼女の表情は計算しているように見えた。
「あなたが彼がもっと早く描けるように手伝いなさい、お嬢さん、」と、彼女は低い声で言い、「そして、あなたはここの場所に居続けなさい。私の娘とタンネケには今は何も言わないで。」
「承知しました、奥様。」
彼女はくすくす笑った。
「私は知っていたのかもしれない、賢い子ね、あなたは。
もう少しで私でさえも騙されるところだったわ。下にいるかわいそうな女の子に足温器を持って行ってやりなさい。」
私は屋根裏部屋で眠るのが好きだった。
そこには私を困らせる磔の絵はベッドの足元に掛かってはいなかった。
そこには絵は一つもなかったが、亜麻仁油の清潔な香りと土顔料の麝香(じゃこう)のかおりがあった。
私は新教会の眺めと静けさが好きだった。
彼以外の誰も上がってこなかった。
地下室にいた時のように、少女たちがこっそり私の私物を調べたり降りてきたりすることもなかった。
私はそこで独りぼっちだと感じ、騒々しい家庭のことから超然としていられ、距離を置いてみることができた。
むしろ彼のように。
しかし最も良い部分は、私がより多くの時間をアトリエで過ごせたことだった。
私は時々、家が静かになった夜遅くに、毛布にくるまってアトリエに忍び込んだこともあった。
私は彼の描いている絵をろうそくの光で見たり、月の光を入れるためにシャッターを少し開けてたりした。
時には私は暗闇の中でテーブルの位置にしつらえられたい、ライオンの頭の飾りのついた椅子の一つに座り、テーブルを覆っている黄色と赤のテーブルクロスの上に肘をついて座った。
私は黄色と黒のヴェストを着て真珠を付け、ワイングラスを持って、彼と向かい合って座っている事を想像した。
しかし、屋根裏部屋について気に入らないことが一つあった。
私は夜閉じ込められることが好きではなかった。
カタリーナがアトリエの鍵をマリア・シンズから取り戻してしまっていて、ドアの鍵の開け閉めを彼女がやり始めた。
彼女はその事により私を制御できると思ったのに違いない。
彼女は私が屋根裏にいることで幸せではなかった、それは私が彼のより近くにいることを意味し、彼女が入ることを許可されていない場所を私が自由に歩き回ることを意味するのだ。
そんな差配を受け入れるのは妻にとっては厳しいことだったに違いない。
しかしそれはしばらくの間旨く行った。
暫くの間、私は午後に抜け出して彼のために顔料を粉にしたり洗ったりすることができた。
カタリーナは、フランシスカスが落ち着かないときの後、夜は彼女を起こしたので、昼間は睡眠が必要だったので寝ていた。
タンネケは、何時も同様に火の傍で居眠りをし、私は言い訳を何もしないで台所を離れることができた。
女の子たちはヨハネスに歩き方や話し方を教えるのに忙しく、私の不在にはほとんど気付かなかった。
もし彼らが気付いたら、マリア・シンズは、私は彼女のお使いに行っているとか、彼女の部屋に物を取りに行っているとか、明るい光が必要な屋根裏部屋でなにか裁縫をしているとか言っていた。
結局、彼女たちは彼女たちの世界に没頭している子供で、彼女たちに直接影響を与える場合以外は周りに住んでいる大人には無関心だった。
と、私は思っていた。
ある日の午後、コーネリアが階下から呼んだ時、白鉛を洗浄していた。
私は急いで両手を拭き、彼女の所に階段を降りて行く前に、屋根裏部屋の仕事用のエプロンを外し、いつものエプロンに換えた。
彼女はまるで水たまりの縁に立って、水たまりに足を踏み入れたいというような顔をして、アトリエの入り口に立っていた。
「何なの?」と、私はむしろ厳しい感じで言った。
「タンネケがあなたに用があるって。」
コーネリアは振り返って、階段の方に行った。
彼女は階段の一番上で躊躇した。
「グリエット、助けてくれる?」と、彼女が悲しげに言った。
「もし私が落ちても私を捕まえられるように、先に降りてください。
階段がとても急だから。」
階段にそんなに慣れてはいないとはいえ、怖がるなんて彼女らしく無かった。
私は心を動かされた、というか、多分彼女にきつい言い方をしたのを単に後ろめたく感じていたのだろう。
私は階段を降り、それから振り返って、両手を広げて「さあ、いらっしゃい。」と、言った。
コーネリアはポケットに両手を突っ込んで階段の一番上に立っていた。
彼女は片手を手すりに置いて、もう一方で固く握りこぶしを作って、階段を降り始めた。
彼女がほぼ降り終わる頃、私の前を滑るようにして、私のお腹を痛い程押し付けて、私に倒れ掛かるように体を投げ出した。
彼女は一度立ち上がると、顔を上に向けて、笑い始め、茶色の目を切れ長に細めた。
「いたずらっ子ね、」と、私は優しくしたことを悔やみながら、呟いた。
私はタンネケがヨハネスを膝に抱いて料理用の台所にいるのを見つけた。
「コーネリアが、あなたが私に用があるって。」
「そうだよ、彼女は替え襟がすり切れたのでお前に直してほしいって。
何故だか分からないけど私には触らせないんだ、直すのは私が一番上手だって知っているのに。」
タンネケはそれを私に渡すとき、彼女の目は私のエプロンに釘付けになった。
「それは何?血が出てるの?」
私は下を向いた。
赤い粉の線が、窓ガラスについた筋のように私の腹を横切っていた。
一瞬、私はピーター父子のエプロンの事を考えた。
タンネケが近寄って詳しく見た。
「それは血じゃないわね。粉の様だね。どこで付けたんだい?」
私はその筋をじっと見た。
茜色の染料だ、と私は思った。
私は数週間前にこれを研磨したのだった。
廊下の方からくすくす笑いをこらえる声だけが聞こえてきた。
コーネリアはこのいたずらをしようと暫く待っていたのだった。
彼女は、無理やり屋根裏部屋に上がり、粉を盗んでいたのだ。
私は最初十分説明できる答えを考えつかなかった。
私が言い淀んでいるので、タンネケの不信感が強まった。
「ご主人様の用事をしていたの?」と、彼女は責めるような口調で言った。
結局、彼女は彼のためにモデルをしたことがあったので彼のアトリエにある物を知っていたのだった。
「いいえ、それは・・・」と、言ってそこで言うのを止めた。
コーネリアのことを口外すれば、私はつまらない奴だと思われるだろうし、私が屋根裏部屋で何をしていたかをタンネケが知るのを止められないだろう。
「私は若奥様にお見せした方が良いと思うよ、」と、彼女は決心した。
「いいえ、」私は直ぐに言った。
タンネケは膝で眠っている子供を抱いたまま体をできるだけ起こした。
「エプロンを脱ぎなさい、」と、彼女は命令した、「私がそれを若奥様に見せられるように。」
「タンネケ、」と、私は彼女を落ち着いて見ながら言った、「もしあなたが自分にとって何が一番いいか知っているなら、あなたはカタリーナを煩わせないでマリア・シンズに言うでしょう、女の子たちの前でじゃなくて、一人の時に。」
タンネケと私の間に最も大きなダメージを与えたのは、その脅しのような調子の言いっぷりを伴ったそれらの言葉だった。
私はそんな風に聞こえるように言おうとは考えなかったし、単にどうにかして彼女がカタリーナに言うのを止めさせようと必死だっただけだ。
しかし彼女は決して私が、まるで彼女が私より下にいるかのように、彼女を脅したことを決して許さないだろう。
少なくとも私の言葉は効果があった。
タンネケは私を厳しい怒りの目で見たが、その奥には不安があり、彼女自身の愛する奥様に言いたいという望みがあった。
彼女はその望みと、私の生意気さを私に従わない事で私を罰してやろうという望みとの間で揺れていた。
「あなたの奥さまに話してください、」と、私は柔らかく言った、「彼女だけに言ってください。」
私はドアに背を向けていたが、コーネリアがドアから遠ざかっていくのを感じることができた。
タンネケの彼女自身の本能が勝利した。
彼女は無表情でヨハネスを私に渡しマリア・シンズを探しに行った。
私が彼を私の膝に抱き取る前に、私は慎重に赤い顔料をぼろ切れで拭きとって、火にくべた。
まだ沁みは残っていた。
私は小さな男の子を腕で抱き締めて座って、自分の運命が決まるのを待った。
私はマリア・シンズがタンネケに何を言ったのか、彼女を静かにさせるためにどんな扱いか約束をしたのかはわからなかった。
しかしそれは功を奏した。
タンネケは私の屋根裏部屋での仕事について、カテリーナや女の子達や、私に何も言わなかった。
彼女は私により厳しくなった、無意識にそうしたというよりは、意図的に厳しくしたのだ。
彼女は、私にヒラメを買ってくるように言ったと言い張って、彼女が頼んだと分かっている鱈を魚売り場に持ち帰らせた。
彼女が料理をしている時も、彼女はより乱雑になり、私がその布をその脂を落とすためにより長く水に付けて、より強くこすらなければいけないように、自分のエプロンにできるだけ多く脂をこぼしまくった。
彼女は私がバケツを空にするように残して置いたり、台所の水槽に水を満たすために持ってくることや、床をモップで拭くのを止めた。
彼女は座って私を悪意に満ちてにらみつけ、彼女の脚の周りを拭かなければならないのに脚を動かすのを拒否したりした、後で気が付いたのだが、片方の足はべとべとの脂溜まりの上にあった。
彼女はもはや私に親切に話すことは無かった。
彼女はたくさんの人々のいる家の中で、私に独りぼっちだと感じさせようとした。
だから私は彼女の台所から私の父を喜ばす良い物を敢えて取ることをしなかった。
そして私は両親にどれほどアウデ・ランジェンデジクが私にとって辛いか、どれほど注意深く私の居場所を保たなければならないかを言う事は無かった。
私が作った色、私が一人でアトリエに座っている夜、私と彼が並んで仕事をし彼の存在で温められている事などの、私の数少ない良いことも言うことはできなかった。
私が家族に言うことができたのは彼の絵の事だけだった。
やっと寒さが去ったある4月の朝、息子のピーターが私の横に現れて、こんにちは、と言った時、私はコルンマルクト(穀物広場)に沿って薬屋に向かって歩いていた。
このところ彼を見かけなかった。
彼は清潔なエプロンを付け、コルンマルクトのずっと先まで届けると言っている包みを抱えていた。
彼は私と同じ方に歩いていたので一緒に歩いてもいいかと頼んできた。
私は頷いた、私は嫌だと言う事ができる気がしなかった。
冬の間、肉広場では週に一度か二度会っていた。
私はいつも彼と目を合わせるのが難しいと思っていた、彼の眼は私の肌を突き刺す針のような感じだった。
彼の視線は私を不安にさせた。
「君は疲れているように見えるね、」と、彼が言った。
「君の目は赤いよ。彼らは君を働かせすぎている。」
実際、彼らは私を厳しく働かせていた。
私の御主人さまは私がそれを終わらせるためにとても朝早く起きなければいけないほど多くの象牙を削るように渡した。
そして夜はタンネケが彼女がそこら中に脂をまき散らした床を再び洗わせて夜更かしさせた。
私は自分のご主人様を責めたくはなかった。
「タンネケが私に反対の立場を取るの、」と、私は主人を責める代わりに言った、「そして私にできる以上の仕事を与えるの。それから、勿論、暖かくなってきたので家から冬を掃除して追い出しているのよ。」
私は彼に、私が彼女に不平を言っていると思われないように付け加えた。
「タンネケは変な人だけど、忠実だ。」と、彼女は言った。
「マリア・シンズにはね、そうよ。」
「家族にもね。
彼女がどんな風にカタリーナを彼女の狂った兄から守ったか覚えているかい?」
私は首を振った。
「言っている意味が分からないわ。」
ピーターは驚いているようだった。
「それは肉の広場で数日間噂になっていたよ。
ああ、君は噂話はしないのかい?
君は眼を開け続けていても話はしないし、聞きもしない。」
彼は納得したようだった。
「僕は、肉を待っている老人から一日中聞いたよ。
僕にはどうしようもないけど、そのうちのいくらかは心に刺さるよね。」
「タンネケが何をやったって言うの?」私は思わず聞いた。
ピーターは微笑んだ。
「君の若奥様が最後に身ごもった時さ、何て名前だっけ?」
「ヨハネスよ。お父さんと同じ。」
ピーターの笑顔が太陽が雲に隠れるように暗くなった。
「そう、彼のお父さんと同じ。」
彼は彼女の言葉を繰り返した。
「ある日、カタリーナの兄さんウイリアムがアウデ・ランゲンダイクにやって来て、その時は彼女のお腹は赤ちゃんがいて大きかったんだけど、通りの真ん中で彼女を叩き始めたんだ。」
「なぜ?」
「彼はどこかタガが外れているのさ、みんな言っているよ。
彼は何時も暴力的なんだ。彼のお父さんにみたいに。
彼のお父さんとマリア・シンズがが年も前に別れたことは知ってる?
彼は彼女を殴っていたものさ。」
「マリア・シンズを殴っていたの?」と、私は驚いて繰り返した。
わたしはけっしてだれかがマリア・シンズを殴れるなんて考えたこともなかった。
「それで、ウイリアムがカタリーナを殴り始めた時、タンネケが彼女を守るために間に入っているように見えた。
彼をしっかりひっぱたきさえしたんだ。」
これが起きた時、私の御主人さまは何処にいたの?
私は考えた。
彼がアトリエに残っていたはずはなかった。
そうするはずがない。
彼は組合に出かけていたか、レーヴェンフックと一緒だったか、彼のお母さんの宿屋のメーレンにいたのに違いない。
「マリア・シンズとカタリーナは去年ウイリアムを監禁することに成功したんだ、」と、ピーターは話を続けた。
「彼は泊まっている家から出ることができないんだ。だから君は彼に会ったことが無いんだ。
君は本当にこの事を何も聞いていないの?彼らは家でその事を話さないの?」
「私には話さないわ。」
私はいつもカタリーナと彼女の母親が私が入って行くと、磔の絵のある部屋でだまって頭を寄せ合っていたのを思い出した。
「それに、私は戸口で立ち聞きなんかしないわ」
「勿論、君はしないよね。」と、ピーターは又、私が冗談を言ったかのように、微笑でいた。
彼は他の皆のように、メイドはみんな盗み聞きするものだと考えていた。
メイドに対する思い込みは、私に対してもたくさんあった。
私は残りの道は言葉を発しなかった。
私はタンネケがカタリーナの悪口をあんなに言っていたのに、そんなに忠実で勇気があり、カタリーナがそんな被害を受けていただなんて、マリア・シンズにそんな息子がいたなんて知らなかった。
私は私自身の兄が通りで私を叩いているところを想像しようとしたができなかった。
ピーターは私の混乱が分かり、それ以上何も言わなかった。
彼が私と薬屋の前で別れた時、彼は私の肘にちょっと触っただけで、そのまま去って行った。
私は頭を振ってその考えを振り落とし、薬屋の入り口に向かうまで、しばらくの間薄暗い緑色の運河の水を覗き込んでいるしかなかった。
私は母の台所の床で回転するナイフの事を思い浮かべて震えていた。
ある日曜日、息子の方のピーターが私たちの教会に礼拝にやって来た。
彼は私の両親と私の後ろから入って来て、私たちの後ろに座ったのに違いない、というのは、私たちは私たちの近所の人々と外に出て話すとき迄彼に気が付かなかかったのだから。
彼は一方によって私を見ていた。
私は彼を見つけた時、激しく息を吸い込んだ。
少なくとも、彼はプロテスタントなんだ、と思った。
以前は確信が持てなかった。
教皇派の区域で働いて以来、私はいろいろのことに確信が持てなくなっていた。
私の母が私の視線を追った。
「あれは誰?」
「肉屋の息子よ。」
彼女は興味深そうに一部驚いて、一部怖そうに、私を見た。
「彼の所に行って、私たちの所に連れて来なさい。」と、彼女は囁いた。
私は彼女の言う事を聞きピーターの方へ行った。
「何故あなたはここにいるの?」と私はもっと礼儀正しくあるべきだと知りながら、言った。
彼は微笑んだ。
「こんにちは、グリエット。私のために嬉しい言葉はかけてくれないの?」
「何故ここにいるの?」
「私はどこが僕が一番好きか知るために、デルフトの色んな礼拝に行っている。
時間がかかるかもしれないけどね。」
私の顔を見た時、私に冗談を言っている時ではないというように、彼は声の調子を落として言った。
「私は君に会いに来たんだ。そして君の両親に会いに来たんだ。」
私は熱があるように感じ、ひどく顔を赤らめた。
「そんなことしない方がよかったのに、」と、私はそっと言った。
「どうして?」
「私はまだ17歳なのよ。私はまだそんなこと考えていないわ。」
「急ぐ必要は無いよ、」と、ピーターが言った。
私は彼の両手を見た、それは清潔だったが爪の周りにはまだ血の跡が残っていた。
私は、私の御主人さまが私に象牙の砕き方を教えてくれた時に、震えた、私の手の上に置いた私の御主人さまの手のことを思った。
彼はその教会では見知らぬ人だったので、人々は私たちを見つめていた。
そして彼は長いブロンドのカールした髪をして、今にも笑い出しそうな明るい目をしていて、私の目にもハンサムな男だった。
若い女性の何人かは彼の眼を引こうとした。
「ご両親に紹介してくれますか?」
私は仕方なく、彼を両親の所に連れて行った。
ピーターは私の母に頷いて、神経質そうに後ろに下がろうとする私の父の手を握った。
彼は視力を失って以来、知らない人に会う事を恥ずかしがっていた。
それに彼は今まで私に興味を示す男に会ったことが無かった。
「心配しないで、お父さん、」と、私は母がピーターを近所の人に紹介している間に、父に囁いた、「あなたは私を失うわけじゃないんだから。」
「私たちは既にお前を失ってしまったんだ、グリエット。
私たちはお前がメイドになった瞬間にお前を失ったのだ。」
私は、涙が私の目から落ちるのを彼が見えなかったことを喜んだ。
息子のピーターは毎週私たちの教会に来るわけではなかったが、私は毎日曜日に神経質になり、必要以上にスカートの皴をまっすぐ伸ばし、唇をぎゅっと閉めて教会の長いすに座った。
「彼は来ているかい?彼はいるかい?」、私の父は、毎日曜日、頭をあちこちに振りながら訊ねた。
私はお母さんに答えてもらった。
「来ていますよ、彼はここにいますよ、」とか、「いいえ、彼は来ていません。」と言ったものだった。
ピーターは何時も私に挨拶をする前に私の両親にこんにちはと言っていた。
最初は両親は彼と一緒にいて居心地が悪かった。
しかし、ピーターは、彼らのぎこちない返事や長い沈黙を無視して、気楽に彼らとおしゃべりをした。
彼は彼の父親の店で多くの人々を迎えていたので、人々との話し方を知っていた。
何度かの日曜日の後、両親は彼に慣れっこになった。
私の父がピーターが何か言った時初めて笑った時、ピーターは自分自身にとても驚いて、もう一度父を笑わせるまでの間、すぐに顔をしかめた。
何時も、彼らが話していた後に一歩さがって一瞬私たちだけにしておく瞬間があった。
ピーターは賢明にも彼らにそのタイミングを任せた。
最初の2,3回はそんなことは全然起こらなかった。
その後、ある日曜日、私の母はあからさまに父の腕を掴んで「牧師の所に話に行きましょう。」と、言った。
数回の日曜日の間、私は余りにたくさんの人々の目の前で彼と2人だけでいることに慣れるまで、その瞬間を恐れていた。
ピーターは時々私に優しく冗談をう事も有ったが、それよりもっとしばしばその週の間に私が何をしていたのかを尋ねたり、彼が肉の広場で聞いた話をしたり、獣市場の競りことを話したりした。
彼は私が口が重くなったり、辛辣になったり、否定的になったりしても、辛抱強く接してくれた。
彼は決して私のご主人様については尋ねなかった。
私は自分が絵の具を作る仕事をしている事は決して言わなかった。
私は彼が尋ねなかったことを喜んだ。
それらの日曜日、私はとても混乱していた。
ピーターの話を聞いているはずなのに、気がつくとご主人様のことを考えていた。
ほぼ1年間オウデ・ランゲデイクの家で働いた5月のある日曜日、私の母が彼女と私の父が私たちだけにしたすぐ後、ピーターに、「次の日曜日の礼拝の後、私たちの家に食事に来ませんか?」と、言った。
私が口を開けてぽかんと彼を見ていると、ピーターは微笑んで、「行きますとも。」と、言った。
私はその後、彼が何と言ったのかほとんど聞いていなかった。
彼が最後に去り、私と私の両親が家に行った時、私は叫ばないように唇を噛んでいなければならなかった。
「何故、私にピーターを呼ぶって言わなかったの?」と、私は呟いた。
私の母は私を横目で見て、「そろそろ彼に聞いて見なくちゃあね、」とだけ言った。
彼女は正しかったのだ、彼をわが家に呼ばないのは失礼だった。
私はこのゲームを男の人としたことは無かったが、他の人たちのその後の成り行きは分かっていた。
もしピーターが真剣であれば、私の両親も彼に本気で対応しなければならないだろう。
私は彼らが彼を来させることがどれほど辛い事であるかも知っていた。
私の両親は今はほとんど何も持っていなかった。
私の給金と、私の母が他人の布織って作ったお金にもかかわらず、彼らはようやく自分たちだけを食べさせる事もほとんどできず、ましてや別の口や肉屋の口を食べさせることはできなかった。
私は彼らを手助けするために、タンネケの台所から何か、薪や、多分、玉葱や、パンなんかを、持ってくるというような事は、ほとんど何もできなかった。
彼らはその週は、彼にちゃんと食べさせることができるように、より少なく食べ、火を焚くことも少なくした。
しかし、彼らは彼が来るように言い張ったのだった。
彼らは私にはそうは言わなかったが、彼に食事を与えることが、将来私たち自身のお腹を満たす方法だと見ていたに違いない。
肉屋の妻と彼女の両親は、何時も充分に食べていたのだった。
今の少しくらい空腹は、結局は重くなるほどの胃袋をもたらすだろう。
その後、ピーターは定期的に来るようになると、私の母が日曜日のために料理することになる肉の贈り物を彼らに送った。
しかし、その最初の夕食では、彼女は賢明にも肉屋の息子に肉を出さなかった。
彼は切った肉で彼らがどれほど貧乏であるかを正確に判断することができただろうから。
彼女は肉の代わりに小エビと海老さえ入った魚のシチューを作った、彼女はどうやってそのお金をやりくりしたかは決して私に言わなかった。。
家は見すぼらしいものだったが、彼女の気遣いが輝いていた。
彼女は私に父の売らないでとっておいた、一番よくできたタイルを持出してきて、磨いて、ピーターが食事中に見えるように壁に沿って並べた。
彼は私の母のシチューを誉め、彼の言葉は本物だった。
彼女は喜び、顔を赤らめ笑い、もっと与えた。
後で、彼は私の父に、私の父がどのタイルの事を聞いているのか分かるように、父が説明できるように、それぞれのタイルを言葉で言いながら、タイルの事を尋ねた。
「グリエットが一番いいのを持っているよ、」と、彼は部屋の中にあるすべてのタイルの説明を終えた後言った。
「それは彼と兄さんが描いてあるんだ。」
「僕もそれが見たいです、」と、ピーターが呟いた。
私は膝にある自分の赤切れのできた両手をじっと見て、じっと耐えた。
私はコーネリアが私のタイルにしたことは彼らに話さなかった。
ピーターが家を出る時、母は通りの端まで送っていきなさいと囁いた。
私は彼の横を歩いた、実の所その日は雨で外に出ている人はほとんどいなかったが、きっと私たちの近所の人たちは見ていただろう。
私は、取引が終わり、わたしが一人の男の手に渡されるかのように、まるで両親が通りに私を押し出したような気がした。
少なくとも彼は良い男だ、彼の両手はそれほど清潔ではないとしても、と考えた。
リートフェルド運河の近くに、ピーターが私の背中に手を置いて案内してくれた小径があった。
アグネスは子供の頃よくそこにかくれんぼで隠れたものだった。
私は壁を背にして、ピーターが私にキスをするままにさせた。
彼はとても待ちきれない様子で私の唇をかんだ。
私は声をあげて泣くことをせず、塩辛い血を舐めとり、彼の肩越しに、彼が私を押し付けている反対側の湿ったレンガを見ていた。雨粒が私の目に振りかかった。
私は彼に好き勝手にはさせなかった。
少し経つとピーターは後ずさりした。
彼は手を私の頭に伸ばした。
私はそれを避けた。
「君は自分の帽子がお気に入りなんだろう?」と、彼が言った。
「私は私の髪を飾って帽子なしでいるほどの金持ちじゃないわ、」と、私はきつく言い返した。
「わたしもそう・・・」
私は最後まで言わなかった。
どんな他の女性が頭に何もつけないままでいるのか、私は彼に言う必要はなかった。
「でも、君の帽子は君の髪全部を隠している。なぜそうなの?
ほとんどの女性は髪を少し見せているのに。」
私は答えなかった。
「君の髪の色は何色なんだ?」
「茶色よ。」
「明るい、それとも暗い?」
「暗い。」
ピーターはまるで子供が遊びに夢中になっているように笑った。
「直毛それともくせ毛?」
「どっちでもないわ、どっちも。」
私は私の混乱にたじろいだ。
「長髪、ショートヘヤー?」
私は躊躇した。
「私の肩より下ぐらいよ。」
彼は私を見て笑い続けた、その後もう一度私にキスして市場広場の方に向き直った。
私は嘘を付きたくなかったが、彼に知られたくもなかったので、言うのを躊躇した。
私の髪は長くて整えられないのだ。
もしむき出しのままにしていると、男と一緒に小径に立っている、静かで落ち着いた清潔な、グリエットじゃ無く見える。
敢えて頭に何も被らない女の様なグリエットだ。
それが、グリエットの痕跡が完全に無いように、髪を完全に隠している理由だったのだ。
彼はパン屋の娘の絵を描き終えた。
今回は私は警告を持っていた、というのは、彼は絵具の材料を研磨したり洗ったりすることを頼むのを止めてしまったからだ。
彼は今はたくさんの絵具を使わなかったし、彼が真珠のネックレスの女性の時のように、突然変更することもなかった。
彼は以前に変更してしまっていて、絵から椅子を取り除き、壁の地図を動かしていた。
私はそのようなことにはあまり驚かなかった、というのは、私は自分で考える機会があり、彼がやったことが絵にいい影響を与えると知っていたからだった。
彼は最後にもう一度景色を見るために、ファン・レーベンフックのカメラ・オブスキュラを借りた。
彼はそれをセットし終わった時、いつものように私がそれを覗き込むことを許してくれた。
私はまだそれがどのように機能するのか理解していなかったが、私はそれが中に描き出す光景、部屋の中にある物のミニチュア、逆さまに映るもの、を称賛するようになっていた。
普通の物の色がより強烈になり、テーブルの敷物はより深い赤い色になり、壁の地図は太陽にかざしたエールビールのグラスのように、茶色に輝いた。
私はカメラがどんな風に彼が絵を描くのを助けるのかには確信は持てなかったが、わたしはよりマリア・シンズのように、もしそれが彼にうまく絵を描かせるのならそれを疑問視することはない、と思うようになった。
しかし、彼はより速くは描いていなかった。
彼は水差しを持った少女に5か月かけた。
私はしばしばマリア・シンズが、私が彼がより速く仕事をするのを助けない事を私に思い出させ、私に仕事を止めて去るように言うのではないかと心配した。
彼女はそうしなかった。
彼女は彼がその冬、メッヘレンでと同様、組合で忙しかったことを知っていた。
多分、彼女は物事が夏には変わるだろうかと見極めようと、待つと決めていたのだった。
それとも、多分彼女は絵がとても好きだったので、彼をたしなめるのは難しいと分かっていたのだ。
「そんな立派な絵がパン屋にだけしか行かないなんて恥ずべきことだわ、」と、彼女はある日言った。
「ファン・ライフェンの為の絵だったらもっと高くとれたのに。」
彼が作品を描いている間に、その契約を結んだのは彼女であることは明らかだった。
パン屋も絵が好きだった。
彼がその絵を見に来た時は、ファン・ライフェンと彼の妻が数か月前に彼らの絵を見た時の様な公式な訪問とは全然違っていた。
パン屋は、数人の子供たちと彼の姉妹一人か二人を含む、彼の全家族を連れてきた。
彼は何時も彼の窯の熱で顔を赤くして、小麦粉に付け込んだような髪をした、陽気な男だった。
彼はマリア・シンズが提供したウィンを断って、ビールのジョッキの方を好んだ。
彼は子供たちを愛していて、4人の女の子とヨハネスをスタジオに入れるよう主張した。
彼女たちも彼を愛していて、彼は訪問するたびに彼女たちの収集している貝殻を持ってきてくれた。
今回は、内側はツルツルでピンクとオレンジ色で、外側に薄い黄色の印の付いた、ごつごつして先のとがった白い、私の手の大きさのほら貝だった。
女の子たちは喜び、他の貝殻を取りに走って行った。
彼女たちはパン屋の家族を二階に連れて行き、女の子たちとパン屋の子供たちは、タンネケと私がアトリエで客に給仕している間、一緒に物置部屋で遊んだ。
パン屋は絵に満足していると言った。
「私の娘が元気そうに見えるし、その事で私にとっては充分です。」と、彼は言った。
後で、マリア・シンズは、彼がファン・ライフェンのようにしっかり見なかった、彼の感覚は彼の周りのごちゃごちゃと、飲んだビールのせいで鈍っていたと、失望していた。
私はそうは言わなかったが、彼女には同意しなかった。
私にはパン屋はその絵に正直な反応をしていたように思えた。
ファン・ライフェンは絵を見る時は、彼の甘ったるい言葉と、観察された表現であまりにも一生懸命評価しようとし過ぎるのだ。
彼は、彼が演技をするための観客を意識しすぎていたが、パン屋は単に自分の思った事を言っただけだった。
私は物置部屋の子供たちを注意して見ていた。
彼らは床の上に散らばって、貝殻を分類したり、そこらじゅうに砂をまき散らしていた。
そこにある収納庫や本や皿やクッションには興味を示さなかった。
コーネリアは屋根裏部屋からはしごを降りて行っていた。
彼女は下から3段目から跳んで床にぶつかった時に勝ち誇ったように叫び声をあげた。
私を一寸見た時、彼女の視線は挑戦的だった。
アデイレスと同じくらいの年の、パン屋の息子の一人が梯子の途中まで登って床に跳び下りた。
その後アデイレスがやってみて、別の子が、また別の子がやってみた。
私はコーネリアがどうやって屋根裏に入って私のエプロンに赤いしみを付けた茜色の染料を盗んだのかは決してわからなかった。
誰も見ていない時に抜け出すような、ずるがしこさは彼女の性分だった。
私は彼女の盗みについてはマリア・シンズにも、彼にも何も言わなかった。
彼らが私を信用してくれるとも思えなかった。
その代わり、私は、彼か私がそこにいないときは何時も、絵具がカギをかけて保管されているか確認した。
私はマートゲの横で床の上に足を延ばして寝そべっている彼女に今は何も言わなかあった。
しかし私はその夜、私の私物を確認した。
私の割れたタイル、鼈甲の櫛、私の祈祷書、刺繍の付いたハンカチ、襟、シミーズ、エプロンと帽子、全てがそこにあった。
私はそれらを数えて、分類して、たたみ直した。
その後私は、念のため、絵具を確認した。
それらもちゃんとしていて、食器棚も許可なくいじられているようには見えなかった。
多分、結局単に子供なだけで、跳び下りる為に梯子に登ったり、いたずらというより遊びを探していただけかもしれない。
パン屋は自分の絵を5月に引き取ったが、私の御主人さまは7月まで次の絵の用意をしなかった。
私はこの遅れに関し、私たちはどちらもそれが私の責任ではないと分かっていながら、マリア・シンズが私を叱責するのではないかと、心配になった。
その後、ある日私は、彼女がファン・ライフェンの友人が、真珠のネックレスを付けたライフェンの妻の絵を見て、彼女は鏡を見ているのじゃなく外を見ているべきだと思った、ということをカタリーナに言っているのを耳にした。
だからファン・ライフェンは彼の妻の顔が画家の方を向いている絵を欲しいと思った。
「彼はあんなポーズの絵はあんまり描かないんだけどね、」と、彼女は付けくわえた。
私にはカタリーナの返事は聞こえなかった。
私は子供部屋の掃き掃除を一寸の間止めた。
「最後のやつは覚えているでしょう、」と、マリア・シンズがカタリーナに言った。
「そのメイド。ファン・ライフェンと赤いドレスのメイドの?」
カタリーナはくぐもった笑い声で鼻で笑った。
「あれが誰かが彼の絵を通して世も中を見た最後だったわね、」とマリア・シンズは言い、言葉を続けた、「そして、あれは何というスキャンダルだったことでしょう!
今回ファン・ライフェンがその事を持ちかけた時、彼はノーと言うって確信していたのに、そうすることに同意してしまったんですもの。」
私はマリア・シンズに聞くことはできなかった、彼女は私が彼女たちの話を聞いていたと知っていただろうから。
今や私にゴシップを繰り返させたくは無いだろうから、タンネケにも聞けなかった。
だから私は、ピーターの売り場に人がほとんどいない或る日、息子の方のピーターに、赤い服を着たメイドについて聞いたことがあるかどうか聞いた。
「ああ、聞いたことが有るよ、その話は肉市場の広場中で広まったものだよ、」と、彼はくすくす笑いながら答えた。
彼は身を乗り出して展示している牛タンを並べ直し始めた。
「もう数年前のことだよ。
ファン・ライフェンが、絵のために彼の台所メイドの一人に彼と一緒に座ってほしいと言ったらしい。
彼らは彼女に彼の奥さんのガウン、赤い奴を、着せて、ファン・ライフェンはワインを描かせて、一緒に座った時にいつも彼女が飲めるように必ずワインを置くように確約させたんだ。
案の定、絵が出来上がる前に彼女はファン・ライフェンの子供を身ごもったのさ。」
「彼女はどうなったの?」
ピーターは肩をすくめた。
「あんな少女たちがどうなるのかだって?」
彼の言葉は私の血を凍り付かせた。
勿論、私は以前もそんな話を聞いたことはあったが、自分の近くでは一度も聞いたことは無かった。
私はカタリーナの服を着る夢について、ファン・ライフェンが廊下で私の顎を掴んで、「君は彼女を描くべきだ」と私の御主人さまに言った事について、考えた。
ピーターは彼のやっている事を止めて、表情を曇らせた。
「何故君は彼女のことについて知りたいんだい?」
「別に大したことじゃないわ、」と、私は軽く言った。
「ちょっと小耳にはさんだだけよ、何の意味もないわ。」
彼がパン屋の娘の絵を描く場面の設定をした時、私はいなかったし、彼の手伝いもしていなかった。
しかし今、ファン・ライフェンの妻が初めてやって来て彼のために座る時、私は屋根裏部屋にいて仕事をし、彼がしゃべっているのを聞くことができた。
彼女は静かな女性だった。
彼女は求められたことを音も立てずにやった。
彼女の立派な靴でさえ床でこつこつ音を立てることは無かった。
彼は彼女を閉めていない窓の傍に立たせてから、テーブルの周りに置いたライオンの頭の装飾の付いた2つの椅子のうちの一つに座らせた。
私は彼がいくつかのシャッターを閉める音を聞いた。
「この絵は前回のより暗くなるでしょう、」と、彼が言った。
彼女は答えなかった。
まるで彼は自分自身に言い聞かせているようだった。
瞬くして彼は私を呼んだ。
私が現れると「グリエット、私の妻の黄色いケープと、真珠の首飾りとイアリングを持って来なさい。」
その日の午後、カタリーナは友人を訪問していたので私は彼女に彼女の宝石について尋ねることはできなかった。
彼女がいたとしても、とにかく怖くて彼女に尋ねることはできなかったでしょう。
その代わり、私は磔の絵のある部屋にいるマリア・シンズの所に行き、彼女はカタリーナの宝石箱の鍵を開けて私にネックレスと耳飾りを手渡してくれた。
それから私は大広間にある戸棚からケープをとり出して、それを振ってから慎重に腕にかけた。
私は今までに一度もそれらに触ったことは無かった。
毛皮に鼻を沈めてみると、それはとても柔らかくウサギの赤ちゃんの様だった。
玄関を階段の方に下りて行くとき、わたしは突然両腕にその富を抱えて、ドアから走り出したい欲望が生じた。
私は市場の広場の中央にある星のマークの所まで行き、行くべき方向を選んで、決して帰ってこないこともできた。
そうする代わりに私はファン・ライフェンの妻の所に帰り、彼女がケープを着るのを手伝った。
彼女はまるでまるでそれが自分の肌であるかのように身に付けた。
耳飾りの紐を彼女の耳たぶに通し、首に真珠を巻いた。
私が彼女のネックレスを結ぼうとリボンを取り上げると、彼が「ネックレスは付けないで。テーブルの上に置いておきなさい。」と言った。
彼女はもう一度座った。
彼は自分の椅子に座り、彼女を観察した。
彼女は気にしていないように何も見ず、彼が私に以前そうさせようとしたのと同じように、宙を見つめていた。
「私を見なさい、」と、彼が言った。
彼女は彼を見た。
彼女の目は大きくて暗い色をしていた、ほとんど黒だった。
彼はテーブルの上に敷物を敷き、その後それを青い布と取り換えた。
彼は真珠をテーブルの上にまっすぐに置き、その後重ねて、置き、もう一度真っ直ぐに置き直した。
彼は彼女に立つように頼み、座るように頼み、その後椅子を引いて座るように、椅子を前に出して座るように頼んだ。
私は彼が、「グリエット、私にカタリーナの化粧ブラシを取って来てくれ」と言うまで、私が隅の方で見ているのを忘れていまったのだと思っていた。
彼は彼女にブラシを彼女の顔の所に持って行かせ、それを持ったままの手をテーブルの上に置かせ、片側に置いたままにした。
彼はそれを私に手渡した。
「返してきなさい。」
私が帰って来た時、彼は彼女に羽ペンと紙を渡していた。
彼女は椅子に座っていて、前屈みになって、書いていて、インク壺が彼女の右側にあった。
彼は上のシャッターを2個開けて、下の一対は閉めていた。
部屋はより暗くなっていたが、光が丸くて広い彼女の額と、テーブルに置いた腕を照らし、黄色の上着の袖を照らしていた。
「左手をもう少し前に出して、」と、彼が言って「そうそう。」と言った。
彼女は書いた。
「私を見て、」と、彼が言った。
彼女は彼を見た。
彼が物置から地図を持ち出して来て彼女の後ろの壁に掛けた。
彼はもう一度それを外した。
彼は小さな風景の絵、船の絵、何もない壁を試してみた。
その後、階下に消えて行った。
彼がいない間、私はファン・ライフェンの妻を詳しく見た。
それは多分失礼なことだったが、彼女がどうするのか知りたかった。
彼女は動かなかった。
彼女はより完全にそのポーズで落ち着いているようだった。
彼が楽器の静物画を持って帰ってくるまでには、彼女は何時もテーブルに座って自分の手紙を書いているというように見えるようになっていた。
私は彼が彼女のネックレスを付けた絵を描く前にリュートを演奏してるところを書いたことがあると聞いていた。
今までに彼女は彼がモデルで何を描きたがっているのか学んでいたに違いない。
おそらく彼女は単に彼が望んでいたものだったのだろう。
彼は彼女の後ろに絵を掛けた、その後、もう一度座って彼女を観察した。
彼らがお互いに見つめ合っている時、私はまるで私はそこに存在しないように感じた。
私は出て行き絵具を作る仕事に戻りたかったが、敢えてその瞬間を邪魔したくはなかった。
「次回来る時には、髪にピンクじゃなく白いリボンを付けて、黄色いリボンで髪を後ろで結んできてください」
彼女は頭ををほとんど動かさないぐらい軽く頷いた。
「座って良いよ。」
彼が彼女を解放したので、私も自由になった気がした。
次の日、彼は椅子をもう一脚テーブルの所に持ち出してきた。
その次の日彼はカタリーナの宝石箱を持ってきてテーブルの上にセットした。
宝石箱の鍵穴の周りには真珠がちりばめられていた。
私が屋根裏部屋で仕事をしていると、ファン・レーウェンフックが彼のカメラ・オブスキュラを持って到着した。
「君もいつかは自分自身のを持たなければいけないだろうな、」と彼が彼の落ち着いた声で言っているのが聞こえた。
「とは言え、お陰で君が描いているものを見る機会をもらったことは認めるよ。モデルは何処だね?」
「彼女は来れないんだ。」
「それは困ったことだな。」
「いや。 グリエット、」と、彼が呼んだ。
私は梯子を下りて行った。
私がアトリエに入ると、ファン・レーウェンフックが驚いて私を見つめた。
彼はとても澄んだ茶色の目をしていて、彼を眠そうに見せる厚い瞼を持っていた。
彼は全然眠くなどなく、警戒し困惑していて、彼の口は両端がきつく引き締まっていた。
私を見て驚いたものの、優しそうな様子をしていて、彼が立ち直った時には彼は私に頭を下げさえした。
今まで、私にお辞儀をした紳士は一人もいなかった。
私は自分自身が微笑むのを止めることはできなかった。
ファン・レーウェンフックは声を出して笑った。
「君は上で何をしていたんだね?」
「顔料を砕いていたんです。」
彼は私の御主人さまの方を向いた。
「助手だね!君は僕のために何という驚きを持っている事やら?
次は彼女に君の代わりに、君の女性たちを描くことでも教えるつもりだろう。」
私の御主人さまは面白がらなかった。
「グリエット、先日ファン・ライフェンの奥さんがやっていたように座りなさい。」
私は神経質そうに椅子に近づいて、彼女がやっていたように前屈みになって、座った。
「羽ペンを持ち上げなさい。」
私はそれを持ち上げた、私の手は震え、羽根も震わせ、彼女がやっていた通りを思い出して私の両手を置いた。
私は彼が、ライフェンの奥さんに言ったように、何か書けと私に頼まないように祈った。
私の父は私に自分の名前の書き方は教えてくれたが、それ以外はほとんど教えてくれなかった。
少なくとも、羽ペンの持ち方は知っていた。
私がテーブルの上の紙を見て、ライフェンの奥さんはなんて書いたのかしらと思った。
私は見慣れた自分の祈祷書はほんの少しは読めたが、女性の手書き文字は読めなかった。
「私を見なさい。」
私は彼を見た。
私はファン・ライフェンの妻になろうと努力した。
彼は咳払いをした。
「彼女は黄色いケープを付けるでしょう、」と彼が言い、ファン・レーウェンフックが頷いた。
私の御主人さまは立ち上がり、彼らはカメラ・オブスキュラを私に向けて設置した。
それから、彼らは交代で覗き込んだ。
彼らが彼らの頭に黒い布を掛けて屈みこんでいる時、私は座りやすくなり、彼が私にしてほしいと思っているように、何も考えなくなった。
彼はファン・レーウェンフックに絵を後ろの壁際に、自分がその位置に満足するまで、何度も動かさせ、その後布を被ったままでシャッターを開け閉めさせた。
最後に彼は満足したようだった。
彼は立ち上がって布を畳んで椅子の背に掛けた後椅子の方に歩み寄り、一枚の紙をつまみ上げそれをファン・レーウェンフックに手渡した。
彼らはその内容を議論し始めた、彼が助言を求めたがっていた|組合<ギルド>の事業についてだった。
彼らは長い間話していた。
ファン・レーウェンフックが眼を上げた。
「お願いだから、その少女を仕事に戻してやってくれ。」
私の御主人さまは、私がまだテーブルの所に羽ペンを持って座っていることに驚いたように私を見た。
「グリエット、行ってもいいよ。」
私は出て行くとき、ファン・レーウェンフックの顔に憐みの表情が横切るのを見たように感じた。
彼はカメラを数日間置いたままにしていた。
私はテーブルの上の物体を眺めながら、何度かそれを自分で覗き込むことができた。
私は、彼がこれから描く予定のシーンについて何か気になることがありました。
それはまるで傾いて壁に掛けられた絵を見ているような感じだった。
私は何かを変えたかったが、それが何なのか分からなかった。
その箱は私に何の答えも与えなかった。
或る日、ファン・ライフェンの妻がもう一度来て、彼はカメラで長い時間彼女を見ていた。
彼の頭が布を被っている間に、私は彼らを邪魔しないようにできるだけ静かにアトリエを通り過ぎた。
私は彼が彼女をその箱にセットするのを少しの間見るために、彼の後ろに立った。
彼女は私に気付いていたに違いなかったがその様子は見せず、彼女の濃い色の目で彼を凝視し続けた。
その時、私はその光景があまりにきちんとしすぎている事に気が付いた。
私は、どんな事よりも整理整頓に価値を置いている人間だが、彼の他の絵から、テーブルの上には何らかの乱雑さがあり、目に引っかかるものがあるべきだとわかっていた。
私は宝石箱、青いテーブル掛け、真珠、手紙とインク壺などのそれぞれの物をじっくり見て、何を変えればいいのか決めた。
私は私の大胆な考えに驚きながら静かに屋根裏部屋に帰った。
私にとって、彼がその景色の何を変えればいいのか分かったので、私は彼が変更を加えるのを待った。
彼はテーブルの上の物のどれの位置も移動させなかった。
彼はシャッターを少し調整して、彼女の頭の傾きを変え、羽ペンの角度を変えた。
しかし彼は私が彼に期待したことは何もしなかった。
私はシーツを絞りながら、タンネケのために串を指しながら、台所のタイルを拭きながら、絵具の粉をすすぎながら、その事を考えた。
私は夜ベッドで寝ている時もその事について考えた。
時にはもう一度見ようと起き上がった。
いや、私は間違っていない。
彼はカメラをファン・レーウェンフックに返した。
私がその景色を見る時にはいつも、私の胸はまるで何かが胸を押し付けているように圧迫された。
彼はイーゼルにカンバスをセットし、鉛白と少しばかりのバーントシェンナ(燃得たようなオレンジ黄色)とイエロウオーカー(黄色ぽい黄土色)を混ぜた白粉で塗った。
私の胸は彼が次にすることを待って、締め付けられた。
彼は赤っぽい茶色で女性と他の物の輪郭を軽く素描した。
彼が偽の色の大きな塊を塗り始めた時、私は自分の胸が小麦粉を詰め込み過ぎた袋のように破裂するのではないかと思った。
或る夜、ベッドで横になっている時、私は自分で変更しなければいけないと決心した。
次の朝、私は掃除をし、宝石箱を注意深く置き直し、真珠の首飾りをを丸め直し、手紙を元に戻し、インク壺を磨いて元の位置に置いた。
私は自分の胸のプレッシャーを和らげるために深呼吸をした。
それから、素早い動きで私は青い布の前の部分を、テーブルの下の暗い影から出て宝石箱の前のテーブルの上の斜面に入るように、引っ張った。
私は折り目の線を少し調整してから後ろに下がった。
それは、羽ペンを握ったファン・ライフェンの妻の腕の形を反映していた。
そうなのだ、と思い唇を重ねた。
彼はこの変更を行った事で私を追い出すかもしれないが、今はより良くなっている。
その日の午後、私は屋根裏部屋での仕事がたくさんあったが、そこに上がって行かなかった。
私はタンネケと外のベンチに座って、シャツを繕っていた。
彼はその日の午後アトリエには行かず、組合に行って、ファン・レーウェンフックの家で夕食を取っていた。
彼はまだその変更を見ていなかったのだった。
私はベンチに座って不安そうに待った。
あの日私を無視しようとしていたタンネケでさえも、私のムードに気が付いていた。
「どうかしたのかい、お嬢ちゃん?」と、彼女が聞いた。
彼女は私を奥様と同じように、お嬢ちゃん、と呼ぶようになっていた。
「お前は、と殺されることが分かっている鶏みたいに振舞っているじゃないか。」
「別に、」と、私は言った。
「カタリーナのお兄さんが最後にここに来た時のことを教えてください。
私はその事を市場で聞いたんです。
彼らは今でもあなたのことを覚えていますよ、」と、私は彼女の気をそらして彼女におべっかを使おうと、私が彼女の質問をいかに不器用に遠ざけようとしたのかをごまかそうと願って、重ねて言った。
誰がその質問をしたのかを思い出す迄ちょっとの間、まっすぐに座り直した。
「お前の知った事じゃないよ、」と、彼女はぴしゃりと言った。
「それは内輪の問題であって、お前のような者には関係ない。」
数か月前であれば彼女に光が当たる話をすることは喜んだだろう。
しかし、話を聞こうとしているのが私だったし、私は
彼女の話を信じたりユーモアを感じたり好んだりしなさそうなのだ、しかし自慢できる機会を逃すのは彼女にとってはつらいことだったに違いない。
その後、私は彼を見た、彼はオウデ・ランゲデイクに向かって歩いて上がって来ていた、彼は春の日の光を避けるように帽子を斜めにかぶっていた、彼の濃い色の外套は肩から落ちそうだった。
彼が私たちの所を通り過ぎる時、私は彼を見ることができなかった。
「こんにちは。」と、タンネケはさっきとまったく違う口調で歌うように言った。
「やあ、タンネケ。お日様の光を楽しんでいるかい?」
「はい、旦那様。顔に当たって気持ちがいいですわ。」
私は繕っている縫い目から目を離さなかった。
私は彼が私を見ていると感じた。
彼が中に去って行った後、タンネケが「あなたにご主人様が話しかけている時には挨拶をしなさい、お嬢さん。お行儀がまるでなってないわね。」
「彼はあなたに話しかけたんでしょ。」
「そうすべきよ。でもあなたはそんなに無礼である必要はないわ、さもなくばここには居場所がなくなって、路頭に迷う事になるわよ。」
彼は今は2階にいるだろう、と私は思った。
彼は私がやったことを見たに違いない。
私は待った、ほとんど針を持っている事ができなかった。
私は正確に何を期待しているのか分からなかった。
彼はタンネケの前で私を叱りつけるだろうか?
彼は私が彼の家に来て住んで以来初めて声を荒げるのだろうか?
絵が台無しだというのだろうか?
多分彼は単に青い布を前に有ったように引っ張って直すだけだろう。
多分彼は私には何も言わないだろう。
後で、その日の夜、彼が夕食に降りてきたときにちょっとだけ彼を見た。
彼は、幸せなのか怒っているのか、気にしていないのか興味ががあるのか、何もあれこれとした様子は見せなかった。
彼は私を無視することもなかったが、私を見ることもなかった。
私はベッドに登って行った時、彼が私が触る前のように垂れ下がるように布を引っ張ったかどうか確かめてみた。
彼はそうしていなかった。
私は自分のロウソクを画架に翳してみた、彼は青い布の襞を赤みがかった茶色でスケッチし直していた。
彼は私の変更を描いていたのだった。
私はその夜、暗闇の中で微笑みながらベッドに横たわった。
次の日の朝、私が宝石箱の周りを掃除していると、彼が入って来た。
彼は今まで私が距離を測って物を置き直している所を一度も見たことはなかった。
私は腕を一方の端にそって置いて、箱を動かしその下と周りの埃を拭いた。
私が眼を上げると彼が私を見ていた。
彼は何も言わなかった。
私も何も言わなかった、私は箱を正確に元あった場所に置くことに集中した。
その後、私は青い布を湿らせた布で埃を取った、特に私が新しく付けた折り目の部分を入念に。
ふき取っている時、私の両手は少し震えていた。
私は拭き終わって彼を見上げた。
「教えてくれないか、グリエット、何故君はテーブルクロスに変化を加えたんだ?」
彼の声の調子は、彼が私の両親の家で野菜について私に質問した時と同じ調子だった。
私は一瞬考えた。
「彼女の静けさと対比させて、情景に、ある種の無秩序が必要だからです。」と、私は説明した。
「目を刺激する何かが。
でもそれは同様に目を楽しませるものである必要があります、というのも布と彼女の腕が同じ場所に有るのだから。」
長い沈黙があった。
彼はテーブルを見ていた。
私はエプロンで両手を拭きながら、待った。
「自分がメードから何かを学ぶなんて、思っても見なかった。」
日曜に、私が新しい絵を父に説明してあげる時に、母も加わった。
ピーターも一緒にいて、まだらに差し込んできている床の上の太陽の光をじっと見つめていた。
彼は何時も私達がご主人様の絵について話す時は、静かだった。
私は、私が布にしわを寄せてそれをご主人様が了解した事につては彼らに話さなかった。
「私は彼の絵は魂のために良くないと思うわ、」と、母が突然宣言した。
彼女は不快感を現わしていた。
彼女は今まで一度も彼の絵について話した事はなかった。
私の父は驚いて母の方に顔を向けた。
「ていうか、お財布には良いよ、」と、フランが茶化して言った。
その日は、彼が帰って来ている数少ない日曜日だった。
最近、彼は金に執着するようになっていた。
彼は私にオウデ・ランゲデイクの家にあるもの、絵に描いてある真珠やガウン、真珠で装飾された宝石箱とその中身、壁に掛かっている絵の数や大きさ、値段について質問した。
私は彼に多くは語らなかった。
私は彼にそれを考えさせるのは申しわけないと思ったが、私は彼の考えが、タイル工場で見習として生計を立てるよりより安易な方法に変えようと、変わるのが怖かったのだ。
私は彼が単に夢を見ているだけなのではないかと疑ったが、私は彼や彼の妹の手の届くところにある高価なものの想像でこれらの夢に火に油を注ぐ様なことをしたくなかった。
「お母さん、それはどういう意味?」
私はフランを無視して彼女に尋ねた。
「あなたの絵の説明には何か危険な物があるわ、」と彼女が説明した。
「あなたの話しぶりからすると、それらは宗教的なものかもしれない。
それはまるであなたが説明している女性がただの女性で手紙を書いている所なのに、聖母マリアのようです。
あなたは絵が持っていない、その価値のない意味を与えています。
デルフトには数千の絵があります。
あなたはそれらを金持ちの家と同じくらい容易に居酒屋に掛かっているぐらいに、どこででもそれらの絵を見ることができます。
あなたは2週間分のメイドの賃金を取って市場でその一つを買う事が出来ます。」
「もし私がそうすれば、あなたと私のお父さんは2週間食べることができないし、私が買った物を見ることもなしに死ぬことになるでしょう。」
私の父はたじろいだ。
長い間二人の間で苦境に立たされてきたフランは黙ってしまった。
ピーターが私をちらっと見た。
母は無表情のままだった。
彼女はいつもは自分の心を話さなかった。
彼女が言葉を発するときは、黄金の価値があった。
「ごめんなさい、お母さん、」と、私は口ごもりながら言った。
「そんなつもりじゃなかったの。」
「彼らのために働くことがあなたの考えを変えてしまったのよ、」と、彼女は私が言うのを遮って言った。
「それはあなたに自分が誰であるのか、自分の出自は何処にあるのかを忘れさせたのよ。
私たちは富や流行には支配されない真っ当なプロテスタントの家族よ。」
私は彼女の言葉に心を打たれ俯いた。
その言葉はもし私が自分自身の娘を気にかけているなら言うであろう、母親としての言葉だった。
私は、彼女の絵の価値についての疑問に私が不快に思った時のように、彼女がそういうのを不快に思ったが、私はそれらの言葉には真実が含まれている事を知っていた。。
ピーターは、その日曜日は私と例の小径長い時間を過ごさなかった。
次の朝、絵を見るのがつらかった。
偽色のブロックが描かれ、彼は彼女の目、おでこの盛り上がった部分、ケープの袖のひだの一部を描き上げていた。
特に潤沢に使われた黄色が私の心の中を、母の言葉が非難していた、後ろめたい喜びで満たした。
その代わりに私はお父さんの方のピーターの店に掛けられている、10ギルダー(1000円程)で買ってきた女性が手紙を書いている単純な絵を出来上がりの絵として思い描こうとした。
そうすることはできなかった。
彼はその日の午後上機嫌だった、そうでなければ、私は彼に尋ねなかっただろう。
私は彼の少ない言った事やあまり現わさない彼の表情からではなく、彼がアトリエや屋根裏部屋を歩き回る動きで彼の気分を推し量ることを学んでいた。
彼は気分がいい時や、仕事がはかどっている時はアトリエの中でも躊躇なく、彼はきっぱりした態度で前後に歩を進め、無駄な動きをしなかった。
もし彼が音楽家であったなら、彼は小声で鼻歌を歌ったり、口笛を吹いたりしただろう。
物事がうまくいかない場合は、彼は立ち止まったり、窓の外を見たり、登りかけた屋根裏部屋への梯子を急に位置を変え降りたりした。
彼が私が粉にし終わった白鉛に亜麻仁油を混ぜるために、屋根裏部屋に上がって来た時、「ご主人様、」と、私は話し始めた。
彼は毛皮の袖の部分を描き始めていた。
彼女はその日来ていなかったが、彼がそこにいなくても、彼が彼女のその部分を描くことができる事は分かっていた。
彼は眉を上げた。
「何だね、グリエット?」
いつも私を名前で呼ぶのは家の中の人々の中で彼とマートゲだけだった。
「あなたはカトリックの絵を描いているのですか?」
彼は白鉛の入った貝殻の上に瓶から亜麻仁油を注いでいた動きを止めた。
「カトリックの絵、」と、彼はオウム返しに言った。
彼はビンでテーブルの上を叩きながら、手を下ろした。
「カトリックの絵とはどういう意味だい?」
私は考える前にしゃべっていた。
今、何と言うべきか分からなかった。
私は違う質問をしてみた。
「これらの絵がカトリックの教会にあるのはなぜですか?」
「君はカトリック教会の中に入ったことがあるのかね、グリエット?」
「いいえ。」
「じゃあ、君は教会の中で絵も銅像もステンドグラスも見たことが無いのか?」
「見た事はありません。」
「君は家の中や店や宿屋でしか絵を見たことが無いのかね?」
「それと、市場でです。」
「そう、市場で。君は絵を見るのが好きかね?」
「はい、ご主人様。」
私は彼は私に答えるつもりはないのだと思い始めた、というのは、彼は単に私に終わりのない質問をしているだけだから。
「君がそれを見た時、何か見えたかね?」
「何故ですか、画家が描いたものです。」
彼は頷いたが、私は彼が望んだようには答えられなかったと感じた。
「それで、君が下のアトリエで絵を見た時、何が見えたたのかね?」
「私には聖母マリアは見えませんでした、それは確かです。」
私は彼への答えというより、母への反抗としてそう言った。
彼は驚いて私を見つめた。
「君は聖母マリアが見えると期待していたのかね?」
「あ、いや、違います、」私は混乱して答えた。
「君は絵はカトリック的だと思うのかね」
「私にはわかりません、ご主人様。私の母が言ったのです。」
「君のお母さんはその絵を見たことが無い、そうだろう?」
「はい。」
「それじゃあ、彼女はあなたに何が見えているのか、何が見えていないのかを言うことができません。」
「はい。」
彼は正しかったが、私のお母さんに批判的な彼を好ましくは思わなかった。
「絵がカトリックかプロテスタントかではなく、それを見る人が何を見るか、何を期待するかだ。
教会にある絵は、暗い部屋にあるロウソクの様なものだ、私たちはそれをより良く見るために使う。
それは私たちと神の間の橋なんだよ。
しかしそれはプロテスタントのロウソクでもカソリックのロウソクでもない。それは単にロウソクなのだ。」
「私たちは神を見るための補助としてそんなものは必要じゃありません、」と、私は反論した。
そして続けて言った。
「私たちには神の言葉があり、それで充分です。」
彼は笑った。
「グリエット、君は私がプロテスタントとして育ったことを知っていましたか?
私は結婚した時に改宗したのです。
だからあなたは私に説教をする必要はありません。
私はそんな言葉を聞いたことがあります。」
私は彼を見つめた。
私は誰か、もはやプロテスタントではないと決めた人を一人も知らなかった。
私は人が実際改宗できるとは信じられなかった。
だがしかし、彼はそれをしたのだった。
彼は私が話すのを待っているように見えた。
「私はカトリック教会の中は見た事はありませんが、」と、私はゆっくり話し始めた、「私がもしそこで絵を見れば、それはあなたと同じように考えるでしょう。
それらが聖書の情景、聖母とその子キリストや磔から題材をとったものでなくとも。」
私は地下室の私のベッドのところに掛けられていた絵を思い出しながら震えた。
彼はもう一度ビンを取り上げて、注意深く貝殻の中にオイルを数滴注ぎ込んだ。
彼はパレットナイフで油と白鉛を暖かい台所に置かれたバター程の硬さになるまで混ぜ合わせた。
私は、クリーム状の白い絵の具の中の銀色のナイフの動きに魅了された。
「カトリックとプロテスタントには絵に対する態度に違いがあります、」と、彼は仕事をしながら説明した、「しかしそれは必ずしもあなたが思っているほどに大きなものではありません。
絵はカトリック教徒の精神的な目的に資するものであるかもしれませんが、プロテスタントがあらゆるところに、全ての中に神を見ることも覚えて置いてください。
テーブルや椅子や、ボウルや水差し、兵士やメイドたち、日常の物を描くことにより、それらが同様に神の創造物を祝福しているのではないでしょうか?」
私は、私の母が彼の言っている事を聞くことができればいいのに、と思った。
彼は、お母さんをも説得できただろう。
カタリーナは彼女の宝石箱をアトリエに置きっぱなしにさせたがらなかった、というのは彼女の手の届かないところだったからだ。
1つには彼女は私のことが好きではなかったから、もう一つには私たちみんなが聞いている、メイドが彼女たちの女主人から銀のスプーンを盗むという話に影響されているため、彼女は私を疑っていた。
盗みと家の主人を誘惑する事、それは女主人がメイドの中に探している事だった。
しかし、私がファン・ライフェンの事をで発見したように、男がメイドを追いかける方がその逆よりも多かった。
彼にとってはメイドは無料なんだから。
カタリーナは彼にほとんど家事については相談しなかったが、あることをするように頼みに、彼の所に行った。
私はそれを彼らが話しているのは自分では聞かなかったが、マートゲがある朝私に言った。
その頃マートゲと私は仲が良かった。
彼女は突然成長して、他の子供たちへの興味を失い、私が仕事に取り掛かる朝には私と一緒にいることのほうを好んだ。
彼女は私から衣類に水をかけて太陽に干すことで漂白すること、塩とワインを混ぜたものをシミに塗り付けてシミを取ることを、アイロンがこびりついて焦げないように粗塩でこすることなどを学んた。
彼女の両手は水仕事をするにはきれいすぎた、彼女は私を見ることはできたが、私は彼女に彼女の手が濡れることはさせなかった。
私自身の両手は母の和らげる養生をしているにもかかわらず、今までにひどく傷んで赤くひびが入っていた。
私はまだ18歳にもなっていなかった。
マートゲは快活で、色々なことに疑問を持ち、自分が思った事はすぐ実行していた、私の妹のアグネスにちょっと似てた。
しかし、彼女は長女の真面目さも持っていた。
彼女は、私が私の兄と妹の面倒を見ていたように、妹たちの面倒も見ていた。
その事は少女を注意深くもし、変化に慎重にもした。
「お母さんが宝石箱を返してほしいって、」と、彼女は肉市場に向かう途中、市場広場の星型の所を通っている時に言った。
「お母さんはお父さんにその事を言ったの。」
「お母さんが何を言ったですって?」
私は星形を見つめながら平静を装って聞いた。
私は最近カタリーナが毎朝、私のためにアトリエのドアの鍵を開ける時、部屋の彼女の宝石があるテーブルを覗き込んでいたのに気が付いていた。
マートゲは言い淀んだ。
「お母さんは、あなたが彼女の宝石と一緒に夜詰め込まれてほしくないって、」と、彼女はついに言った。
彼女はカテリーナが、私がテーブルから真珠を取って、腕に宝石箱を抱えて、窓を乗り超えて通りに出て、他の市に他の生活に逃げるかもしれないと心配しているとまでは言わなかった。
マートゲは彼女なりのやり方で私に警告しようとしていたのだった。
「お母さんはあなたに又地下室で寝てほしがっているの、」と、彼女は話を続けた。
「乳母はもうすぐいなくなるし、あなたが屋根裏部屋に残る理由はないわ。
彼女はあなたか宝石箱かどちらかが去らなければならないと言ったの。」
「それであなたのお父さんは何て言ったの」
「彼は何も言わなかったわ。彼はその事を考えるでしょう。」
私の心臓は胸の中で石のように重くなった。
カタリーナは彼に私か宝石箱かを選ぶ事を求めた。
彼は両方持つことはできなかった。
しかし私は、彼が私を屋根裏部屋に置いておくために、宝石箱と真珠を絵から消すことはしないことは分かっていた。
私はもう彼の手伝いをすることはないだろう。
私はペースを落とした。
人生で美しさや色や光の機会が無ければ、数年にわたる水運び、服を絞り、床を拭き、鍋を空にすることが、自分の前に、海はずっと遠くに見えるけれども行くことはできない、平らな土地の景色の様に広がっていた。
もし私が絵の具の仕事ができなければ、もし私が彼の傍にいられないのなら、私はどうやってその家で仕事を続ける事ができるのか分からなかった。
私たちが肉屋の店に着き、息子のピーターがそこにいた時、私の目は思わず涙があふれてきた。
私は自分が彼の優しいハンサムな顔を見たかったのだとは気が付かなかったのだった。
私が彼について感じていた時には混乱していが、彼は私の避難場所で、私が参加することのできるもう一つの世界があると言う事を気付かせてくれるものだったのだ。
多分私は、彼を私の家族を助けてくれる存在、家族のテーブルに肉を持ってきてくれる存在だと考えている、私の両親とそれほど違わなかったのだ。
父親の方のピーターは私の涙を見て喜んだ。
「息子に、君が息子がいないって泣いていたって言うよ。」と、彼はまな板の血をきれいに拭き取りながら言った。
「そんなことは言わないで、」と、私は呟いた。
「マートゲ、今日は何がお入り用ですか?」
「シチュー用の肉を頂戴、」と、マートゲがちゃんと答えた。
「4ポンド(2kg弱)。」
私は私のエプロンの端で目を拭いた。
「目に蝿が入ったわ」と、私は快活に言った。
「多分ここらあたりは清潔じゃないのね。汚れに蝿が寄って来るのよ。」
父親のピーターは心の底から笑った。
「彼女の目の中に蝿、彼女が言った!ここは汚い。
勿論血を求めてやって来る蠅はいるさ、でも汚れを求めて来るんじゃないよ。
最もいい肉は最も血が濃いので最も多くの蠅を引き付けるのさ。
君もいつかわかるだろうよ。私たちには気どりはいらないいのさ、奥様。」
と言って、マートゲに目配せした。
「どう思います、お嬢さん?数年したら彼女自身が働いているだろう場所をグリエットは非難するべきなんでしょうかねえ?」
マートゲはショックを見せないように努力していたが、彼女は明らかに私が何時までも彼女の家族の所にいないかもしれないという彼の思わせぶりな言い方に驚いていた。
そのかわり、彼女は突然、隣の売り場の女性が抱いている赤ちゃんに興味を持っていた。
「お願いだから、」と、私は低い声で父親の方のピーターに言った、「そんなことを彼女や彼女の家族に、冗談にでも言わないで。
私は彼女たちのメイドなのよ。それが私なの。
そうではないと示唆することは彼女たちに無礼を働くことになるわ。」
父親の方のピーターは私をじっと見つめた。
彼の眼は光の加減で毎回色を変えた。
私は私の御主人さまでさえその眼を絵に描きとめることはできないだろうと思った。
「多分君は正しいよ、」と、彼が譲歩した。
「私は君に冗談を言う時には、もっと注意深くしなければいけないって分かるよ。
しかし言っとくけど、君は蝿には慣れなければいけないよ。」
彼は宝石箱を取り除く事はしなかったし、私に出て行くようにも頼まなかった。
その代わり、彼は毎晩宝石箱と真珠と耳飾りをカテリーナの所に持って行き、彼女はそれらを彼女が黄色いケープを入れている大広間にある棚に鍵をかけて保管した。
朝、彼女が私を外に出すためにアトリエの鍵を開ける時、彼女は私に宝石箱と宝石類を手渡した。
私のアトリエでの最初の仕事は、その宝石箱と真珠をテーブルの上のもとの場所に戻し、ファン・ライフェンの奥さまがモデルに来るときは、耳飾りを配置することになった。
カタリーナは私が腕と手で長さを測るのをドアの所から見ていた。
私の動作は誰が見ても変に見えたはずだが、彼女は私がやっている事について何も尋ねなかった。
彼女は敢えてそうしなかったのだった。
コーネリアは宝石箱の問題点について知っていたに違いない。
多分、マートゲのように、彼女は両親がそれを議論しているのを聞いたのだろう。
彼女はカテリーナが朝その箱を持って上がって行き、夜、又、降ろしているのを見て、何かおかしいと思ったのかもしれない。
彼女が何を見たか理解したかにせよ、彼女はもう一度鍋をかき混ぜる時期が来たと決心したのだった。
特別の理由はなかったが、漠然とした不信感で、彼女は私を好きではなかった。
そんな意味では彼女は、彼女の母親が大好きだった。
彼女が替え襟を壊した時やエプロンに赤い染料を塗った時のように、たのみごとをすることから、彼女はそれを始めた。
ある雨の朝、カタリーナは彼女の髪を結っていて、コーネリアは周りをぼんやり見ていた。
私は洗濯用の台所で服に糊付けをしていたので彼女たちの話声は聞こえなかった。
しかし彼女の母親が髪に鼈甲の櫛を付けるように勧めたのは、恐らく彼女だったのだ。
数分後、カタリーナが洗濯用の台所と料理用の台所の間のドアにやってきて、立って宣言した、「私の櫛の一つが亡くなった。あなたたちのどっちかが知ってるかしら?」
彼女はタンネケと私の両方に話しかけていたが、彼女は私をじっと見つめていた。
「いいえ、奥様、」と、タンネケが料理用の台所からやって来て、同じように私を見ながら立って、厳かに答えた。
「いいえ、奥様、」と私も繰り返した。
私が、コーネリアが廊下から彼女らしいいたずらっぽい目つきで覗き込んでいるのを見た時、私は彼女が私に繋がる何かを始めたと分かった。
彼女は私を追い出す迄これをするだろう、と私は思った。
「誰かそれが何処にあるか知っているに違いないわ、」と、カタリーナが言った。
「戸棚をもう一度探すのをお手伝いいたしましょうか、奥様?」と、タンネケが聞いた。
「それとも私たちは別の所を探しましょうか?」と、彼女は適切に付け加えた。
「多分、それはあなたの宝石箱に有ります、」と私は提案した。
「多分。」
カタリーナが廊下を通り過ぎた。
コーネリアは振り返って彼女の後ろについて行った。
私は、彼女は、それが私の提案である限り、それには注意を払わないだろうと思った。
しかし、私は彼女が階段にいる音を聞いたとき、彼女はアトリエに向かっているのだと分かり、彼女が私を必要とするだろうと思い、急いで彼女に合流した。
彼女はアトリエの廊下で怒って待っていた、コーネリアが彼女の後ろに控えていた。
「私に箱を持って来なさい、」と、カタリーナが静かに言い、その部屋に入ることができないという屈辱が、私が今までに聞いたことのないくらいの感じを、彼女の語気は含んでいた。
彼女は今までにもしばしば鋭く大きな声を出すことがあった。
今回、彼女が静かに声の調子を制御している事は、より恐ろしかった。
私は彼が屋根裏部屋にいる物音が聞こえていた。
私は彼が何をやっているのか分かっていた、彼は絵のテーブルクロスに塗る絵具のために|鉱石<ラピス>(深い青色)を削っていた。
私は箱を取って、テーブルの上に真珠を置いたまま、カタリーナの所に持って行った。
彼女は、一言も言葉を発することなく、それを階下に持って行き、コーネリアは、餌がもらえると思ってついて行く猫のように彼女の後ろについて行った。
彼女は大広間に行き、何か他の物も無くなっていないか、彼女の全ての宝石を調べた。
多分それ以外の事として、7歳児がどんないたずらをするのか想像するのが難しかったのでした。
彼女は自分の宝石箱の中に櫛を見つけることはできなかっただろう。
私はそれが何処にあるのかちゃんとわかっていた。
私は彼女について行かなかったが、屋根裏部屋に上がって行った。
彼は驚いて私を見、彼の手にはボウルの上に置いたままのすりこぎ棒があったが、彼はなぜ私が屋根裏部屋に上がって来たのかを聞かなかった。
彼は又研磨を始めた。
私は、私の物を入れていた箪笥を開けハンカチに包んだ櫛の包みを開けた。
私はめったに櫛を見なかった、この家ではそれを付ける理由もそれを称賛する理由もなかった。
それは私に、あまりにも多くのメイドとして味わうことのできないような種類の生活を思い出させるのだった。
それを注意深く見た今、それが私の祖母の物ととても良く似ているが、祖母の物とは違うものだと分かった。
その端にある縁の飾りの形がより長くより曲がっていて、縁飾りのそれぞれの部分に小さなのこぎり状の印が付いていた。
それは私の祖母の物より少しだけ立派だった。
私は二度と祖母の櫛を見ることはできないのかしら、と思った。
私は彼がもう一度絵具を研磨するのを止めるまで、長い間膝の上に櫛を置いて、座っていた。
「何か問題でもあるのかい、グリエット?」
その言い方は優しかった。
その事は私が言う以外に選択肢のない事柄を言い易くした。
「ご主人様、」と、私はついに言った、「あなたに助けてほしいのです。」
彼がカタリーナとマリア・シンズと話をし、コーネリアを探し、そして少女の物の中で私の祖母の櫛を探している間、私は私の屋根裏部屋で、手を膝に置いたまま自分のベッドの上に座りじっとしていた。
最後に、マートゲが、パン屋が絵を見に来た時に女の子たちにくれた大きな貝殻の中に隠したそれを探し出した。
それは多分コーネリアが、二つの櫛を交換した時、屋根裏部屋から降りて来て、子供たちがみんな貯蔵室で遊んでいる間に、彼女が最初に見つけることのできた貝殻で、その中に私の櫛を隠したと言う事だ。
コーネリアを叩かなければならないのはマリア・シンズだった、彼はそれが彼の義務ではないとはっきりさせたし、カタリーナも、コーネリアが罰せられるべきだと分かっている時でさえも、彼女を叩くことを拒否した。
マートゲは後で、コーネリアは殴られている間中、泣かないであざ笑っていたと私に言った。
屋根裏部屋に私に会いに来たのもマリア・シンズだった。
「さて、お嬢さん、」と、彼女は絵具を粉にするテーブルに寄りかかりながら、言った、「あなたはもう、その猫を鶏小屋に放したんですよね、」
「私は何もしていませんでした、」と、私は抗議した。
「いいえ、でもあなたはあえて何人かの敵を作ろうとしたわ。
何故なの?
私たちはこれまでに他の人助けでこんなにも問題を引き起こしたことは無かったわ。」
彼女はクスクス笑ったが、その笑いの後ろでは真顔だった。
「でも彼は彼なりのやり方であなたを支持してくれました、」と彼女は話を続け、「そしてその事は、あなたに反対だという、カタリーナやコーネリアやタンネケや、私でさえもより強力です。」
彼女は私の祖母の櫛を私の膝に投げ返してくれた。
私はそれをハンカチで包み、箪笥の中に戻した。
それから、私はマリア・シンズの方に向き直った。
もし私が彼女に今訊ねなければ、私は永遠に訊ねないだろう。
それは彼女が喜んで私に答えてくれる唯一のチャンスかもしれない。
「どうか、奥様、彼は何と言ったのですか?私の事を?」
マリア・シンズは、事情は分かっているよ、というような顔で私を見た。
「己惚れるんじゃないわよ、お嬢さん。
彼はあなたの事をほとんど何も言わなかったわ。
でも、それは充分明らかよ。
とにかく、彼が下に降りて来て、私の娘が彼自身に関して、彼があなたの側に立ったということを、知ったということです。
いや、彼は彼女に彼女の子供たちをちゃんと育てなかったことで彼女を告発しました。
貴方を誉めるよりも彼女を批判することで、もっと狡猾に、わかるでしょう。」
「彼は私が彼を手伝っていた事は説明しましたか?」
「いいえ。」
私は自分の顔が自分の感じたことを表に現わさないように努めたが、正にその疑問が私の感情をはっきりさせたに違いない。
「しかし私は、彼がいなくなったときに、彼女に言ったよ、」と、マリア・シンズは付け加えた。
「彼女自身の家の中で彼女に内緒で、お前がこそこそ歩き回るなんて、それは無意味だよ。」
彼女は私を責めているように聞こえた、しかしその後、彼女は、「私は彼にとってはその方が良いと思うけどね。」
彼女は彼女自身の心の内を見せなかった方がよかったとでもいうように、話すのを止めた。
「あなたが彼女にそう言った時、彼女は何を言ったのですか?」
「勿論、彼女は幸せじゃなかったが、彼女は彼の怒りの方をもっと恐れていたよ。」
マリア・シンズは言い淀んだ。
「彼女がそれほど気にしなかったのは他にも理由があるの。
貴方にも言っていいでしょう。
彼女は又、赤ちゃんを身ごもっているのよ。」
「又ですか?」と私は口を滑らしてしまった。
私は、彼らがとてもお金が不足しているのに、もう一人子供を欲しがっている事に驚いた。
マリア・シンズは私を見て顔をしかめた。
「言葉に気を付けなさい、お嬢ちゃん。」
「申し訳ありません、奥様。」と、私はその一言を言ってしまった事をすぐに後悔した。
彼らの家族がどれくらいの規模の大きさであるかは、私が言うべきことではありません。
「お医者様は来られたのですか?」
私は償いのつもりで聞いた。
「その必要はないわ。
彼女はその兆候を知っているわ、それを充分経験してきているから。」
一瞬、マリア・シンズの表情は彼女の考えを明らかにした、彼女も又、それほど多くの子供たちについては疑問に思っているのだ。
その後、彼女は又厳しくなった。
「あなたは自分の義務を果たしなさい、彼女の邪魔をしないようにして、彼の手助けをしなさい、でも家の中でそれを言い振らしちゃあだめよ。
あなたのここでの立場はそれほど万全じゃないんだから。」
私は頷いて彼女のパイプをいじっている節くれだった手を見つめた。
彼女はそれに火をつけ、しばらくそれをふかした。
その後、彼女はクスリと笑った。
「今までこんなにメイドともめたことはなかったわ。神様、私たちを愛してください!」
日曜日に、私は櫛を母に返した。
私は母に何が起こったのかは言わなかった、私は単にそれはメイドが持っているには立派過ぎる、とだけ言った。
櫛のもめごとの後、家の中で何かが変わった。
カタリーナの私に対する扱いは最大の驚きだった。
私は、彼女が前よりもっと私にもっと仕事を与え、私を所かまわずどこででもがみがみ叱りつけ、出来るだけ私がいずらいようにして、気難しくなると思っていた。
そうはしないで、彼女は私を恐れているようだった。
彼女は腰に付けている大事な鍵の束からアトリエの鍵を外しマリア・シンズに返し、二度とその戸を開け閉めしなかった。
彼女はその宝石箱をアトリエに置きっぱなしにし、その中の宝石が必要な時は、彼女の母に取りに行ってもらっていた。
彼女はできるだけ私を避けた。
私はこの事を理解してからは、私もできるだけ彼女に関わらないようにした。
彼女は、私の午後の屋根裏部屋での仕事に関し何も言わなかった。
マリア・シンズが彼女に、私の手助けが彼にもっと絵を描かせ、今いる子供たち同様、今身ごもっている子供を養う、という考えを印象付けたのに違いない。
彼女は、結局、子供たちを世話するのは彼女の主な責任に帰す、という彼の言葉を心に刻み、以前にも増して彼女たちと一緒に多くの時間を過ごし始めた。
マリア・シンズの励ましもあって、彼女はマートゲとリズベスに読み書きを教え始めた。
マリア・シンズはもっと控えめだったが、彼女もまた私により敬意をもって接するよう、私に対する態度を変えた。
私は明らかに、今まで通りメイドだったが、彼女が時々タンケネに対してしたように易々と切り捨てたり無視したりはしなかった。
彼女は私の意見を求めるという程には極端にはならなかったが、私を家事から排除しているようには感じることは少なくなった。
私はタンネケが私に対して軟化したことは驚きだった。
私は、彼女は私に怒ったり恨みを持ったりすることを楽しんでいたと思っていたが、多分それが彼女を消耗させたのだろう。
それとも、彼が私の側に着いたとはっきりしたからには、私に反対する態度を現わさないのが一番良いと感じたのだ。
多分、彼女たち全員がそう感じていただろう。
理由はどうであれ、彼女は物を散らかして私に余計な仕事を作り出したり、小声で私にぶつぶつ言ったり、横目で私を見たりするのを止めた。
彼女は私と友達にはならなかったが、彼女と働くことはより容易になった。
それは多分残酷なことだったが、私は彼女との戦いに勝ったのだと感じた。
彼女は年上で私よりも長く家族の一員だったが、彼の私へのえこひいきは彼女の忠誠心と経験よりも影響力が大きかったのだった。
彼女はこの事を少し深く感じたんだろうが、彼女は私が思っていたよりも簡単に敗北を受け入れたのだった。
タンネケは心の底では単純な生き物で、楽をしたかったのだ。
最も容易な方法が私を受け入れることだったのだ。
コーネリアの母親が彼女をより親密に責任をもって面倒を見るようになっても、彼女は変わらなかった。
彼女はカタリーナに精神的に最も似ていたのだろう、彼女のお気に入りで、カタリーナは彼女のやり方で彼女を手なずけることをほとんど何もしなかった。
時々彼女は彼女の明るい茶色の目で私を見、彼女の赤い巻き髪が顔の所に来るように彼女の頭を傾けた、私はコーネリアが叩かれている時の印象についてマートゲが表現した軽蔑感について考えた。
そして私はもう一度、一番最初の日に思ったように思ったのだった:彼女は手に余るだろう。
私はその事を表に出しはしなかった、私は私がコーネリアの母にしているように、コーネリアも避けた。
私は彼女を励ますことも望まなかった。
私は割れたタイルと、母が私のために作ってくれた、私の一番いいレースの替え襟と、一番いい刺繍のつたハンカチを、彼女が二度と私に反抗するために使うことができないように、隠した。
彼は櫛の件以後も私と変わりなく接した。
私が彼に、私の事を言ってくれたことを感謝した時、彼はまるで彼の周りをぶんぶん飛び回っている蠅を追い払うかのように首を振った。
彼に違和感を抱いたのは私の方だった。
私は借りを作った感じがした。
私はもし彼が私に何かするように頼めば、私は嫌とは言えないだろう、と感じた。
彼が何を要求して、私が断りたくなるか分からなかったが、それでも私は自分が置かれることになった立場が気に入らなかった。
同時に私は彼に失望したが、私はそれについて考えたくなかった。
私は彼に、カテリーナに直接、私が彼の手伝いをしている事を示して、彼が私を支持している事を、彼女に言う事を恐れていないことを示してほしかった。
それが私がやってほしかったことだった。
10月の中旬のある日の午後、マリア・シンズが彼に会うためにアトリエに入って来た、その時にはファン・ライフェンの妻の絵はほぼ完成していた。
彼女は私が屋根裏部屋で仕事をして彼女の声が聞こえている事を知っていたの違いなかったが、それにもかかわらず彼女は直接彼と話した。
彼女は彼に次に何を描くつもりなのか聞いた。
彼が答えないでいると、「あなたは大きな絵を描かなければいけません、以前あなたがやっていたように、もっと人物をたくさん入れて。
一人で考え事をしている女性ではなくね。
ファン・ライフェンが彼の絵を見に来たら、あなたは彼にもう一つ提案しなければいけません。
多分、何かあなたが既に彼のために描いたものの連作を。
彼は何時ものように同意するでしょう。
そして彼はその絵にもっとお金を払うでしょう。」
彼はまだ返事をしなかった。
「私たちはさらに借金を抱えているんです、」と、マリア・シンズがぶっきらぼうに言った。
「私たちにはお金が必要なんです。」
「彼は絵に彼女を入れてほしいと頼むかもしれません、」と、彼が言った。
彼の声は低かったが彼の言っている事は聞こえた、しかし私が彼の言っていた意味を理解したのはその後でだった。
「それで?」
「いや。あの時の様ではなく。」
「私たちはそれが起こる前にではなく、起こった時に考えるつもりです。」
数日後、ファン・ライフェンと彼の妻が出来上がった絵を見にやって来た。
朝の内に私の御主人さまと私は彼らの訪問のための用意をしていた。
私がその他の全ての物をかたずけていすを並べている間に、彼は真珠と宝石箱をカタリーナの所に持って行った。
その後、彼はイーゼルと絵を動かして、元あった場所に置き、私に全てのシャッターを開けさせた。
その朝、私は彼らのための特別の夕食の準備をするタンネケを手伝っていた。
私は彼らに会わなければならないだろうとは思っていなかったし、彼らが正午に来て、アトリエで集まった折に、彼らにワインを持ってゆくのはタンネケだと思っていた。
しかし、彼女は振り返って、彼らの席に加わるには充分な年になっているマートゲではなく、私が彼女を手伝って夕食の給仕をする予定だと告げた。
「私の奥さまがこれを決めたんだよ、」と、彼女は付けくわえた。
私はびっくりした、前回彼らが絵を見に来た時は、マリア・シンズはファン・ライフェンから私を遠ざけようとした。
しかし私はタンネケにそうは言わなかった。
そのかわり、私は「ファン・レーベンフックもそこにいるんですか?」と、聞いた。
「彼の声が廊下で聞こえたように思いましたが。」
タンネケはうっかり頷いた。
彼女は雉のローストの味見をしていた。
「悪くないよ、」と、彼女は呟いた。
「私はファン・ライフェンのどの料理人たち負けないくらい頭を高く上げることができるよ。」
彼女が2階にいる間に私は雉料理の仕上げをし、それに塩を振っていた、というのはタンネケが塩を少なめに使って仕上げていたからだ。
彼らが夕食に降りてきて、みんなが席に着いたとき、タンネケと私は料理を持ってき始めた。
カタリーナが私をにらみつけた。
彼女は自分の考えを隠すのが得意ではなかったので、私が給仕をするのを見て恐怖を感じていた。
私の御主人さまも、料理に石が入っていて歯が折れてしまったかのように見ていた。
彼はワインの入ったグラスの後ろで無関心を装っている、マリア・シンズを冷たい目で見ていた。
しかし、ファン・ライフェンはにやりと笑っていた。
「ああ、目の大きなメイドさん」と、彼は叫んだ。
「君は何処に行ってしまったんだろうと思っていたんだよ。
ご機嫌いかが、わたしのおじょうさん?」
「大変元気です、ありがとうございます、」と、私は呟き、彼の皿にキジを置き、出来るだけ早く彼の所を去った。
しかし、充分な速さではなかった、彼は私の腰に手を滑らせた。
私は数分後までその感触が残っていた。
ファン・ライフェンの妻とマートゲ気付かないでいる間に、ファン・レーベンフックは、カタリーナの怒り、私のご主人様のイラつき、マリア・シンズが肩をすくめた事、ファン・ライフェンの繰り返す手の動き、全てに気付いていた。
私が彼に給仕をした時、あたかも、ただのメイドがどんなふうに風にすればそんな多くの問題を起こすのかの答えを、そこに探すかのように、彼は私の顔を覗き込んだ。
私は彼に感謝した、彼は非難する表情はしていなかった。
タンネケも私が引き起こした騒ぎに気が付いて、今回ばかりは助けてくれた。
私たちは台所では何も言わなかったが、私が台所で料理の世話をしている間に、グレービーソースを持っていったり、ワインのお代わりをしに行ったり、料理の給仕に行ったりしにテーブルに戻って行ったのは彼女だった。
二人でお皿を片付ける時だけは、私は一度だけテーブルに戻らなければいけなかった。
タンネケは、私がテーブルの反対側の皿を回収している間に、ファン・ライフェンの所にまっすぐに行った。
ファン・ライフェンの目は何処までも私を追いかけてきた。
私の御主人さまの目もそうだった。
私はそれを無視しようと努力め、その代わりに、マリア・シンズの話に耳を傾けた。
彼女は次の絵について議論していた。
「音楽のレッスンの絵の一つがお気に入りなんでしょう?」と、彼女は言った。
「そのような音楽の場面設定での別の絵を描くのは何と良いことでしょうか?
レッスンの後、コンサート、多分もっとたくさんの人物を入れて、3から4人の音楽家、聴衆。」
「聴衆はだめです、」と、私の御主人が話を遮った。
「私は聴衆は描きません。」
マリア・シンズは彼を不審げにじっと見た。
「まあまあ、」と、ファン・レーベンフックが穏やかに割って入った、「たしかに、聴衆というのは音楽家自体よりも興味を引きませんな。」
私は彼が私の御主人さまを援護してくれたことがうれしかった。
「私は聴衆についてはどちらでもいいです、」と、ファン・ライフェンが言い、「しかし、私も絵に入れてほしい。私はリュートを弾こう。」
しばらくして彼は付け加えた、「彼女もいっしょに描いてほしい。」
私は彼が私の事を指して言っているかどうか知るために彼を見る必要はなかった。
タンネケが彼女の顔を少しだけ台所の方に向けたので、私は片付けていた少しだけのものを持って、残りの物を集めるのを彼女に任せたまま逃げ出した。
私は私の御主人さまを見たかったが敢えてそうしなかった。
私が去ろうとしていると、カタリーナが陽気な声で、「なんてすばらしい考えなんでしょう!あのあなたと赤い服のメイドの絵のように。
あなたは彼女を覚えていらっしゃる?」
日曜日に、私の母は彼女の台所に私達だけしかいない時、私に声を掛けた。
私の父は10月下旬の日差しの中、外で私たちが夕食を用意するのを待って座っていた。
「私が市場のうわさを聞かないって知っているでしょう、」と、彼女は切り出した、「だけど、私の娘の名前が話題になっているのは聞かないわけにはいかないわ。」
私はすぐに息子の方のピーターとの事だと思った。裏通りでやったことはうわさになるような値打ちのある物ではなかった。
私はそう言い張った。
「お母さん、何のことを言っているのか分からないわ、」と、私は正直に答えた。
母は口の端を引いた。
「みんなはあなたのご主人様があなたを描くって言っているわ。」
まるでその言葉そのものが母の口を引き結んだようだった。
私は温めていた鍋から目を離した。
「誰がこれを言ったの?」
私の母はため息をついて、渋々ふと耳にした話を話しだした。
「林檎売りのある女性から聞いたのよ。」
私が返事をしなかったので、彼女は私の沈黙を最悪にとった。
「何故あなたは私に言わなかったの、グリエット」
「お母さん、私自身も聞いたことが無いのです。
誰も私に何も言いませんでした!」
彼女は私の言った事を信じなかった。
「それはほんとうなのよ、」と、私は言い張った。
「私の御主人さまは何も言っていないわ。マリア・シンズは何も言っていないわ。私はただ彼のアトリエを掃除しているだけよ。
それで彼の絵を近くで見られるのよ。」
私は今までアトリエでの仕事について言っていなかった。
「どうして私が言う事よりも林檎売りの女性たちの言う事を信じるの?」
「市場で誰かの話がある時には、普通それなりの理由があるものよ、それが実際とは違っているにしても。」
母は父を呼ぶために台所を出て行った。
彼女はその話題についてそれ以上言わないだろうが、私は彼女が正しいのではないかと怖くなり始めた、知らされるのは私が最後なのかもしれない。
次の日、肉市場の広場で私は父親の方のピーターに噂について聞こうと決めた。
私はあえて息子の方のピーターとは話をしなかった。
もし私の母がうわさを聞いていたのなら、彼も同様に聞いていただろうから。
私は彼が快く思わない事は分かっていた。
しかし、彼は決して直ぐに私に言わなかった、彼が私の御主人さまに焼きもちを焼いている事は明らかだった。
息子の方のピーターは売り場にはいなかった。
父親のピーターが自分で何か言うのを長く待つ必要はなかった。
「私が聞いたのは何なんだね?」私が近づいて行くと彼は薄ら笑いを浮かべた。
「君は絵をかかせようとしているのか、そうだろう?
君は直ぐに私の息子には立派過ぎるようになるだろうよ。
息子は君のせいで不機嫌になって家畜市場に行ってしまったよ。」
「あなたが聞いた事を話してください。」
「ああ、もう一度言ってほしいのかね?」
彼は声を荒げた。
「他の何人かのために、立派な物語にしようか?」
「しっ、」私は言った。
彼の強がりの下に、私は彼の私に対する怒りを嗅ぎ取った。
「あなたが聞いたことだけを教えてください。」
父親のピーターは声を潜めた。
「あのファン・ライフェンの料理人だけは、あなたが絵のために彼女の雇い主と一緒に座る予定だと言っています。」
私がそう言ったとしても母の時のように、私の言葉はほとんど効果はないと知りつつも、「私はこれについて何も知らないわ、」と私はきっぱり言った。
父親のピーターは掌いっぱいの豚の肝臓を掬い上げた。
「あなたが話さなければいけないのは私にじゃないよ、と、彼は肝臓の重さを手で測りながら言った。
私はマリア・シンズと話をするのに数日待った。
私は誰かが先に私に知らせてくれるか知りたかったのだ。
或る日の午後、私は彼女が磔の絵のある部屋にいると知った、そのときカタリーナは寝ていて、マートゲは女の子たちを家畜市場に連れて行っていた。
タンネケは台所で裁縫をし、ヨハネスとフランシスカスを見ていた。
「お話をしてもよろしいでしょうか、奥様?」と、私は低い声で言った。
「何だい、お嬢ちゃん?」
彼女はパイプに火を点け、煙の向こうから私をじっと見た。
「又、問題でも?」
彼女はうんざりしたように言った。
「私にはわからないのですが、奥様。変なことを聞いたんです。」
「わたしたちはみんな変なことを聞くものさ。」
「私は自分が絵に描かれることになっているって聞いたんです。
ファン・ライフェンと一緒に。」
マリア・シンズはクスリと笑った。
「そうさねえ、それは変な話だね。彼らは市場で話していたのかい、そうだろう?」
私は頷いた。
彼女は椅子に寄りかかってパイプをふかしていた。
「そんな絵についてお前はどう思うのか教えておくれ。」
私は何と答えればいいのか分からなかった。
「私がどう思うかですって?奥様?」私はぼんやりと繰り返した。
「私は一部の人がそんなことを聞くのは構わないと思っているよ。
例えば、タンネケが。
彼が彼女を描いたとき、彼女は数か月も、「神は彼女を愛している」という考えが頭をよぎることもなく、そこに立って幸せそうにミルクを注いでいました。
でも、お前は違う、お前は言わないけれども、思っているいろいろの物事のやり方がある。それはなんなんだろうねえ。」
私は彼女が理解するであろう一つの理性的なことを言った。
「わたしはファン・ライフェンと一緒に座ることを望まないのです、奥様。
私は彼のやろうとしている事は尊敬に値しない事だと思うんです。」
私の言葉は固かった。
「彼のやろうとしている事は決して尊敬に値するようなことじゃないわね、それが若い女性の事となった時には。」
私はエプロンで神経質そうに両手を拭いた。
「あなたの名誉を守るチャンピオンがいるようね、」と彼女は続けた。
「私の義理の息子はあなたが喜んで彼と一緒に座ろうとしない以上に、あなたをファン・ライフェンと一緒に描くつもりはありません。」
私は私のほっとした気持ちを隠そうとしなかった。
「でも、」と、マリア・シンズは警告した、「ファン・ライフェンは彼のパトロンです、そして裕福で力のある男です。
私たちは彼を怒らせるわけにはいきません。」
「あなたは彼に何というつもりですか、奥様?」
「まだ決めかねているんです。
暫くの間、あなたはその噂を我慢しなければなりません。
彼らに答えてはいけません、私たちはファン・ライフェンが市場のうわさであなたが彼と一緒に座るのを拒んでいるって聞かせたくはないんです。」
私は居心地が悪そうにしていたに違いない。
「心配しないで、お嬢ちゃん、」と、マリア・シンズは低い声で言いながら、パイプをテーブルにたたきつけて灰を落とした。
「これには私たちが対応します。
あなたは頭を下げて、仕事に取り掛かり誰にも一言も言わないようにしなさい。」
「はい、奥様。」
しかし、私は一人にだけは話した。
私はそうしなければいけないと感じたのだった。
息子のピーターを避けている事は簡単だった、その週の間ずっと家畜市場では、夏秋の間に田舎中で太らさせて冬が始まる直前にと殺されるばかりの動物たちの競りが行われていた。
ピーターは毎日、その競りに出かけて、いなかった。
私がマリア・シンズと話したその日の午後、私はオーデ・ラングデイクのすぐそこの市場で彼を探すため家を抜け出した。
そこは、競りが行われる朝よりも午後の方がより静かだった。
今では多くの家畜が新しい所有者によって片付けられ、男たちは広場に沿ったプラタナスの木々の下に座って、彼らのお金を数えたり、やった取引について議論したりしていた。
木々の葉は黄色に色づき、落ちて、私が市場に近づくずっと前から臭っている糞尿にまみれていた。
息子のピーターは広場の居酒屋の外でもう一人の男と一緒に大きなビールのジョッキを前にして座っていた。
会話に熱中していて、彼は私が彼のテーブルの傍に黙って立っていても、私に気付かなかった。
眼を上げてピーターを軽く肘で突いたのは彼の相方だった。
ピーターが驚いた様子を見せる暇もなく、「私、少しあなたと話がしたいの、」と、私は急いで言った。
彼の相棒は急いで立ち上がり椅子を譲った。
「歩けるかしら?」と、私は通りを指さした。
「勿論、」と、ピーターが言った。
彼は友達に頷き、私に付いて通りを横切った。
彼の表情からは、彼が私にあってうれしいのかそうじゃないのかははっきりしなかった。
「競りはどうだったの?」
私はぎこちなく質問した。
私は世間話をするのは得意ではなかった。
ピーターは肩をすくめた。
彼は糞の山を避けさせようと私の肘を掴み、その後、手を下した。
私は諦めた。
「市場で私についてのうわさ話があるの、」と、私は単刀直入に言った。
「誰にでも一度や二度は噂話はあるものさ、」と、彼は中立的に言った。
「彼らが言っている事は違うの。
私はファン・ライフェンと一緒に絵に描かれるつもりはないわ。」
「ファン・ライフェンは君のことが好きなのさ。私のお父さんが言っていたよ。」
「でも、私は彼と一緒に絵に描いてもらうつもりはないわ。」
「彼はとても力が強い。」
「ピーター、あなたは私を信じなきゃあだめよ。」
「彼はとても力が強い、」と、彼は繰り返し言い、「それに、君はメイドにすぎない。
このトランプの勝負で誰が勝つと思う?」
「あなたは私が赤いドレスのメイドのようになるだろうと思っている。」
「彼のワインを飲みさえすればね。」と、ピーターはしらけ切って私を見つめて言った。
「私の御主人さまが私とファン・ライフェンを一緒に描きたくないのです、」と、私はしばらくしてしぶしぶ言った。
私は彼のことを話題にしたくはなかった。
「それは良かった。僕も彼に君を描いてほしくは無いよ。」
私は立ち止まって目を閉じた。
私は近くの動物の匂いで気絶しそうだった。
「君は捕まってはいけない場所に捉えられているんだ、グリエット、」と、ピーターがより親切に言った。
「彼らの世界と君の世界は違うんだ。」
私は眼を開けて、彼から一歩退いた。
「私はその噂が嘘だって説明するためにここに来たんで、あなたに責められるために来たんじゃないわ。
お手間を取らせてごめんなさいね。」
「そんなことないよ。僕は君を信じているよ。」と、彼はため息をついて言った。
「しかし君は君に起こることに対して無力だ。ちゃんとわかっているかい?」
私が答えないでいると彼は「もし君のご主人様が君とファン・ライフェンの絵を絵を描きたがったら、君は本当に嫌だと言えるかい?」と、付け加えた。
それは私自身が自分に聞きたい、答えの見いだせない質問だった。
「私がどれほど無力かを思い出させてくれてありがとう」と、私は辛らつに言った。
「あなたは彼らと一緒じゃあだめだ、僕と一緒じゃなきゃ。
僕達は自分たちの仕事がやれる、自分たちでお金を稼ぐことができる、自分たち自身の生活を自分たちで支配することが出来るんだ。
それが君の望んでいる事じゃないのかい?」
私は彼を、彼の明るい青い目を、彼の黄色のカールした髪を、彼の熱心な顔を見た。
私は躊躇するなんてむしろバカなのだ。
「私はこの事を話すためにここに来たのではありません。私はまだ若すぎます。」
私は古い言い訳を使った。
何時の日か私はそれを使うには年をとり過ぎているようになるだろう。
「僕は君が何を考えているのか全然分からないよ、グリエット、」と、彼はもう一度試みた。
「君はとても穏やかで物静かだ、君は決してしゃべらない。
でも、君の中には何かがある。僕にはそれが分かるんだ、君の目に隠されているものが。」
私は手で乱れた髪をチェックして、帽子を被り直した。
「私が言おうとしたことは、絵は描かれないと言う事に尽きます、」と私は彼がさっき言った事を無視して宣言した。
「マリア・シンズは私に約束してくれたわ。
でもあなたは他の誰にも言わないでね。
もし彼らがあなたに私の事をしゃべっても、何も言わないでね。
私を守ろうとしないで。
そうしないと、ファン・ライフェンが聞いて、あなたの言った事が私たちに逆に働くかもしれないから。」
ピーターは不機嫌そうに頷いて汚い麦わらを蹴った。
彼は何時もそれほど理性的というわけではない、と私は思った。
何時か彼は諦めるだろう。
彼の理性的な態度に対する褒美として、私は彼に私を動物市場の外れの二軒の家の間に連れて行き、私の体に手を這わせ、曲線のあるところを包み込むように押さえてもらった。
私はそれを楽しもうとしたが、私は動物の匂いで未だに気分が悪かった。
息子のピーターに私が何と言おうとも、私自身はマリア・シンズが私を絵に関わらせないという約束をしたことに安心していなかった。
彼女は手ごわい女性で、商売にも抜け目なく、自分の立場をわかっていたが、彼女はファン・ライフェンではなかった。
私は彼女たちがどのようにして彼が望むことを拒絶できるのか分からなかった。
彼は彼の妻が画家を真っ直ぐ見つめている絵を欲しがり、私の御主人さまはそれを描いた。
彼は赤いドレスのメイドの絵を欲しがり、それを手に入れた。
もし彼が私を欲しがれば、何故私を得ないと言う事があるだろうか?
或る日、私が今までに見た事のない3人の男たちが荷車にチェンバロをしっかり縛り付けてやってきた。
一人の少年が彼よりも大きなバス・ビオール(大きいバイオリンのような楽器)を持って彼らについてきていた。
それらはファン・ライフェンの楽器ではなく、音楽好きの彼の親戚のものだった。
家中の皆が男たちが急な階段でチェンバロと格闘するのを見ようと集まった。
コーネリアは真下に立っていた、もし彼らが楽器を落とせば真っ直ぐ彼女の上に落ちただろう。
私は手を差し伸べ彼女を引き戻したかった、もしそれが他の子供たちだったら私は躊躇しなかっただろう。
そうする代わりに私は自分のいる場所に留まった。
結局より安全な場所に移動するように主張したのは、カタリーナだった。
彼らはそれを階段から上げると、アトリエに置き、私の御主人さまはそれを監督した。
男たちが去った後、彼はカタリーナを呼んだ。
マリア・シンズが彼女の後ろから、ついて上がって行った。
しばらくして、チェンバロを弾く音が聞こえた。
女の子達は階段に座って、私とタンネケは廊下で、聴いていた。
「あれは若奥様が弾いているの?それともあなたの奥さまが?」と、私はタンネケに聞いた。
どちらもありそうもなかったので、私は多分彼が弾いていて、彼は単にカタリーナに聞いてほしかっただけだと思った。
「勿論、若奥様だよ、」と、タンネケが言った。
「そうじゃなければ何故彼は彼女に上に来るように頼んだんだい?
彼女は、若奥様はとても上手なんだよ。
彼女は子供の頃弾いていたのさ。
でも、彼女のお父さんと奥様が別れた時、二人のチェンバロをお父さんが保管したんだよ。
お前は若奥様が楽器買う余裕が無いのを愚痴るのを一度も聞いたことが無いのかい?」
「ないわ。」
私はしばらく考えた。
「彼は彼女を描くと思いますか?ファン・ライフェンのと一緒に?」
タンネケは市場の噂を聞いていたに違いなかったが、私にその事について何も言わなかった。
「ああ、ご主人さまは決して彼女を描かないわ。女はじっとしていられない!」
次の数日掛けて彼はテーブルと椅子を動かしセットし、岩と木と空の風景の描かれたチェンバロの蓋を開けた。
彼はテーブルかけをテーブルの上の前面に敷き、その下にバス・ビオールを置いた。
或る日、マリア・シンズが私を磔の絵のある部屋に呼んだ。
「さあ、お嬢さん、」と彼女は言い、「今日の午後、あなたにわたしのために雑用に行ってほしいの。
薬屋に行ってニワトコの花とヤナギハッカを、フランシスカスが又寒くなって、今咳をしてるの。
その後、糸屋のマリーばあさんの所で毛糸を少し、アレイデスの襟巻を作るのにちょうどいいくらいの量ね。
彼女の襟巻がほつれていたのに気づいていた?」
彼女はその場所から場所へ移動するのにどれくらいの時間がかかるのか計算しているかのように、言葉を切った。
「その後、ジャン・マイヤーの家に行って彼の弟が何時デルフトに来るのかを聞いてきてちょうだい。
彼はリートフェルト・タワーの傍に住んでいるわ。
あなたの両親の近くよ、そうでしょ?
あなたは両親の家に寄って、彼らを訪問しても良いわ。」
マリア・シンズは日曜日以外は決して私が両親に会う事を許したことはなかった。
そこで私は思った。
「ファン・ライフェンが今日来るんですか、奥様?」
「彼にはお前に合わせないよ、」と、彼女は厳しい顔で言った。
「お前が全然ここにいないにこしたことはないからね。
そうすれば、もし彼がお前を求めたとしても、私たちはお前がいない、って言えるからね。」
一瞬私は笑いたかった。
ファン・ライフェンはマリア・シンズも含め、私たちみんなを、犬の前のウサギのように走らせたのだった。
その日の午後、私の母は私を見てびっくりした。
幸運なことに隣人が来ていて彼女は私に詳細を質問する事はできなかった。
私の父はそれほど興味を抱かなかった。
彼は私が家を出て行って以来、アグネスが死んでしまって以来、とても変わってしまった。
彼はもはや彼の通りの外の世界に好奇心を持たなかった、オーデ・ラングデイクや市場で起こっている事についてほとんど訊ねなかった。
絵にだけはまだ興味を持っていた。
「お母さん、」私は火の傍に座りながら言った、「私の御主人さまが、お母さんが聞いていた絵を描き始めたわ。
ファン・ライフェンがやって来て彼は今日モデルになっているわ。
今は描かれる予定の皆がそこにいるわ。」
私たちの隣人、市場のうわさ話が好きな、目のパッチリした老女はまるで私が、彼女の前にローストチキンを置いたかのように私を見つめた。
私の母は私がしている事を知って眉をひそめた。
ほら、と私は思った。
その事でうわさは消えるでしょ。
その晩、彼は何時もの彼ではなかった。
私は彼が夕食のときにマリア・シンズに怒って言い返しているのを聞いた、後で外出し酒場の匂いをさせて帰って来た。
私は彼が帰ってきたときは、階段を上がって寝に行っていた。
彼は私を見上げて、彼の顔は疲れていて赤かった。
彼の表情は怒ってはいなかったが、まるで彼がちょうど切らなければならない全ての薪を見た男や、洗濯ものの山に直面したメイドのように疲れているように見えた。
次の朝、アトリエは前日の午後に何が起きたのはについてほとんど手掛かりを与えなかった。
2つの椅子、1つはチェンバロの所に、もう1つは画家に背を向けて、置かれていた。
椅子の上にはリュートが、テーブルの左側にはヴァイオリンが置かれていた。
バス・ビオールはまだテーブルの下の影の所にあった。
その配置からは何人の人物が絵の中に描かれるのか言うのは難しかった。
後でマートゲが、ファン・ライフェンが彼の妹と娘の一人を連れてやってきたと、私に言った。
「娘さんは何歳なんですか?」と、私は聞かずにはいられなかった。
「17だと思うよ。」
私と同い年だ。
数日後、彼らはもう一度やって来た。
マリア・シンズは私をさらにお使いに出し、私に朝の内はどこか別の所で楽しんでいるように言った。
私は、彼女に、私は彼らが絵を描いてもらうたびに外に出ている事はできないし、通りで怠けているには寒すぎるようになってきているし、やるべき仕事はたくさんあることを思い出してほしかった。
しかし私は何も言わなかった。
私はそれを説明する事ができなかったが、私はすぐに何かが変わるように感じていた。
ただそれがどんな風に変わるのか分からなかった。
私はもう一度両親の家に行くことはできなかった、彼らはなにかおかしいと感じるだろう、そしてそうでないと説明をすれば、もっと悪いことが起こっているとさえ信じさせるだろう。
そうする代わりに、私はフランの工場に行った。
私は彼が家の中の貴重品について尋ねて以来会っていなかった。
彼の質問は私を怒らせ、私は彼を訪問する努力をしなかったのだった。
門の所にいる女性は私のことが分からなかった。
私がフランの事を尋ねた時、彼女は肩をすくめて横に退いて、私に何処へ行けばいいのかを示すこともなく消えてしまった。
私はフランと同じくらいの年齢の少年たちが長いテーブルのベンチに座ってタイルの絵付けをしているいる背の低い建物に入って行った。
彼らは単純なデザインに取り組んでいて、私の父親のタイルの様な優雅なスタイルはなかった。
多くは主な形さえ描いていず、タイルの隅の飾りの葉っぱや渦巻き模様だけを描いていて、もっと技術のある親方が中央の空白を埋めるように残していた。
彼らが私を見た時、耳を塞ぎたくなる様な高い音の口笛が爆発した。
私は近くの少年に近づいて行って私の兄が何処にいるのか尋ねた。
彼は赤くなってひょいと頭をさげた。
私は歓迎すべき気晴らしだったのだろうが、誰も私の質問には答えないだろう。
私は窯のあるより小さくて暑い、もう一つの建物を見つけた。
フランはシャツを脱いで汗を流して険しい表情をしてそこに一人でいた。
両腕と胸の筋肉は成長していた。
彼は一人の男になっていた。
彼はキルトの布を小手と手に巻き付けていたので無格好に見えたが、タイルの入ったトレーを窯から出し入れするときは、彼は平らなシートを巧みに使い火傷することはなかった。
私は彼に声を掛けると驚いてトレーを落とすかもしれないと恐れた。
しかし彼は私が話しかける前に気付いて、持っているトレーを下に置いた。
「グリエット、ここで何をしているんだい?
お母さんかお父さんに何か悪い事が起きたのか?」
「いいえ、彼らは元気よ。
一寸来てみただけよ。」
「ああ。」
フランは布を手から外し、ぼろ布で顔を拭き、マグカップからビールを飲んだ。
彼は壁に寄りかかって、運河のボートから荷物を下ろし終わった時に男たちが彼らの筋肉をほぐしたり伸ばしたりするように両肩を回した。
私は彼がそんな動作をするのを今まで見たことが無かった。
「あなたはまだ窯で働いているの?
彼らはあなたをどっか別の所に移動させないの?
別の建物にいるあれらの少年たちのように、釉薬を塗るのや絵を描くところに?」
フランは肩をすくめた。
「でも、あれらの少年たちはあなたと同じ年でしょ。
あなたも絵を描いていていいんじゃないの?」
私は彼の表情を見た時、最後まで言葉を続けることはできなかった。
「罰なんだよ、」と、彼は低い声で言った。
「何故なの?何に対する罰?」
フランは答えなかった。
「フラン、言わなきゃだめよ、そうしないと私は両親にあなたが困っている事を言うわよ。」
「僕は困ってはいないよ、」と彼は急いで行った。
「僕はオーナーを怒らせた、それだけさ。」
「どんな風にして?」
「僕は彼の奥さんが嫌がることをしたんだ。」
「何をしたの?」
フランは躊躇した。
「それを始めたのは彼女の方なんだ、」彼は穏やかに言った。
「彼女は興味を見せたんだ、分かるだろう。
でも、僕が彼女に興味を示すと、彼女は彼女の夫に言ったんだ。
彼はお父さんの友人だから私を追い出しはしなかった。
だから僕は彼の機嫌がよくなるまで窯の所にいるんだ。」
「フラン! あなたは何て馬鹿なの?
彼女があなたの様な人じゃないって分かっているでしょ。
そんなことで、ここでのあなたの居場所を危なくするの?」
「君はそれがどんなことか分かっていないんだよ、」と、フランは呟いた。
「ここで働くってことが、疲れるし、退屈なんだよ。
よく考えるべきだった、それだけのことさ。
君は肉屋と結婚し立派な生活を送るだろう、君に裁く権利は無いよ。
僕に見える全てが終わりのないタイルと長い日々の場合。
君が僕の生活がどんな風であるべきか言うのは簡単さ。
何故、僕が美しい顔を見てそれを称賛しちゃあいけないのかい?」
私は、私も分かるわと言って、抗議したかった。
夜、私は時々山のように積み重なった洗濯物の夢を見る、それは私がどんなにたくさんごしごし洗って煮沸消毒してアイロンをかけても洗濯物の山は小さくならないのだ。
「彼女って門の所にいた女性の事?」と、私は抗議する代わりに聞いた。
フランは肩をすくめてもっとビールを飲んだ。
私は彼女の不機嫌な表情を思い浮かべ、どうすればそんな顔が彼を誘惑できるのだろうかと不思議に思った。
「所で君はどうしてここにいるの?」と彼が聞いた。
「君は教皇派の区域にいるべきじゃないの?」
私はお使いでデルフトのこの区域に来た、という言い訳をあらかじめ用意していた。
しかし私は自分が兄にファン・ライフェンと絵の事をしゃべってしまっていると気が付いて申し訳なく感じていた。
彼に打ち明けてほっとした。
彼は注意深く聞いていた。
私が話し終えると、彼は「ほらね、僕たちはそんなに違う状況じゃないんだ、私たちの上の人々から注目されて来ていたんだから。」
「でも私はファン・ライフェンに応えていないし、今後も答えるつもりはないわ。」
「ファン・ライフェンの事じゃないんだ、」と、フランが言った、彼の顔は突然いたずらっぽく見えた。
「彼じゃなくて、君のご主人様の事さ。」
「私の御主人さまがどうだって言うの?」と私は叫んだ。
フランは微笑んだ。
「そんなに自分を追い込まないで、グリエット。」
「やめてよ!
何を言っているの?彼は決して・・・」
「彼がする必要はないさ。
君の表情を見ると明らかだよ。君は彼を欲しがっている。
君はその事を私たちの両親や君の肉屋からは隠しておけるけど、僕には隠しておけないよ。
僕は君をもっと知っているからね。」
そうなのだ。
彼は私をもっと知っていた。
私は口を開いたが、言葉は出てこなかった。
12月の事で寒かったが私はとても早く歩き、フランの事をとても心配していたので、本来よりずっと早く教皇派の角に帰って来てしまった。
私は暑くなって顔を冷やすため、私のショールをゆるめ始めた。
私がオーデ・ラングデイク歩いて上がって行っていると、ファン・ライフェンと私の御主人さまが私の方にやって来た。
私は頭を下げ挨拶をしファン・ライフェンの側ではなくご主人様の方の側を通り抜けたが、その通過はファン・ライフェンの私への注意を引いただけだった。
かれは立ち止まり、私の御主人さまもいっしょに立ち止まらざるを得なかった。
「君、目のぱっちりしたメイドさん」と、私に向かって彼が叫んだ。
「彼らは君が外出中だって言っていたよ。私は君が私を避けていると思っている。
名前は何て言うの、お嬢ちゃん。」
「グリエッタです。」
私は私の御主人さまの靴をじっと見つめながら言った。
靴はピカピカで黒かった、マートゲがその日の早い時間に私が教えた通りに磨いたものだった。
「じゃあ、グリエッタ、君は私を避けているのかね?」
「とんでもない。私はお使いに出ていたんです。」
私はフランを訪ねて行く前にマリア・シンズから頼まれて手に入れていたものの入ったバケツを持ち上げた。
「じゃあ、もっと君に会えると良いね。」
「はい。」
2人の女性がその男の後ろに立っていた。
私は彼女たちの顔を覗き込んで、彼女たちが絵のために座っていた娘と彼の妹だろうと思った。
娘は私をじっと見つめていた。
「約束を忘れちゃいけないよ、私はそう願うよ、」と、ファン・ライフェンは私の御主人さまに言った。
私の御主人さまは操り人形のようにガクッと頭を振った。
しばらくして、「ええ」と答えた。
「よろしい、私たちが又来るように頼む前に君がその事から始めたいと思う事を期待しているよ。」
ファン・ライフェンの微笑みは私を震え上がらせた。
長い沈黙があった。
私はご主人様をちらっと見た。
彼は静かな表情を保とうと戦っていたが、私には彼が怒っているのが分かった。
「はい、」と、ついに向かいの家を見ながら、彼は言った。
彼は私を見てはいなかった。
私はその路上での会話を理解していなかったが、私はそれが私に関係があると言う事は分かっていた。
次の日、私はどんな風に実行されるのかを発見した。
朝、彼が私に午後に上がって来るように言った。
私は彼がコンサートの絵を描き始めていて、絵の具を作る手伝いをしてほしいのだと予想していた。
私がアトリエに上がって行くと、彼はそこにいなかった。
私はまっすぐ屋根裏部屋に上がって行った。
研磨テーブルは私のために何も置かれてなくなく空っぽだった。
私は馬鹿らしくなって階段を下りた。
彼はアトリエに入って来ていて、窓の外を眺めていた。
「腰掛けなさい、グリエッタ、」私に背を向けて彼が言った。
私はチェンバロの傍の椅子に腰かけた。
私はそれには触らなかった、私はそれを掃除するとき以外は楽器に触ったことはなかった。
待っている間に、私は彼が後ろの壁に掛けているコンサートの絵の一部になる予定の絵をじっと見た。
左側に景色があり、右側に3人の人物、胸の大きく開いたドレスを着てリュートを弾いている女性、、彼女に腕を回している紳士と、年配の女性の絵があった。
男は若い女性の好意を買い、年配の女性は彼が渡す金貨を受け取るため手を伸ばしていた。
マリア・シンズがその絵を所有していて、彼女がその絵が「取り持ち女」と呼ばれていると私に教えてくれた。
「その椅子じゃない。」
彼は窓から振り向いた。
「そこはファン・ライフェンの娘が座る場所だ。」
もし私が絵に描かれるとしたら私は何処に座るのだろう、と私は考えた。
彼はライオンの頭の飾りのついた椅子を持ってきて、彼のイーゼルの近くに窓に対面するように置いた。
「ここに座りなさい。」
座りながら「何がお望みなんですか?」と、聞いた。
私は当惑した、私たちは一度も一緒に座った事はなかった。
私は寒くないのに震えていた。
「しゃべらないで。」
彼は光が私の顔にまっすぐ当たるようにシャッターを開けた。
「窓の外を見て。」
彼はイーゼルの所の自分の椅子に座った。
私は新教会を眺め、息をのんだ。
私は自分の顎が引き締まるのを感じることができ、私の目は大きく見開いた。
「さあ、私を見なさい。」
私は頭を横に振って肩越しに彼を見た。
彼の眼は私の目に釘付けになっていた。
私は彼の瞳の灰色が真珠貝の殻の内側の様だということ以外何も考えられなかった。
彼は何かを待っているようだった。
私の顔は自分が彼が望むものを与えていないのではないだろうかという恐怖で硬直し始めた。
「グリエット、」と彼は穏やかに言った。
それが彼が言うべき全てだった。
私の目は流さなかった涙でいっぱいになった。
今は私は分かった。
「そうだ。動かないで。」
彼は私を描こうとしていた。
「お前は亜麻仁油の匂いがする。」
私の父は困惑した口調で言った。
彼は単に画家のアトリエを掃除するだけで私の服に、肌に、髪にその匂いを残すことを信じなかった。
彼は正しかった。
まるで、私が今、部屋でオイルと一緒に寝ていること、何時間も座って絵に描かれ、その匂いを吸っていることを推測しているかのようだった。
彼はそう想像したがそれを口にすることはできなかった。
彼が目が見えないことが彼の自信を奪い去り、それで自分の心にある考えを信用できなかったのだった。
一年前であれば私は彼を励まして、彼が考えている事をそれとなく暗示し、彼の考えをしゃべるように機嫌を取ろうとしたかもしれない。
しかし今は黙って、まるでカブトムシが背中を下にして落ちて自分でひっくり返ることができないように、格闘している彼を見ているだけだった。
私の母も彼女の想像したことが何なのかは分からないが、勘ぐっていた。
私は時々彼女と目を合わせることができなかった。
私が見た時、彼女の様子は隠された怒りと好奇心と傷の入り混じったジグソーパズルのようだった。
彼女は自分の娘に何が起きているのかを理解しようと努力していた。
私は亜麻仁油の匂いには慣れっこになってしまっていた。
私は亜麻仁油の小さな瓶を枕元に置きさえした。
朝起きて服を着る時私はレモン汁に鉛錫の黄色一滴垂らしたような、それを窓に置いてその色を称賛した。
私は今その色をまとっている、と、私は言いたかった。
彼は私をその色に染めているのだ。
その代わり、私の父の心をその匂いから遠ざける為、私は私の御主人さまが取り掛かった別の絵について説明した。
「一人の若い女性がチェンバロの前に座って演奏しています。
彼女はパン屋の娘が描かれた時に着ていたのと同じ黄色と黒のチョッキを着て白いサテンのスカートをはき、髪には白いリボンを結んでいます。
チェンバロの曲線部分には別の女性が立っていて、楽譜を持って歌っている。
彼女は緑色の毛皮の縁取りの付いた部屋着と青いドレスを着ている。
その二人の間には私たちに背中を向けて男が座っている。」
「ファン・ライフェンだ、」と、私の父は私の説明を遮って言った。
「そうよ、ファン・ライフェン。見えるのは背中と髪、そしてリュートの首に置いた片手だけなの。」
「彼はリュートを弾くのは下手なんだよ、」と、父は熱心に付け加えた。
「とても下手なの。
彼の背中が私たちの方を向いているのはそのせいよ、そうすると私たちには彼がリュートとちゃんと持てないってことが分からないから。」
私の父はクスリと笑った、彼は機嫌を直した。
彼は何時も金持ちでも下手な音楽家になりうることを聞いて喜んだ。
彼の機嫌を直すのは何時も簡単ではなかった。
私の両親といる日曜日が居心地の悪いものになってしまったので、私は息子のピーターが私たちと一緒に食事をする時間を歓迎するようになっていた。
彼は私の母が私に見せる困った顔や私の父の不満げな言及や親子の間の間に期せずして起こるぎこちない沈黙に気が付いていたに違いない。
彼はそれらについて決して何も言わなかったし、顔をしかめたり、じっと見つめたり、舌がもつれたように無言になったりしなかった。
その代わり、彼は私の父を優しくからかったり、私の母親におべっかを使ったり、私に微笑みかけたりした。
ピーターはなぜ私が亜麻仁油の匂いがするのか聞かなかった。
彼は私が隠しているかもしれないことについて心配していない様だった。
彼は私を信じることに決めていたのだった。
彼は良い男だった。
わたしは彼の指の爪に血液が付いているのが何時も見えたとしても、私はそう思わないわけにはいかなかった。
彼はそれらを塩水に漬けるべきだと私は思った。
何時の日にか私は彼にそう言うつもりだ。
彼は良い男だが我慢強くはなくなっていた。
彼はそうは言わなかったが、日曜日に時々リートフェルト運河の外れの小径で私は彼の手の中にイライラを感じることができた。
彼は私が彼の股間に釘付けになりそれが膨らんでいるのを何枚かの服の上からも分かるように、私の腰を必要以上に強く掴み、彼の掌を私の背中に押し付けた。
とても寒かったので私たちはお互いの肌には触れなかった、毛糸の凸凹や質感、私たちの手足のおおよその輪郭だけを触っていた。
ピーターのタッチは何時も私を不快にしたわけではない。
時には、彼の肩越しに空が見え、雲の中に白以外の色を見つけたり、鉛白やマシコット(一酸化鉛)を研磨することを考えたりしていると、私の胸とお腹はゾクゾクしてきて、私は彼に押し付けるのだった。
私が彼に応えると彼は何時も喜んでくれた。
私が彼の顔と手を見ることを避けている事を彼は知らなかった。
私の父と母がとても困惑し不幸だった、亜麻仁油のその日曜日、ピーターは後で私を例の小径に連れて行った。
そこで彼は服の上から私の胸を強く握って乳首を引っ張った。
その後、彼は突然やめて、意味ありげに私を見て、彼の両手を私の肩にやって首まで上げた。
私が彼を止める前に、彼の手は私の帽子まで上がり私の髪を揉みしだいた。
私は両手で帽子を押さえ、「だめよ!」
ピーターは私を見て笑い、彼の眼は太陽を長く見つめすぎたかのように潤んでいた。
彼は私の髪を真っ直ぐにしようとし指で引っ張った。
「グリエット、すぐ近いうちに、僕はこのすべてを見るつもりだ。
君はいつも僕の秘密じゃないんだ。」
彼は私のお腹の線に沿って片手をおろし私に押し付けた。
「君は来月18歳になるだろう。その時僕は君のお父さんに話すつもりだ。」
私は彼から後ずさりをし、私はまるで暖かく暗い部屋の中で息ができなくなっているような感じがした。
「私はまだ若い。それには若すぎる。」
ピーターは肩をすくめた。
「みんなが年をとってしまうまで待てるわけではないよ。
それに君の家族が僕を必要としているんだ。」
彼が私の両親の貧しさについて、彼に頼っている事を言ったのはこれが初めてだった、彼らが頼っているというのは私が頼っているのと同じのとなのだ。
そのために、彼らは肉の贈り物を受け取り満足し、日曜日に彼と一緒に小径に立たせたのだった。
私は眉をひそめた。
彼の力を思い知らされることが嫌だった。
ピーターは何も言うべきではなかったと感じていた。
償いをするために彼は髪の毛を私の帽子の中に戻しそれから私の頬に振れた。
「僕は君を幸せにするよ、グリエット、そうするよ。」と、彼は言った。
彼が去った後、寒かったにもかかわらず、私は運河沿いに歩いた。
船が通れるように氷が割られていたが、また表面に薄い層ができていた。
私たちが子供だった時、フランとアグネスと私は全ての銀色が水の下に消えてしまうまで薄い氷を打ち砕くために石を投げたものだった。
それがずっと昔の事のように思われる。
一か月前に彼は私にアトリエに上がってくるように求めた。
「私は屋根裏部屋にいるでしょう、」と、私はその日の午後、その部屋に向かって告げた。
タンネケは彼の裁縫から眼を上げなかった。
「行く前にもっと木を火にくべてから行きなさい、」と、彼女は命じた。
少女たちはマートゲとマリア・シンズに監督されてレース編みに取り掛かっていた。
リズベットは辛抱強く指も器用で良い作品を作っていたが、アレイディスは微妙な編み物をするにはまだ若すぎ、コーネリアは余りにも短気だった。
猫は火の傍のコーネリアの足元に座って、時々少女が手を差し伸べて猫が前足で触る糸をゆすっていた。
多分、彼女はそのうち猫が彼女の作品に爪を掛けてダメにするのを望んでいた。
火に薪を足した後私は冷たい台所のタイルの上で独楽で遊んでいるヨハネスの所を回って歩いて行った。
私が行こうとすると彼は独楽を乱暴に回し、それはまっすぐ火の中に飛んで行った。
コーネリアが金切り声をあげて笑う中、彼は泣きだし、マートゲが玩具を炎の中からトングでつまみだそうとした。
「シ!カタリーナとフランシスカスが目を覚ますじゃないの、」と、マリア・シンズが子供たちに注意した。
彼女たちは聞いていなかった。
部屋の外に出て、私はアトリエがどれほど寒いにしても、騒音から逃げ出してほっとした。
アトリエのドアは閉まっていた。
私はドアに近づき、まるで林檎がちゃんと硬いかどうかを確かめるかのように、唇を引き締め、眉を整え、指を私の頬の横の所に這わせた。
私は重い木のドアの前で躊躇し、その後、そっとノックした。
答えはなかったが、彼がそこにいるだろう事は分かっていた、彼は私を待っていたのだから。
新年の元日の事だった。
彼はほぼ1か月前に私の絵の下地の層を描き終わっていたが、それ以来形を示す赤っぽい印も、偽の色も、塗り重ねる色も、ハイライトも描かれていなかった。
キャンバスは白っぽい黄白色だった。
私は掃除のとき毎日それを見ていた。
私はより激しくノックした。
ドアが開いたとき、彼は眉をひそめていた、彼の眼は私の目を捉えていなかった。
「ドアはノックしないでくれ、グリエット、そっと入ってくれ、」と彼は振り返って、色を塗られるのを待っているイーゼルの方に戻っていきながら言った。
私は階下の子供たちの騒音をふき取るかのように、ドアをそっと後ろ手に閉め、部屋の中央に歩いて行った。
遂にその瞬間がやって来たので私は驚くほど静かだった。
「およびですか。」
「そうだ、そこに立ってくれ。」
彼は以前、他の女性を描いていた片隅を指示した。
彼がコンサートの絵のために使っていたテーブルがそこに設置されていたが、彼は楽器をきれいに取り払っていた。
彼は私に一枚の手紙を手渡した。
「それを読みなさい、」と、彼が言った。
私は折りたたまれている便箋を開いて、私は、彼が私が単に見慣れない手書きを読んでいるふりをしていると、気付くのを心配しながら、顔をその上に持って行った。
紙の上には何も書かれていなかった。
私は眼を上げて彼にその事を言おうとしたが、止めた。
彼にとってはしばしば何も言わない方がいいことがあるのだ。
私はもう一度、手紙の上に顔を持って行った。
「それの代わりにこれをやってみなさい、」と、彼は一冊の本を手渡して、提案した。
それはすり切れた皮で閉じられていて、背の部分は何か所か壊れていた。
私は無作為にそれを開き、ページに集中した。
私は一言も理解できなかった。
彼は私を本を持ったまま座らせて、それからそれを持ったまま彼を見て立たせた。
彼は本を取り上げ、|白目<ピューター>の蓋の付いた白い水差しを渡し、グラスにワインを注ぐふりをさせた。
彼は立って窓の外だけを見るように求めた。
彼は、その間ずっと当惑しているようだった、まるで誰かが彼に物語を語り掛け、その結末が思い出せないかのように。
「それは服だ、」と、彼は呟いた。
「それが問題だ。」
私にはわかった。
彼は私に貴婦人のするような格好をさせたいのだが、私はメイドの服を着ている。
私は黄色の上掛けと黄色と黒の胴着との事を考えて、彼がどれを私に着るように頼むのかしらと思った。
その考えに興奮したが、その一方、私は居心地が悪かった。
それは単に私がカタリーナの服を着ている事を彼女に隠すことは不可能だと言う事ではないだろう。
私は本や手紙を持ったり、自分にワインを注いだり、私が一度もやったことが無いことをすることが正しいとは感じられなかった。
柔らかな毛皮が首の周りについている上着を感じたいのは山々だったが、それは私が普段身に着けているものではなかった。
「あのう、」と、私はついに言った、「多分あなたは私に別の事をさせるべきです。
メイドがするようなことを。」
「メイドはどんなことをするのかね?」と、彼は腕を組んで眉を上げて、柔らかく聞いた。
私は私が答えられるようになるまでしばらく待たなければならなかった、私の顎は震えていた。
私はピーターとの小径でのことを考えて、その事を飲み込んだ。
「裁縫です、」と、私は答えた。
「モップ掛けと掃き掃除。水を運ぶこと。シーツを洗う事。パンを切る事。窓ガラスを拭くことです。」
「君は私に君がモップ掛けをしている所を描いてほしいのかね?」
「それは私が言う事ではありません。それは私の絵ではないのですから。」
彼は眉をひそめた。
「そうだよ、それは君の物ではない。」
彼はまるで自分自身に言い聞かせるように言った。
「私はあなたにモップと一緒の所を描いてほしくはありません。」
私はそうなるとは知らず言ってしまった。
「いやいや、君が正しいよ、グリエット。
私は君にモップを持たせて絵を描くつもりは無いよ。」
「でも、私はあなたの奥さまの服を着ることはできません。」
長い沈黙があった。
「いや、私は期待してはいない、」と、彼は言った。
「しかし私は君をメイドとして描きたくはない。」
「じゃあ、何としてですか?」
「私は君を最初に見た通りに描くよ、グリエット。正に君を。」
彼は真ん中の窓に面して、彼のイーゼルの近くに椅子を置いて、座った。
私にはそこが私の場所の予定だと知った。
彼は私を描こうと決めた時、一か月前に私に取らせたポーズ、を見つけ出そうとしていた。
「窓の外を見なさい、」と、彼が言った。
私はパン屋の娘の代わりに立った日を思い出しながら、何も見つめないように、しかし自分の考えを静かに保って、灰色の冬の日を眺めた。
私は彼と彼の前に座っている私の事を考えていたので、何も考えないと言う事は難しかった。
新教会の鐘が2怒鳴った。
「さあ、君の顔をゆっくり僕の方に向けなさい。
だめだ、肩は動かさないで。体は窓の方に向けたままだ。
顔だけを動かして。
ゆっくり、ゆっくり、止めて。
もうすこし、そう、止めて。今だ、じっとしていなさい。」
私はじっと座っていた。
最初、私は彼と目を合わせることができなかった。
私がそうした時、それはまるで突然炎を上げて燃える火の傍に座っているようだった。
その代わり私は彼のしっかりした顎をじっと観察した、彼の薄い唇。
「グリエット、君は私を見ていないね。」
私は眼を上げて無理やり彼の目を注視した。
又しても私は燃えているような感じがしたが、私はそれに耐えた、彼がそれを望んでいるのだから。
すぐに彼と目を合わせている事はより容易になった。
彼はまるで私を見ないで、他の誰か、それとも別の物、まるで絵でも見ているように見えた。
彼は私の顔ではなく、私の顔に降り注ぐ光を見ていたと、私は思った。
その事が違いなのだ。
それはまるで私がそこにいないかのようだった。
一度私がこの事を感じると、私は少し緊張が解けた。
彼が私を見ていないので、私は彼を見ていなかった。
私の心は夕食に食べた野ウサギのシチューの上を、リズベットがくれたレースのつけ襟の上を、前の日に息子のピーターが話してくれた話の上を彷徨った。
その後、私は何も考えなかった。
彼は2度、窓のシャッターの位置を変えるために立ち上がった。
彼は数回、違う色とブラシを選ぶために戸棚の所に行った。
私は彼の動きを、まるで通りに立って窓越しに中を覗き込んでいるかのように、見ていた。
教会の鐘が3回鳴った。
私は瞬きをした。
私はそんなに時間が経ったようには感じなかった。
それはまるで魔法にかかった様だった。
私は彼を見た、彼の眼は今は私を見ていた。
私たちがお互いに見つめ合っていたので、熱の波紋が私の体を通り過ぎた。
しかし、私は彼が目を離し咳払いをするまで、眼を彼から離さなかった。
「これで終わりだ、グリエット。君に上の部屋で研磨してほしい骨があるんだ。」
私は頷いて部屋を出た、私の心臓はドキドキしていた。
彼は私を描いていたのだった。
「帽子を顔が見えるように後ろに引っ張りなさい、」と、ある日彼が言った。
「後ろにですか?」
私はあきれて繰り返し、そういったことを後悔した。
彼は私がしゃべらないで彼が言ったようにすることを好んでいた。
もし私がしゃべるなら、私はその言葉に値することをしゃべるべきなのだ。
彼は何も答えなかった。
私は私の帽子の彼に一番近い側面を、私の頬から後ろに引っ張った。
糊のきいた端が私の首筋をかすめた。
「もっと、」と、彼が言った。
「僕は君の頬の線を見たいんだ。」
私は躊躇し、その後、それをもっと後ろに引っ張った。
彼の両眼が私の頬の下に動いた。
「君の耳を見せなさい。」
私は見せたくなかった。選択の余地はなかった。
私はキャップの下をさわって、髪の毛が抜け落ちていないか確認し、耳の後ろに数本の髪の毛を押し込んた。
その後帽子を引っ張って私の耳の下の部分が見えるようにした。
彼の顔の表情は、音は立てなかったが、ため息をついているように見えた。
私は私自身の喉にある騒音を捉えて、それが逃げ出さないように押し下げた。
「君の帽子だよ、脱ぎなさい。」と、彼が言った。
「いやです。」
「いやだって?」
「どうか私にそうするように求めないでください。」
私は帽子の布を私の耳と頬がもう一度隠れるように下に降ろした。
私は床を見つめた、清潔な灰色と白いタイルが私の足元から遠くまで真っ直ぐ広がっていた。
「君は頭を出したくないのかね?」
「そうです。」
「しかし君は帽子をかぶってモップを持ったメイドとして描かれたくはないし、サテンを着て毛皮を巻き、髪を結ったレディーとしても描かれたくない。」
私は答えなかった。
私は彼に私の髪を見せることはできなかった。
私は頭をむき出しにするような種類の女の子ではなかった。
彼は椅子の中で体の位置を変え、その後立ち上がった。
私は彼が物置に入って行く音を聞いた。
彼は戻って来た時にはたくさんの布を腕に抱えていて、彼はそれを私の膝の上にドサッと置いた。
「じゃあグリエット、これでどうにかやってみてくれ。
君がレディーでもメイドでもないようになるように、ここで君の頭に巻く何かを見つけてくれ。」
彼が怒っているのか面白がっているのかは私には言えなかった。
彼は後ろ手にドアを閉め、部屋を出た。
私は布を一枚ずつ手に取ってみた。
帽子が3つあったが、全部私には立派過ぎ、私の髪を全て包むには小さすぎた。
カタリーナがドレスとジャケットを作った時に残った黄色と茶色、青と灰色の布の切れ端があった。
私はどうすればいいのか分からなかった。
私はまるで回答を探すかのようにアトリエの中を見回した。
私の目が「遺り手婆」の絵の上に落ちた、若い女性の髪はむき出しでリボンで後ろに束ねてあったが、老婦人は彼女の頭の周りを布切れで、内側と外側を交差させて、包んでいた。
多分それが彼が望んでいる事なのだ、と、私は思った。
多分それが、貴婦人でもメイドでもない、そのどちらでもない者が彼女たちの髪にやるやり方なのだ。
私は茶色の布を選んで鏡のある、物置部屋に持って行った。
私は帽子を脱ぎ、老婦人のを真似るように絵をチェックしながら、その布をできるだけ上手に自分の頭に巻き付けた。
私はとても奇妙に見えた。
彼にモップを持った私を描いてもらうべきだった、と私は思った。
虚栄心が私を見栄っ張りにしたのだった。
彼が戻って来て私のやった事を見た時、彼は笑った。
私は彼が笑うのはそんなに聞いたことはなかった、時には子供たちと一緒に、一度などはファン・レーベンフックと。
私は顔をしかめた。
私は笑われるのは好きではなかった。
「私はあなたが求めたことをやっただけです、」と、私はブツブツ言った。
彼は笑うのを止めた。
「君は正しいよ、グリエット。すまない。
それに君の顔、今や私はもっとよく見られるようになった、それは・・・」
彼は話すのを止めて、最後まで言わなかった。
私は何時も何を言うつもりだったんだろうと思った。
彼は私が自分の椅子の上に残した布の山の方を見た。
「何故君は、他の色もあったのに、茶色を選んだんだね?」と、聞いた。
私はレディーとメイドについてもう二度と話したくはなかった。
私は彼に青と黄色がレディーの色だと思い出してほしくはなかった。
「茶色が私がいつも着ている色だからです、」と、私は簡単に答えた。
彼は私が考えている事を察した様だった。
「タンネケは数年前に私が彼女を描いたとき、青と黄色を着たけどねえ、」と、彼は続けて言った。
「私はタンネケじゃありません。」
「そうだね、君は確かにタンネケじゃない。」
彼は青い長くて幅の狭い布を引っ張り出した。
「とにかく、これを試してみてほしい。」
私はそれを注意深く見た。
「それじゃあ私の頭は充分覆えません。」
「じゃあ、これも一緒に使いなさい。」
彼は同じ色の縁取りの付いた黄色の布をとり出して私に手渡した。
私はしぶしぶ2枚の布を受け取って物置に戻り鏡の前で付けてみた。
私は黄色い布を頭頂部にぐるぐる巻きにして、青い布を額に結んだ。
私はその端を頭の横の部分の折り目に折り込み、折り目を調整し、頭の周りの青い布を平らにし、アトリエに戻って来た。
彼は本を見ていて私がそっと椅子に座った事に気が付かなかった。
私は前に座っていたように座り直した。
私が肩越しに顔をひねって見た時に、彼は眼を上げてチラッと見た。
同時に黄色い布の端がほどけて私の肩に落ちた。
「ああ、」私はその布が私の頭から落ちて私の頭が全部見えてしまうのを心配して、息をのんだ。
しかし、それは黄色い布の端だけがダランとぶら下がるだけにとどまった。
私の髪は隠されたままだった。
そして彼が「いいよ、」と言った。
「それだ、グリエッタ、良いよ。」
彼は私にその絵を見せてくれなかった。
彼はそれをドアから離れた角に、二番目のイーゼルに設置して、それを見ないように私に言った。
私は見ないと約束したが、或る夜ベッドに横たわり、私の周りに毛布を巻き付けてそれを見にこっそり下に降りて行った。
彼は決してその事は知らなかっただろう。
しかし彼は察していただろう。
私は彼がその絵を見たのじゃないか思うことなしには、私を見ている彼と一緒に来る日も来る日も、座っている事ができるとは思えなかった。
私は彼に物事を隠しておくことはできなかった。
私は、彼が私を見る見方がどうなのかを発見する事にも気乗りがしなくもあった。
それは謎のまま残しておいた方がいいのだった。
私に調合してくれるように頼んだ色は、彼がやっている事の手掛かりを与えなかった。
黒、黄土色、鉛白、なまり色がかった黄色、ウルトラマリン、赤の顔料、これらは全部以前にやったことの有る色で、これらはコンサートの絵にも容易に使われうるものだった。
彼が一度に2つの作品を着手するのは稀なことだった。
彼は2つの間を行き来するのは好きではなかったが、彼が私を描いている事を他の人々から隠すことを容易にした。
数人の人はその事を知っていた。
ファン・ライフェンは知っていた、私の御主人さまがその絵を作っているのは彼の要請でだったことを私は確信していた。
私の御主人様は、私をファン・ライフェンと一緒に描かなくていいように、私を一人で描くことに合意したのに違いない。
ファン・ライフェンは私の絵を所有することになるだろう。
私はこの考えを喜ばなかった。
私の御主人さまもそうだったと信じている。
マリア・シンズも同様に絵の事は知っていた。
多分ファン・ライフェンとのおぜん立てをしたのは彼女だった。
それに加えて、彼女は未だにアトリエに好きな時に出入りすることができ、私には見ることが許されていないのに、その絵を見ることができた。
時々、彼女はあからさまな好奇心を込めて横目で私を見た。
私はコーネリアが絵の事を知っているのではないかと疑った。
私はある日、彼女がいるはずのないアトリエへの階段にいるのを見た。
私が何故そこにいるのか聞いたとしても彼女は答えなかっただろうが、私は彼女をマリア・シンズかカタリーナの所に連れて行くことはせずに、彼女を放っておいた。
私は彼が私を描いている間は、あえてもめ事を起こしたくはなかった
ファン・レーベンフックはその絵の事を知っていた。
或る日、彼は自分のカメラ・オブスキュラを持ってきて、彼らが私を見ることができるようにセットした。
彼は私が自分の椅子に座っているのを見て驚いた様子は見せなかった、私の御主人さまが彼に警告していたに違いなかった。
彼は私のいつもと違う頭の布を見たが、コメントはしなかった。
彼らは交代でカメラを使った。
私は動かないで、考えないで、そして彼の視線に煩わされないで座っている事を既に学んでいた。
しかし、黒い箱が私に向けられると、黙って座っている事はより難しくなった。
眼もなく、顔もなく体もなく、一つの箱と黒いローブを被ったこぶのようになった背中だけが私に向けられていて、私は不安になった。
私は彼らがどんな風に私を見ているのかについて確信が持てなくなった。
しかし、2人の紳士にそれほど熱心に観察されることは刺激的であることは否めなかった、たとえ私は彼らの顔を見ることはできなかったとしても。
私の御主人さまはレンズを磨くための柔らかい布を探すために部屋を出て行った。
ファン・レーベンフックは彼の足音が階段で聞こえる間は待っていたが、その後そっと言った、「君は自分に気を付けなければいけないね、お嬢さん。」
「どういう意味でしょうか?殿方?」
「君は、彼がファン・ライフェンから君を守るために、君を描いているという事を知らなければいけないね。
ファン・ライフェンの君への興味が、君のご主人様を、君を守ってあげようという気にさせたんだから。」
私はわたしがそうではないかと思っていた事を聞いて、秘かに喜んで、頷いた。
「彼らの戦いに巻き込まれてはいけないよ。怪我をするかもしれない。」
私はまだ絵の為の姿勢を保っていた。
今や私の両肩は、まるでショールを振り払うかのように、自分でぴくりと動いた。
「彼が私を傷つけるつもりだとは思えません。」
「教えてくれ、君がどれだけ男性の事を知っているのか、お嬢さん?」
私はひどく顔を赤らめて、顔をそむけた。
私は息子の方のピーターと例の小径にいる事を考えていた。
「そうだろう、競争は男の独占欲を強くする。
彼が君に興味を持っているのはファン・ライフェンがそうだからなのだよ。」
私は答えなかった。
「彼は並外れて優れた男だ、」と、ファン・レーベンフックは続けて言った。
「彼の眼は一つの部屋を黄金で一杯にする程の価値がある。
しかし、彼は時々世界を、ありのままにではなく、自分が見たいと思っているようにだけ見る。
彼は彼の見方が他人に及ぼす結果を理解していない。
彼は自分自身の事と彼の作品の事だけを考えていて、君のことは考えていない。
だから、君は気を付けなければならない、」と言って、言葉を切った。
私の御主人さまの足音が階段に有った。
「何に気を付けろっておっしゃるの?」と、私は囁いた。
「自分自身を保つことに気を付けなさい。」
私は彼の方に顎を引いた。
「メイドの立場を保て、ってことでしょうか?」
「そういう意味じゃないよ。
彼は、彼の絵に描かれた女性たちを彼の世界に閉じ込めてしまう。
君はそこで迷子になってしまう。」
私の御主人さまが部屋に入って来た。
「グリエット、君は動いたね、」と、彼が言った。
「申し訳ございません。」私は元の姿勢に戻った。
彼が私の絵を描き始めた時、カタリーナは妊娠6か月だった。
彼女は既にお腹が大きく、壁に寄りかかったり、椅子の背を掴んで、ため息をついてその一つに沈み込んだりしながら、ゆっくり歩いていた。
私は彼女が、すでに何度も子供を産んでいたにもかかわらず、子供を身ごもる様子がどれほど大変なことに見えるかに驚いていた。
彼女は大声で不平を言う事はなかったが、一度彼女のお腹が大きくなると、毎回、彼女が耐えることを強要された罰のように感じさせた。
私は彼女がフランシスカスを身ごもった時には感じなかった、その時は私はその家に来て新しく、毎朝私を待っている洗濯ものの山の向こう側にあるものはほとんど理解することができなかったのだ。
カタアリーナは体重が重くなるに従ってますます自分自身の事に没頭するようになった。
彼女はまだマートゲに手伝ってもらいながら子供たちの世話をしていた。
彼女はまだ家事をやっていて、タンネケと私に命令していた。
彼女はまだ、マリア・シンズと家の買い物に行っていた。
しかし、彼女の一部は赤ん坊のいる別の場所にいた。
彼女の厳しいやり方は今は稀で、より考えなしに物事をやるようになっていた。
彼女の動作は遅くなり、不器用だが物を壊すことは少なくなった。
私は彼女が私の絵を見つけるのではないかと心配した。
幸いにも、アトリエへの階段は彼女が昇るには難しくなり、そのため、彼女が不意にアトリエのドアを開けて椅子に座っている私と、イーゼルの傍にいる彼を発見することはあり得なかった。
それに、冬だったので彼女は子供たちとタンネケとマリア・シンズと火の傍に座っているか、毛布と毛皮の山の下で居眠りをすることを好んだ。
現実的な危険は彼女がファン・ライフェンからその事を知ることだった。
絵の事を知っている全員の中で、彼は秘密を守るのが一番下手だった。
彼は定期的に家にやってきて、コンサートの絵のために座っていた。
マリア・シンズはもはや彼が来た時に私をお使いに出さなかったし、彼が来ても自分の存在を消しておくように言ったりはしなかった。
私ができるお使いは限られていたので、それは現実的ではなかった。
それに彼女は、彼が絵の約束をしたことで満足し、私を放っておいてくれるだろうと考えていたに違いない。
彼はそうはしなかった。
彼は時々、洗い場で洗濯をしたり服にアイロンがけをしたり、料理場でタンネケと働いている、私を探した。
周りの他の人々が、マートゲが一緒の事も、タンネケが一緒の事も、アレイディスがいる時でさえ、彼が私に「こんにちはお嬢ちゃん、」と、甘い声で話しかけるだけで、私をそっとしておいてくれたのはそれほど悪いことではなかった。
しかし、私はしばしば中庭にいて、少しでも弱い冬の太陽の光を受けられるようにと、洗濯物を干していたりして、もし私が一人だったら、彼は閉ざされた空間に足を踏み入れて、私がちょうど干しているシーツや私の御主人さまのシャツの後ろから、私に触るのだった。
私はメイドが真摯にできる限りの礼儀正しさで、彼を押して遠ざけた。
それでも彼は無理やり私の服の下の胸や腰のラインと気安い関係になろうとした。
彼は私に忘れてしまいたいようなことをし、私なら他の人には決して繰り返して言わないような言葉を言った。
ファン・ライフェンはアトリエで座った後、いつもカタリーナの所を数分訪れて、彼の娘と妹は彼がうわさ話やペチャクチャおしゃべりをし終えるのを辛抱強く待っていた。
マリア・シンズは彼に絵のことについては何も言わないようにと言っていたが、黙って秘密を守るような男ではなかった。
彼は私の絵を所有することになることをとても喜んでいて、時々その事についてカタリーナに仄めかした。
ある日、私が広間をモップ掛けしていると、彼が彼女に言っているのが漏れ聞こえてきた、「世界中の誰でも描かせられるとすればあなたは彼に誰を描いてほしいですか?」
「ああ、私はそんなこと考えないわ、」と、彼女は笑って答えた。
「彼は自分が描きたいものを描くのよ。」
「それは知らなかった。」
ファン・ライフェンはひどく意味ありげに言ったので、カタリーナでさえその仄めかしを見逃せなかった。
「どういう意味ですの?」と、彼女が説明を求めた。
「別に意味はありませんよ。
でも、彼に絵について尋ねた方がいいでしょうね。
彼は嫌だとは言わないでしょうから。
彼は、多分マートゲでしょうが、子供たちの一人を描くかもしれませんよ。
それとも、可愛いあなた自身を。」
カタリーナは黙っていた。
彼が急に話題を変えたことからすると、彼は自分が彼女を動転させることを何か言った事に気が付いたに違いない。
別の時に、彼が絵のために座っている事を楽しんでいるのか彼女が聞いたとき、彼は、「私が可愛い女の子と一緒に座っているほどは楽しんでいませんよ。
でも、私はとにかく直ぐに彼女を得るんだから、今の所実行されなければいけないので、それで充分ですよ。」
カタリーナは彼が言った事を受け流した、数か月前だったらそうはしなかっただろう。
しかしその後、彼女はその絵の事を何も知らなかったのだから、多分彼女にはそれほど変には聞こえなかったのだろう。
しかし私は怖くなってマリア・シンズに彼の言葉を繰り返して言った。
「あなたはドアの後ろから立ち聞きしていたのね、お嬢ちゃん?」と、マリアは聞いた。
「私は・・・」私はそれを否定できなかった。
マリア・シンズは意地悪そうに笑った。
「やっとあなたがメイドとしてやるだろうことをやっているとこを捕まえましたよ。
次は、銀のスプーンを盗むでしょうよ。」
私はたじろいだ。
それを言うのはつらいことだった、特に、コーネリアと櫛の件については。
しかし私はマリア・シンズに大きな借りがあるにしても、私には選択の余地はなかった。
彼女の残酷な言葉は許されるに違いない。
「でも、あなたは正しいわ、ファン・ライフェンの口は売春婦の財布より緩いわ、」と言い、「私はもう一度彼と話をするわ。」と、続けた。
しかし、彼と何か話すと言う事はほとんど役に立たなかった、それは彼がカタリーナに更に提案することに拍車をかけるようなものだった。
マリア・シンズは彼が来ている時は、彼女の娘が彼にしゃべらせようとすることができないように、マリア・シンズと一緒にいるように部屋の中に留めた。
私はカタリーナが私の絵を見つけた時に何をするのかは分からなかった。
そして彼女はある日、家の中ではないかもしれないが、ファン・ライフェンの家でかもしれないが、夕食を食べていて、壁を見上げて、壁から私の絵が彼女を見つめているのを見るのだ。
彼は毎日私の絵を描いていたわけではない。
彼は同様に、ファン・ライフェンと彼の女性たちが居る居ないに関わらず、コンサートの絵を描いていた。
彼は彼らがそこにいないときは彼らの周りを描き、そうでなければ、私にチェンバロに所に座っている女性や、その横で音符を読んで歌っている女性の代わりになるように求めたりした。
私は彼女たちの服は着なかった。
彼は単にそこに私の輪郭だけがあればいいのだった。
時にはファン・ライフェンなしで2人の女性がやって来た、そしてその時が彼は一番よく仕事をした。
ファン・ライフェン自身は取り扱いの難しいモデルだった。
私が屋根裏部屋で働いていると彼の声が聞こえてきた。
彼はじっと座っている事はできず、しゃべったり自分のリュート(ギターの様な楽器)を弾きたがった。
私の御主人さまは子供といる時のように辛抱強かったが、時々彼の声の中にある種の忍び込むような語調が聞かれ、彼がその夜、酒場に行きピカピカのスプーンのような眼をして帰ってくるのだった。
私は週に3,4回もう一つの絵のために座っていた、毎回1,2時間ほどだ。
それは、その時間の間、彼の眼が私だけに向けられる、週の内で私が最も好きな時間だった。
保っているには楽な姿勢ではなかったが、気にならなかった、長い時間横を見ていると頭が痛くなった。
時々彼が、顔を何度も何度も振り返らせて、黄色い服が翻ったように見えるように、私がちょうど彼の方に振り返った瞬間であるかのように見えるように、させることは気にならなかった。
私は彼が求めることは何でもやった。
しかし、彼は満足してはいなかった。
2月が過ぎ、氷と太陽を伴った、3月になった、そして彼は満足してはいなかった。
彼はほぼ2か月絵の仕事をしていたが、私はそれを見てはいなかったが、終わりに近づいていると思っていた。
彼はもはやその絵の絵具を混ぜる量を指示することはなかったが、私が座った時にはブラシを動かして少しだけ描き足した。
私は彼が望むやり方を理解していたと思っていたが、今は確信が持てなかった。
時々彼は私が何かするのを待っているかのように単に座って私を見ていた。
すると、彼は画家のようではなく、一人の男のようで、彼を見るのがつらかった。
或る日、私が椅子に座っていると、彼は突然宣言した、「これはファン・ライフェンを満足させるだろうが、私には不満だ。」
私は彼が何を言っているのか分からなかった。
私はもしその絵を見なければ彼を手助けすることはできなかった。
「絵を見ても良いですか?」
彼は私を不思議そうに見た。
「多分私は手助けできます、」と、付け加え、それから、そうであってほしくはないと思った。
私は余りにも大胆になり過ぎたのではないかと怖くなった。
「わかったよ、」、しばらくして彼が言った。
私は立ち上がって彼の後ろに立った。
彼は振り返らなかったが、じっと座っていた。
彼のゆっくりと落ち着いた呼吸音が聞こえていた。
絵は今までの彼の物とは全く違っていた。
テーブルもカーテンも、和らげたり気を紛らわせたりする窓やパウダーブラシもない、私だけ、顔と肩だけだった。
彼は眼を大きく開けた私を描いていて、私の横から光が当たっていたが私の左側は暗かった。
私は青と黄色と茶色をまとっていた。
私の頭の周りに巻いた布は私を私自身ではなく、別の街にいるグリエッタというよりむしろ、他の国にいるグリエッタのように見せた。
背景は黒で、私は明らかに誰かを見ているのに私は一人でいるように見えていた。
私は今までに起こるとは思わなかった何かを待っているように見えた。
彼は正しかった、絵はファン・ライフェンを満足させたかもしれないが、何かが足りなかった。
私には彼がそうする前に私にはわかっていた。
私は必要なもの、彼が今までの絵で眼を引いていた明るさの点、を見た時、私は震えた。
これは終わりになるだろう、と私は思った。
私は正しかった。
今回は私はファン・ライフェンの妻が手紙を描いている絵の時にやったように彼を助けることはしなかった。
私はアトリエに忍び込んで私の座っている椅子の位置を変えたり、シャッターをより広く開けたりするようなことで状況を変える事はしなかった。
私は青と黄色の布の巻き方を変えたり、私の上着の上の部分を隠したりはしなかった。
私は唇がより赤く見えるように強く噛んだり、頬を細く見せるために息を吸ったりはしなかった。
私は彼が使いそうだと思う色を出してやることもしなかった。
私は単に彼の為に座って、彼が求める顔料を砕いたり洗ったりした。
どっちみち彼はそれを自分で見つけるだろう。
それは私が思っていたより長くかかった。
私は彼が何が足りないのかを発見するまでに2度多く座ることになった。
私が座る時は毎回、彼は顔に不満げな表情を浮かべて絵を描き、そして早々と私に、もういいよ、と言った。
私は待った。
カタリーナ自身が彼に答えを与えた。
或る日の午後、マートゲと私は、他の女の子たちが大広間でお母さんの出産の宴会用のドレスを着るのを見るために集まっている間に、料理用の台所で靴を磨いていた。
私はアデイレスとリズベットが金切り声を上げているのを聞き、カタリーナが、女の子たちが大好きな真珠を持ち出したのを知った。
そのすぐ後、彼は、「グリエット、私の妻にワインを持って来なさい。」と叫んだ。
私は彼が彼女と一緒に飲む場合に備え、白い水差しと2個のグラスをお盆に載せて、それを大広間に持って行った。
私が大広間に入る時に戸口に立っていたコーネリアとぶつかった。
私は何とか水差しを掴んがが、グラスは割れずに私の胸でカタカタ鳴った。
コーネリアは薄ら笑いを浮かべて私から去って行った。
カタリーナは化粧ブラシと水差しと、櫛と化粧箱の置かれたテーブルのところで、座っていた。
彼女は真珠を身に付け、お腹を隠すように修正された緑色の絹のドレスを着ていた。
私は彼女の傍にグラスを置きワインを注いだ。
「ご主人様もワインをお飲みになりますか?」と私は眼を上げて聞いた。
彼は絹のカーテンを押し付ける状態で、ベッドを囲む戸棚に寄りかかっていて、私はそのカーテンがカタリーナはのドレスと同じ布で出来ている事を始めて知った。
彼はカタリーナと私を前後にかわるがわる見た。
彼の表情は画家の顔をしていた。
「バカな女の子ね、あなたは私にワインをこぼしたわね!」
カタリーナはテーブルから離れ片手で自分のお腹を撫でた。
赤い水滴が数滴そこにこぼれていた。
「すみません、奥様。吸い取るための濡れた布を持って来ます。」
「ああ、気にしないで。
私はあなたが私の事で大騒ぎをするのには耐えられないわ。ただここから去りなさい。」
私はお盆を下げる時に彼を盗み見た。
彼の眼は彼の妻の真珠の耳飾りに釘付けになっていた。
彼女が顔の白粉を塗るために顔を横に振るたびにその耳飾りは前の窓からの光を捉えて、前後に揺れた。
それは私たち全員を彼女の顔に注目させ、彼女の目のように光を反射した。
「私はちょっと上の階に行かなければならない、」と、彼はカタリーナに言った。
「そんなに長くは無いよ。」
それよ、と、私は思った。
彼は自分の回答を見つけたのだ。
次の日の朝、彼が私にアトリエに来るように言った時、私は興奮しなかった、というのは私は何時もしている彼のために座ることだと思っていたからだった。
私は初めて怖くなった。
その日の朝私が洗った服は特に重くびしょびしょで、私の手はそれをうまく絞れるほど強くはなかった。
私は台所と中庭をゆっくり行ったり来たりして、一回以上休むために座った。
マリア・シンズが銅製のパンケーキ用のフライパンを取りに来た時に私が座っている所を捕まえた。
「どうしたのお嬢ちゃん? 病気なの?」と、彼女が聞いた。
私は飛び上がった。
「いいえ、奥様。ちょっと疲れているだけです。」
「疲れている、え?メイドにはありえない事ね、特に朝方には。」
彼女は私を信じられないというように私を見た。
私は両手を冷たい水の中にジャブンと付け、カタリーナの上着を引っ張り出した。
「奥様、午後は私を走らせたい雑用はございますか?」
「雑用? 今日の午後?そうは思わないね。お前が疲れていると思っているとすれば、そう聞くのははおかしなことだね。」
彼女は目を細めた。
「困っているんじゃないでしょうね、お嬢さん?ヴァン・ルイヴェンはあなたを一人で捕まえたりしなかった、そうでしょ?」
「いいえ、そんなことはしませんでした、奥様。」
実際は、ほんの2日前に彼はそうしたのだが、私はそれを何とか引き離しました。
「誰かがあなたが二階にいるのを見つけたとか?」と、マリア・シンズは顔を上げてアトリエを指しながら、小声で聞いた。
「いいえ、奥様。」
一瞬私は彼女に耳飾りの事を言いたいという誘惑にかられた。
そう言いう代わりに「私が私に会わないものを食べた、それだけのことです。」
マリア・シンズは肩をすくめて、顔をそむけた。
彼女は未だに私の言う事を信じていなかったが、それは問題ではないと判断していた。
その日の午後私はとぼとぼと階段を上がっていて、アトリエのドアの前で立ち止まった。
今回は、彼の絵のために座った時のようではないようだった。
彼は私に何かを頼むつもりだったのだ、それに私は彼に恩義があった。
私はドアを押して、開けた。
彼はイーゼルの所に座っていて、彼のブラシの先端をじっくり観察していた。
彼が私を見上げた時、私は彼の表情に今までに見たことが無い何かを見た。
彼は神経質そうだった。
その事は、私が言おうとすることに勇気を与えていた。
私は私の椅子にところに立つための歩いて行き、ライオンの頭の彫刻の一つに手を置いた。
「ご主人様、」と、私は固く冷たい彫刻を握りしめて話し始めた、「私にはやれません。」
「何をやれないというんだね、グリエット?」
彼は心から驚いた。
「今からあなたが私にやってくれと頼むことをです。
私はそれを身に付けることはできません。メイドは真珠を身に付ける事はできないんです。」
彼は長い間私を見つめていて、それから何度か頭を振った。
「予想外な反応だよ。君はいつも僕を驚かせてくれるね。」
私の指はライオンの鼻と口のあたりを這い、鼻腔から滑らかで節くれだったタテガミに上がって行った。
彼の視線は私の指を追っていた。
「分かっているだろうけど、」と、彼は呟いた「絵に必要なんだよ、真珠に反射する光が。そうじゃなければそれは完成しないんだ。」
私にはわかっていた。
私はずっとその絵を見ていなかった、自分自身を見るのは余りにも奇妙な感じだったが、私は直ぐにそれに真珠の耳飾りが必要だと言う事は分かっていた。
それがなければそこには私の目と口と私の|上着<シミーズ>のバンド、私の耳の後ろの暗い空間だけがあり、全てばらばらだった。
耳飾りはそれらを結びつけるだろう。
それは絵を完全なものにするだろう。
それは同時に、私を路頭に迷わせることにもなる。
私は、彼が耳飾りをファン・ライフェンかファン・レーベンフックか、他の誰かから借りないだろうことは分かっていた。
彼はカタリーナの真珠を見、それが彼が私に付けさせようとしている物だった。
彼はその結果を考慮することなく、自分の絵に欲しいものを使った。
その事が、ファン・レーベンフックが私に警告したことだった。
カタリーナが自分の耳飾りを絵の中に見た時、彼女は感情を爆発させるだろう。
私は彼に私を破滅させないでくれと懇願すべきだった。
その代わりに、「あなたはそれをファン・ライフェンのためにそれを描いている、あなた自身の為じゃないわ。
それはそんなに重要なことなの?
あなたは自分で、彼はそれで満足するだろう、とおっしゃったじゃありませんか。」と、私は主張した。
彼の表情が硬くなって、私は間違った事を言ってしまったと知った。
「もしそれが完成していないと分かっていれば、私は決してその制作を止めないだろう、たとえそれを誰が得る事になっているとしても、」と、彼は呟いた。
「そんなことは私の仕事のやり方じゃないからね。」
「いいえ、ご主人様。」
私は息をのんでタイルの床をじっと見つめた。
私はバカな少女だわ、と、私は思い、顎を引き締めた。
「言って、自分自身の準備をしなさい。」
私は頭を下げて、急いで黄色と青の布を置いている物置部屋へと向かった。
私は彼のそんなに強い不承認を感じたことは今までに一度もなかった。
私はそれに耐えられるとは思えなかった。
私は帽子を脱ぎ、髪を結んでいたリボンがほどけそうになっていたのを感じ、それを外した。
私がアトリエの床の緩くなったタイルがカチッとなるのを聞いたとき、私は髪をもう一度結い上げようと手を伸ばしていた。
私は凍り付いた。
私が着替えをしている時には、彼は今まで物置部屋に入って来ることは決してなかった。
彼は私にそんなことを頼んだことは一度もなかった。
私は振り返った、私の両手はまだ私の髪にあった。
彼は入口の所に立っていて、私を見つめていた。
私は両手を下した。
秋の野原のような色の私の髪は波を打って私の肩に落ちた。
その髪は私以外は誰も見たことが無かった。
「君の髪・・・」と、彼が言った。
彼はもはや怒ってはいなかった。
遂に彼は私から目を離した。
彼が私の髪を見たからには、彼が私の隠しているものを見たからには、もはや私には隠し守るほど貴重だと感じていた何かがあるとは感じられなかった。
もし彼が居ないで、他の誰かが居るとすれば、私はもっと自由であることができた。
私が何をして、何をしなかったかはもはや問題ではなかった。
その夜、私は家を抜け出して、肉売り場の近くの、肉屋たちが飲んでいる居酒屋で息子のピーターを探した。
口笛や呼びかけを無視して彼に近づいて行き、彼に私と一緒に来てくれるように頼んだ。
彼はビールを置いて、彼の眼は大きく開いて、私に付いて外に出た、私が彼の手を引いていったのは近くの小径だった。
そこで私はスカートをたくし上げて彼が好きなようにさせた。
私は彼が私の中でリズミカルに押し始めるまで、彼の首にしっかりと両手を当てていた。
彼は私に痛みを加えたが、私の髪がアトリエで私の肩に落ちたことを思い出した時、私は何か喜びの様なものを感じていた。
その後、教皇派の家に帰って、私は自分自身を酢で洗った。
次に私が絵を見た時には、彼は私の左の目のすぐ上の青い布から髪が一束、少しだけ出ている所を書き加えていた。
次の回、私が彼のために座った時は、彼は耳飾りの事を口にしなかった。
私が恐れていたので、彼はそれを私に手渡さず、私の座り方を変えたり、絵を描くことを止めたりはしなかった。
彼は又物置部屋に入って来たり、私の髪を見たりはしなかった。
彼は彼のパレットの上で、パレットナイフで絵具を混ぜながら、長い間座っていた。
そこには赤や黄土色があったが、彼が混ぜていた絵の具はほとんどが白で、それに慎重にゆっくりと黒を少し加え、ナイフの銀色のひし形が灰色の絵具で光っていた。
「ご主人さま?」と、私は話し始めた。
彼は私を見上げ、彼のナイフが止まった。
「私はあなたがここでモデルがいないのに何かを描いているのを見た事があります。
私に耳飾りを付けさせないで描くことはできないのですか?」
彼のパレットナイフがじっと止まったままだった。
「私に君が真珠を付けたところを想像して、その想像したものを描いてほしいと言う事かね?」
「その通りでございます。」
彼は絵を見下ろし、パレットナイフが再び動き始めた。
私は彼が少し笑っていたと思う。
「私は君が耳飾りを付けている所を見たいんだよ。」
「でも、あなたはそうすると何が起こるかは分かっていらっしゃるわ。」
「私はその絵が完成すると分かっているよ。」
あなたは私を破滅させてしまうでしょう、と私は思った。
またもや、私はそれを口に出すことはできなかった。
その代わり、私は「あなたの奥さまが出来上がった絵をご覧になった時、何とおっしゃるでしょうか?」と、出来るだけ勇気を持って聞いた。
「彼女はそれを見る事はないでしょう。
わたしはそれをファン・ライフェンに直接渡すつもりです。」
彼は私を秘密裏に描いている事を認めたのはそれが初めての事だった、その事はカタリーナは承知しないだろう。
「君はたった一回それを身に付けるだけでいいんだよ、」と、彼は私をなだめすかすように付け加えた。
「わたしは次に君を描くときにそれを持って行くつもりです。
来週。カタリーナはそれを午後中、見逃さないだろう。」
「でも、」と、私は言った、「私は耳にピアスの穴をあけていません。」
彼は少し驚いた。
「それじゃあ、あなたはそれに対処する必要があるね。」
その事は明らかに女性に関する些事で、彼が自分で考慮するような事ではなかった。
彼はナイフを叩いて、ぼろ布で拭いた。
「さあ、始めよう。もう少し顎を引いて。」
彼は私を見た。
「唇を舐めなさい、グリエット。」
私は唇を舐めた。
「口を開けたままにして。」
私はこの要求にとても驚いたので、私の口は自分の意志で開いたままになった。
私は瞬きをして涙が出るのを押さえた。
貞淑な女性は絵の中で口を開けっぱなしにはしないものだ。
それはまるで彼が、ピーターと私と一緒に例の小径にいたかのようだった。
あなたは私を破滅させてしまった、と私は思った。
わたしはもう一度唇を舐めた。
「いいね、」と、彼が言った。
私はそれを自分でやりたくはなかった。
私は痛いのが怖いわけではなかったが、自分で針を自分の耳にさしたくはなかった。
もし私のためにそれをするのを誰かに頼めるとすれば、それは私のお母さんだった。
しかし、彼女は分かってくれないだろうし、理由も知らずにそれに同意することはないだろう。
そしてもし彼女が理由を告げられたとしても、彼女は恐怖に襲われるだろう。
私はタンネケにもマートゲにも頼めなかった。
私はマリア・シンズに頼むことも考えた。
彼女はまだ耳飾りの事は知らないかもしれないがすぐにその事を知るだろう。
しかし、彼女に私の屈辱に加担させるようなことを頼みたくはなかった。
それを理解してやってくれる唯一の人物はフランかもしれなかった。
私は次の日の午後、マリア・シンズが私にくれた針箱を持って、家を抜け出した。
工場の門の所にいた不機嫌な顔つきをした女性は、私が彼に会いたいと頼んだ時、薄笑いを浮かべた。
「彼はとっくにいなくなったよ、いい厄介払いよ、」と、彼女はその言葉を楽しみながら答えた。
「いなくなった?いなくなったって何処へですか?」
その女性は肩をすくめた。
「ロッテルダムっていう噂だよ。その後は、知らないね。
多分彼は海の上で一財産稼ぐつもりだろうよ、もしロッテルダムの娼婦の股の間で死ななきゃあね。」
これらの最後の辛らつな言葉が私に彼女をもっとよく観察させる気にさせた。
彼女には子供がいた。
コーネリアは彼女がフランと私のタイルを割った時には、彼女が、彼が私と家族から離れるという事が実現するとは知らなかった。
私はもう一度彼に会えるのだろうか?
私は思った。
そして私たちの両親は何と言うだろうか?
私は今までにないくらい孤独を感じた。
次の日、私は魚屋からの帰り道に薬屋に寄った。
今は、薬屋は私の事を知っていて、私の名前を呼んで挨拶をしてくれた。
「それで、今日は彼は何がいりようなんだね?」と、彼は聞いた。
「キャンバス?朱色?黄土色?亜麻仁油?」
「彼は何も必要じゃないの、」と、私は神経質に答えた。
「私の奥さまでもないの、私の用できたの、」
一瞬、私は彼に私のピアスを頼もうかと考えた。
彼は無口な男そうだし、理由は聞かずに、他言せずにやってくれるかもしれなかった。
私は知らない人にそんなことを頼むことはできなかった。
「私は何か皮膚を麻痺させるものが欲しいんです、」と、言った。
「皮膚を麻痺させるものだって?」
「はい、氷の様な。」
「何故あなたは皮膚を麻痺させたいんですか?」
私は彼の後ろの棚の上の瓶をじっと見つめて、肩をすくめ答えなかった。
「クローブオイルだね、」と、彼はついにため息をつきながら言った。
彼は彼の後ろにあるフラスコに手を伸ばした。
「患部にほんの少し塗って数分おいてください。しかしそれほど長く持続するわけではありません。」
「少しいただきたいです、お願いします。」
「そして、これのお金はだれが払う予定ですか?あなたのご主人様?
これはとても貴重なものです。とても遠くから運ばれてくるのですから。」
彼の声にはご主人様が払うと言う事には同意できないと言う事と好奇心が入り混じっていた。
「私が払います。私は少ししか欲しくないですから。」
私はエプロンからポーチをとり出して貴重なスチューバー硬貨をテーブルの上で数え始めた。
その小さな瓶は私の2日分の給料だった。
私はタンネケから、日曜日に給金を払ってもらった時に返すことを約束して、いくらかの金を借りた。
その日曜日、私の減ってしまった給金を母に渡すとき、手鏡をこわしてしまったのでそのお金を払わなければならなかったといった。
「それを返すには2日以上の賃金がかかるでしょう、」と、彼女は叱った。
「あなたは何をしていたの、鏡で自分を見ていたの?なんて不注意なんでしょう。」
「そうよ、とても不注意だったわ。」と、私は同意した。
私は家のみんなが寝てしまったと確信するほど遅くまで待った。
いつもは夜のために鍵を掛けられた後、アトリエには誰も上がってくることはなかったが、わたしはそれでも誰かが針と鏡とクローブオイルを持っている私を捕まえようとするのではないかと、こわかった。
私は鍵の閉まったアトリエのドアに立って耳をそばだてていた。
カタリーナが下で廊下を行ったり来たり歩き回っているのが聞こえた。
彼女は今眠れずに苦しんでいて、彼女の体は快適に横になる姿勢を見つけるにはあまりにも扱いにくくなってしまっていた。
その後、私は子供の声を聞いた、女の子だ、低い声でしゃべろうとしているがその明るい響きを隠すことができなかった。
コーネリアは彼女の母と一緒にいた。
私はアトリエに鍵を閉めて閉じ込められて、もっと近くの階段の一番上まで這って行くことはできなかったので、彼らがしゃべっている事は聞き取れなかった。
マリア・シンズも物置部屋の隣の自分の部屋で動き回っていた。
落ち着かない家で、私をも落ち着かなくさせた。
私はライオンの頭の彫刻の付いた椅子に座って待った。
私は眠くはなかった。
こんなに目がさえていると感じた事はなかった。
ついに、カタリーナとコーネリアはベッドに戻って行き、マリア・シンズも隣の部屋でガタガタやるのを止めた。
家が静かになった時、私は椅子に座ったままでいた。
そこにじっと座っている事の方が私がやらなければならない事をやるよりも簡単だったからだ。
もはや延期させることができなくなった時、私は立ち上がって、最初は絵を覗き込んだ。
今私が見ることのできる全ては、耳が描かれるべき大きな穴で、そこを私は埋めなければならないのだろう。
私は自分のロウソクを取り上げ、物置部屋で鏡を探し、屋根裏部屋に上がって行った。
私は顔料を研磨するテーブルの上で、壁に鏡を立てかけて、ロウソクをその横に置いた。
私は針入れをとり出して、一番細い針を選んで、ろうそくの炎に先端を|翳<かざ>した。
その後、薬がしばしば発する様な、不快なカビが生えた又は腐った葉っぱの匂いがすると予測しながら、クローブオイルの瓶を開けた。
しかし、それは甘い日の光の中に残された蜂蜜入りのケーキのような奇妙なものだった。
それは、フランが手に入れて彼の船でもたらしたかも知れないずっと遠くからのものだった。
私はぼろ布の上に数滴たらし、私の左の耳たぶを拭いた。
薬屋は正しかった、数分後に耳たぶを触ると、まるで耳をショールで覆わないで寒い中にいたような感じだった。
私は炎から針を出し真っ赤な先端がくすんだオレンジ色に、そして黒く変わるまで待った。
私が鏡に向かって屈みこんだ時、私は自分自身をしばらく見つめた。
ロウソクの光の中で、私の目は液体であふれ、恐怖で光ってた。
急いでこれをやるんだ、と、私は考えた。
延期しても良いことはないぞ。
私は耳たぶをピンと引っ張って、一気に針を私の肉に突き通した。
私は気絶するちょっと前に、私はずっと真珠を付けたかったのだと思った。
毎晩、私は耳をぼろ布で拭き、穴を大きくしておくために少しだけ太い針を突き刺した。
それは耳たぶが感染し腫れ始めるまでは痛くはなかった。
それからは、私が針を通す時には、私がどれ程耳にクローブオイルを塗っても、目から涙が出てきた。
どうしたらまた失神せずにイヤリングを着けられるか分からなかった。
私は耳まで帽子をかぶっていたので誰にもその赤くはれた耳たぶが見えないことを感謝した。
煮沸消毒する洗濯物の上に屈みこんだり、顔料を研磨したり、ピーターと両親と一緒に教会で座っていたりすると、耳たぶがズキズキした。
ある朝、中庭でシーツを干している私をファン・ライフェンが捕まえて私の上着を肩から引っ張り降ろし私の胸を顕わにした時に私の耳たぶはズキズキした。
私が彼から後ずさりすると、「私に抗ってはいけないよ、お嬢ちゃん、」と、彼は呟いた。
「抗わなければ、もっとたのしめるだろうよ。それに、いずれにせよ私はあの絵を手に入れたら君を所有するつもりだよ。」
彼は私を壁に押し付けて、ドレスを引っ張って胸が自由になるようにして、彼の唇を私の胸に降ろして言った。
「タンネケ!」私は彼女がパン屋からのお使いから早めに帰って来ているかもしれないという儚い希望を抱きながら、絶望的に叫んだ。
「何をしているの?」
コーネリアが戸口の所から私たちを見ていた。
私は彼女に会えてこんなにも喜んだことはなかった。
ファン・ライフェンは頭を上げて、後ろに下がった。
「ゲームをやっていたのさ、お嬢ちゃん、」と、彼は笑って答えた。
「ちょっとしたゲームさ。君も大きくなったらやることになるよ。」
彼はマントを正して彼女の横を通って家に入って行った。
私はコーネリアと目を合わせることができなかった。
私は震える手で自分の上着を引っ張り上げドレスを真っ直ぐに直した。
最後に私が眼を上げた時には彼女はいなくなっていた。
私の18歳の誕生日、私はいつも通り起きてアトリエの掃除をしていた。
コンサートの絵はファン・ライフェンがそれを見に来た数日後に出来上がり持ち去るだろう。
私は今必要ではなかったが、未だにアトリエの絵に描く情景を注意深く掃除をし、チェンバロ、ヴァイオリン、バス・ヴィオラの埃を掃い、テーブルのラグマットに湿った布でブラシをかけ、椅子を磨き、灰色と白の床のタイルをモップ掛けした。
私は彼の以前の作品ほどにはその絵が好きではなかった。
それは3人の人物を入れて、より価値のあるものであるが、私は彼が以前に女性たちだけを描いた絵のほうが好きだった、そのほうがより純粋でごちゃごちゃしていなかった。
私は自分が、長い間コンサートの絵を見ていたくないし、その中の人物たちが何を考えているのか理解しようとも望んでいないと分かった。
私は彼が次に何を描くのかしらと思った。
階下で、私はお湯を沸かすために火にかけ、タンネケに肉屋から何を買いたいのか尋ねた。
彼女は家の前の階段とタイルを掃いていた。
「牛肉だね、」と彼女は箒にもたれかかりながら答えた。
「何かおいしいものを食べようじゃないか?」
彼女は自分の腰をさすりうめき声を上げた。
「牛肉を食べれば痛みが収まるかもしれない。」
「又、腰が痛いんですか?」
私は努めて同情的に聞こえるように言ったが、タンネケの腰は何時も痛いのだった。
メイドの腰は何時も痛い。
それがメイドの人生なのだ。
マートゲが肉広場について来たので、私はそれを喜んだ、小径でのあの夜以来、私はピーターの息子と二人きりでいる事が恥ずかしかった。
私は彼が私をどんな風に扱うのか確信が持てなかった。
しかし、もし私がマートゲと一緒なら、彼は言動に注意を払わなければならないだろう。
息子のピーターはそこにいなくて、彼の父親だけがそこにいて、私を見てにっこり笑った。
「ああ、お誕生日のメイドさん!」と、彼は叫んだ。
「君にとって大切な日だね。」
マートゲはびっくりして私を見た。
私は家族に私の誕生日について言ったことはなかった、そんなことを言う理由なんてなかった。
「そんなこと大したことじゃないわ、」と、私はピシャリと言った。
「息子はそうは言わなかったよ。
彼は今、用事で出かけているよ。会わなきゃいけない人がいるんだ。」
父親のピーターは私にウインクした。
私の血は凍り付いた。
彼は言外の何かを私に言ったのだった、何か、私には、理解できる事を。
「あなたの一番いい肉を頂戴、」と、私は彼を無視しようと決めて、注文した。
「じゃあ、お祝い用にかい?」
父親の方のピーターは話をはぐらかさせなかったが、出来るだけ早く話を押し通した。
私は応えなかった。
私は、彼が肉を出してくれるのだけを待ち、それから肉を私のバケツに入れ彼に背を向けた。
「本当にあなたの誕生日なの、グリエット?」
マートゲは肉市場の広場を出る時に囁いた。
「そうよ。」
「何歳なの?」
「18歳よ。」
「何故18歳がそんなに大事なの?」
「大事じゃないわ。彼が言う事を聞いちゃだめよ、彼はバカな男なんだから。」
マートゲは納得していない様だった。
私も納得していなかった。
彼の言葉は私の心に引っかかった。
私は朝中、洗濯物をすすいだり煮沸したりして働いた。
湯気の立つ熱湯の桶の上に座っている間に、私の心はいろいろなことを考えていた。
フランは何処にいるのかしら、両親は彼がデルフトからいなくなった事を知ってしまったかしら。
父親の方のピーターが言った意味はどういう事だったのか、息子のピーターは何処にいたのかしら。
私は小径でのあの夜のことを思った。
私は自分の絵のことを思い、それは何時出来上がるのかしら、その時私の身に何が起きるのかしらと思った。
その間ずっと私の耳はズキズキ痛み、頭を動かすと突き刺すような痛みが走った。
私を迎えに来たのはマリア・シンズだった。
「洗濯物は置いて行きなさい、」という彼女の声を私の後ろに聞いた。
「上の階で彼があなたに用があるって。」
彼女は手の中で何かを振りながら、戸口のところに立っていた。
私は混乱しながら立ち上がった。
「今ですか、奥様?」
「そうよ、今よ。とぼけるんじゃないわよ、お嬢さん。
理由はあなたが知っているでしょ。
カタリーナは朝外出して、いないの、そして彼女は最近多く外出しない、今は彼女の時間は近づいているのよ。手を出しなさい。」
私はエプロンで手を拭き、手を前に差し出した。
マリア・シンズは私の掌に一対の真珠の耳飾りを落とした。
「今、それを持って2階に上がりなさい、急いで。」
私は動けなかった。
私は|団栗<ヘーゼルナッツ>の大きさの涙型の2つの真珠を手に持っていた。
それらは太陽の光の中でさえ点状の激しい白い輝きを放つ事を除いては、銀灰色だった。
私は以前にも、ファン・ライフェンの妻のために、二階にそれを持って行き彼女の首に巻いたり、テーブルに置いたりしたときに、真珠に触ったことはあった。
しかし、自分自身のためにそれを持ったことは今まで、ありませんでした。
「さあ、お嬢さん、」
マリア・シンズがあせってうなるように言った。
「カタリーナが自分で言っていたよりも早く帰ってくるかもしれないよ。」
私は洗濯ものを干すこともせず、よろつくように廊下に入った。
私は運河から水を汲んできたタンネケと廊下でビー玉を転がしているアレイディスとコーネリアがじっと見ている中を階段を上がった。
彼らはみんな私を見上げていた。
「あなたは何処に行くつもりなの?」と、アデイレスが聞いた、彼女の灰色の目は興味で輝いていた。
「屋根裏部屋よ。」と、私はそっと答えた。
「私たちも一緒に行っていい?」と、コーネリアが挑発的な声で言った。
「だめよ。」
「子供たち、邪魔になって私が通れないじゃない。」
タンネケが彼女たちを後ろから押した、彼女の顔色は暗かった。
アトリエのドアは少し開いていた。
私は内側で足踏みをして、唇を引き締めて、私の胃は捻じれていた。
私は後ろ手にドアを閉めた。
彼は私を待っていた。
私は彼の手の上に私の手を出して彼の掌に耳飾りを落とした。
彼は私を見てほほ笑んだ。
「行って、髪に布を巻きなさい。」
私は物置部屋で着替えをした。
彼は私の髪を見にやって来ることはなかった。
帰って来て私は壁の「取り持ち女の絵」をちらっと見た。
その絵の中の男はまるで自分が市場で梨が熟れているかどうか知るために、その梨を押して確かめるかのように、若い女に微笑みかけていてた。
私は震えた。
彼は耳飾りの鎖の部分を持ち上げていた。
それは窓から入って来る光を捉え、真っ白な小さなパネルに映し出していた。
「ほら、グリエット。」
彼は真珠を私に差し出した。
「グリエット!、グリエット!誰かがあなたに会いに来ているわ。」
マートゲが階段の下から呼んだ。
私は窓の方に踏み出した。
彼は私の横にやって来て、二人は外を見た。
息子のピーターが腕組をして下の通りに立っていた。
彼は見上げて、私たちが窓の所に一緒にいるのを見ていた。
「グリエット、降りて来て、」と、彼が呼んだ。
「話したいことがあるんだ。」
彼はまるでその場所から絶対動かないぞとでも言っているように見えた。
私は窓から後ろに下がった。
「申し訳ございません、ご主人様、」と、私は低い声で言った。
「すぐ戻ってまいります。」
私は急いで物置部屋に行き、頭の布を脱ぎ、帽子と取り換えた。
彼は私がアトリエを通り過ぎる間、私に背を向けて、ずっと窓の所に立っていた。
少女たちはベンチに一列に座って、彼女たちを見つめ返すピーターをまじまじと見つめていた。
「角を曲がって向こうに行きましょう、」と、私はモレンポートの方に向かいながら囁いた。
ピーターは従わず、腕組みをしたままじっと立っていた。
「上で君は何を頭に付けていたんだ?」と、彼が聞いた。
私は立ち止まり、振り返った。
「帽子よ。」
「いや、それは青と黄色だったぞ。」
ベンチでは少女たちの5組の目が私たちを見上げていた。
その後、タンネケが戸口のところに現れ、6組になった。
「お願い、ピーター、」と、私はイライラして言った。
「少し歩きましょう。」
「僕の言うべきことは誰の前でも言えることだ。何も隠すことは無いよ。」
彼は頭を揺り動かした、彼のブロンドの巻き毛が耳の所に落ちた。
私は彼は黙らないだろうと分かった。
彼は私が恐れている事を彼らみんなの前で言うつもりだったのだ。
ピーターは声を荒げる事はなかったが、私たちみんなには彼の言葉が聞こえた。
「僕は今朝、君のお父さんと話し、お父さんは君が18歳になった今結婚する事に賛成してくれた。
君はここを去って私の所に来ることができる。 今日。」
私は自分の顔が熱くなるのを感じた、それが怒りによるものなのか恥ずかしさによるものなのかは自分でも確信が持てなかった。
みんな私がしゃべるのを待っていた。
私は深く息を吸い込んだ。
「ここはそんなことを言う場所じゃないわ、」と、私は厳しい口調で答えた。
「こんな風に路上ではなく。あなたがここに来るのは間違っているわ。」
私は彼の返事を待たず、私が家の中に戻ろうとしたとき、彼は驚いた様子だった。
「グリエット!」と、彼が叫んだ。
私はタンネケを押して彼女の横を通った、彼女がとても小さな声で言ったので、私は彼女が言った事を正しく聞き取れたのか分からない。
「売春婦。」
私はアトリエへの階段を上がって行った。
彼は私がドアを閉めた時と同じように窓の所に立っていた。
「すみません。」と、私は言った。
「帽子を変えてまいります。」
彼は振り返らなかった。
「彼はまだそこにいるぞ。」と、彼が言った。
私は帰って来たとき、窓を横切ったが、私はピーターに私の頭に青と黄色の布が巻かれているのを見えるといけないので、あまり窓の近くには立たなかった。
私の御主人さまは、もはや通りではなく新教会を見下ろしていた。
私はピーターが居ない事をちらっと覗いて確認した。
私はライオンの頭の彫刻の付いた椅子に座って待った。
ついに彼が私に対面するために私の方を向いたとき、彼の眼は彼の本心を隠していた。
今までにも増して私は彼が何を考えているのか分からなかった。
「それで、君は私たちの所を出て行くのだね、」と彼が言った。
「ああ、私には分かりません。そんな路上で言われた言葉なんか気に掛けないでください。」
「君は彼と結婚するつもりなのかね?」
「どうか彼の事を私に聞かないでください。」
「そうだな、私は聞くべきじゃないな。さあ、再開しよう。」
彼は彼の後ろの棚に近づいて、イアリングを取り、私に渡した。
「あなたに、わたしの耳に付けてほしいんです。」
自分でもそんなに大胆なことを言うとは思わなかった。
彼もそうは思わなかったのだった。
彼は眉を上げて、口を開けてしゃべろうとしたが何も言わなかった。
彼は私の椅子の方に足を踏み出してきた。
私の顎は緊張したが、私は自分の頭をじっと保とうと努力した。
彼は近寄って、私の耳たぶに優しく触れた。
私はまるで水中で息を止めるように、息を止めた。
彼は親指と指の間で腫れた耳たぶを触り、ピンと引っ張った。
彼はもう一方の手で耳飾りの紐を耳の穴に通した。
火のような痛みが私の中を走り、目から涙が出てきた。
彼は手を離さなかった。
彼の指が私の首を撫ぜ、顎に沿って動いた。
彼は私の顔の側面を頬迄なぞり、それから私の目からこぼれ落ちる涙を親指で拭った。
彼は親指を私の下唇に走らせた。
私はそれを舐め、塩の味がした。
私は眼をつぶり、その後彼は指を離した。
私がもう一度目を開けた時には彼はイーゼルの所に戻り、パレットを持ち上げていた。
私は自分の椅子に座り、肩越しに彼を見つめた。
私の耳は燃えるように痛く、真珠の重さが耳たぶを引っ張っていた。
私は私の首にあった指、私の唇の上にあった彼の親指以外の事は何も考えることはできなかった。
彼は私を見ていたが、絵を描き始めてはいなかった。
私は、彼は何を考えているのかしら、と思った。
遂に彼が彼の後ろに手を伸ばした。
彼は、「君は左の耳同様、もう一つの耳飾りも付けなければならない、」と宣言し、2つ目の耳飾りをとり出して私に持たせようとした。
暫くの間私はしゃべることができなかった。
私は彼に絵の事ではなく私の事を考えてほしかった。
「何故ですか?」
私はついに答えた。
「絵の中では右の耳は見えないじゃないですか。」
「両方付けなければいけないんだよ、」と彼が言い張った。
「片方だけ付けるなんて馬鹿げている。」
「でも、私のもう一つの耳には穴をあけていないんです。」と、私は口ごもりながら言った。
「じゃあ、君はその事に対処しなきゃあならないね。」と、彼は耳飾りを私に手渡し続けた。
私は手を伸ばしてそれを受け取った。
私は彼のためにそうした。
私は針とクローブオイルをとり出して、私のもう一つの耳に穴をあけた。
私は叫び声を上げなかったし、気絶しなかったし、音も立てなかった。
その後、私は朝中座り、彼は見える方の耳飾りを描き、私は彼の見ない真珠が、炎のように私の耳を刺し続ける痛みを感じ続けた。
水に浸かった服は洗濯用の台所で冷たくなっていて、その水は灰色だった。
タンネケはキッチンでカチャカチャと物音を立てていて、女の子たちは外で大声を上げていて、私たちは閉めたドアの後ろで座りお互いを見つめ合っていた。
そして彼は描いていた。
最後に彼が絵筆とパレットを置いたとき、私は私の目がずっと横を向いていたため痛かったにもかかわらず、姿勢を変えなかった。
私は動きたくなかった。
「終わったよ、」と、彼が言った、彼の声はくぐもっていた。
彼は振り返ってパレットとナイフをぼろきれで拭き始めた。
私はそのナイフをじっと見ていた、ナイフには白い絵の具が付いていた。
「耳飾りを外して、下に降りる時にマリア・シンズに渡しなさい、」と、彼が付け加えた。
私は声を立てず泣き始めた。
彼を見ることなく、立ち上がって物置部屋に行き、そこで青と黄色の布を頭から外した。
私の髪が肩にかかって、私はしばらく待っていたが彼は来なかった。
絵を描き終わった今となっては彼はもう私を必要としないのだった。
私は小さな鏡で自分を映して見、その後耳飾りを外した。
私の両耳たぶの穴から血が出ていた。
私はそれを少しの布で拭き取り、髪を束ねて髪と耳を帽子で覆った、毛先の束を私の顎の下に少し残したままにしておいた。
私がもう一度アトリエに現れた時には彼はいなくなっていた。
彼は私のためにドアを開けたままにしていた。
私は彼が描いた部分、それが完成しているのか、耳飾りは描いてあるのか、絵を見る事について考えた。
私は、誰かが入って来ることを心配しないでそれを注意深く観察できる夜まで待つことにした。
私はアトリエを横切り、後ろ手にドアを閉めた。
私は何時もその決心を後悔していた。
私は出来上がった絵を二度と、ちゃんと見る事はできなかったのだ。
カタリーナは私が耳飾りをマリア・シンズに渡したほんの数分後に帰って来た、マリア・シンズは直ぐに耳飾りを宝石箱に戻した。
私はタンネケを手伝う為、急いで料理用の台所に行った。
彼女は私を真っ直ぐには見ず、横目で見て、時々首を横に振った。
彼は夕食にはいなかった、彼は外に出ていた。
私たちが片付けた後、わたしは洗濯物を濯ぎ終わるために中庭に戻った。
私は新しい水を汲んでもう一度沸かさなければならなかった。
私が仕事をしている間カタリーナは大広間で眠っていた。
マリア・シンズは磔の絵のある部屋で煙草を吸い手紙を書いていた。
タンネケは戸口の前で座り裁縫をしていた。
マートゲはベンチに座りレース編みをしていた。
アデイレスとはリズベットはその横で彼女たちの貝殻の収集物を仕分けしていた。
私はコーネリアには会わなかった。
私はマリア・シンズが「どこに行くつもりなの?」と言った時、エプロンを干していた。
私が仕事を中断したのは彼女が言った内容というよりむしろ、彼女の声の調子の為だった。
彼女は不安そうだった。
私は廊下を通って家の中にゆっくり入って行った。
マリア・シンズが階段の下にいて、上を見上げていた。
タンネケは、既に入口の戸口の所に来て、立って、その日の早朝と同様、家の中を見て彼女の女主人を目で追っていた。
私は階段が軋む音と、重い息遣いを聞いた。
カタリーナが階段を登ろうとしていた。
その瞬間、私は彼女に、彼に、私に何が起ころうとしているかが分かった。
コーネリアがそこにいる、と私は考えた。
彼女は彼女の母親をその絵の所に連れて行こうとしているのだ。
私は待つという悲惨さを省略することができたかもしれない。
私はそこを去って、後ろを振り返らず、洗濯物を持ってドアを出る事もできたかもしれない。
マリア・シンズが階段の下で凍り付いて立っていたので、私は凍り付いて立ち止まった。
彼女も何が起こるだろうかということが、そして彼女がそれを止めることができない事が、分かっていたのだった。
私は床の上に沈み込んでしまった。
マリア・シンズは私を見たが何も言わなかった。
彼女は不安そうに上を見上げていた。
その後階段の物音は止まり、私たちはカタリーナの重い足取りがアトリエのドアに着いた音を聞いた。
マリア・シンズが階段を駆け上がって行った。
私は跪いたままでいた、立ち上がるには疲れすぎていたのだ。
タンネケは前のドアからの光を遮るようにして立っていた。
彼女は腕組みをして、無表情で、私を見ていた。
そのすぐ後、怒鳴り声が聞こえ、その後声が上がったがすぐ低い声になった。
コーネリアが階段を下りてきた。
「お母さんがお父さんに帰って来てほしいって、」と、彼女はタンネケに言った。
タンネケは後ろを向いて外に出てベンチの方を向いた。
「マートゲ、組合でお父さんを探してきてちょうだい、」と彼女は命令した。
「急いで。お父さんに大事なことだから、って言いなさい。」
コーネリアは周りを見回した。
彼女が私を見た時、彼女の顔の表情に光がともった。
私は立ち上がってしっかりした足取りで中庭の方に歩いて行った。
そこには私がやれることは洗濯ものを干して待っていること以外何もなかった。
彼が帰って来た時、私は一瞬彼が中庭に干してあるシーツの間に隠れているいる私を探しにやってくるかもしれないと考えた。
彼はそうはしなかった、私は彼が階段の上にいる音を聞いて、その後何もなかった。
私は温かいブロックの壁に寄りかかり上を見上げていた。
明るく雲一つない日だった、空はあざ笑うかのように青々としていた。
子供たちは大声を上げて通りを駆け上がったり駆け下りたり、恋人たちは街の門を抜け出し、風車の所を通り抜け、運河に沿って歩いて行き、年老いた女性たちは日の光の中で座り、目をつむるようなそんな日だった。
多分私の父は彼の家の前のベンチに座って、彼の顔は温かさの方に向いていただろう。
明日はひどく寒くなるかもしれないが今日は春だった。
彼らはコーネリアに私を呼びに来させた。
彼女が干した洗濯物の間から現れて、顔に残酷なにやにや笑いを浮かべて、私を見下した。
私は、私がこの家に働きに来たあの最初の日にやった様に、彼女の顔をひっぱたきたかった。
しかし私はそうしなかった、私は単に両手を膝に置いて、肩を落とし、彼女がほくそ笑むのを見ながら、座っていた。
太陽は彼女の赤い髪の毛の中に彼女の母親の面影の金色の輝きを捉えていた。
「二階で呼ばれているわよ、」と、彼女がかしこまった口調で言った。
「彼らはあなたに会いたいって。」
彼女は振り返ってスキップしながら家の中に入って行った。
私は身をかがめて靴の埃をすこし掃った。
そして立ち上がり、スカートを真っ直ぐにし、エプロンを平らにし、帽子の端をピンと引っ張って、髪の毛のほつれを確認した。
私は唇を舐めしっかり閉め、深く息をしてコーネリアの後を追った。
カタリーナは鼻を赤くして泣いていた、彼女の目は腫れぼったかった。
彼女は、何時も壁の方に押しやられていて、イーゼルを立てかける時に彼が引っ張って持ってくる椅子に座っていて、ブラシとパレットナイフを入れた戸棚は壁際に押しやられていた。
私が現れると彼女は立ち上がるために体を起こした。
彼女は私をにらみつけていたがしゃべらかった。
彼女は腕をお腹の上に置いて、顔をしかめていた。
マリア・シンズはイーゼルの横に座っていて、まるで彼女には対応しなければならないもっと重要なことがあるかのように、真面目だがイライラしているような様子だった。
彼は彼の妻の隣に座っていて、彼の表情は無表情で、両手を横に当て、目は絵を見ていた。
彼は誰か、カタリーナかマリア・シンズか私が話し始めるのを待っていた。
私はドアのすぐ内側にやって来て立った。
コーネリアが私の後ろに立ち止まっていた。
私は私が立っている場所からは絵を見ることはできなかった。
遂に話し始めたのはマリア・シンズだった。
「じゃあ、お嬢ちゃん、私の娘はどうやってあなたが彼女の耳飾りを付ける事になったのかを知りたがっているの。」
彼女はまるで私が答えることを期待していないかのように言った。
私は彼女の年老いた顔を覗き込んだ。
彼女は私が耳飾りを付ける手伝いをしたと認めるつもりはないだろう。
彼もそうだ、私には分かっていた。
私は何と言えばいいのか分からなかった
だから、私は何も言わなかった。
「あなたは私の宝石箱の鍵を盗んで私の耳飾りを取ったの?」
カタリーナは自分言った事を自分に納得させるかのように言った。
彼女の声は震えていた。
「いいえ、違います、奥様。」
私はもし私が盗みましたといえば、それでみんなが楽になるだろうとは分かっていたが、自分に嘘をつくことはできなかった。
「私にうそをつくんじゃないわよ。
メイドは何時も盗むものよ。あなたは私の耳飾りを盗んだのよ!」
「奥様、それは今も見つからないんですか?」
一瞬カタリーナは私が質問で返したと言う事同様にその質問の内容自体に混乱しているようだった。
彼女はその絵を見て以来、明らかに彼女の宝石箱を確認していないのだった。
彼女は耳飾りが無くなってしまって今、無いのかどうか考えても見たことが無かったのだ。
しかし彼女は私に質問されることは嫌いだった。
「黙りなさい、泥棒。それらはあなたを牢屋に投げ込むでしょうよ。」と、彼女は叫んだ、「そしてあなたは何年もお日様の光を見ないでしょうよ。」
彼女は又、顔をしかめた。
彼女には何か問題があった。
「でも、奥様、」
「カタリーナ、君はそんな状態になってはいけないよ、」と、彼は私の話しを遮った。
「ファン・ライフェンが絵が渇き次第その絵は持ち出し、君は頭の中からその絵の事を追い出すことができるんだから。」
彼は私にしゃべらせたくもなかったのだ。
誰も私にしゃべらせたく無さそうだった。
私は彼らが一体何故そんなに私がしゃべるかもしれない事を怖がっているのに2階に来るように言ったのか不思議だった。
私は、「彼がこの絵を描いている間そんなにも長い時間私を見ていたというやり方はどうなんでしょうか?」と言うかもしれない。
私は、「あなたのお母さんとあなたの夫があなたの後ろに回ってあなたを裏切っていたのはどうなんでしょうかねえ?」と、言うかもしれない。
それとも、私は簡単に「あなたの旦那様は私に触れましたよ、ここで、この部屋で。」と、言うかもしれなかった。
彼らは私が言うかもしれないことが分かっていなかったのだ。
カタリーナはバカではなかった。
彼女は本当の問題は耳飾りではない事は知っていた。
しかし彼女はそうだと思いたがっていて、そういうことにしたがっていたが、自分でもどうしようもなかったのだ。
彼女は自分の夫の方を向いた。
「なぜ、私を描かなかったの?」と、彼女が聞いた。
彼女と彼がお互いに見つめあった時、彼女が彼よりも背が高い、ある意味ではよりしっかりしていることに心を打たれた。
「君と子供たちはこの世界に属していないんだ、」と、彼は言った。
「君たちはそうあるべきじゃないんだ。」
「そして、彼女はその世界に属している、とでもおっしゃるの?」
カタリーナは私の頭を掴んで揺らしながら、甲高い声で叫んだ。
彼は答えなかった。
私はマリア・シンズとコーネリアと私が台所か磔の絵のある部屋にいるか、外の市場にいればよかったのにと思った。
それは男とその妻だけで議論すべき事柄だった。
「そして私の耳飾りも、あなたの絵の世界に属していると言いたいの?」
又しても彼は無言で、その事は彼が何か言う以上にカタリーナの心を逆なでする事だった。
彼女は彼女のブロンドの巻き毛が耳の所で跳ねるほど強く頭を振った。
「私はこれを私の家の中でやらせるつもりはないわ、」と、彼女は宣言した。
「そんなこと、絶対にやらせないわ!」
彼女は周りを激しく見回した。
彼女の目がパレットナイフに落ちた時、私に戦慄が走った。
彼女が棚に向かっていきナイフを掴むと同時に私は前に進み出た。
私は次に彼女が何をするのか確信が持てず、立ち止まった。
しかし、彼には分かっていた。
彼は彼自身の妻をわかっていた。
彼はカタリーナが絵に近づいて行くのと一緒に彼女と一緒に動いた。
彼女の動作は早かったが、彼の動きはもっと早かった、彼は彼女がナイフのひし形の刃の部分を絵に向けて投げ出そうとしたとき、彼女の腰の所を掴んだ。
彼はナイフの刃がちょうど絵の私の目に触れようとしたときに彼女の動作を制止した。
私が立っていたそこからは、私には私の大きな目が、彼がちょうど書き加えたばかりの耳飾りの輝きが、そして絵の前で動くときの刃のきらめきが見えた。
カタリーナは力を振り絞っていたが、彼は彼女の腰をしっかりと捕まえていて、彼女がナイフを落とすのを待っていた。
突然彼女はうめき声を上げた。
ナイフを放り投げ、彼女は自分のお腹を押さえた。
ナイフはタイルの上を私の足の所まで滑り、そして私たちがみんなが見ているところで、くるくるとゆっくり回った。
それはその刃が私の方に向くように止まる事となった。
私はそれを拾うつもりだった。
そうすることがメイドがやるべきことだとされることなのだ、メイドの主人や奥様の物を元の場所に戻すことが。
私が見上げると彼と目が合った、私は彼の灰色のまなざしを長い間見つめていた。
私にはそれが最後の時だと分かっていた。
私はそれ以外の誰も見なかった。
彼の眼の中に後悔の念を見たと私は思った。
私はナイフを拾い上げなかった。
私は振り返って部屋から歩いて行き、階段を降り、タンネケを押しやって、出入り口を通りぬけた。
私は通りに着いたとき、私はベンチに座っているだろう子供たちも、私が押しのけて出てきたので不愉快に思っているだろうタンネケも振り返らなかったし、彼が立っているかもしれない窓を見合上げもしなかった。
私は通りに行き走り出した。
私はオウデ・ラングデイクを走って下って行き、橋を通って市場通りに入って行った。
泥棒と子供たちだけが走るのだ。
私は広場の真ん中に着き、中央にある八芒星のタイルの円の中で立ち止まった。
それぞれの頂点が私が取ることのできる方向を示している。
私は両親の家に帰ることができた。
私は肉広場でピーターを見つけ出し彼と結婚することに合意することができた。
私はファン・ライフェンの家に行くことができた、彼は笑顔で私を受け入れるだろう。
私はファン・レーベンフックの所に行き、私に同情を示すように頼むこともできた。
私はロッテルダムに行きフランを探すこともできた。
私は自分でどこか遠くに行ってしまう事もできた。
私は教皇派の地区に帰ることもできた。
私は新教会に行って神のお導きを祈ることもできた。
私は円の中に立って、ぐるぐると考えながら回っていた。
その選択、私がやらなければならない決断をした時、私はその星型の頂点に沿って慎重にそれが自分に告げている道をしっかりと歩き始めた。
*
私が眼を上げて彼女を見た時、もう少しで私は自分のナイフを落とすところだった。
私はここ10年間彼女と目を合わせたことが無かった。
彼女は少しだけ幅が広くなっていたが、ほとんど同じに見え、昔の痘痕に加えて、彼女の顔には一方の側に新しい切り傷が付いていた。
マートゲは未だに時々私に会いに来ていて、その事故については私に話してくれていた、熱い油の中でマトンの関節が油を飛ばしたのだった。
彼女は肉を焼くのが下手だった。
彼女は実際私に会うために来たのかはっきり分からないくらいずっと遠くに離れて立っていた。
しかし私にはそれが偶然でない事は分かっていた。
10年間彼女は大きな町ではないのに私を避けていた。
私は一度も市場や肉広場や主な運河に沿ったところでたまたまあったこともなかった。
しかしそれ以降私もオウデ・ラングデイクを歩いたこともなかった。
彼女は渋々売り場に近づいた。
私はナイフを置いて、血の付いた両手をエプロンで拭いた。
「こんにちは、タンネケ、」と、私はまるで数日前に会ったばかりのように、静かに言った。
「今までどうしていたの?」
「奥様があなたに会いたいそうです、」と、タンネケがぶっきらぼうに顔をしかめて言った。
「今日の午後家に来るようにって。」
そんな口調で誰かが私に命令したのは数年ぶりの事だった。
お客さんは私に物を頼んだが、それとは違う口調だった。
聞いたことがいやであれば私は断ることもできた。
「マリア・シンズはどんな具合ですか?」と、私は礼儀正しさを失わないようにしながら訊ねた。
「それと、カタリーナはどうですか?」
「その後起こったことを考えると予想通りだよ。」
「彼女たちがなんとかやれるって期待していますよ。」
「私の女主人は財産をいくらか売らなきゃいけなかったよ、だけどその手配も賢くやったよ。
子供たちも大丈夫になるはずだよ。」
昔のように、タンネケは聞いている人には誰にでも、それが、詳細を聞きたくてしょうがないようなことであっても、マリア・シンズを誉める事を止められなかった。
2人の女性がやって来てタンネケの後ろに立って、買い物の順番を待っていた。
私の一部は私がタンネケに、別の詳細を彼女がしゃべるように導いて、多くの事をしゃべるよう促すように、もっと質問できるよう、それらの客が居なければいいのにと願っていた。
しかし、もう一方の私、私がここ数年で身に付けた分別のある方の私は、彼女と関係を持ちたがらなかった。
私は聞きたくなかったのだ。
その女性たちは、タンネケが、ずっと厳しい、しかしさっきよりも厳しくはない顔つきで、頑固に商品棚の前に立ち続けていたので、横の方をうろうろ歩いていた。
彼女は彼女の前に展示されている肉の塊をじっくり見ていた。
「何かお買いになりますか?」と、私は聞いた。
私の質問は彼女を茫然自失状態から抜け出させた。
「いいや。」と、彼女は呟いた。
彼女たちは自分たちの肉を肉市場のずっと離れた方の店で買っていた。
私がピーターと一緒に働き始めるとすぐ、彼女たちは急に肉屋を変えたので、彼女らは彼女らの買った肉のお金さえまだ払っていなかった。
彼女たちには私に15ギルダー(1100円ほど)の借りがあるのだあった。
ピーターは決して彼女たちにそれを請求しなかった。
「それは、僕が君に払った値段なのさ、」と、彼は私を時々からかった。
「今は僕はメイドがどれくらいの値段なのか分かっているさ。」
彼がこれを言った時、私は笑わなかった。
私は小さな手が私の服を引っ張っているのを感じて見降ろした。
小さなフランが私を見つけて私のスカートにしがみついていた。
私は、彼の父親そっくりのふさふさの金髪の頭のてっぺんを触った。
「そこにいたの、」と、私は言った。
「ジャンとあなたのお祖母ちゃんは何処なの?」
彼は私にそれを言葉で言えるには若すぎたが、私はその時私の母と私の長男が商品棚の方に歩いて来るのが見えた。
タンネケは私と私の息子たちを交互に見て、彼女の顔はこわばった。
彼女は私を責めるような目つきで見たが、彼女が思っている事は言わなかった。
彼女は後ずさりして、すぐ後ろにいた女性の足を踏みつけた。
「念のために言うけど、今日の午後絶対来なさいよ、」と、彼女は言い、その後、私が返事をするよりも早く振り返っていなくなってしまった。
彼らには今11人の子供たちがいます、マートゲと市場の噂は私に子供たちの数を教え続けた。
しかし、カタリーナは絵とパレットナイフのあの日に生まれた赤ちゃんを亡くしてしまった。
彼女はアトリエで出産し、彼女自身のベッドまで階段を下りることができなかったのだった。
赤ちゃんは予定日より一か月早産で、小さくて病気がちだった。
赤ちゃんは誕生祝いの宴会からほど遠からず死亡した。
私はタンネケがその死亡のために私を非難していたのだと知った。
時々私は床にカタリーナの血の付いた彼のアトリエを思い描き、彼はまだそこで働いていられるのかしらと思った。
ジャンは彼の弟の方に走って行き隅の方に引っ張って行き、そしてそこで動物の骨を前後に蹴り始めた。
「あれは誰だったの?」と、母が聞いた。
彼女はタンネケに会ったことはなかったのだった。
「お客様の一人よ、」と、私は答えた。
私はよく彼女が混乱するだろうことからは彼女を隔離していた。
私の父の死以来、彼女は新しいことや異なった事や変化に野良犬のようにビクつくようになっていた。
「彼女は何も買わなかったわね、」と、母は指摘した。
「違うの。彼女が欲しいものが無かったの。」
私は母がもっと質問する前に次の客を待つために向き直った。
ピーターと彼の父が二人で牛肉のハラミ部分を抱えて、現れた。
彼らは商品台の後ろにあるテーブルの上に肉を投げ出し、ナイフを取り出した。
ジャンと小さなフランは骨をそこに置いたまま彼らの肉の解体の様子を見るために走って来た。
母は決してその様子に慣れっこになることはなかった。
「外を歩いて来るわ、」と彼女は買い物用のバケツを掴みながら言った。
「今日の午後、子供たちを見ていてくれる?私、ちょっとした雑用があるの。」
「どこに行く予定なの?」
私は眉をひそめた。
以前、母には彼女があまりにたくさん質問をし過ぎると不満を言った事がある。
彼女は年老いて、通常疑うようなことは何もないことに疑り深くなっていた。
しかし、今は彼女に隠すべきことがあるのに、自分自身に奇妙にも平静でいる事に気が付いていた。
私は彼女の質問に答えなかった。
ピーターに関してはもっと簡単だった。
彼は単に仕事をしながらチラッと私を見ただけだった。
私は彼に頷いた。
彼はずっと昔に、たとえ私がなにか言わない様なことをしようと考えていると分かっている場合でも、質問はしないと決めてしまっていた。
彼が結婚式の夜、私の帽子を取って私の耳の穴を見た時も、彼は質問しなかった。
その穴はとっくに傷が治っていた。
そこに残っているのは、2本の指で耳たぶを強く押さない限り感じることができないほどの、小さな硬い肉の塊だけだった。
私がそのニュースを聞いたのは2か月前のことだった。
ここ2か月の間、私は彼に会うのではないかと思うことなしにデルフトを歩くことができた。
何年もの間、私は遠くから組合に行き来する途中や、彼の母親の宿屋の近くで、または肉の広場からそう遠くないところにあるファン・レーベンフックの家に向かう彼を見た。
私は決して彼に近寄って行きはしなかったし、彼が私を見たのかさえも確かではない。
彼は無作法でも意図的でもなく遠くを見つめて通りに沿って、広場を横切って歩いていたが、彼はまるで違う世界にいるようだった。
最初はそれは私にとってとても辛い事だった。
私は彼を見た時は何処にいても、凍り付いた、私の胸は固まってしまい息をすることができなかった。
私は自分の反応をピーター親子から、母から、好奇心の強い市場の噂から隠さなければならなかった。
長い間、彼にとってまだ私が関心事なのだと考えていた。
しかし、暫くして、私は彼が何時も気にしていたのは私ではなく私を描いた絵だったことを認める事になった。
その事は、私はジャンが生まれた時に、それを受け入れることで私の気分を楽にした。
私の息子は、私を私の家族の内側に目を向けさせた、それは私がメイドになる前の、私が子供だった頃そうだったように。
私はジャンの事でとても忙しかったので、私には私の外や私の周りを見る時間がなかった。
手に赤ん坊を抱いて、広場の八芒星の所で立ち止まり、それぞれの頂点の先のずっと先の果てる所には何が有るのだろうと思ったものだった。
通りを横切ったところで私の昔のご主人様にあった時、私の心臓はもはや拳骨のように強く握りしめられるような感覚はなかった。
私はもはや真珠や毛皮について考えなかったし、彼の絵を見たいとも思わなかった。
時には私は通りで、他の人々、カタリーナ、子供たち、マリア・シンズと偶然出くわした。
カタリーナと私はお互いに顔をそむけた。
そうする方が気が楽だったのだった。
コーネリアはがっかりした目つきで私を見ていた。
私は彼女が完全に私を破壊することを望んでいたのだと思った。
リズベットは男の子の世話をするのに忙しかった、彼女は私のことを覚えているには若すぎたのだった。
そして、アデイレスは、彼の父親にそっくりだった、彼女の灰色の目は彼女の近くの何物にも焦点の合わないかのように周りを見ていた。
時間が経って、私の知らない子供たち、彼らの父親の目か彼らの母親の髪の毛に似ている事で彼らがカタリーナの子供たちだと分かる子供たちが居た。
彼らの全員の中で、マリア・シンズとマートゲだけが私に気が付いて、マリア・シンズは私が彼女を見た時軽く頷き、マートゲは私と話すために肉広場の方へこそこそと歩いて行った。
私の私物、壊れたタイル、私の祈祷書、私の付け襟と帽子、を家から持ってきてくれたのはマートゲだった。
数年にもわたって、彼の母親の死と母親の宿屋の経営と、その膨れ上がる借金をどんな風に引き継いだかを、タンネケの油での事故についてを、語ってくれた。
或る日、マートゲは「お父さんが、私をあなたを描いたのと同じように描いているの。私だけをよ、肩越しに振り返っている所を。あれって彼がそんな風に描いたのは他にはないでしょう、あなたも知っているように。」と、嬉しそうに公表した。
全く同じにではない、と、私は考えた。
正確に同じじゃない。
しかし、私は彼女が私を描いた絵について知っている事に驚いた。
私は、彼女はそれを見た事があるのかしらと思った。
私はその事について慎重でなければならなかった。
長い間、彼女は少女にすぎなかったし、私は彼女の家族についてあまりたくさんの事を尋ねるのは正しいことではないと感じていた。
私は彼女が私にニュースの断片を話してくれるのを辛抱強く待たなければならなかった。
彼女が私に対して十分率直になるほど年をとる頃までには、私はもはや私自身の家族を持ってしまった今となっては、彼女の家族にそれほど興味を持たなくなってしまっていた。
ピーターは彼女が尋ねて来るのを大目に見ていたが、私は彼女が彼に居心地の悪い思いをさせている事は分かっていた。
彼はマートゲが絹商人の息子と結婚し、私に会うのが少なくなり始め、彼女の肉を別の肉屋から買うようになって、安堵していた。
10年経った今、私は私が昔働いていた家から急に呼び出されたのだった。
2か月前に、私は一人の女性がもう一人に順番を待ちながら、「そうなのよ、そんなに借金があって11人の子供たちを残して死んでしまうことを考えても見てよ、」と言うのを聞いたとき、私は陳列棚の所で|舌<タン>を切っていた。
私は眼を上げて、そのナイフで私の掌を深く切ってしまった。
私は「誰のことをおっしゃっているの?」と聞き、そしてその女性が「画家のフェルメールが亡くなったのよ。」と答えるまで、その痛みを感じなかった。
私はその仕事を終えた時、私の爪を特別に激しくごしごし拭いた。
私は、とうの昔に何時も爪をしっかり拭くことを諦めてしまっていたが、その事は父親の方のピーターをとても喜ばせていた。
彼は、「ほらね、君は蝿に慣れるのと同じくらい、指が染まることに慣れっこになったんだよ。」と言うのが好きだった。
「君は以前より少しだけ世の中の事が分かっている、何時も自分の両手を清潔に保つことが意味のないことだって。
手は又すぐに汚くなる。
清潔さは君がメイドだった時に思っていたほど大事なことじゃないんだ、そうだろう?」
しかし、私は時々、私が肉の広場から遠き離れたところにいる時にも私に付きまとっているように思われる、肉の匂いを隠す為にラベンダーを潰して上着の下に隠しておいた。
私が慣れっこにならなければいけないことはたくさんあった。
私は別のドレスと、清潔なエプロンと、新しく糊付けした帽子を付けた。
私はずっと同じように帽子をかぶっていて、多分私は最初にメイドの仕事に就いた日とそっくりに見えただろう。
今は私の目はあの頃程大きく無邪気ではなかったのだけは違っていたが。
2月だったが、ひどく寒くはなかった。
たくさんの人々が市場の広場に出ていて、私たちのお客、近所の人、私の事を知っている人は私が10年ぶりにアウデ・ラングデイクに足を踏み入れる事に気付いていただろう。
いずれにせよ私はピーターにそこに行ったことは言わなければいけないだろう。
しかし、今の所そこに行った理由について嘘をつく必要があるかどうかは分からなかった。
私は広場を横切り、その後、広場から運河に架かるアウデ・ラングデイクへと続く橋を渡った。
私は躊躇しなかった、と言うのは自分自身にこれ以上の注目を受けたくなかったからだ。
私は元気よく向きを変えて歩いて行った。
それ程遠くではなく、すぐ、家に着いたが、すごく長く感じられた、まるで何年も訪れた事のない、良く知らない街を旅をしているような感じだった。
穏やかな日だったので、ドアは開いていて、4人の子供たちがベンチに座っていた、私が最初にここに着いたときに年長のお姉さんたちが一列に座っていたように、男の子2人、女の子2人、並んで座っていた。
年長の男の子は、マートゲがやっていたように、シャボン玉を吹いていたが、彼は私を見た瞬間パイプを置いた。
彼は10歳か11歳ぐらいに見えた。
私は、私が知っていた彼の中の赤ん坊の部分はあまり見えなかったが、すぐに、彼がフランシスカスに違いないと気が付いた。
しかしその頃、若かったので赤ちゃんについてあまり考える事はなかった。
それ以外の子供たちは、たまに街中で年長の女の子たちといるのを見かける以外は、私には見分けがつかなかった。
彼らはみんな私をじっと見ていた。
私はフランシスカスに話しかけた。
「あなたのお祖母ちゃんにグリエットが会いに来ているって伝えてちょうだい。」
フランシスカスは二人の内の年長の女の子の方を向いた。
「ビエトリックス、行ってマリア・シンズを探して来て。」
少女は従順に飛び上がって家の中に入って行った。
私はずっと昔、マートゲとコーネリアが私が来たことを知らせに慌てて走って行った時のことを思い出して、一人微笑んだ。
子供たちは私を見つめ続けていた。
「僕はあなたの事を知っているよ、」とフランシスカスが宣言した。
「私は君が私を覚えているなんて疑わしいと思うわ。
私があなたを知っていた時はあなたは赤ん坊にすぎなかっただったじゃない。」
彼は私の言った事を否定し、自分だけの考えに耽っていた。
「あなたは、絵に描いてある女の人だよ。」
私はびっくりし、フランシスカスは勝ち誇ったように笑った。
「そう、あなただ、絵の中ではあなたは帽子は被って居なくて、素敵な青と黄色の布を頭に巻いていた。」
「その絵は何処にあるの?」
彼は私が聞いたのに驚いたようだった。
「ファン・ライフェンの娘と一緒に見たんだよ、勿論。彼は去年死んだんだ、知っているよね。」
私はそのニュースを秘かな安堵の念と共に肉の広場で聞いたのだった。
ファン・ライフェンは私が去って以来一度も私を探そうとはしなかったが、私は何時もいつか彼がまた脂ぎった匂いをさせて、まさぐるような手をして、現れるのを怖がっていた。
「もしその絵がファン・ライフェンのところにあったのなら、どうやって君はその絵を見たの?」
「お父さんが短期間絵を貸してくれって頼んだんだ、」と、フランシスカスは説明した。
「お父さんが死んだ翌日、お母さんがそれをファン・ライフェンの娘に送り返したんだ。」
私は震える手で自分のマントを整え直した。
「彼は絵をもう一度見たがったの?」
私は小さな声で、やっとのことで言った。
「やあ、お嬢ちゃん。」
マリア・シンズがやって来て戸口のところに立っていた。
「ここではあの絵は物事の何の解決にもならなかったよ、そう断言できるよ。
しかし、あの時までには彼は私たちが敢えてダメだって言えるような状態じゃなかったよ、カタリーナでさえもね。」
彼女は全く同じように見えた、彼女は決して年をとらないだろう。
或る日彼女は寝に行き、起きてこないだけだろう。
私は彼女に向かって頷いた。
「ご愁傷さまでごさいます、大変だったでしょう、奥様。」
「そうさ、人生は愚かなものさ。
お前も充分長生きをすれば、驚くようなことは何もなくなるよ。」
私はそんな言葉に何と返事をすればいいか分からなかった、だから私は事実だと思う事だけを言った。
「あなたが私に会いたかったのですよね、奥様。」
「いや、お前に会うことになっているのは、カタリーナだよ。」
「カタリーナ?」
私は自分の声に驚きを隠せなかった。
マリア・シンズは苦笑いをした。
「お前は自分自身に考えを留めておくことを学ばなかったね、そうだろう、お嬢ちゃん?
かまわないさ、私はお前の肉屋がお前に多くを望みすぎなければ充分彼とうまくやっていけると期待しているよ。」
私はしゃべろうと口を開けたが、その後閉じた。
「あの夜。お前は学ぼうとしていた。
今、カタリーナとファン・レーベンフックが大広間にいる。
彼は遺言の執行人だよ、分かったね。」
私は分からなかった。
私は彼女が言った意味を、そして何故ファン・レーベンフックがそこにいるのか、尋ねたかったが、私は敢えてそうしなかった。
「はい、奥様、」と、私は簡単に答えた。
マリア・シンズは短くクスリと笑った。
「私たちがメイドに経験した最大の問題だよ、」と、彼女は呟き、頭を振りながら部屋の中に消えて行った。
私は前の玄関に足を踏み入れた。
そこにはいまだに壁のあらゆるところ絵が掛けられていて、いくらかのものは判別がついたがその他のものは分からなかった。
私はそれらの静物画や海の風景画の間に私の絵があるのではないかと半分期待していたが、勿論、無かった。
私は彼のアトリエに続く階段を見上げて立ち止まった、私の胸は緊張していた。
かれがそこにいないと分かっていても、私の上に彼の部屋があるその家に立つ事は、私が耐えられるだろうと考えていた以上の事だった。
何年もの間、私は私が彼の傍で絵具を砕き、窓の光の中で座り、私を見ている彼を見てきた時間を自分自身に考えさせないようにしてきていた。
この2か月間で初めて私は彼が死んだことを充分に気が付いたのだった。
彼は死んでしまいもはや絵を描くこともないのだ。
マリア・シンズとカタリーナが望んでいたように彼は速く絵を描くことはほとんどなかったと私は聞いていた。
少女が磔刑の絵の置いてある部屋から顔を出したとき、私は深呼吸をして彼女に向かって廊下を歩いて降りて行った。
コーネリアは今や私が初めてメイドになったのと同じくらいの年齢になっていた。
彼女の赤い髪は10年以上がたち暗い色になり、リボンやヘヤバンドを付ける事はせず、簡素に整えていた。
彼女は時間が立ち私を威格するような態度はしなくなっていた。
実の所、私は彼女をかわいそうだとさえ思った、彼女の顔は彼女の年齢の少女の与える狡猾さでゆがみ、醜く見えた。
私は彼女に何が起きるのだろうかと思った、彼女たちみんなに何が起きるのだろうかと思った。
タンネケは彼女の奥さまの物事の処理能力に信頼を置いているが、大きな借金を抱えた大家族なのだ。
私は、彼女らがパン屋の借金が3年間払えなくて、私の御主人さまが死んだあと、パン屋はカタリーナをかわいそうだと思い借金をチャラにするために絵を行け取った、と市場で聞いていた。
一瞬、私はカタリーナがピーターからの借金を清算するために絵を差し出すのではないかしらと思った。
カタリーナが部屋に入るように頭で合図をしたので私は大広間に足を踏み入れた。
大広間は私が働いていたころからそれほど変わっていなかった。
ベッドにはまだ緑色の絹のカーテンが掛かっていて、今は色あせていた。
象牙のはめ込み細工の施された棚も、テーブルも、スペイン風の革張りの椅子も、彼の家族と彼女の絵もそこにあった。
全てのものが古く、埃が付き、ボロボロに見えた。
赤と茶色の床のタイルはひびが入り、ところどころ欠けていた。
ファン・レーベンフックはドアに背を持たせかけて、両手を後ろに組み、居酒屋で酒を飲んでいる兵士の絵を見つめながら、立っていた。
彼は私の方に振り返り私に頭を下げ、未だに親切な紳士だった。
カタリーナはテーブルに座っていた。
彼女は私が思っていたように黒い服を着てはいなかった。
彼女が私をなじっているのかどうかは分からなかったが、彼女はオコジョの毛皮の縁取りの付いた黄色の外套を着ていた。
それもあまりにも何度も着たために、色あせてしまったかのように見えていた。
袖にはへたくそに修理された裂け目があり、毛皮には方々に虫に食われた場所があった。
それにもかかわらず、彼女はその家での上品な婦人としての彼女の役割を演じていた。
彼女は髪を注意深く結い白粉を付け真珠の首飾りを付けていた。
彼女は耳飾りは付けていなかった。
彼女の表情は彼女の上品さにはそぐわなかった。
彼女の頑固な怒り、彼女の不本意な感情、彼女の恐れはどれほど白粉を厚く塗っても隠すことはできなかった。
彼女は私に会いたくはなかったのだが、会わなければならなかったのだった。
「奥様、私に会いたかったんでしょ。」
私は彼女に私が来たことを報告するにはその言い方が一番いいだろうと思ったが、私はしゃべりながらファン・レーベンフックを見た。
「そうです。」
カタリーナは彼女が他の貴婦人にしなければいけないようなしぐさで、わたしに椅子を勧めることはしなかった。
彼女は私を立たせたままにしていた。
彼女が座り、私が立っていて、彼女が始めるのを待って、そこには奇妙な静寂があった。
彼女は明らかにしゃべろうと奮闘していた。
ファン・レーベンフックが脚を組み替えた。
私は彼女を助けようとはしなかった。
私にできる事は何も無いようだった。
私は彼女の手が何枚かの書類をめくり、彼女の肘の所にある宝石箱の端に行き、化粧ブラシを取り上げ、それをもう一度置くのを見ていた。
彼女は白い布で両手を拭いた。
「あなたは私の夫が2か月前に死んだのは御存じでしょう?」
遂に彼女が話し始めた。
「聞いております、奥様。
はい。その事を伺い心より哀悼の意を表します。神が彼と共にあります様に。」
カタリーナに私の小さな声が聞こえたとは思えなかった。
彼女の心はどこか別の所にあった。
彼女はまたブラシを取りだしブラシに付いた毛に指を通した。
「私たちがこの状態になったのはフランスとの戦争の為なの。
そのため、ファン・ライフェンでさえ絵を買いたがらなくなったの。
そして私の母は家賃を集めるのに苦労するようになったの。
そして彼は彼の母親の宿屋のローンを引き継がなければならなくなったの。
だから、物事がとても難しくなったのは驚くにはあたらないのよ。」
私が最後にカタリーナに期待したのは、何故彼女たちが借金するまでになってしまったかの説明だった。
結局今の15ギルダー(1000円程)はそれほどの多額ではないです、と、私は言いたかった。
ピーターはそれを放っておいてくれます。
もうそれについてそれ以上考えていません。
しかし私はあえて彼女の話に口を挟まなかった。
「それに加えて、子供たちがいるでしょ。
11人の子供たちがどれほどパンを食べるか知っていますか?」
彼女は私をちらっと見て、それから化粧ブラシに目を落とした。
一枚の絵は3年以上の価値があります、と私はそっと答えた。
一枚のとても立派な絵は、同情的なパン屋にとって。
廊下でタイルのカチッという音と、ドレスを手で押さえる音が聞こえた。
コーネリアはまだ秘かに見張っているんだ、と私は思った。
彼女もそのドラマに参加しているのだ。
私は自分の聞きたい質問を押しとどめて待った。
ファン・レーベンフックがついにしゃべった。
「グリエット、一つの遺書が作成された場合、」と、彼は深みのある声で話しはじめ、「借金を考慮しながら資産を確定するために、家族の所有物の目録が作成されなければなりません。
しかし、それがなされる前に、カタリーナが対処したがっている私的な事柄があります。」
彼はカタリーナをちらっと見た。
彼女は化粧ブラシを持て遊んでいた。
彼らは未だにお互いを好きではないのだろう、と私は思った。
できれば同じ部屋に一緒にいることさえないだろう。
ファン・レーベンフックは、テーブルから一枚の紙を取り上げた。
「彼は、彼が死ぬ10日前にこの手紙を私に当てて書いた、」と、彼は私に言った。
彼はカタリーナの方に向き直った。
「君はこれを実行しなければならない、」と、彼は命じた、「というのは、与えるべきものはあなたの物だからだ、彼の物でも私のものでもないからだ。
彼の遺言の執行者としては、私はむしろこれを証言するためにここにいるべきではないかもしれないが、彼は私の友人で、私は彼の望みが実行されるのを見たいのです。」
カタリーナはが彼の手から紙をつかみ取った。
「私の夫は、ご存じのように病人ではなかったの、」と、私の方を向いて言った。
「彼は本当に彼の死の、2日前まで、病気ではなかったのです。
彼を精神錯乱に駆り立てたのは借金の重圧だったのです。」
私は私の御主人さまが精神錯乱状態にあるなんて想像もできなかった。
カタリーナが手紙に目を落とし、ファン・レーベンフックをちらっと見て、それから彼女の宝石箱を開けた。
「彼はこれらをあなたに持っているように頼んだのです。」
彼女は耳飾りをとり出して、一瞬躊躇した後、テーブルの上に置いた。
私は気絶しそうになり、自分をじっと保つために椅子の背に指を軽く触れ、目を閉じた。
「私はそれを身に付けたことはありませんでした、」と、カタリーナは苦々しい口調で言った。
「身に付けられなかったのです。」
私は眼を開けた。
「私はあなたの耳飾りは付けられません、奥様。」
「なぜ?以前、一度付けたじゃない。
それに、決めるのはあなたじゃないの。
彼があなたのために決めたの、そして私のために。
もうそれはあなたの物なの、だから受け取りなさい。」
私は躊躇し、その後、手を伸ばしてそれを持ち上げた。
それは私が覚えているように、冷たくすべすべした手触りだった、そしてその灰色と白の曲線の中に、世界が写っていた。
私はそれを受け取った。
「さあ、行って、」
カタリーナは涙を隠しながらくぐもった言葉で命じた。
「私は彼に頼まれたことをやったのよ。」
彼女は立ち上がり、手紙をくしゃくしゃに丸め火の中に投げ込んだ。
彼女はそれがめらめらと燃えるのを見、私の方を振り返った。
私は本当に彼女に悪いなあと思った。
それは彼女からは見えなかったが、わたしは敬意を持って彼女に頷き、その後ファン・レーベンフックの方に振り返った、彼は私に微笑んだ。
ずっと昔、彼は私に「自分を保つように気を付けなさい」と、警告したのだった。
私はあの時そうしたのだろうかしらと思った。
それを知ることは何時も簡単というわけではなかった。
私は、耳飾りを掴んだまま床を横切り、私の足は緩んだタイルをカチャカチャと鳴らしていた。
私はそっと後ろ手にドアを閉めた。
コーネリアが玄関に立っていた。
彼女が着ている茶色のドレスは数か所で修理されていて、本来あるべき程清潔ではなかった。
私が彼女の横を通り過ぎようとすると彼女が低いもの欲しそうな声で「あなたはそれを私にくれてることもできるわ。」と、言った。
彼女の貪欲な眼差しは笑っていた。
私は近づいて彼女をひっぱたいた。
私が市場の広場に帰って来た時、私は中央にある星の所で足を止め、手に持った真珠を見下ろした。
私はこれをずっと持っている事はできなかった。
これをどうしようかしら?
私はピーターにこれを持ってきた事を言う事はできなかった、それはずっと昔に起きたことを全て説明する事を意味していたからだ。
とにかく、私はその耳飾りを身に付けることはできなかった、肉屋の女将はそんなものは身に付けない、メイドが身につけないのと同じ様に。
私は星の周りを数回歩いて回った。
その後、私は、新教会の後ろの通りにひっそり佇む、聞いたことはあるが一度もそこに行ったことのない場所へ向かって歩いて行った。
10年前だったらこんな場所へは行かなかっただろう。
その男の商売は秘密を守ることだった。
私は彼が私に質問しないし、私が彼の所に行った事さえ言わない事は分かっていた。
たくさんの商品が行き来するのを見て、彼はもはやその商品の背後の物語に興味を抱かなくなっていた。
彼は耳飾りを光りに翳して見て、それをかじり、それを外に持って行って目を細めてみた。
「20ギルダー(1500円?現在のレートなので当時の価値は不明)。」
私は頷いて彼が差し出した硬貨を受け取り、後ろを振り返ることもなくそこを去った。
そこには私が説明する事の出来ない余分の5ギルダーがあった。
私は5枚の硬貨を他の硬貨からわけ、しっかりと手の中に握った。
私はそれらをピーターと子供たちが見ないどこかの場所に隠すだろう、わたしだけしか知らない思いもよらない場所に。
私はそれを決して使わないだろう。
ピーターは残りの硬貨で喜ぶだろう、借金が解消されて。
私は彼に何のお金を掛けさせなかったことになるだろうから。
メイドは自由の身になったのだった。
おしまい