Foorinの「パプリカ」のを見ながら考えたこと。

テレビではFoorinが「障害」のある人たちと歌いながらダンスをしていた。
最近は障害とは言わず個性と言うのだそうだが、私はそのような風潮に疑問を抱いている。
これは、新しい形の「障害者の差別化」ではないのか、と思う。
人間の「差別化」は昔から存在していた。
能力のあり無しで人間を差別する、階級を作って人間を差別する。(金)(ビ)(まるきんまるび)などという差別も昔々流行りましたねえ。

考えても見てほしい、この番組に出ている数人の「障害」のある人々の裏には何もできない「障害者」、ただ生きているだけの「障害者」が何億と存在している。
相模原障害者施設殺傷事件の犯人が言う所の「社会的に役に立たない」障害者が存在する事を考えてしまった。

僕がパラリンピックに対していだいていた違和感はこれだったのか、と気が付いた。
つまり今の社会は一般人の差別化では飽き足らず「障害」者の差別化に足を踏み込もうとしているという事なのだ。