もぉダメかもと思ったところからもぉ一踏ん張り!
試合から2日。正直言って10年続けたボクシングを辞めようと思った。
結論から言うと、もう一度頑張る。続けることにした。
どちらも簡単に決めたわけではない。
これぐらい、この試合にかけていたとは言わない。相手も同じ。いや、それ以上。
辞める理由は幾つでも見つけられた。だから辞めるのは簡単なんだな。
試合に負けてから一番初めに電話したのは兄だった。
「辞めるのも、続けるのもどっちも正解。」と言われた。
辞めて欲しくなさそうだったけど。
「辞めるのは簡単だけど、続けたやつにしか分からない景色があると思う。」と、
これまた臭いセリフを吐いていた。
「まあ少し考えるわ。」と電話を切った。
試合が終わって嫁さんと話をした。
初めてのボクシング観戦が、旦那のKo負け。ほんとに怖い思いをさせてしまって申し訳ないと思った。
「僕がボクシングやめたらどう?」
「いいよ、やめて」
嬉しそうだった。
でも、辞めようとする気持ちと裏腹にもう一度
「もう一回ボクシングがしたい」
僕はそう伝えていた。
「いいよ、やって」
加えて、「頭守る勉強してください」と、
10分ぐらい続いた。
それから、
「応援する、はその時だけ。私はずっと一緒にいます。分かりますか。じんちゃんがバカになって欲しくないですよ。今もちょっとバカから。」
復帰の許しは貰えたけど、自分ひとりじゃないことを認識した。
試合の次の日ジムにファイトマネーを取りに行った。
会長に相談したいことがあった。
「僕はボクサーとしてまだ戦えますか?壊れてないですか?」
(ボクサーは打たれ過ぎたり倒されたりして、今まででは倒れなかったパンチで簡単に倒れてしまうことがある。脳が倒されたパンチを覚えてしまうとかなんとか。それを”壊れる”という。)
2連続KO負け。自分が今まで通り戦えるか不安だった。
身近な人からも電話があった。
「倒されたパンチはどうだった?」と細かく聞かれた。
僕がボクサーとして壊れてるんじゃないかと勘繰られてしまった。悪気は無いし、気にしていない。
当然、そう思われても仕方がないから。
ボクサーとしての商品価値が下がったのも、全てが事実。
会長からは、
「あのパンチのもらい方したんだから、倒されても仕方ないよ。」
「壊れていたらすぐに俺が辞めさせる。そういう倒れ方じゃない、心配しなくていい。」
と、笑っていた。
その夜、
会長から一通のLINEが入っていた。
(普段、会長から来るLINEはボクシングの用事だけ。)
思わず泣いてしまった。
こんな良いジムに、会長に出会えて良かった。
普段ふざけたことしか言ってないけど、世界チャンピオンはやっぱり違う。
ジムの宣伝にもなると思うので、無断で載せさせて頂いた。セレスジム最高だ。
他にも、応援してくれる方達から暖かいメッセージが沢山届いた。
「君の生き様を応援したいんだ」
「また落ち着いたらご飯に行こう。返信不要。」
「南出は絶対にチャンピオンになる選手。」
僕のTwitterのフォロワーさんは暖かい方ばかりだ。
「これでしゅんとなってしまう男ならはなから応援していません。必ず巻き返してくれるはずです」
「強くなる過程。これが物語の途中。南出仁のクライマックスはまだ先。」
「ナイスファイトをありがとう」
まだ返信出来ていないけど読ませてもらっている。
大学の同期で親友だと思っている沖島輝からも激励のメッセージが届いた。
同期だから、近くで見ていたからこそ輝の言葉が重く響いた。
”もぉダメかもと思ったところからもぉ一踏ん張り!”
現役時代、輝は「限界からの挑戦」ってよく言ってた。
ほんとにそういう練習をしていた。
それに双子の兄の翼と二人でよく練習着や練習道具、シューズなんかを買って僕にプレゼントしてくれた。
いつも遠慮するのだが、押し切られてしまう。
カッコいい友達だ。
頑張れる。
スポンサーをしてくれてる松原さんとは夜中の1時過ぎから24分も電話していた。
僕が10年前にボクシングを始めた時に1番初めにジムで顔を覚えた人だ。
自分も元プロで和歌山のジムでトレーナーをしていた。
全力で応援してくれる人。
いつも一生応援すると言ってくれている。
今回、僕の力というより周りの方達の力で僕はやる気にさせられた。
自分で決めることだし、自分の為に戦うんだけど。
ほんと応援してくれてありがとうございます。
簡単な言葉になってしまうな。
難しい。
とりあえず頑張ります。
先は見えませんが、少しずつまたコツコツやっていきます。
これからもよろしくお願い致します。
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とんでもない所を目指しています。
俺なら出来る。
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