南田 波

考えていることや、思ったことを書き留めておく場所(にしたいとおもってます)。https://bsky.app/profile/minamidanami.bsky.social

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最近の記事

映画『正欲』を鑑賞して

 朝井リョウ原作の『正欲』が2023年に映画化された。この記事では、作品に対する私の感想を、特に印象に残るシーンをピックアップしながら語っていきたいと思う。ネタバレが気になる方は、作品を鑑賞してからこの記事に目を通していただきたい。  この作品の「主人公」を決めるのは難しいが、桐生夏月視点で物語が動く場面が多いため、桐生夏月が特に印象に残る人物になるだろう。夏月は水に性的に惹かれる人で、その事実を周りに隠しながら生きている。作品の中でもその事実を知るのは、同じく水に対して性

    • 『虎に翼』の感想

       NHKの朝ドラ『虎に翼』が9月27日、最終回を迎えた。私自身、このドラマが放送されたことで、7時30分 (BSでの放送時間) が楽しみになり、さまざまなシーンでハッとさせられ、涙した。この記事では、『虎に翼』の感想を放送を思い出しながら書いていきたいと思う。  まず、この作品の中心にあったのは、私たちの生活に固くこびりつく「差別」の問題だったと思う。寅子が生きた時代を描くことで、今を生きる私たちの社会の中に確かにある差別が浮き上がって見えるような、鏡のような作品だった。

      • その「強さ」は大丈夫?

         前回、「やさしすぎるって何だろう?」という問いについてぐるぐる考えてみたけど、今回は「強さ」について考えてみようと思う。  この記事でいう「強さ」とは、辞書的な意味に縛られず、「強さ」という言葉が日常生活でどのように響いているのか、染み込んでいるのかに着眼して自分なりに捉えてみたものだ。言ってみれば「見せかけの強さ」ということかもしれない。  日常の中で、あるいはネットで、「強さ」という言葉はどのように消費されているだろう。私が思い当たる「強さ」の特性をいくつか挙げてみ

        • 社会的道徳とか人権尊重よりも、いかに過激か単純明快か注目を浴びるか人より上に立った気分になれるか、そういう「毒」があまりにもたくさんの人に無意識のうちに回った世界で何をするか。それがこれからのテーマです。

        • 映画『正欲』を鑑賞して

        • 『虎に翼』の感想

        • その「強さ」は大丈夫?

        • 社会的道徳とか人権尊重よりも、いかに過激か単純明快か注目を浴びるか人より上に立った気分になれるか、そういう「毒」があまりにもたくさんの人に無意識のうちに回った世界で何をするか。それがこれからのテーマです。

          「強いリーダーシップ」と、人から「強い」人として持て囃されるときの「強さ」って本来ずれてるんじゃないかな。何かを言い負かそうとか、いわゆる「論破」と紐づくような「強さ」を持った人にリーダーとしての素質はないと思うんだけど。 #つぶやき #リーダー

          「強いリーダーシップ」と、人から「強い」人として持て囃されるときの「強さ」って本来ずれてるんじゃないかな。何かを言い負かそうとか、いわゆる「論破」と紐づくような「強さ」を持った人にリーダーとしての素質はないと思うんだけど。 #つぶやき #リーダー

          「やさしすぎる」って何だろう?

           『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』という小説がある。  とある大学のぬいぐるみサークル、略して「ぬいサー」を舞台に、鈍感でいられない人たちの、ぬいぐるみと、そして人とのコミュニケーションを描く物語だ。世の中の「恋愛」と呼ばれるものが分からない人の物語でもあり、加害と被害の物語でもあり、「やさしさ」とは何かを問う物語でもあると私は思う。多くの人に読まれてほしい作品だ。  この小説を初めて読んだとき、私は最後の物語の締め方に、言ってしまえば「喰らった」。    ここで

          「やさしすぎる」って何だろう?

          いま読んでる本に「SNSは世論じゃない」というしっかりとした解説があって、自分もSNS(特に旧Twitter)を見ていて落ち込むこともあるけど、「SNSは世論じゃない」という言葉は薬のように頭の中に常備しておこうと思った。

          いま読んでる本に「SNSは世論じゃない」というしっかりとした解説があって、自分もSNS(特に旧Twitter)を見ていて落ち込むこともあるけど、「SNSは世論じゃない」という言葉は薬のように頭の中に常備しておこうと思った。

          倫理で縛られてるから生きるのが辛いのではなくて、倫理を機能させる気がない人が舵を握ってるから倫理が崩壊していて生きることがつらい人が多いの。有害な男性性を持つ人が言う「肩身が狭い」は、生きる辛さのことではなくて汚らしい我儘なの。

          倫理で縛られてるから生きるのが辛いのではなくて、倫理を機能させる気がない人が舵を握ってるから倫理が崩壊していて生きることがつらい人が多いの。有害な男性性を持つ人が言う「肩身が狭い」は、生きる辛さのことではなくて汚らしい我儘なの。

          メモ帳に残していたつぶやき

          ・「真面目」という言葉がネガティブな意味を持つようになって、ちょっと嫌。「真面目」には主に「誠実」「従順」の2つの要素があるんだと思う。従順であることには注意を払わなければならないし、私自身もいいイメージは持っていない。「真面目」という言葉に引っかかったり、「真面目すぎる」という言葉に傷つくときは、「誠実さ」まで否定されたような気持ちになるから? ・頭の中に「この人の言っていることはもしかしたら違うかもしれない」という不信の余地を少しでもいいから残しておくことが健全な信頼な

          メモ帳に残していたつぶやき

          誇張表現の話:「一瞬だった」「秒で終わった」は誇張表現として過剰だな~と思うときが多いけど、「あっという間だった」にはそこまで過剰感がないのは「あっという間だった」が使われてきた長い歴史があるからなのかもしれない……。生活に入り込んで歴史を作ってしまう前に誇張表現を考え直したい。

          誇張表現の話:「一瞬だった」「秒で終わった」は誇張表現として過剰だな~と思うときが多いけど、「あっという間だった」にはそこまで過剰感がないのは「あっという間だった」が使われてきた長い歴史があるからなのかもしれない……。生活に入り込んで歴史を作ってしまう前に誇張表現を考え直したい。

          「一貫性の呪い」

           「一貫性がない」「以前と言っていることが違う」など、他人の意見が変わることに対してネガティブな発言を、 SNS などに限らずさまざまな場で触れる機会が多い気がする。確かに、話し相手にあまりにも意見をころころ変えられてしまったら困惑するだろうし、立場が逆の場合でも、意見を変えてしまったら信頼を失うのでは? 恥をかくのでは? と思ってしまう人も多いのかもしれない。しかし、だからこそ考えてみたい。一貫性ってなぜ、こんなに重要視されているんだろう? 「意見を変えること」って恥ずかし

          「一貫性の呪い」

          「モヤモヤする」という言葉について

           先日、X (旧Twitter) の自分のタイムラインに「モヤモヤするという言葉が嫌だ」という旨の引用ポストが流れてきた。「言語化せずに不満を伝えようとしているのが嫌だ」ということらしく、私のフォローしている人も、このポストに賛同していた。だが、あえて言うならば私はこのポストに「モヤッた」。  少しして、詩人の文月悠光さんが「モヤる」について「私は肯定的かな」というポストをしていた。「言語化していない/説明していないからダメと否定すること」に懐疑的であるという立場を表明して

          「モヤモヤする」という言葉について