【英語教育】息子には”勉強”させたくない
コロナの話ばっかりだったので全然気づいていなかったけれど、
今年の4月から外国語教育改革が実施され、小学校から英語が必修科目になった。
私はこれを知って、明治時代は文明開化の日本に思いを馳せた。
小さい頃から外国語に触れるのはいいことだとは思う。けれど、根本的な部分が抜け落ちてしまう気がしている。
私が感じた、語学を学ぶことの魅力
わたしは運動オンチで根暗なので、昔から外で活発に遊ぶよりも家で本を読んだりする方が好きだった。
子供ながらに、本を読んでいたりすると「えらいね」と褒められたので、いやな気持ちはしなかったし、一人でムフムフするのがたぶん性に合ってた。
中学校くらいから古文や歴史の楽しさをしって、特に語学にはドはまりした。
その時の気持ちをよくよく思い出してみると、わたしにとって語学は“勉強“ではなかった。
日本語も含めて全ての言語は、当たり前だけれど
喋る人がいて、聞く人がいて、そうしたやり取りの中で生まれ、変化して、時に消滅していく。
英語・フランス語に関していえば、ラテン語がルーツの言葉を沢山持っていたから、語源を知るのは最高に面白かった。
単語1つ1つに、今に至るまでの壮大な紆余曲折を想像すると、つくづく言葉というものは生きているのだと感動した。
こういうところをわかりやすく、人に伝えられるようになりたいのに、これがすごく難しい。
たとえば、
平仮名の「あ」という文字は、元々は漢字の「安」から生まれた。
何度も何度も人によって「安」が書かれるうちに、崩されて今の「あ」の形になった。
さらに、「安」という漢字は象形文字で、家の中に女の人がくつろいでいる様子を表している。
そんなことを知ったりすれば、私は ほぉぉぉぉたのしいいいwww と高まる。
・・・わかってもらえるかな。笑 これと同じようなことが英語にもフラ語にもある。
別にそれを知ったからどうってことはないのだけれど、
知っていると“好き”になる。
「あ」という文字を見れば、柔らかい表情の女性が目に浮かぶ。
その様子を文字にしようと決めた人の存在を愛おしく思う。
平仮名の一文字目ですら、こんな “ストーリー”があるのだから、世界中の全ての事象も同じだろう。
そう想像するのは、果てしない宇宙に思いを馳せるロマンと似ている。
学問は「暇」から生まれた
そもそも、「勉強」が上からの”押し付け“っぽくなったのは明治時代に端を発する。
文明開化、富国強兵。当時の政府要人が必死だったのもわかる。そうでもしなければ、生き残る道はなかったのだと思う。
結果、外の世界を知り、知識を得ることが美徳とされ、励み、努力すること推奨された。
ひるがえって、学校を意味するSchoolとは、ギリシャ語の「暇」に語源を持つ。
古代ギリシャ人は奴隷が労働してくれるおかけで、めちゃんこ暇だったので、星見たり、生命の根源を考えたり、色々する時間があった。
結果、それらが最古の学問と言われる天文学や哲学に繋がっていく。
元々は暇人が集まって自由に考えごとをしていた場が、今日本では義務付けられた労働のようになっているのは、皮肉というか、悲しいことだ。
暇を持て余した古代ギリシャ人のごとく
息子が英語を学ぶのなら、
なぜ、小学校を“エレメンタリースクール“というのか。
なぜ、大学を”ユニバーシティ”というのか。
そういうことに疑問をもってほしい。
そうしたら、わたしは、
Elementは、万物を構成する”元素”のことで、Universeとは”宇宙”の意味。
小さいから小学校、大きくなったから大学、という単純な事ではなさそうだ。
じゃあ、なんでこんな名前になったんだろ?と、一緒に調べたい。
そもそも、日本語を疑ってかかるべきなのは、明治時代に間違って訳された外国語が多いからで、いま、小学校から英語を導入したとしても、同じようなことが起こるんじゃないかと思う。
つまり、暇を持て余した古代ギリシャ人のごとく、考え、学び、知ることが、どんなに楽しいか。
それをどうやって息子に伝えようか、妄想しているってハナシ。
※追記
既にかなりの重労働な小学校の先生に「英語はルーツから教えるべき!」なんて無理難題を言いたいわけではないので悪しからず・・