Z9から離れた日
私、外に出る時は基本的にカメラ2〜5台を持って歩くんですけれど、その中に必ずZ9がいるんです。これは外せないカメラ、というか。これを持っていれば良い絵が撮れるんだよな、みたいな呪縛があって。
でも最近Z9以外のカメラを持って外に出たんです。
姉が使わないからとくれたFUJIFILM XT-10とNikon F2とお借りしているRolleiflex、あとポケットにRICOH GR IIIxを忍ばせて。
Z9って、良い意味でも悪い意味でもカメラの存在を意識させるんです。撮る行為を無意識に強制させるカメラっていう感じ。それは、Z9の物理的な重さもあるけれど、「Z9を持っている!」という高揚感からきているような気がします。
この日はお腹を直前に下していて、ゆっくりお散歩したいな〜という気分だったのと、重くないカメラを持っていきたいな〜となんとなく思った結果、Z9を置いていくことにしました。(写真ではたくさんカメラを持っていて重そうに見えていると思いますが、これ全部合わせてもZ9を1台持つよりも遥かに軽い!)
写真を撮るためのお散歩ではなく、お散歩メインでぼーっと何も考えず、目に入ってくる物を素直に受け止めてゆっくりゆっくり歩いたんです。
Z9を持っていると、「何かしら写したい!」という気持ちからか、気がつくとせかせか歩いて、被写体となりうるものに常にアンテナを張っているんです。それはそれで楽しいんですけどね。自分にとってZ9はお散歩メインの日には向かないカメラ。穏やかさを忘れさせるカメラだと気がついた日でした。
この日は、人通りを避けるように避けるように歩いて、穏やかさだけを求めて歩きました。
駐車されている車の小さな傷にも気がつきます。
少し先から、規則的なリズムを刻む音がするな〜と思ったら郵便屋さんがリズミカルにマンションのポストにチラシを入れていました。「プロだな」と1人でフッと笑いました。
小学校低学年くらいの女の子がお父さんと一緒に理容室から出てきます。手には飴を持っていて、「自転車に乗りながらこれ見ていい?あ、間違えた。自転車に乗りながらこれ食べていい?」とお父さんに聞きます。なぜか1個目の「自転車」と2個目の「自転車」のイントネーションが違うことの方が気になりました。
「みなみの眼科」だって、同じ名前だ、ふふふ。
追い越した犬の足音が後ろから聞こえてくるな〜と耳を澄ます時。ちかちかしている青信号を渡らず、止まることを選択した時。自分と自分の周りの、音や行動に寄り添って歩きました。
もちろん写真はたくさん撮りました。でも、映りの良さは気にしなかった。そんな日もあっていいな。たまにはZ9から離れてもいいな、と思った快晴の日の出来事でした😌
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