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亡き父の誕生日

4月29日は昭和の日、昭和天皇のお誕生日です。
と同時に、亡き父の誕生日でもあります。

昭和2年4月9日、父はこの世に生まれ出でました。
当時のことは分かりませんが、時代背景を考えると、今生天皇と同じお誕生日なので、家族は喜んだのではないかと思います。

そんな父はもういません。
85歳の誕生日を迎えたばかりの5月1日に亡くなりました。
そして、初七日は私の誕生日です。

死んだときにまで、何かしらの記念日を絡めてくれた父です。

そんな父が生前好きだったのがお酒。
自分で好きなお酒を買って、割るための氷やサイダーなども自分で買いに出かけていたので、家族が買いに行くということはありませんでした。

コテコテの昭和の人だったので、ある意味亭主関白なところがありました。
しかしお酒となると話は別で、きちんと自分で買ってくるものですから、好きなものに対する情熱は、どの界隈も一緒だなと思ったりします。

とはいえ、アルコール中毒のきらいがあったので、休みの日には昼間から飲んでましたし、かなりの短気だし、教えたことすぐ忘れるしでしたから、そういう意味ではあまりいい父親とはいえませんでした。

そんな父も病魔には勝てず、自宅で倒れ救急搬送されました。

病名は脳梗塞。
いくつもの梗塞の跡があったとのことなので、かなり前から患っていたと思われます。

今思えば、梗塞があったから物覚えが悪かったりしたのかなと思います。

最初に搬送された病院が、お世辞にもいい病院ではなかったので、症状は悪化するばかり。
結局、ほとんど寝たきり状態になったので、動かない左半身は固まってしまいまい、移動は車椅子となりました。

法律の関係で病院を転々とし、一時期は自宅から電車で2時間以上かかる施設に入所する羽目になりましたが、晩年は1時間ぐらいの老人介護施設に入所しました。

ただ、どこの病院、施設に入所していようと、週末には家族の誰かしらがお見舞いに行っていたので、他の入居者よりは幸せだと、施設の人にいわれたことがありました。

――――――――――

ある日、具合が悪くて病院に入院しました。そして退院後施設に戻り、お昼ご飯を食べて眠りについたそうです。

そしてそのまま、帰らぬ人となりました。

建て替えて数年の家に戻ることなく、病院を転々としながら病魔と闘い、いや闘ってないですね、だってリハビリを嫌がってしなかったですから。
家に戻ることなく、約10年、入院生活を送った父でした。

アル中だったし、短気だし、物覚えは悪いし、娘からしたらもうどうしようもない父ではありましたが、お仕事はきちんとしていたし、私が幼い頃には色んなところに連れて行ってくれたので、トータルではいい父だったと思います。

私が大人になってから、少々毛嫌いしていたところがあったので、もう少し優しく接していたらなという後悔は今でもあります。

我が家はお墓がなかったので、母の出身地である新潟のお寺に埋葬しました。
今はコロナ禍でお参りには行けませんが、それまでは毎年行っています。

早くまた、お墓参りしたいと思っています。


<終わり>
「30分トライアル記事」


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おか みなみ
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