私の中の「救われる」と宗教
この頃、英語の勉強の一部で世界の歴史や宗教に関するトピックが書かれた本を読んでいます。
そしてちょうど昨日「アンナカレーニナ」というトルストイが書いた小説の映画を見てゾッとしたのでこのノートを書こうと思います。
宗教に関する問題
宗教絡みの問題が政治にあったり、宗教にハマった家族が原因の一部として犯罪を犯した男性だったり。
宗教については見ないふりされていることが多い今の日本ですが、宗教という謎の多い組織についてはちゃんと自分なりの価値観を持って対処しなければならないと思います。
テレビ以外でも実際に親や親戚や友人、恋人が宗教に関することで揉めたり、そのせいで仲違いしたり、別れた話も沢山聞きます。
よく知ってみると、宗教が原因で世界では戦争も起こり、国の中や国同士で仲違いしたり、低俗な民族だと差別したり、献金で貧困になったり、家族が仲違いしたりしていて、本当にむしろ害に見えて、個人的にはやはり関わらない方がいいと思います。
救いとは
安倍元首相を撃った犯人は、色々と不幸が重なり同情の意見もありました。
ただ、個人的にはたとえどんな状況に陥っても犯罪を犯すか犯さないかというのも、ある意味、信仰と関わる大きな問題だとも思います。
不幸をどう捉えて、どう対処するか、どうしたいのかを決めるのは自分だと思ってるので、
結局犯人は周りと同じように自分で自ら破滅したと言えます。
最近少林寺拳法をまた始めたその人に色々聞いたのですが、少林寺も元々仏教の曹洞宗の流れの宗教組織で、今は格闘技とか護身術の印象が強いです。
ただそこで、そこで必ず教えられる成程と思った言葉が次です。
宗教と言われると拒否反応がある人もいるかもしませんが、宗教の在り方に対する問題を創始者は真剣に考えており、一体どういったきっかけで人が宗教団体に入信するのかということも統計を元に説明されていました。
ちなみに病気や貧困をきっかけに入信する人が大半のようです。
私個人的な経験の中では、Self-Help=自助という言葉を支えにしていたところがあり、とても引用した言葉に共感しました。
過去に、家族に頼りを裏切られて、さらに当時周りにいた人たち全てに騙されていたと知った時に「自助でしかどうにもならない」と考えるようになりましたが、それはやはり間違いではなかったと思います。
アンナカレーニナの自殺と不幸
アンナカレーニナという1800年後半のロシア文学です。主人公のアンナカレーニナが端的にいうと不倫から精神的にまいって自殺してしまいます。
ただ地位も名誉もあるけど息苦しさを感じたり、愛されているかどうかが不安になるアンナカレーニナの精神状態がとてもわかり、なんだかゾッとします。(また小説を読みたいです)
それで何が言いたいかというと、
アンナカレーニナが不倫を始めた頃から、相手であるヴィロンスキーの気持ちや夫のカレーニン、社交界の周りの目に感情を振り回され、
アンナ自身も本当は気丈に振る舞いたくても出来ないほどに、不安から自分の行動が我儘になったり感情的になり、そしてそれに自己嫌悪してしまう状態になってしまうその状況こそが、不幸だと思うわけです。
その時のアンナには自分で自分の精神を落ち着かせる方法も分からず、かと言って何かを諦めることも出来ない状態は、「自分という己の寄るべ」が無いということです。
それはとても苦痛ですね。
宗教にハマる人というのは、その精神的に追い詰められたアンナのような状態ということです。
そして究極の自己放棄とも言える自殺をします。
自分を頼るどころか見捨てるわけです。
アンナは小説だからそれでいいかもしれませんが「生きたい」と思ったら、恋人との関係を辛くても清算したり、夫と話し合ったり、全然別の所で別の人生を始めることも出来たかもしれません。
宗教はコミュニティ、神様は信仰
個人的な結論は、宗教団体はコミュニティとして人が集まる場所であり、取り仕切る人たち(運営者)がいるということです。
それは会社と同じく、誰かが不正をしたり、利益を得たり、ルールを決めたりします。
だから時間と共に腐敗もするし、コミュニティ外の人を仮想敵としてコミュニティに熱中させるために差別的な発言をするかもしれないということです。
でも神様の存在や救われると信じることは信仰です。
信仰は宗教という組織団体を介さなくても信じるだけで成り立ちます。
神様に救いを求めて来世の幸せを願っても、来世が存在するのかも分からないし、
神様に救ってもらうのに必要なのは宗教団体に払うお金ではなく、
正しく認識し、正しく考え、正しく行動する
というシンプルなものでしか無いと思います。
何かお祭りをしたり、行事という形式になってたくさんの人が信じることのために行動するから現実的にお金が必要になるのであって、神様がお金そのものの大きさのようなそんな相対的なもので判断する事は無いと思います
宗教団体も全て悪いかと言われると良くわかりませんが、貧乏や病気、孤独な自分に優しくする人のことはあまり信じない方がいいと思いますし、困っている人ほど悪い宗教団体には餌食にされます。
本当に幸せになりたいのであれば嘘でも明るくしている方が世界も自分もその嘘に騙されてくれるように思います。